メスガキはもう動かない
マナとは魔法を司る素だと、メメは言った。
それは全てに存在するエネルギーであり、それを事象に変換することを魔法と言うらしい。
メメは「そんな事も理解できないお兄さんは頭が悪いのね」なんて言っていたが、分かる人の方が少ないだろう、そんな事。
とにかく、メメの手から放った炎と同じく、あの華奢な身体から繰り出す暴力も魔法の一種だと言う。魔法が使えないという人も、知らずに身体強化を使っている事もある。
要するに、そのマナとやらを外に出すか、内で回すかの違いとのことだ。
「朝から食う肉はうっめぇなぁ! なぁ!」
「姉御ぉ。そんな背中を叩かれたら食えないっす」
「アッハァー! おい店主ぅ! 酒のおかわり持ってこいやァ!」
マナを扱えるかどうかは、一般人と、それ以外に振り分けた。それは偏に才能と呼ぶ。
マナを上手く扱えない人間は凡人で、扱える人間は天才だ。
努力で目覚めた場合も、それだって才能と言える。
なら俺は?
「むっきゅ! もっきゅ!」
「おい、肉汁が身体中に垂れまくってるぞ……」
「良い食いっぷりだーなぁ! 良い戦士になれるぜぇ! おいザークももっと食えよ! おらっ!」
「ぐごぽっ!」
俺は朝から食ハラを受けている。
こんなに食ったら今日はもう一日動ける気がしない。
「げぷっ……。ところで姉御。パーティーで問題が起こってるとちらりと聞いたんですが」
「んああ!? 誰がそんなこと言ったぁ?」
「アリエッタです」
「ああ? 誰だぁ?」
この人、自分のパーティーメンバーの名前もわかってねえよ。
「ちびっ子魔導士です」
「あーあー。あのガキな」
「ええ……」
俺は周囲を見回す。まさかこんな所にいないだろうな?
いま俺たちがいる場所は酒場ではない。精肉店の軒先だ。
人の行き交う道で、肉を焼いて削ぎ落としながら食っている。酒は店の小間使いに酒場へ買いに行かせた。
横暴だ。品位を落とす行動である。だが誰がディエナの姉御に逆らう事ができる?
全員が見て見ぬ振りだ。俺だってできるならそうしたい。去りたい。
だが俺の肩には、ディエナの姉御の腕が回っている。
「アーッハハッハ! アシが居れば問題はねえ! そうだろう!?」
「おっしゃる通りで」
事実。姉御は全てを筋肉で解決する。
この猪肉だって、普通は罠や毒で狩猟する。それが最も肉を傷つけずに仕留める方法だからだ。
だが姉御は猪の首を一刀両断したらしい。まあそのくらいするだろう姉御なら。もし俺が女だったら惚れちまうね。いや姉御は一応女だから……あれ?
「そんでぇ? ザークも猪狩りをしたいって?」
「ああ、はい。ゴブリンも倒せるようになったので、狩猟に参加したいかと」
「やめとけ」
姉御が受け取った酒をぐいと飲み干し、ドンと地面に置いた。
そして真面目な顔で俺を覗き込む。酒臭い。
「それは、俺が弱いからですか?」
「ああそうだ」
俺の肩に姉御の指が食い込む。姉御は大して力を入れていないだろう。だが俺の筋肉と骨は悲鳴を上げる。
「人にはできる奴とできねえ奴がいる」
「……」
俺はグッと拳を握った。悔しさはあるが言い返せない。
「わりぃ。言葉が悪かったな。アシはザークのことが好きだぜ」
唐突な告白に俺は困惑する。
なに俺、モテ期? モテ期きてるの? 好みのタイプが全く来ないんだけど!
「俺もディエナの姉御のこと好きですよ。もちろん戦士としてですが」
相手を傷つけないように振る。これがデキる男。モテる男は辛いね。ははっ。
「おっ! じゃあ今からヤるか!」
ヤりません。勘弁してください。許してください。俺は泣いた。
メメは肉汁まみれの手でディエナの耳を引っ張った。
「あらひのおもらにれをらはらいれ」
口の中に肉が詰まっている。腹にも詰まっている。ダメだこいつ。助けにならない。
「アハハ! ザーク! お前も焼かれて食われなきゃいいな!」
え? なに? 俺食われるの?
