第78話 記憶の形+With goodbye
長い、とても長い話を聞き終えた。自分が眠りについた、正確にはインフェルノコードとなっていた間に起きた様々な出来事に、エリカはただ静かに聞き入っていた。
「あまり、驚かないのね」
「ノアの中で少しだけ見えていたんだ。とはいっても、夢を見ていた感じだけど。……睡蓮ちゃん、私があんなことにならなければ」
「自分を責めないで。貴女の所為じゃない。それだけは絶対に忘れないで」
蒼葉はエリカの肩を優しく撫でる。
「でも、お礼はしたい。セラまで助けてくれたみんなに」
「お礼なら桜に言いなさい。彼の力がなかったらここまで来れなかった。貴女を助けることも」
「私も戦えないかな。頼りにならないかもしれないけど、人手は多い方が……」
「それだけは絶対にダメ」
一層強く言い放つ蒼葉。エリカは思わず肩を震わせたが、それが自分のことを思っての言葉だということは理解していた。
「……何より、貴方のヒーローも同じことを言うと思う」
「う……多分、言うね……」
「だが、お前にしか出来ないことがある。稲守エリカ」
病室のドアが開き、何かを手にぶら下げた彼岸が現れる。あまりに突然の来訪に2人は驚いたが、そんなことは意に介していない様子だ。
「私にしか、出来ない事……?」
「あぁ、俺にも日向桜にも、山神真理にも出来ない。それは……」
袋の中身を取り出す。
それはカレールーだった。
「カレーだ」
「…………?」
「…………???」
奇妙な静寂が、病室を包み込んだ。
「ではただいまより、全メンバーによるカレー作りを開始していきたいと思いまっす!」
写見の音頭により、地下の基地でカレー作りがスタートした。中心には「本日の料理長」と手書きで描かれたタスキをかけたエヴィが座り、隣には「副料理長」のタスキをかけたエリカ、そして桜、彼岸、山神、蒼葉、紅葉、写見が調理を開始した。
「あの、私は……?」
「セラは味見係!」
「えぇ……」
突然始まったカレー作り。しかしながら調理の様子を見たセラは早くも不安となる。
「おい彼岸、ニンジンいちょう切りな」
「ニンジンとイチョウは異なる植物だぞ」
「いちょう切りって切り方があんだよ! おら貸せ、こうして……ほら、これがいちょう切りだ」
「山神さんそれただの汚い輪切りっす」
そしてその横を見れば、
「ストップストップ紅葉ちゃん!! 何を入れるおつもりで!?」
「七味唐辛子、カレーにまた違った辛さを与えておすすめよ?」
「そんなもの入れたらカレーが不味くなるでしょう。ここは蜂蜜を入れて……」
「蒼葉ちゃんもストーップ!! お願いだから完成後に個人でやってー!!」
混沌と化した調理場。慌てふためくエリカをよそに、桜は淡々とある料理の準備を進めていた。
「はぁ、はぁ……さ、桜、そっちは大丈夫?」
「うん、俺の方はエリカが準備したのを仕上げるだけだから」
「よかったぁ、じゃあそのまま任せちゃうね」
再び戻っていった。すると入れ替わる様にセラが現れた。
「料理、出来るんですね?」
「エリカからちょっとだけ教わってたから。一人暮らしする時に必要になるからって」
「へぇ、一人暮らし、ねぇ……」
思わずニヤついてしまうセラ。本当にエリカが桜の一人暮らしを望んでいたのか疑問だった為だ。
「でも無事に完成するのかな……皆さん楽しそうではありますけど」
「楽しければいいんだ。カレーはまぁ、エリカが何とかしてくれるだろうし。それにさ」
そっと指をさした先には、バタバタしている調理場の中で笑うエヴィがいた。
「……はい。私も今、皆さんと一緒です。楽しい……!!」
その後、いくつもの波乱がありながらカレーが遂に完成した。業務用の鍋2つにたっぷりと入れられたカレー、大量の白米、そしていくつものトッピング。
「では料理長。挨拶のほどをっす」
写見から渡されたマイクに口を近づけ、エヴィは高らかに宣言した。
「カレーパーティ、スタート!! いただきます!!」
「「「「「「「「いただきます!!」」」」」」」
白米が乗った大皿に、熱々のカレールーがかかる。まずは香りを十分に楽しんだ後、エヴィはスプーンで白米と一緒に掬い上げる。
