俺はメスガキを殴りたい
街を襲おうとしてた魔狼の群れは呆気なく蹴散らされていく。
特に目立つのは、リチャルドのパーティーだ。
リチャルドが細剣で華麗に舞うように、魔狼の目や喉を突いて即死させていく。アリエッタが群れの中央で爆発を起こし魔狼をびびらせ、シリスの弓矢が的確に貫いていく。
しかしやはり恐るべきはディエナの姉御だ。無数の魔狼とともに、巨大な銀狼を相手にして一歩も引かない。
銀狼は単独でCランクは必要なモンスターだという。つまり姉御の実力はCランク上位は下らないということだ。
「メメはあれを相手できるのか」
「悔しいけど、あの筋肉を魔法で貫くには手間がかかりそう……」
「そっちかよ」
ディエナの姉御を殺そうとするな。
「だいぶ数も減ってきたな」
一面に広がった魔狼はどんどん追い返されていく。もはや突破を諦めて逃げ腰だ。
それもそのはず、司令塔であるボスが戦闘中のせいか、魔狼は混乱を起こしている。これが街を包囲するように広げられていたら、冒険者も戦力を分散しなければならなかった。
そしていま、ボスの銀狼の首が、ディエナの姉御の単独の攻勢によって落とされた。ディエナの身体はあちこちから血を流していて手負いだ。だが囲んでいた魔狼はボスを失い少しずつ彼女から遠ざかる。
「うおおおおお!」
勝利である。冒険者たちが雄叫びをあげ、森へと駆ける魔狼を追い立てる。
逃げる魔狼を全て狩るのは不可能だろう。いつしか数を増やし、再び街を襲うだろう。
終わらない戦い。だが冒険者がいる限り、街は平和を保たれる。
勝どきを上げる冒険者の声に混じり、門から鈴の音が聞こえてきた。
「あれなに?」
「ああ、聖女バンテリア様だ」
銀箔の貼られた精細な意匠をこさえた籠が、ハゲの男たちによって運ばれてきた。
籠が下ろされ、中から濃い紫の衣装をまとった黒髪の女性が現れる。彼女が聖女様だ。
ハゲの男に囲まれた聖女様は、錫杖を振り、杖の先から光を放たれる。
光は空で弾けて無数に分かれ、粉雪のように降り注いだ。
「回復魔法……この規模で……?」
さすがのメメも聖女様の奇跡に面食らっているようだ。
「ああ。奇跡だ。聖女様が俺たちの傷を癒やしてくださっている」
俺の身体から魔狼の爪痕や打撲の痛みがすーっと消えていく。これはありがたい。
もちろん初めての体験だ。聖女様が癒やしを下さることは酒場で話しだけは聞いていた。
聖女様はハゲによってすぐに籠に戻された。
そこへ冒険者の一人が駆け寄ってきた。
「待ってくれ! 俺の仲間が重症なんだ! 頼む! 奇跡を! もっとくれ!」
「邪魔だ。聖女様はお役目を果たされた。個人的な祈りは受け付けていない」
男はハゲに突き飛ばされ、号泣する。
周囲の冒険者たちは哀れみの目を向けるが、手を貸すことはなかった。
籠がハゲに担がれ、街の中へ運ばれていく。
「ふぅん。助けて上げればいいのに。薄情なのね」
「そう言うな。さっきの奇跡だって大サービスなんだ」
冒険者は基本的に信心はない。いや、それぞれ祈る神が違うのだ。出自も成り立ちも違うゆえに。
その中で統一神ジスを神の一つとして見るものの、それだけを神として崇める者は少ない。ジス教徒はそんな冒険者に対し信心がないと言う。
そんな彼らが聖女を外に出し、奇跡をくださるのは街の防衛に対する労りであろう。彼らだって信じるものが違うだけで対立するつもりはないのだ。
「クソ! 畜生!」
だが逆恨みをする者はいる。
俺も同じ立場だったら懇願するかもしれない。「なぜ治せるのに治してくれないのか」と。
泣き崩れる冒険者を無視するように、皆が動き始める。何十もの魔狼の死骸が転がっているのだ。仕事はまだ残っている。
素材の価値は低いとはいえ、それを腐らせて無駄にすることはない。
眼球を取り出し、牙を取り、腹を割き、皮を剥ぐ。魔物の紫の血が草原を染める。
肉は食用に向かないが、骨や腱は価値がある。
雑に切り分けられた肉は、貧民が集まり肉食鳥と争いながら持ち去っていく。
「こっち重傷者だ! 介錯してやれ!」
「オウ!」
