俺は迂闊だ
ぴちょんぴちゃんと水の音がする。目の前には、人を見かけたら殺気を放った眼力で追い返す人嫌いのスレンダー美少女金髪エルフが薄暗い部屋の中で全裸で水浴びをしている。
なにこれどんなサービス? と思うより、焦れったさが上回る。
俺は幼女薬のためにすぐにでも帰りたかったのだが、シリスは「臭いを消す事は重要だ」と言ってはばからない。
夜に俺の事を肉布団にした、自分の身体になぜか自信を持っている発育途中の銀髪悪魔も「ザコお兄さんの臭いが付いちゃった」などと言って服、と言う名の身体に巻きつけてるただの布を脱ぎだし泉の中へ飛び込んだ。ジャポン。そして俺に水を掛けてくる。
「なあ、シエラは大丈夫かな」
俺はお菓子の家で待っている幼女が気が気でならない。俺もマナを極端に使って何度かぶっ倒れているため、あの二日酔いのような辛さが非常にわかる。しかもそれが生まれたばかりの幼女となればさらにキツイであろう。気絶したまま目を覚まさない方が幸せかもしれない。
「んー」
メメは俺に水を浴びせるのを止め、頬に手を当て天井を見上げた。淡い青い水晶のような魔石の光が、メメの真紅の瞳に反射する。
「まだ大丈夫だけど、だめかも」
「それってどういう……」
「ねえそれよりもこの先」
メメは水場の奥の向こう岸を指差した。
「地下への階段があるの。行ってみない?」
「あのなあ。観光に来たわけじゃあないし、薬の材料の目処も立ったんだ。シエラを助けるために帰ろうぜ」
「えーっと、そのこと言いにくいんだけど……」
「なんだ?」
メメは胸の前で両手の指をもじもじと擦り始めた。メメにしては珍しい態度でちょっとドキッとする。しかしつるぺた全裸なのでしゅんと冷める。
「コカトリスは材料にならないね。毒で腐ってるし……」
「なっ!?」
ぐずぐずになって溶けていたコカトリスの死体を思い出す。言われてみればそうだ。
「え、じゃあ、薬は……」
「だから地下探索に行こうよ。何かあるかもしれない」
しかし何もなかった。
石窟はどこまで行っても真新しい石造りで、苔一つ生えていなかった。
地下道は一本道で、すぐに行き止まりとなっていた。フロアすら無く半端な通路が存在していた。
「これは未完成なのか? それとも……」
シリスは壁をぺたぺたと触る。メメもこんこんと壁を叩く。
「封じられてる? 意思がある?」
「こじ開ける」
シリスの手が光輝き、壁の岩の隙間に植物の蔓が急成長し入り込んでいく。
「岩の向こうに部屋がある」
「破壊するよ」
メメが岩の一つを蹴り飛ばすと、蔓が絡んだ岩がすぽんと抜けてごとりと落ちた。
そして人一人分が通れる開いた穴に、メメはするりと入っていった。
シリスも続いて通り抜け、俺も身体を突っ込みメメに手を引っ張られて中に入った。
「祭壇?」
天井の魔石が一室を明るく照らす。その下には人工物一段高くなったつるりとした床に、さらに黒い立方体のテーブルのようなものが置かれていた。儀式的なものを感じる。
シリスは壁を調べ始め、メメは床に耳を当てた。
俺は真ん中の立方体に近づいた。ぬめりとした表面は黒曜石のようで、天井の灯りを反射して煌めいている。
石碑のように見えるが、表面に文字は刻まれていない。指で触れて触ってみるも、凹凸は何も感じられなかった。
だが、その天面に手を触れると、天井の魔石から光の筋が下りてきて、立方体が複雑な文様を描き輝き始めた。
シリスとメメが叫ぶ。
「おい!」
「ザークぅ!?」
手を離そうとしたが、離せなかった。光が腕に伝わり、俺の身体が発光する。
そして俺の意識は闇に飲み込まれ、地面に潜った。