口に入れた瞬間に来襲する熱さ、そして辛味と旨味。互いに絡み合って高め合う味にエヴィは震えた。
「おいひい!」
「っ、美味しい……!」
辛いものが大の苦手な蒼葉も早いペースでカレーを口に運ぶ。普段はクールな彼女が、必死にスプーンの上のカレーを冷ましながら食べる様を誰も見たことはないだろう。
「ん、ふふ、ねぇエリカさん、就職先は私達の会社の食堂とかは如何かしら?」
「えっ!?」
社長自らが引き入れたくなる味に皆が夢中になる。
「これ、美味い……あれ、山神さんは何を乗っけてんすか?」
「フライドポテト。このカレーにジャガイモ入ってないのはこういう事だったんだな」
写見が山神の視線を追うと、そこには様々なトッピング。フライドポテトだけでなく、茹で卵やチーズ、ウインナーやエビフライなど多種多様である。
「あえてカレー本体のアレンジを最小限に留め、各々の好みや味の多様性をトッピングで補う。見事な戦略だ」
「戦略ってな……あ? てかお前のカレーどうしたよ!?」
彼岸のカレーに乗せられたトッピング。パイナップル、チリソース、エビフライ3尾。それらが現代アートのような配置で乗っていた。
「日向桜、紅葉、エヴィから勧められた。……あぁ、良い味だ」
「お前が良いならもう何も言わねぇ……」
少し離れた場所を見れば、口元を押さえて笑う小悪魔、もとい紅葉がいる。彼女は確信犯だとして、残る2人は本気の親切心なのだから恐ろしい。
「エリカも食べてみろって、パイナップルカレー」
「いや私はいいから!」
「エリカお姉ちゃん、好き嫌いはダメ」
「これは好き嫌いとかそういうのじゃなくて!」
「はーいお楽しみ中のとこ悪いっすけど、写真1枚お願いしまっす!」
「はぇっ!?」
写見から突然の撮影宣言。桜とエヴィは反射的に満面の笑みとピースをするが、エリカは間に合わなかった。
「はいありがとうっす」
「待って! やり直し、やり直しを!」
「ま、たくさん撮る予定なんでまた次のチャンスで頑張って下さいっす」
「あぁぁぁ……!」
そして次なる写見のターゲットは、
「写真お願いしまっす」
「おい俺一人しかいねーじゃねーか! 誰か、誰か隣に……」
山神がカレーを手に狼狽えていると、先程写真を撮られたばかりのエヴィが歩み寄って来た。
「仕方ないからエヴィが一緒に写ってあげる」
「もう何でもいいけどよ……」
「じゃあはい、チーズっす」
2人で仲良くカレーを頬張る写真が追加された。
「ほい、じゃあ次は蒼葉さん」
「……」
カレーを食べて緩んでいた顔が一気に鋭くなった。写見が困っていると、
「怖い顔、禁止!」
「次こそ、次こそ写り良く!」
「エリカ、エヴィ!? ちょ……!」
「よっしゃナイスっす!」
シャッター音。カメラは仲良く顔を寄せ合う3人をしっかり捉えていた。
「さぁ、社長さん! 次は貴女っす!」
「私は遠慮するわ。写真って苦手なの」
こちらは丁重に断ってしまう。無理矢理というのも趣旨から外れると考えた写見だったが、
「紅葉、写真は撮っておくべきだ」
「彼岸?」
「写真は記憶を具象化する。皆がここにいた証になるんだ。だから撮っておくべきだ」
「いや、ちょっと、やめ……」
「さぁ撮れ、写見菊雄」
「あ、ありがとうございますっす。ただ……」
肩を抱かれ、必死に俯く紅葉。彼女は良い。問題は糸で引っ張りあげられたような不気味な笑いを浮かべる彼岸だった。
「あの、彼岸さんは、普段通りクールな感じにして欲しいっす……」
「そうか」
「さて、次は主役3人を纏めて!」
「ほら、エヴィちゃんが真ん中」
「よし、出来た!」
「仲良し、姉妹!」
エリカとセラの間に挟まるようにエヴィが入り、笑顔を向けた。本当によく似ているその表情は、本物の姉妹同然だった。
「よっしよっし、じゃあ締めの写真は ──」
こうして、無限とも思えた時間はカレーの消失をきっかけに終わりを告げた。
後片付けを終え、皆が就寝している深夜。
満月が空に浮かぶ、ビル前の広場。そこへエリカとセラは呼び出された。
他の誰でもない、エヴィに。
「どうかしたの、エヴィちゃん?」
