森川からの依頼
鞠亜が亡くなって二週間。那々子はひょんな事から、オカルトオタクの数学教師、森川から呼び出される。そこには、同じクラスのアニメオタクの美少年、玉田康佑が居た。森川は彼らに、驚きの依頼をする。
鞠亜が亡くなって二週間が経ち、周囲の面々は落ち着きを取り戻しつつあった。時期は梅雨時という事もあり、校舎内は暗い日々が続いたが、生徒たちは、毎日が祭りであるかのようにはしゃいでいた。
この日も帰りのホームルームが終わると同時に、皆長い拘束から解放されたかのように教室を後にした。十代の若者たちにとって、楽しい時間の始まりだ。
しかし那々子は、暗い気持ちで放課後を迎えた。自分のした事が原因で、クラス全体を爆笑の渦に巻き込んでしまったのだから。
それは、六時間目の出来事だった。その時間、二年四組は数学の授業だ。教科担当は森川成泰。心霊オタクで有名な教師だ。よく森川は授業中、インチキ臭い心霊現象の話をする。(無論、那々子は森川の話を信じていない。)それはどれも眠くなるようなつまらない話で、いつの間にか那々子には、森川の心霊話になると、授業中にもかかわらず眠ってしまう癖がついた。
この日も、森川は生徒が問題を解いている途中、やれ事故物件がどうだ、心霊現象がこうだと、嬉しそうに語りだした。大抵の高校生は、この手の話に食いついてくる。生徒の中では、「きゃー!」とか、「こわいー!」とか、お決まりのせりふが飛び交った。それが面白いのか、森川はどんどん話を進める。それに比例するように、那々子の眠気も強くなっていった。そして那々子は、いつの間にか寝落ちしていた。
しばらくして、クラスメイトたちの笑い声と、大勢からの視線を感じて、那々子は目を覚ました。辺りを見渡すと、皆の馬鹿にするような笑顔と、森川の口角が上がり切ったヒゲの生えた口。那々子は顔からさっと血の気が引くのが分かった。なんと、知らず知らずのうちに、寝言を、発していたのだ。やってしまった。そう思ったがもう遅い。
「おい~。あいつなんつったんだよ~。」
クラスのお調子者、浅野がニヤニヤしながらからかう。
「かわいい声出しちゃってさ~」
チャラ男。吉澤もそれに乗ってくる。
「えー。もっかい言ってほしいー。」
男好きの有梨紗の猫なで声。
那々子は、照れるように作り笑顔を浮かべた。しかし本心は、この教室から逃げ出してしまいたいほど恥ずかしさでいっぱいだった。
那々子に対する攻撃はこれだけではなかった。森川まで那々子を見ながらケラケラ笑っていたのだ。
「いやー。藤崎さん。あなたの寝言があまりにも面白くてね。ごめんごめん。あ、あと、今日の放課後、職員室来てくれない?君にちょっと話したい事があるんだ。」
全身に嫌な寒気が走る。今ので森川を怒らせてしまったか?いや、恐らく彼の表情を見る限り、これは怒りではない。目じりを気持ち悪いほど下げて、ヒゲだらけの口元から無駄に歯並びの良い歯をのぞかせている。そう、何か嬉しい事を話すとき、森川は決まってこの顔をする。
「おいおい待てよ~。那々子のやつ、森川に呼び出されてっぞ~。」
「これは何かのお誘いですね~きっと~。」
後ろから男子たちのからかいの声が聞こえる。課題は終わらなかったし、森川には呼び出される。今日は最悪な日だ。那々子は、自分の運の悪さを呪った。
重たい足取りで職員室に向かう。森川はまるで那々子が来るのを待っていたかのように飛び出してきた。強いコーヒーの匂いが鼻をつく。
「おお藤崎さん!さあさあ、とりあえずこっち来て。」
そう言うと森川は大股で歩き出す。通されたのは相談室だった。既に蛍光灯がついている。那々子の他に誰か先客が居るのだろうか。それとも・・・・・・
「さ、ほら、入って入って!」
森川に促されるまま相談室に入ると案の定、先客が居た。背が高めで、切れ長のつり目、通った鼻筋、細い輪郭。
那々子は、この男子生徒を知っていた。同じクラス。今丁度前の席に座っている黙っていれば美少年のアニメオタク男。玉田康佑。しかしなぜ、彼が今ここに?ふと、森川の方に目をやると、彼の鼻息が異常に荒いことに気が付いた。那々子は嫌な予感がした。これはオカルト関係の何か・・・・・・
「いやいやお二人、急に呼び出してすまんねえ。ちょっとだけ、お二人に協力して欲しい事があるのよ。」
