08 ゲームの世界へようこそ
事務所に戻った二人は、さっそく準備に取り掛かった。そして、まずはヘイヤが、思いついたという方法をとってみた。言うなれば自ら実験台となったのであった。
「気分はどうだい?」
チェッシャーはニヤけた顔で聞いてくる。
「なんか……お尻の異物感が凄いよ……」
ヘイヤは尻を押さえながら答えた。
「でも、なんだかそれっぽいよ。ちゃんとゲームのキャラクターみたいになってる」
チェッシャーに言われてヘイヤは鏡を見た。さっき倒した犬の男と全く同じな姿になっている。武器もきちんと腰にある。
「そうだけどさ、何かノイズっぽいのが体のあちこちで出ているんだけど……」
ヘイヤが自分の姿を見ていると、時々緑色の火花が体のあちこちから出ているのが見えた。
「それは仕方ないさ。イレギュラーな方法なんだから」
「まあ……ね」
ヘイヤはメモリーが出てこないように尻に力を込めた。
ふと、窓から外を見る。さっきまで晴れていたのに、また濃霧が出ていた。外に出るなら、今がチャンスだ。他のプレイヤーに会ってあれこれ聞きだせる可能性が出てきた。
「チェッシャー!君も早くして!」
「んもう、しょうがないねぇ。じゃあ恥ずかしいから、向こうを向いてて」
「早くしてね」
ヘイヤはいわれた通りに、チェッシャーに背を向けた。
「ニヒヒ……、GNM社の連中もまさかこんな方法でゲームに参加するとは思わなかっただろうね……おぅ!これはなかなかキツいね。なかなか入って……お!お!入ってきたねぇ!このまま一気にいこうか!うっ……ふう」
「チェッシャー、そういう実況みたいなのはどうでもいいから……」
「失礼。僕ちんには未知の領域でね。ところでどうかな?ちゃんとゲームのキャラクターになってる?」
チェッシャーは手を広げて、グルリと一回転してみた。
彼が使ったメモリーは彼の頭を半分吹き飛ばした男の物だ。ちゃんと、彼と同じ姿になっている。
しかし、ヘイヤと同様に、彼からも緑色の火花が体のあちこちから出ていた。
「うん、なってる。でも相変わらずノイズが酷いよ」
「まあ、それはもう気にしない。さて、せっかくの濃霧なのだから。外に出てみるとしようか」
「そうだね、行ってみよう」
二人は事務所を出た。
外へ出ると。世界は変わっていた。
濃霧の中だと見慣れた景色も変わるものだが、今はそれ以上に変わっていた。
レンガでできたブロックがその辺に散らばっている。それも宙に浮いているものさえある。そしてお盆くらいの大きさのコインもその辺に浮いたり落ちていたりしている。
「……なにこれ?」
「ふぅむ。どうやらこれがゲームの世界という奴だね」
「ゲームの……世界」
ヘイヤは近くにあったブロックに触ってみた。本物のレンガのような質感がある。
「ARゲームとは言っていたけど、これは凄いよ。チェッシャー、このブロック触れるし、まるで本物だよ」
「確かに、こっちの方も本物みたいな感触がするね」
チェッシャーはその辺のコインを集めながら言った。一つ取るたびに、コインコインと音がなり、とても分かりやすい。
「ちょっと、チェッシャー!何やってるのさ?」
「ゲームにおいてコイン集めは常識さ。残機が増えるかもしれないし、この世界のお店で何か買う事ができるかもしれないしね」
彼はコインを集めるのに夢中になっているらしかった。コインを集めに向こうへ行こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ!チェッシャー!一人にしないで!」
ヘイヤは仕方なく、彼の後をついていった。
それからしばらく経った。彼は未だにコイン集めに夢中になっている。
こっちはGNM社の事を調べるつもりでゲームの世界へ入ったというのに、困ったものだ。ヘイヤがそう思っていると、後ろから誰かが話しかけて来た。
「こんにちは」
その声に振り返ると、見知らぬパンダの女性がそこに立っていた。
「こんにちは」
ヘイヤは挨拶を返した。他のプレイヤーに会ったら挨拶をする。これはネットを使ったゲームではお馴染みの光景であり、マナーでもある。
「もしかして、初めてですか?」
「はい、そうです」
ヘイヤは正直に答えた。
「それなら、私達のクランに入りませんか?初心者大歓迎です」
「いいですね、さっそく入りたい――」
ヘイヤが言い終わる前に、メッセージウィンドウのような物が目の前に現れた。それにはこう書いてあった。
『シャンシャンさんから クラン:パックス への招待を受けました。 同意 拒否』
流石はゲームの世界だ。ヘイヤは感心した。そしてヘイヤは招待を受けた事に対して、『同意』を選択した。するとメッセージウィンドウのような物が別の文章を表示した。
『クラン:パックスに****さんが同拒しじゃかふぁうぇみんふぇ』