セラが口火を切った。何も言わずに微笑んでいるエヴィと、事情を察して黙り込むエリカ。
やがてエヴィは、小さく右手を空へ掲げた。
《妬め! 恨め!! 憎悪せよ!!! Envy! Envy!! Envyyyyy!!!》
悍ましい変身音と共に、その身を真の姿へ変える。セラは思わず小さな悲鳴をあげた。
「エヴィ、ちゃん……!?」
「これが、本当の私。怪物なんだ、えへへ」
この笑いが強がりなのか、それとも心からの笑いなのか、両方なのか。それは彼女にしか分からない。
「怖い? ガオー! っ、あれ、ヘビはシャアッ、だっけ?」
「……初めて会った時がその姿だったら、怖かったかな」
「え〜」
「だって、普段可愛いの知ってるし」
セラの言葉を聞いたエヴィは少々残念そうにしながら変身を解いた。
だが再び戻った幼い顔は、真剣なものに変わっていた。
「エヴィね。エリカお姉ちゃんとセラに会う前、いっぱい悪い事したんだ。人間も、沢山殺した、ううん、私達みたいな怪物にしたの。それが当たり前だって、思ってた」
月光に照らされたエヴィ。白いヒラヒラとした装飾がはためく度に光を跳ね返す。
「2人に会って、別れて、でも2人の大切な人達と会って、また2人に会えて。それで今日、とっても楽しいパーティーが出来た! いっぱいいっぱい、美味しいものを皆と食べられた!」
「ねぇ、エヴィちゃん……?」
違和感を感じ取ったセラが半歩近づく。隣のエリカから聞こえる歯を食いしばる音が更に不安を掻き立てる。
「エヴィ、他の人が羨ましいって思うような事、沢山してもらった! 満足した!」
「待ってエヴィちゃん!」
「だから今度は、エヴィが皆を助ける番!」
「やめて!! 何でもうお別れみたいなこと言うの!? これからでしょ!? エリカも何か言ってよ!」
「…………」
セラが流す涙を見て、今まで押さえつけていた涙がエリカの頬を伝った。
杖をついて駆け寄るセラを、エヴィは優しく受け止めた。本当の姉の様に。
「ずっと一緒にいたいけど。でもダメ。エヴィは今日でお別れしなきゃいけないの」
「せっかく会えたのに……! 3人で、ぇ、家族、ぅぅ……!!」
「我儘だなぁセラは、よしよし……エリカお姉ちゃんも、来て」
「っ、ぅ、ん……!」
3人で抱きしめ合う。
2人の目が向いていないことを確認し、
「っ、っ…………ぇぃ」
エヴィは自らの手で、ヘルズローダーを外した。
腕に喰いついていたヘルズローダーから僅かに黒い液体が流れ落ちる。涙すら流さず、輝く笑顔をした彼女が押し込めた涙を体現する様に。
「エリカお姉ちゃん、セラ……最後に、我儘言いたいな」
「良いよ、良いよ、何でも聞いてあげる! だって私とセラは、貴女の……!!」
「エヴィの事、たまにでいいから……思い出して欲しい」
「忘れ、ないよ。忘れない、絶対、絶対……!!」
「…………バイバイ」
黒い塵が消え去り、2人が預けていた小さな身体は消失した。
その時、遺されたヘルズローダーがその姿を小さな2つの光に変え、エリカとセラの中へ入り込んだ。温かな光、2人は抱きしめる様に手を握る。
「きっと、きっと、貴女の力は、みんなを、助けるから……」
「ぅ、ぅぅぅ……ぁぁぁ」
小さなコネクトチップへ笑みを贈る。消えてなどいない。エヴィは、いつでもそばにいる。
「……彼女の望みは、叶ったな」
「……」
柱の裏で行く末を見守っていた桜と彼岸。言葉とは裏腹に、彼岸の声に力は無かった。
「……彼岸。俺達ジェノサイドは、いつか人間と同じ様に生きられるのかな」
「分からない。だがその世界を目指すなら、ノアを超えなくてはならないのは確かだ」
「ノアを超える……か」
桜は深く息を吐き、歩き去って行った。そんな彼の様子を見た彼岸は、心の動きを感じ取っていた。
「お前は、ノアの何を見た……?」
リンドウの進化の極地、《セブンスロード》の能力で見た、ノアの奥底にあるもの。それを見た時から、桜の中でノアに対する何かが変わったのかもしれない。
「日向桜、お前が何を考えていても、俺は最期までお前達と共に歩む。その為にも……」
彼岸が手にした写真の中で、皆に囲まれたエヴィが眩しく笑っていた。
続く




