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02 一年後のある日

 ヘイヤとチェッシャーは街を歩いていた。時刻は11時頃。二人は少し早めの昼食を食べに行く途中であった。

 それもただの食事ではない。今日は二人が初めて出会ってちょうど一年経った日だ。その記念日として、ちょっと豪華に食事をするつもりであった。


 一年の間に、二人の関係は変わった。始めは単なる医者と患者の関係だった。それが月日が経つごとに友情が生まれ、今では相棒と呼べるような関係となった。実際にヘイヤが調査を行なう時にはいつもそばにチェッシャーがいてくれる。時には彼の協力のおかげで解決した案件だってある。

 記念日のお祝いをしようというのもそれだけの絆があるからであった。


「あ、ちょっと待って!」

 ヘイヤは足を止めた。チェッシャーもピタリと足を止める。


「どうしたんだい?」

「ちょっと身だしなみを……ね。せっかくのお祝いなんだから」

 ヘイヤはショーウィンドーに映る自分の姿を見て、整え始めた。


 トレンチコートを着て、シルクハットを被っているという不思議なコーディネートの自分が見える。シルクハットは師匠、ルシアンの形見だ。一年の間にヘイヤは一人前となり、その証として、外に出る時はいつも身に着けている。


「……これで良し。それじゃあ行こう――」

「ひったくりよぉ!誰か捕まえてぇ!」

 ヘイヤが言いかけると、その声に被さるように女性の声が聞こえてきた。

 声がした方を見ると、黒ずくめでフルフェイスのヘルメットを被った人物がこちらに向かって走ってきた。体格からして男性だろうか。その手には女性向けの鞄を持っていて、あからさまにひったくり犯であった。


「止まれ!」

 ヘイヤは行く手を阻んだ。自身の正義感から見て見ぬふりをする事はできなかった。


「邪魔だ!」

ひったくり犯は走ってきた勢いのまま、ヘイヤにタックルした。


「うわっ!」

 タックルを受けてバランスを崩したヘイヤは情けなく尻もちをついた。ひったくり犯にはあっさりと突破されてしまった。


「あーらら、逃がしちゃった」

 チェッシャーはヘイヤを見てククッと笑った。ヘイヤは怒りと恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら、素早く立ち上がった。


「逃がすもんか!チェッシャー、これ持ってて!」

 ヘイヤはトレンチコートを脱いで彼に渡した。コートの下から現れたのは筋肉質な裸体、そしてそれを包むスリングショット。彼は一瞬で変質者となった。


「ヘイヤ君。追いかけるならこれを使うといい」

 チェッシャーはどこからともなくフラフープを取り出して手渡してきた。


「ありがとう」

 ヘイヤはフラフープを受け取ると、それを腰で回しながらひったくり犯を追いかけた。


 一般人には単なる奇行にしか見えないだろう。しかし彼は本気だ。その証拠にヘイヤの速度は尋常ではない。まるで自動車のような速さである。あっという間にひったくり犯に追いついた。

 一年の間にヘイヤは変質者として成長した。それもただの変質者ではない。あらゆる法則から解放されるような狂人となった。彼が尋常ではない速度で走れたのも、奇行を行なった事で物理法則やら何やらから解放されたためである。


