葉隠丸
自分は、西の山に住む妖怪、名を葉隠丸と申しまする。
まだ生まれたばかりでこの世に疎く、粗相ばかりを致しまするに、先頃など、西のお山の総大将、烏天狗殿に炊飯の極意をご教授願いますれば、「かまで米を研いで、水を吸うまで四半刻ほど待たれよ。」と仰る。
やれ、驚いた。
なんと、烏天狗殿は飯を炊くのにもとても繊細な技術を以て挑んでおられる、流石は西のお山の総大将殿。己もいざ、その技を習得いたそうと納屋へ向かい、かまを持って厨へ戻り米を研ぎ始めたはいいものの、一向に終わらぬ。とうとう日も暮れ、鈴虫共の宴も始まってしまった。とうに手元も見えぬ。
あぁ、己が至らぬばかりに、こんなにも時間が掛かってしまった。やはり己は修行が足りぬのだ。米を研ぐのにすらこんなにも手こずるとは、あぁ、なんと不甲斐ない、情けない。
翌日から、毎日朝から晩まで米研ぎの修行をし、ようやっと夕餉に間に合うようになるまでに、実に三年もの歳月を要した。
その時の葉隠丸の喜びようといったら、天を仰ぎ涙を流すほどのものであった。きっちりと四半刻水を吸わせ炊いた米は、粥のように瑞々しい味わいがしたという。これがかの烏天狗殿の召し上がる飯の味か、とても身体に良いのだろう。濃いくまのできた目元をうっすらと満足気に細め、五臓六腑に染み入る心地をゆっくりと堪能したのであった。
翌朝、さっそく烏天狗殿のもとを訪れ、今一度己の至らなさに気付けたと感謝の言葉をお伝えすれば、怪訝そうな顔をされ、「はて、米を炊くのに何故そのように時間がかかるのか。」と仰る。
「米を研ぐのに苦戦致しましたゆえ。なにぶん、米粒はなかなかどうして小さいもので、鎌で研ぐにも己の技が足りず、夕餉に間に合うようになるのに三年も掛かってしまい、いや、お恥ずかしい。」
烏天狗殿にこう返すと、それはもうたまげた様子で、「米粒を、鎌で研いだのか、それでは時間も掛かろうな。」とたいそう笑っていらっしゃる。
よくよく拝聞するに、烏天狗殿は「釜で米を研ぐ(洗う)」との意味を込めて仰ったのであって、決して「鎌で米を研ぐ」わけではなかったそうである。そりゃ時間もかかるはずだ。己の勘違いであった。穴があったら入りたいほど恥ずかしかった、とだけ申しておきまする。
ちなみに、烏天狗殿の炊かれた飯は、香り高く粒がふっくらほっくり艶やかであり、とても美味なるものであった。残りのおこげとやらで土産に握り飯まで頂いてしまった。美味であった。