メスガキが俺の手を掴んで離さない
目が覚めたときに思ったのは、「暖かい」と「良い香りがする」だった。
毛布はいつもより重く、そして柔らかく、胸元が汗ばんでいた。
ああ、これは牧羊犬のチャウか。俺は毛を撫でた。はははこいつこんな歳になっても甘えん坊だなぁ。よしよし。
「んん~」
と、胸元から犬らしくない鳴き声が聞こえた。
チャウはもっと大きかったはずだ。いや、俺が大きくなったのか。チャウと一緒に寝てたのは子供の頃だ。老犬のチャウはすでに死んでいる。
そこで俺の脳がやっと動き出し、乗っているのが何かを思い出した。
「こら、離れろ」
「うやー。やめれぇー」
ベッドから銀髪少女をぽいと捨てて俺は起き上がった。
こいつのおかげで深酒せず、二日酔いなかったのは感謝するべき事だろうか。
「いたぁーい! 女の扱いがそんなんだからお兄さんは――!」
散々聞いた罵倒が寝ぼけた頭に響く。やはり感謝はしない。
支度を整え外へ出た。銀髪少女も付いてくる。
「いつまで付いてくるんだこいつ」
「なぁに? お兄さんこそ私に付いてきてるんですけど?」
銀髪少女が俺の数歩先に出た。そのまま少女が先を行くと、確かに俺が後を付いているようだ。向かう先は冒険者ギルド。とんとしばらく俺には用事がなかった場所だ。これからは俺が一人で依頼を取り、こなさなければならない。
重く分厚い扉を開けると、冒険者たちの喧騒が俺の心臓を打つ。そこにいる多くは俺より年下で、その日暮らしながらも野心で目を輝かせる者たちばかりだ。
俺は今更ながらその中に混じらなければならない。俺の足は入り口付近の壁から動けなくなってしまった。
そんな中、依頼掲示板の人混みに見失った銀髪少女が俺の元へ戻ってきた。
「Fランお兄さんにぴったしな依頼選んであげたよ♥」
「おまっ、何勝手に……!」
銀髪少女が勝手に掲示板の依頼書を剥がし、俺に押し付けた。
痴女服少女と俺の様子に周囲から視線が向けられ、俺は慌ててそれを受け取り背中を向けた。
「薬草採取だぁ? こんなもん新人のやることだ」
「でも、お兄さん向けでしょ?」
「うぐ……」
薬草採取は誰もが通る道だ。理由は簡単。怪我を負ったときの緊急治療で、薬草の区別が付くか付かないかは生死に直結する。要するに駆け出し冒険者の勉強のために行われる。
しかし冒険者らしい事は何もできない俺は、まずはここからか。
俺が覚悟を決めている後ろから、誰かが話しかけてきた。
「ねぇ君ぃ、新人? 俺たちのパーティーに入ってよ」
話しかけてきたのはまだ少年と言った風貌の、みすぼらしい装備の新人だった。彼の目は俺など存在しないかのように無視し、少女の方へ向いている。
「ごめんねー。私この人と付き合ってるからー」
「はあ?」
俺と少年はまぬけな声を出した。目が合い、少年が俺を睨んでくる。
「知らん。勝手に連れて行っていいぞ。ほら行け」
「あーひどーい。昨日一緒に寝たこと、みんなに言いふらそうかなー? そしたらお兄さんの立場どうなるかなー?」
「くっ……」
少年は顔を真っ赤にして、もう一睨みして「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「おいてめえ! どっちが先に鉛タグになれるか勝負だ! 俺が勝ったらその子を俺のパーティーに貰うからな!」
「勝手にしろ」
少年が喚いたせいでさらに注目が集まり視線が痛い。
俺は銀髪少女の手を掴み、急いで冒険者ギルドから出た。
「ふぅー。全くこれだからガキは困るねー」
「お前もだ」
全ての原因はこいつにある。しかしそんなことは考えていないのか、握った手に指を絡ませてきた。
「銀貨一枚分は一緒に居て上げるよ。ヘタレお兄さん♥」
「それが迷惑だと言っている」
はぁとため息を付き、薬草の依頼書をバッグにしまった。