 ヘイヤはさっきの仕返しにと、そのままひったくり犯にタックルをした。それは自動車で撥ねたのと同じ破壊力。彼は勢い良く宙を舞い、石畳の上に倒れ込んだ。

 しかし、彼はすぐに立ち上がった。そしてポケットから指揮棒のような物を取り出して、先端をこちらに向けた。その瞬間、通りを歩いていた人達は悲鳴を上げる。


 魔法の杖だ。ヘイヤはすぐに分かった。言うならば拳銃を出されたようなものだ。普通ならば緊張が走る一瞬である。そう普通ならば……

 ヘイヤは再び奇行を行なった。フラフープを回しながら、今度はモデル歩きでゆっくりと近づいた。杖を恐れる様子はない。


「その杖は下ろした方がいい。無駄な抵抗は止めるんだ。故郷で親御さんが泣いているよ」

 ヘイヤはひったくり犯に投降するよう説得した。しかし、彼は話を聞く様子はなく、それどころかヘイヤに心臓に狙いを定めた。


「う、うるせぇ!それに親を泣かしているのはお前もじゃねぇか!何だよ、その変な恰好はよお!」

 ひったくり犯は興奮した様子で答えた。


「ねぇ、そんな事を言うのは止めよう。人のファッションをどうこう言うのはさ」

 『変な恰好』といわれて、ヘイヤはちょっとだけ心が傷ついた。


「一応言っておくけど、これが僕の戦闘服なんだ。」

 ヘイヤは弁解した。実際その通りである。 


 『魔法は心で放つもの』。魔法を使える者であれば、誰もが知っている事だ。

 ヘイヤがこんな恰好をしているのは、まさにそのためであった。狂気を孕んだファッションから魔力と狂気を同時に得ているのだ。


「くっそ!何なんだよこの変態は!これ以上、一歩も近づくな!殺すぞ!」

 ひったくり犯は脅してきた。しかし、ヘイヤには脅しは効かない。


「死ね!フロンパイリ(氷の杭)っ!」

 ひったくり犯は氷柱(ツララ)の魔法を放った。杖の先から氷柱が放たれ、真っ直ぐヘイヤ目掛けて飛んでいく。そして氷柱は彼の胸に突き刺さった。

 ヘイヤはその場に倒れた。通りを歩いていた人達は再び悲鳴を上げる。しかし、それは目の前で殺人が行われたからではなかった。


「酷い事するなぁ、もう!」

 ヘイヤはすぐに起き上がった。誰が見ても心臓に氷柱が突き刺さったままの状態である。それでも生きている事に皆は驚いたのだ。

 これも奇行によって成せる力だ。どんな攻撃を受けても、それはギャグとして扱われ、死ぬ事はない。


「あーあ、僕の胸のヴァージンが奪われちゃったよ。もう、お婿に行けないじゃないか!」

 ヘイヤは氷柱を引き抜きながら、ぶつくさ言った。氷柱を取り除くと、ドーナツみたいな穴が胸に空いていたが、すぐに塞がってしまった。


「ひぃ!化物!」

 ひったくり犯は声を上げ、明らかに動揺した。腰を抜かしたのか尻もちをつき、そのままヘイヤから離れようとした。


「逃がさないよ!バンディ(拘束)!」

 ヘイヤは抜き取った氷柱をその辺に捨てると、両手を前に出して拘束の魔法を唱えた。すると被っていたシルクハットがぼんやりと光り、同時に両手からロープのような物が出てきて、ひったくり犯に襲いかかった。そして、あっという間に亀甲縛りに縛り上げてしまった。


 彼はもがいたが、拘束を解く事は出来なかった。そんな彼の前にヘイヤは立った。勝利を確信したのである。


「残念だけど、僕の魔法は強いよ。杖もちゃんと使ったしね」

 ヘイヤはシルクハットを触りながら言った。

 魔法の杖と言っても、必ずしも杖の形をしているわけではない。ヘイヤのシルクハットのように、装飾品であっても魔法の力を増幅する能力があれば『杖』と呼ばれるのだ。

 ちなみに、この帽子が杖だったと知ったのは、彼が初めて被った時で、それまではただのファッションアイテムだと思っていたわけなのだが……


「さて、後は警察に通報するだけ……」

 ヘイヤはそう言って股布に手を入れると、スマートフォンを取り出した。そして電話番号を入力しようとした。


「いや、それには及ばない」

 ヘイヤは聞き覚えのある声を聞き、手を止めた。そして声の主の方を見た。


「よう、『ハーブボイルド』。相変わらずのイカレっぷりだな」

 犬の中年の男が挨拶した。

 ハーブボイルドとはヘイヤの通り名である。『ハーブをキメてるようだけど、強くて優しい人』という意味が込められているそうだが、誰が言い出したのかは分からない。


「ハドソン警部!何でここに?」

 ヘイヤはスマートフォンを股布に入れながら聞いた。

 ハドソン警部とはルシアンが生きていた時からの知り合いであり、ルシアンが死んでからは何かと面倒をみてもらっている。ヘイヤが変質者の恰好をして捕まらないのも彼のおかげである。


「なに、昼飯どうするか悩んでたところでな。まあ、たまたまってヤツだ。で、ソイツがひったくり犯かい?」

「あ、はい。そうです」

「それじゃあ、後は任せておいてくれ。ここからは俺の仕事だからな」

「分かりました。ではお願いします」

「おお、任せて……あ、そうだ。アンタに渡しておきたい物があるんだ」

 ハドソンはひったくり犯に手錠をかけると、持っていた大きめの封筒を渡してきた。


「また何か事件ですか?」

 ヘイヤは封筒を受け取りながら訊ねた。ハドソンは時々、こうして捜査協力を要請する事がある。ルシアンの弟子だからというのもあるだろうが、それだけ彼はヘイヤの事を信頼しているのだ。


「ああ、詳しい内容は中を見てくれ。本当は俺が口で説明した方がいいんだろうが、コイツを連行しなくちゃいけないもんでな」

「あ、大丈夫です。分からなかったら電話しますんで」

「それもそうか。じゃあ、頼むぞ」

「あ、はい。こちらこそよろしく」

 ヘイヤはそう言ってその場を離れた。すると、いつの間にかチェッシャーがそばに立っていた。


「やあやあ、名誉挽回おめでとう。でもせっかく整えた身だしなみが台無しになっちゃってるね。どこかで直さないと」

 彼は肩を叩いてきた。


「いや、いいんだチェッシャー、もう必要なくなったよ」

「それは何故だい?」

 いつもニヤけた顔をしている彼が、珍しく顔を曇らせた。


「仕事の話が来ちゃったからさ。たぶん早めに片付けた方がいい内容だと思うんだ」

 ヘイヤはさっき受け取った封筒を見せながら言った。


「いや~ん。せっかくの記念日なのに……」

 チェッシャーはとても残念そうに肩を落とした。


「仕方ないよ、チェッシャー。お祝いは今度にしよう。今日のところは適当なお店でサンドウィッチでも買って、事務所に戻ろう」

「む~ん。仕方ないねぇ……あ、はいコート。仕事が終わったらちゃんと隠さないと」

「あ、ありがとう」

 ヘイヤはトレンチコートを着た。スリングショット一丁の姿は危険な仕事をする時だけの姿だ。普段はトレンチコートを上に来ていて、公共良俗をむやみに乱さないようにしているのだ。


 トレンチコートを着ると、二人は来た道を戻りながら、さっき貰った仕事の話をしていた。


「ところでヘイヤ君。どんな仕事の話なんだい?」

「いや、まだ見てないから分からないよ。警部からも何も説明を受けてないしね」

「そうなのかい?困るねぇ、ちゃんと説明してもらわないと……」

「まあまあ、チェッシャー。警部が僕達を信用して助けを求めているくらいなんだ、きっと重要な仕事だよ」

「ま、そうだろうとは思うけどねぇ」

 二人は足を速めた。


 いったいどんな内容なのだろう。二人は気になりながら事務所へと戻っていった。

ありがとうございます。

次の話は一時間後ぐらいです。

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