目の前の削ぎ落とされていく肉塊を見ながらゾッとする。
「なあザーク! お前は目標はあるのか!?」
「目標……ですか?」
そう言われてみると、俺にはこれといった目標がなかったように思う。
英雄への羨望。これは夢だ。目標ではない。
独り立ちは手段であった。日銭を稼ぐのは生活である。
「強いて言うなら、目標は姉御ですね」
自由気ままに冒険者として生きる。誰もが憧れるそれを体現しているのは、この街ではディエナの姉御だけだ。
ディエナの姉御だってソロじゃない。リチャルドのパーティーに入っているからには、団体行動で依頼をこなしている。
それでも姉御の魂からは自由を感じる。
「アハハ! アシみてえな不良になってどうすんだよ!」
姉御が俺を小突いた。俺は地面を転がり、壁に激突する。目が回って気持ち悪い。
「よしザーク! 打ち込んでこい!」
立ち上がった姉御の腹筋に、俺はよろめきながらパンチを繰り出す。
痛い。壁だ。
「わかるか!? こうなれ! 肉を食え!」
「イエスマム」
肉を食ったら強くなるのかわからんが、俺の腹はすでにパンパンだ。勘弁して欲しい。
突然、耳をつんざく鐘の音が街に響いた。そしてそれが連打されている。
行き交う住民が足を止める。壁に寄り、道を空ける。
衛兵が大声を上げながら駆ける。
「魔狼の群れ来襲! 魔狼の群れ来襲!」
それだけを繰り返す。
街の人は少し安堵の表情を見せた。ただのモンスターの襲撃ならば、街中まで被害が及ぶことはまずない。街の住民に取っては火事の方がよほど恐ろしい。
そして冒険者に取っては腕の見せ所だ。
「よっしゃ! 出番かぁ!」
冒険者とは、野外で働く者の総称であり、街の自警団でもある。
ディエナの姉御は精肉店の小間使いを呼び、片付けを命じた。そんな権限はないが、店主は見て見ぬ振りをする。
姉御の言動に文句をつけるか、外の緊急事態に駆けつけさせるか、どちらが有益かなど誰もが理解している。暴力は暴力に使うのが一番だ。
「俺も行きます!」
ろくに役に立たないのはわかっている。だが俺だって冒険者の端くれだ。
「構わねえが、お守りはしねえぜ?」
もちろん。俺だって姉御に守られるつもりはない。
俺にはメメがいる。メメ! メメ……?
し、死んでる……。
「げぷぅ」
メメは食いすぎて仰向けで倒れていた。俺はぽっこりお腹のメメを担ぎ上げ、門の外へ向かう。
「ぐるじい。揺らすな。へた。ざこ。はげ」
ハゲちゃうわ。抜け毛はメメが髪を引っ張るからだ。
俺はすっかりメメを相棒気分で見ていた。まあメメがいれば俺だって戦えるよね! くらいの気持ちでいた。この様子じゃメメは戦闘不能だ。
俺はそっと、メメを街の外壁を背に座らせるように下ろした。
「ザコお兄さん……一人で戦うつもり……? 死ぬよ……?」
「俺がそう簡単には死なないことは知っているだろう?」
メメが俺の首筋に手を伸ばす。そっと火傷の痕に触れる。死の刻印。魔法を目覚めさせた証。
以前の俺なら、メメを担いで運ぶことすらできなかった。
「勝手に……死んだら……許さないから……」
「死なないさ」
メメはにこりと微笑み、瞳を閉じた。
メメの頬を肉汁が流れ、ぽとりと地面を濡らす。
メメの手から力が抜け、ゆらりと地面に垂れる。
「すぴー」
そして寝てしまった。
まあ……ここに放っておいても大丈夫だろう……。不埒な気持ちで近づく男がいるかもしれないが、その時は知らん。男が金玉を失うだけだ。
俺は平原に向き直り、剣を構える。
街道に立ち並ぶ10名ほどの冒険者。
俺のように戦々恐々している新人もいれば、目を輝かせるベテランもいる。
しかし誰もが、負けるつもりでここに立ってはいない。中央にディエナの姉御がいるからだ。
全員おこぼれ狙いである。
「おるぁああああ!」
駆け出す姉御。続く冒険者たち。森から姿を現す無数の魔狼。
俺たち先陣は街を守るためじゃない。武功のために先走っているだけだ。
街を守る? そんなの生真面目なリチャルドにでも任せとけ!