俺はメスガキにわからされる
「なあ、討伐証明を取らなくていいのか?」
ゴブリンの部位、鼻や耳の一対を削ぎ取り、冒険者ギルドへ持っていくと、モンスター駆除として報酬が貰える。
メメは倒したゴブリンをそのままにしていた。
「欲しいならお兄さんにあげるよ?」
「俺が倒したわけじゃあない」
「ええ~。でも面倒だしぃ。一匹でパン一個くらいでしょ~」
メメが採る気なさそうなので、ゴブリンの死体はそのまま放置した。
とりあえずズボンが気持ち悪い。小便で濡れて重い。まずは近くにあるという沢を目指すことにした。
「なんで沢があると知ってるんだ?」
「さっき木の上から地形を見たからね。ほら聞こえないの? 耳も悪いのね♥」
耳を澄ますと確かに、かすかに水の流れる音が聞こえた。
草をかき分け数歩歩くと開けた場所に出て、そこには身体を洗うのに十分な水が流れていた。
「それじゃあ洗ってくる。メメは周囲を警戒してくれるか」
「えー。私も洗いたいのに。ザコお兄さんは人使いが荒いなぁ」
先程のメメの戦いは明らかに、はるかに俺より強かった。俺をザコ扱いするのも納得だ。
というより俺は、ぐうの音も出ないほどザコだったと思い知らされた。
ズボンは足元までびしょびしょになっていたので、そのまま水の中へと入った。そして座り、腰まで水に浸かる。両手で水をすくい顔を洗う。
身体のあちこちにできた傷が痛む。
「ああああ……」
痛みが生を実感させてくれた。
もしメメが居なかったら俺は死んでいた。さっきの様子だと、俺はゴブリン一匹でも殺されていたかもしれない。俺の攻撃は一撃も当たらなかった。
俺はメメの動きを思い出す。敵の懐に飛び込む度胸。的確に急所を打つ技。打撃。投擲。魔法。俺には何一つ足りないものであった。あまりにも差がありすぎて、何の参考にもならない。動きを真似しようとしても一昼夜でできるようなものじゃあない。
きっとそれが、才能の差ってやつなんだろう。
いや才能だけじゃない。俺はそれを埋める努力だってしてこなかった。勢いだけじゃ、剣は振れても当たらなかった。
「俺はいったい何をしてるんだ……」
早く宿へ帰りたかった。帰って、美味いもの食って、酒飲んで寝たかった。
立ち上がり、俺は自分の顔を叩いた。酷い顔をしているのは見なくてもわかっている。まだ手足が先程の恐怖で震えている。
俺は手をぐっと握りしめた。俺の中に残った何かを消さないように、奮い起こすように。
俺はメメのいる、木の上に向かって大声で話しかけた。
「メメ! 今日は帰ろうと思う! 残念だが……」
依頼は未達成だ。違約金を払ってキャンセルしよう。よくよく考えると俺は、依頼に必要な薬草の種類も知らない。俺は採取すら未経験だった。
なんとかなると勢いと雰囲気だけで冒険者に戻ったが、俺には知識も経験も何もかも足りなかった。
俺は戻ろう。街に。パーティーに。頼めば入り直せるはずだ。リーダーは優しいから。今まで通りじゃなくていい。最低限の生活ができればいい。宿だって雨風しのげればいい。
俺は、命さえあればいい。
「そんな大きな声出せるなんて元気だね。ザコお兄さん♥」
メメは音もなく川辺まで戻ってきた。
「いや、満身創痍だ」
「その程度でぇ? ほんと冒険者に向かないね♥ 引退したほうがいいよ♥」
「そうか……。やはりそう思うか……。そうだな」
俺は沢から上がった。ズボンが水を吸って酷く重い。ベチャベチャと音を立てる。