ドカドカと貧民を蹴散らしながら、ディエナの姉御が贓物の溢れた冒険者の元へ駆けつける。
「おい。息はあるか? 出身は? どこの信徒だ?」
「村は……もうねえ……独り身だ……。主神は森の狼の……」
「ハハッ! 崇める狼にやられたってか! よかったなぁおい!」
姉御が大剣を上段に構えた。切っ先が陽の光で輝く。
「狼に腸喰われた狼神の信徒よ! 誇り高き魂よ! 森へ還れ! またな!」
姉御が首を叩き斬る。土埃が立ち、ごろりと首が転がった。
胸元の鉛タグを、見届けた男が拾う。後にギルドへ届けられる。
大きく掘られた穴に、魔狼の残骸が投げ込まれる。
そこへ死者も放り込まれた。そして油が掛けられ火を付ける。
薪が放り込まれ炎が大きくなり篝火となる。
みなが手と足と口を止め、立ち上がる炎を見つめる。
魔狼の素材がロバに乗せられ街へ運ばれていく。
陽はすっかり昇りきっていた。
「終わり?」
「いや、宴会が始まるぞ」
門の前で炊き出しの準備が始まった。酒も振る舞われ、魔狼の紫の血で汚れたままの冒険者たちがガハハと笑い合っている。
あの中に入りたくないな避けよう……と思っていたら、メメがいつの間にか混ざっていた。まだ食う気か。
メメは町民の女性陣に囲まれていた。
「メメちゃ~ん。おつかれ~」
なんて可愛がられている。何もしてないだろお前は。
そしてメメにデリカシーに欠ける質問を投げかけている。
おい。デタラメを答えるな。よせ。
女性たちの冷たい視線が一斉に俺に向けられる。違う。俺は何もしていない。
「ぴえん」
ぴえんじゃねえ。泣き真似をよせ。
「おいこっちへこい!」
俺はメメの手を取り、輪の中から引っ張り出す。
ヒソヒソ声がかすかに聞こえてくるが、口には出せないような罵倒が混じっている。
「んふふ。ずいぶんと評判が悪いね、ザコお兄さん♥」
「お前のせいだろ」
喧騒から離れて二人きりとなった。
晩春の風が吹く。血と肉と油の香る、季節外れの死の臭いだ。
「ザコお兄さんが死にかけたら、私の好きにしていい?」
「あん? 痛くするなよ」
俺もいつか無茶をして、メメに介錯されるような日がくるんだろうか。
冒険者をこのまま続けるなら、死は常に隣り合わせだ。
ディエナの姉御の言葉を思い出す。あれは俺に雑用の商人もどきに戻れと言っていたのだろうか。
俺にできることは……。
この防衛戦も、俺が居ても居なくても変わらなかっただろう。
「どうしたの? よわよわお兄さん♥」
俺はメメの手をぎゅっと握った。
今になって手が震えだした。
転がる首が脳裏に浮かぶ。
そうか俺は。やはり死を恐れているんだ。
だからいまさら冒険者を続けていく意味なんて考えている。
「ザコお兄さんは冒険者辞めるの?」
メメが俺の瞳を覗き込んでいた。心を読んだわけじゃないだろう。きっとわかりやすい顔をしているんだ。
「いや辞めるつもりはないが、ちょっと怖くなったな」
ゴブリンにちびった俺だが、魔狼相手にも立ち向かえた。
しかもメメの助けなしでだ。
「そういえば、一人で戦うのは最初のゴブリン以来だったな」
「なあに? 寂しかったの?」
「もう一人で戦えると思っていたけど、まだ全然だったなって」
「んふふ♥ まだまだ私がいないと、ザコお兄さんはすぐ死にそうね♥」
「ああ。頼むよ」
そうか。いつの間にか、メメが隣にいるのが当たり前になっていた事に、俺は気づいた。
ボロボロになりながら冒険者を続けている理由は、それなのかもしれない。
強くなりたい。単純な動機だ。
「甘えん坊だなぁザコお兄さんは♥ まだ赤ちゃんなのぉ? おっぱい飲む?」
そしていつの日か俺は、こいつの顔面にパンチを入れたいと思っている。
「ねぇザコお兄さん♥」
メメが俺にしなだれてきて、首筋に唇を近づけてきた。
俺はメメの顔に拳を繰り出す。
メメは俺の手を掴み、ねじり、地面に転がし、俺の腰の上に座った。
「短剣も練習しなきゃね、お兄さん♥」
メメは俺の腰の短剣を取り、手の中でくるりと回す。
そして俺の首の皮すれすれの地面に突き立てた。