完全にバグった文章が表示された。と、同時に、パンダの女性、シャンシャンの様子がおかしくなった。
彼女はどこからともなくヌンチャクを取り出すと、いきなりこっちへ攻撃を始めた。何故いきなり攻撃を始めたのか、ヘイヤには全くといっていいほど分からなかった。
「あなた、何かおかしいわ。メッセージがバグるはずなんてないし、しかもよく見たらアナタ、ベルトを装着してないじゃない!それに変なノイズみたいなの出ているし!」
どうやら異変に気づかれてしまったらしい。ヘイヤとしては穏便に済ませたかったが、彼女は攻撃を続けている。そうもいかないようだ。
ヘイヤはやられっぱなしは困ると思って、一発だけ彼女を殴った。すると、『999999』という数字が表示されて彼女は吹っ飛んで行った。もし今のがダメージの数値なのなら、彼女はたぶんゲームオーバーだろう。そうなるとどうなるかはまだ分からないが……
ちょっと軽率だったかもしれない。ヘイヤがそう思っていると、数人のプレイヤーがワープしてきてヘイヤとチェッシャーを取り囲んだ。
「連絡された通りね。コイツ、何か変だわ!」
「チーターじゃねぇか?」
「シャンシャンさんと連絡が取れない。というか、リストから削除されているよ」
「どっちかっていうとウイルス?」
「ゲームマスターに通報しよう」
取り囲んだ連中達はいろんな事を言う。
「ちょ、ちょっとチェッシャー!」
不安になってきたヘイヤは、彼に声をかけた。
「どうやらバレちゃったみたいだね。まあ、いいさ。全員の口を封じればいいだけの話だし」
彼はそう言うと、どこからか巨大なペロペロキャンディーを取り出して、構えた。どうやら戦う気らしい。
「ちょっと待ってよ!さっき女の人殴ったら、ありえない数値が出て、しかもアカウントを削除してしまったみたいなんだ。いや、もしかして殺してしまったかも……」
「君は何を言っているんだい?」
チェッシャーはキョトンとした顔をしてこっちを見た。
「ネットで説明書を読んでなかったのかい?プレイヤー同時の戦いでは死ぬ事が無いのさ。それに全てとは言わないけれど、プレイヤーが殺人を犯しているのは確かさ。それなら、一人でも多くアカウントを削除して、このゲームから街を守るというのはどうかな?」
「あ、そっか。そういう考えならアリだね」
情けをかける必要無し。そう思ったヘイヤは、チェッシャーと共に、取り囲んだプレイヤーを攻撃し始めた。
「えい!それ!」
ヘイヤは近くにいた二人を殴った。すると、さっきの女性と同じように『999999』という数字が表示されて吹っ飛んで行った。
「これは楽勝だね」
チェッシャーはペロペロキャンディーを振り回した。取り囲んでいたのがあだになったのか、残りのプレイヤーはまとめて吹っ飛んで行った。もちろん『999999』という数字と共に。
「これで終わりかな?」
「どうだろうねぇ?さっき囲まれたって事は、僕ちん達の事はみんなに知られたって思った方がいいと思うんだ」
「それもそうだね。でも、この調子じゃ何人集まっても――」
ヘイヤが言いかけた瞬間、誰かがワープしてきた。
それは狐の女性だった。しかも全身の体毛が青色をしていて、露出度の高い服を身に着けている。
「アナタ達ね?荒らし行為を行なう輩っていうのは?」
女性は怒った様子で聞いてきた。
「まぁ、そういう事になるかな?で?君は誰だい?」
チェッシャーは悪びれる様子無く、女性に訊ねた。
「私はゲームマスター。ゲームの治安を乱す者は許せない。アナタ達は追放よ」
女性はどこからか長い棒状の物を取り出すと、二人に向かっていった。
「僕に任せて」
ヘイヤはゲームマスターに向かって走り出した。腰の剣を取り出し立ち向かう。しかし、それが彼女の棒に触れた瞬間、弾き飛ばされてしまった。
「あれぇ!」
ヘイヤは驚き、声を上げた。
「ゲームマスターの権限により、今の私は最強よ」
彼女はそう言いながらも、ヘイヤが驚いてできた隙を逃さなかった。持っていた棒を彼に叩きつけようとする。
「おーっと」
しかし、チェッシャーが助けに入った。ペロペロキャンディーでゲームマスターの棒による攻撃を防いだのであった。
「何ですって?」
攻撃を防がれたのが意外だったのか、ゲームマスターは動揺して、一瞬だけ動きを止めた。
その隙をチェッシャーは見逃さなかった。ペロペロキャンディーで力任せに彼女の棒を弾き飛ばした。そして彼女目掛けてペロペロキャンディーを振り下ろす。
やった。ヘイヤはその瞬間思った。しかし、実際はそうではなかった。
「うっ!」
チェッシャーにしては珍しく、うめき声を出した。そしてペロペロキャンディーは軌道がズレて、ゲームマスターには当たらなかった。彼はそのまま固まった。
「チェッシャー!」