ズボンを穿いたまま手で握り、水を搾り取る。握った部分が皺となって残った。
「それでどうするの? 私のヒモにでもなる?」
「いや。前のパーティーに戻ろうと思う」
「へぇ~。惨めな生活に戻るんだぁ? あんな泣きべそかいてたのに♥」
「黙れ!」
俺はメメの華奢な肩を掴んだ。
「お前に俺の何がわかるって言うんだ! この二年間を! ただ過ごしてきた俺を! もう取り戻せない! 戻れないんだよ!」
「いっ痛い……。放してよ……」
「……。あ、ああ……すまん……」
彼女に迫ってどうするというのだ。
惨めなのはわかっている。わかっているが、それを受け止めるほど心が強くない。
「なーんちゃって♥」
「!?」
メメに手首を掴まれて、そのまま前のめりに地面に倒れ伏せられた。
メメが背中に座り、俺の肩に両膝を乗せ体重をかけた。そして俺の髪を掴む。
「やっぱり私、ザコお兄さんの事、反吐が出るほど嫌いだわ♥」
メメの手から熱が発し、俺の髪が焦げる。熱い。
メメが立ち上がり、俺の脇腹を蹴る。矢を射られた場所だ。俺は痛みと苦しみで仰向けになった。
メメは俺の顔を踏んだ。視界に人形のような顔を崩して薄ら笑うメメの顔と、股間が映る。
「もう元の生活に戻れないようにしてあげる♥」
つま先でぐりぐりと頬を押し込まれた後に、顔を蹴られた。逆からも蹴られた。さらに踏まれて蹴られた。
俺はメメの足首を掴む。
すると彼女は、俺の顔の上に座ってきた。
「ふんぐぐっ!」
顔に彼女の小ぶりな尻が乗り、俺の鼻をふさぐ。
そして彼女の手が俺の首を絞めた。
「逃げないようにぃ、首輪を作ってあげるねぇ♥」
「アッ……ガッ……」
彼女の手が熱を帯びる。喉を焦がす。
「でーきたぁ♥ きゃははっお似合いよー、ザコお兄さん♥」
「はっ……かはっ……くぅ……」
呼吸が熱い。苦しい。
俺は手を自分の首に当てた。火傷がざらりとしている。まさにそれは、彼女によって刻まれた首輪のようであった。
「俺を、どうするつもりだ……」
「どうする? どうかするのはお兄さんでしょ~? まったく、主体性がないねぇ」
彼女が俺の胸ぐらを掴み、沢へ投げた。
俺はゴロゴロと転がり、水の中に顔を突っ込んだ。顔と首の痛みが水の冷たさで和らぐ。
しばらくそうしていると、彼女にケツを蹴られた。
「はいはい。お兄さん仕事するよぉ? 薬草採取して帰りましょ~?」
「あ、ああ……」
散々やられたが、俺はやり返す気は起きなかった。
首を焦がされる感覚。あれをされてなお抵抗する気が起きる奴がいるなら見てみたい。俺の首にできた火傷は、彼女の言ったとおり、俺に枷かけられた首輪となった。
「ザコお兄さん♥ どう? どんな気持ち? ねえねえ♥」
彼女は斜めに身体を傾けて、俺の目の前をぴょんぴょんと跳ねた。
俺は拳をぐっと握る。
やり返す気が起きない? そんなわけはない。
俺の胸の中は、怒りと、悲しみと、強さへの尊敬と、メメに対して様々な感情の炎が渦巻く。
俺はふぅと一つ大きく息を吐き、拳を開いた。
そして目の前の彼女の頬へ平手打ちを打ち込む!
「このメスガキがぁ!」
「おっと」
パシンと左手で右手首を掴まれ、彼女は右手で俺の頬をつねった。
「ひでででででっ!」
「あははははっ♥」
そして彼女はダンスを踊るかのように、俺の事を振り回した。
「もう少し付き合ってあげる♥ ザコお兄さん♥」
そう言って彼女は、年齢にそぐわない蠱惑的な表情で笑った。