協力。この漢字二文字に那々子は軽い吐き気を覚えた。森川のつまらないオカルト趣味に協力しろという意味だろう。
「あのさ、この前、二組の黒川さん。プールで亡くなったっていうじゃない?彼女、本当に事故死だとと思う?」
那々子と康佑は、お互いの顔を見合わせる。刑事ドラマオタクと三次元に興味のないアニメオタク。入学以来、全く話したことのない二人。お互い異性という事もあり、気まずさと緊張が走る。
「俺は事故死だと思いますよ。」
先に口を開いたのは康佑だった。那々子はごくり、と唾を飲み込む。
「なるほど。藤崎さんはどう思う?」
森川がニヤリと笑う。のどが張り付く感覚がもどかしい。
「はい。私も事故死だと思います。」
「やっぱりお二人ともそうなのねぇ。だけど、ボクは違うと思うな。」
森川がパチンとウィンクをする。「先生はどう思われますか?」康佑がけげんな顔で尋ねる。「うーん。ボクはこれに、心霊的な何かが絡んでると思うな。ほら、ボク、心霊オタクだから!事件とか起こると、いっつも考えちゃうんだよね!ははは!」
根拠のないオカルト話。二人とも、この手の話を聞くのはもう飽き飽きしていたが、この時ばかりは霊的なものが絡んでいるのではと想像した。
「それで、先生はなぜ私たちを・・・・・・」
「決まってるじゃないの。お二人に、捜査してもらうのさ。この事件を。」
「俺たちが、ですか?」
「その通り!あ、他にも声かけたんだけどさ。あんまり良い人居なくてね。お二人なら、ちゃんと捜査してくれるような気がしてね。だってお二人、霊感無さそうだし!」
「霊感無くちゃ、捜査に不利じゃないですか。」
康佑が冷めた口調で言い返す。構わず、森川は続ける。
「霊感無いからいいんじゃない。霊感あったら霊障とかに悩まされちゃうし、いろいろ大変だよ~。」
飄々と話し続ける森川に那々子は終始うんざりしていた。森川が目を逸らした隙に、隣にいる康佑があくびをする。
「とりあえず、お二人には黒川さんの死の真相を捜査してもらう。決まりね!」
「ですが私たち・・・・・・」
「これは命令だ。」
森川は机に両肘をつき、手を組むポーズをとる。その目は本気だ。
二人はここで引き下がる訳にはいかなかった。もしここで森川に逆らえば、数学の平常点が減ることは確実だ。那々子は、五月の中間テストの数学でほぼ赤点に近い点数だった。加えて康佑は、数学は得意だったが、他の教科が思わしくなく、数学で点数を稼がないといけないのだ。この事実を突きつけられ、二人は森川の依頼を断る訳にはいかず、渋々引き受けた。
那々子が学校を出るころには、時刻はもう十八時半をまわっていた。夏至が近いという事もあり、まだ辺りは明るい。
電車の窓に移り行く家々を眺めながら、那々子は鞠亜に思いを馳せる。たった十七歳の若さで、命を奪われた鞠亜。沢山の人に愛され、そして桜のように儚く散った美少女に、那々子は心の中で黙とうした。
警察側は、鞠亜は事故死だと判断した。しかし、鞠亜の死には、不可解な点が多数存在する。
鞠亜の最後の場所は、学校のプール。死亡推定時刻は、遺体の状態から見て午後二十時から二十一時。この日は日曜日という事もあり、学校には誰一人として残っていなかったという。イコール、正門は閉まっているはず。プールどころか、学校の敷地にさえも入れないはずだが、なぜかこの日は正門は開いたままだったという。そこから鞠亜が侵入し、プールサイドへ。プールは、一応柵があるが、入り口に扉はない。鞠亜がプールに入る事は、容易な事である。
色々事件について考えを巡らせていると、ふと、那々子の脳内をある記憶がよぎった。鞠亜は水泳部だ。しかも、一年生のころから期待されており、今ではもう副キャプテン。そんな彼女が、あの浅い水深で溺れるなんて。
気が付くと電車はすでに、那々子の降りる駅に停車していた。扉が開く音で那々子は我に返り、電車を駆け降りる。先に降りた乗客たちで、四台しかない改札は大渋滞となっていた。
スカートのポケットに入れていた携帯電話から電子音が鳴る。今日連絡先を交換したばかりの玉田康佑からだった。アニメの美少女のアイコンが、画面に映し出される。内容は、『明日の七時に教室に来い。事件の話し合いをする。』との事だった。あまりにも早い時間に、那々子は一瞬渋ったが、鞠亜のためだ、と思うと、明日は早く起きようと決心した。