「ゴメンよ、ヘイヤ君。お尻の異物感のせいで狙いがズレちゃった」
彼は少し苦しそうに謝った。どうやら彼でも尻の異物感を制する事はできなかったらしい。
「はっ!」
この隙にと、彼女は後ろ宙返りをして、弾き飛ばされた棒をそばへ行き、拾い上げた。
そして右手に持ち、棒の一端をヘイヤ達に向けると、そこから電撃が放たれた。
「フロント・ラット・スプレッド!」
ヘイヤは自身の狂気を高めるために、ボディビルのポーズを取った。これで電撃は無効化される。
……そのはずだった。ところが体が痺れた。電撃によるダメージを受けてしまったのだ。
これはいったいどうした事だ。痺れながらもヘイヤは考えた。ふと、チェッシャーの方を向くと彼も電撃を受けていた。それもギャクな要素は一切見られない。
お互い狂気の力が発揮されていないようだ。それはいったい何故なのか。ヘイヤは必死で考えた。
と、その時、電撃とは違う痛みがある場所に走った。それは尻であった。ズキズキと痛み始める。
ヘイヤは理解した。ゲームマスターの攻撃をまともに受けてしまった理由、それは尻の異物感が原因であると。
つまりメモリーによる痛みが邪魔をして、狂気の力を発揮できないのだ。しかし、だからといってメモリーを取り出すわけにはいかない。ゲームの世界にいられるにはメモリーを挿れたままでなくてはならない。
どうしたものか。ヘイヤはなんとかして考えようとした。しかし、ゲームマスターはその時間を与えない。彼女は電撃を止めると同時に、左手をヘイヤ達に向けて、火球のようなものを放った。
「あおっ!」
「うわぁ!」
火球のようなものが二人に命中した瞬間、大爆発した。
爆風で宙を舞うヘイヤとチェッシャー。そしてヘイヤはその時の衝撃で尻の異物感が急に無くなってしまった。メモリーが飛び出してしまったらしい。
「うっ!」
ヘイヤは石畳に背中を叩きつけられた。痛みで息が詰まる。が、彼は頑張って立ち上がろうとした。彼女がゲームマスターならばGNM社の事を良く知っているはずだ。絶対に捕らえて情報を引き出さなくては。彼は使命感を持って思った。
ところがゲームマスターは攻撃するのを止めた。いったい何故、ヘイヤがそう思っていると、彼女は口を開いた。
「過度のダメージによりメモリーの破壊を完了。これでアナタ達は私達の世界に入ってはこれなくなった」
「え?」
ヘイヤは飛び出したメモリーを探した。それは自分のすぐ近くにあった。しかし、彼女が言った通り、完全に破壊されていた。たぶん、チェッシャーのメモリーも破壊されてしまったのだろう。
「これでアナタ達は追放ね。もうアナタ達に用は無いわ。じゃあ、もう二度と来ないでね」
ゲームマスターはそう言い残し、どこかへワープしていった。
「……くそっ!」
立ち上がったヘイヤは悔しさのあまり地団駄を踏んだ。メモリーはGNM社を調べるための唯一の手掛かりだった。それが破壊されてしまった今、いったいどうやって調べればいいのか分からなくなってしまった。
『暗礁に乗り上げた』とはこの事だ。もう調べる事はできない。ヘイヤは糸のように細い目から大粒の涙を流した。
「……ヘイヤ君」
チェッシャーはポケットティッシュを差し出しながら、声をかけてきた。
ヘイヤが彼を見ると、いつものようなニヤけ顔をしていなかった。少しだけ悲しそうな顔をしている。
「ゴメンよ、ヘイヤ君。僕ちんがもっと頑張っていれば……」
「……いいよ、チェッシャー。僕があんなところにメモリーを挿れようとしたのがマズかったんだ」
ヘイヤはティッシュを一枚貰うと、涙を拭きとり、ついでに鼻をかんだ。
「……それにしても、これからどうしよう?唯一の手掛かりは破壊されてしまったし……」
「うーん、そうだねぇ。そこは僕ちんも分からないよ。ただ……」
「え?」
「調査に詰まったら、一旦気分転換するのはどうかな?」
「気分……転換……」
「そうだよ、ヘイヤ君。君はメモリーだけが唯一の手掛かりだと思っている。でも実はそうじゃないかもしれない。焦って周りが見えていないだけかもよ」
チェッシャーから言われて、その通りかもしれないとヘイヤは思った。
確かに、今気持ちが焦っている。唯一の手掛かりだと思っていた物が破壊されてしまったからだ。でも他にも手掛かりがあるかもしれない。今は焦っているせいで見えていないだけで。
ヘイヤがそう思っていると、急に霧が晴れてきた。まるで自分の心境のようだ。
「分かったよ、チェッシャー。気分転換でもしようか」
「いいとも。それじゃあ、彼女のところへ行こうか」
「彼女……アリスの事かな?」
「彼女以外に誰がいるのさ?」
「ハハッ、それもそうだね」
二人はアリスのところへと歩き始めた。
ありがとうございます。
次の話は明日19時ぐらいです。