川の急流に流されたような感覚だった。俺の身体はどろどろに溶け、マナの奔流と一体化した。
一瞬の出来事だったが、意識が戻った途端に、ぐるぐる回る視界で立っていられずその場に倒れた。そして猛烈な頭痛と吐き気に襲われた。朝食べた、昨日冒険者ギルドで貰ったクッキーを床に戻した。
胃液を出し尽くし、俺は大の字になった。
天井には変わらず巨大な魔石がぶら下がっているが、先ほどより光が弱い。
メメとシリスは無事だろうかと、よろよろと立ち上がり辺りを見回したが、気配がなかった。
「おおい? どこいった?」
異変があった。二人がいないだけでなく、入ってきた穴が巨大な通路となっていた。
俺は、黒い立方体に触れた手を見た。
俺は何も変わっていない。部屋の様子が変わっている。
吟遊詩人の英雄語りで聞いたことがある。これは、部屋から部屋へと一瞬で移動する、転移だ。
俺は再び立方体に手を乗せたが、光が下りてくる事はなかった。天井の魔石は鈍く光っている。
「ここは、どこなんだ……」
俺は迂闊な俺を呪った。
しかし悔やんだところでどうしようもない。戻れないなら動くしかないだろう。
メメとシリスは追ってくるだろうか……。トラップと考え慎重になるだろう。そもそも仕掛けもすぐに動くとは考えにくい。現に俺が今再び触っても起動しなかった。
シリスは冷静に、ギルドへ戻って報告するだろう。
メメは、「ドジ!」とか罵りながら立方体を調べるだろうか。シエラの薬の件を進めてほしいが、俺の事より優先するだろうか。などと思いつつ、俺の事を優先してほしいなどと頭によぎり、空っぽの胃がムカついてくる。
「俺が自力で帰れば問題ないだろ。余計な事を考えるのはよせ」
自分に言い聞かせて出口へ向かう。
だがぽっかり開いた穴の闇の奥から異様な雰囲気を感じる。
一歩出た時からぞわりと全身に寒気が走った。
十歩進むと顔に何かべっとりとへばりついた。
俺は慌てて腰のダガーを抜き、それを切り裂いた。糸だ。巨大な蜘蛛の糸だ!
暗闇の中で八つの瞳が赤く光る。
やばい。まずい。やばい。
転移前の穴では何もいなかったから、こっちにもいないと思いこんでたのが間違いだった。
背中を向けて逃げることすらできないほどの勢いで赤い目が迫ってきている。
「来いよコノヤロー!」
刺し違えてやるとダガーを構えた瞬間、巨大蜘蛛の背中で爆発が起きた。
巨大蜘蛛が一瞬動きを止めた隙に、懐に潜り込みダガーで腹を切り裂いた。べちゃりと頭に蜘蛛の血が降りかかる。
続けて俺の頭上でドドンと爆発が起こる。蜘蛛が焦げる匂いがした。
「ああもう! 面倒ね!」
少女の声とともに、暗闇の中で輝くマナの光の筋が走った。
それを見た俺は慌てて地面に伏せた。
途端、激しい熱線が蜘蛛の糸を焼き、巨大蜘蛛の胴体を貫いた。
巨大蜘蛛が断末魔を上げ、落下してくる。
俺は転がるように巨大蜘蛛の下から急いで抜け出した。
糸と巨大蜘蛛が燃え上がり、辺りを照らす。
「はぁふぅぅぅ……あっぶねぇー」
「あんた、なんでこんなとこに居るのよ」
「そっちこそ」
魔法をぶっ放していた少女は予想通り、アリエッタだった。
アリエッタは左手でポーション瓶を呷りながら現れた。右手の輝く杖が俺の頭を叩いた。
「それとも幻覚? その可能性が高いわね。潰しておこうかしら」
「待て待て! 本物だ!」
「幻覚はみんなそういうのよね。じゃあさようなら」
「俺はお前の知らないことを知っている!」
アリエッタの振り上げた杖が止まった。
「幻覚は掛けた相手の知識から作られる、だろ? アリエッタが知らない事を幻覚が知っているわけがない」
「言ってみて」
「お前の尻にはホクロが三つある」
「よし、潰そう」
ぐしゃり。俺の頭は潰れた。