俺は身なりや装備だけは良い。木製タグだけがその姿は不釣り合いだ。見る人は「商人が冒険者タグを付けている」としか思わないだろう。事実、俺のパーティーでの仕事はそういった街での買い出しが中心であった。
なので街中には知り合いが多くいる。早朝の街中市場は最も活気に溢れている。足の早い生鮮食品は朝のうちに品切れる。俺は朝食代わりに林檎を一つ買った。皮ごとそれを齧ると、額に皺が寄るほどの酸味が口の中に広まった。
「大将、今日のは特別酸っぱいなおい」
「そうでっか? きっと美しいお嬢さんを連れているんで林檎も妬いてるんでしょうや。ささ、お嬢さんも熟れたやつをお一つどうぞ」
「わーいありがとうおじさん。すき♥」
猫かぶってやがる。
少女はタダで林檎を受け取った。
「ところでどうしたんです? こちらのお嬢さんは。新入りさんですかい?」
「よくわからん。勝手に付いてくる」
「このお兄さんはー、パーティーから捨てられてたから、私が拾ってあげたの」
大将は目を見開いて俺を見た。
「捨てられたって、へえ!? ほんまでっか!?」
「誤解を招くような事を言うな! 俺から、脱退を言い出したんだ」
「じゃあ辞めた事は本当なんですかい。はー……では本格的に商人に?」
「なんでそうなる。俺は……冒険者だ」
俺がそう言うと、少女も店のおっさんも「ぷふっ」と笑った。
「何がおかしい」
「そんな嫌そうな顔で言われましても。あんちゃんこそ向いてないって思ってるんじゃないでっか?」
「それは……」
そうかもしれない。いや、そうなのだろう。
俺はとっくに、英雄譚に憧れて、吟遊詩人に語れるような存在になんて、そんな夢は持っていない。冒険者の瞳というものはその輝きに満ちているものだ。いつでも。いくつになっても。
「悪いけど、あんちゃんはすぐ死んじまいそうでなぁ」
「だから私が付いてあげる♥」
「邪魔なだけだ」
店から離れるも、少女は俺から離れない。ぴったしくっついて隣を歩き、俺は知り合いの露店たちから野次られる。
不快。不快だが力づくで振りほどく方が体裁が悪い。そのままさせるがままにしておいた。
そして俺は街の門へ向かう。
今まで街の外に出る事のなかった俺は門番と馴染みがない。俺はボロボロの木製タグを見せて不審がられながら門を抜けようとした。
「おい、そっちの少女はなんだ?」
しかし少女の方で引き止められた。
よしこれで引き剥がせる、と思ったものの……。
「付き添い。通ってもいいでしょー?」
「まあよし」
と、あっさり通されてしまい、少女は俺の隣に付いたままだ。
「はぁ……。さて、森はどっちだ……?」
「何も調べないで出てきたの? よくそんな事で生きてこられたね」
「うるせえ」
俺は二年前にこの街に来た時の記憶を思い返す。そうだ、確か東にあったはず……。
門から出て左に進もうとした俺の手を、少女は引っ張った。
「こっちだよお兄さん」
「いやそんな事は……」
「私がいないと何もできないんだねー。ダメダメお兄さん♥」
俺は「ふぅ」と息を大きく吐き、怒りを鎮めた。
「なぜ、薬草の場所を、知っている?」
「だって依頼を取ってきたの私だよ? そんな事も忘れたの? 頭緩いねーお兄さん♥」
何が何でもこいつは俺を連れて行くつもりのようだ。
ならばわかった。一日付き合ってやろうじゃあないか。
「ザークだ」
「へ」
「お兄さんではない。俺の名はザークだ」
「ふぅん? お兄さん名前もザコ♥ なんだね。かわいそ」
「ザークだ」
くりくりとした透き通るような真紅の瞳が細まり、少女は上目遣いでにこりと笑ってみせた。
「メメって呼んで」
「メメ? そっちこそ変な名前だな」
「愛称よ。お兄さんは特別にメメって呼ぶことを許してあげる♥」
「ちっ。偉そうだな」
俺は小柄な少女の手を振りほどいて、早足で西の森へと向かった。