2 出発したら大ピンチ
「癒術薬を……?」
ぽつりと呟くように返したレオナルドに大きく頷いてみせる。
(お咎めなしで母様の病気を治せるなら、女装してても王太子様でも話し相手になってみせる……!)
エレナにある種の使命感が生まれる中で部屋はしんと静まり返り、数秒後、レオナルドがくすくすと微かな笑い声をあげた。
「そんなのでいいの?」
「そっ、そんなのって癒術薬は貴重品と聞きましたが……」
「確かにそうだけどもっとあるだろう? 爵位の高い領地を求めるとか、大金を求めるとか」
探るような視線を受けてエレナはぎゅっと膝の上でこぶしを握る。
言われて気づいたが、今のエレナにとってはどんな物よりも母の病を治す癒術薬が宝物になるのだから気持ちは変わらない。
「――いいえ。癒術薬がいいです。癒術薬しかほしくありません」
真っ直ぐな視線と声を送れば、レオナルドの顔に柔らかな笑みが浮かぶ。
綺麗な笑顔を見ていると両側から息を細く吐く音が聞こえた。
「それでは希望通り、報酬に癒術薬を用意しましょう。ブラウンさん、ジルさんもそれでよろしいですか?」
「私は構いませんが……」
「僕も異存はありません」
「分かりました。三日以内に必ず用意してこちらにお届けします」
「ありがとうございます!」
(これでお母さんは元気になれるんだ!)
こみ上げる喜びがエレナを満面の笑顔にさせる。
気持ちが有り余って思わずジルに抱きついているとレオナルドは爆弾を落としたのだった。
***
(本当に信じられない!)
がらがらと馬車の中で揺られながら、エレナは笑顔のままとんでもないことを言い放ったレオナルドの顔が頭から離れず憤慨していた。
(確かに薬をもらえることになってよかったけど! かわりにラディアント様の所に行くのも覚悟したけど! 時間がないからそのまま出発ってあんまりだ――!)
おかげで母の様子を一目も見ることはできず、領民達とも挨拶できず。大慌てで荷造りをして王族専用の馬車に放り込まれて今にいたる。
ドレスとワンピースをそれぞれ数着ずつとコルセットや下着など、必要そうで思いつくものを大きめの鞄につっこんだ。何か足りなければお願いして借りるしかなさそうで到着前から申し訳なくなる。
ノーランド家の領地は辺境伯領の近くにあり、ラディアントが領主を任されている領地は王都に近い。
何日もかかるのかと思われたが、サセット国に入れば魔術による移動が可能なエリアがあり、行き先を言ってそのエリアに入ると一瞬で移動できるそうだ。
あまりに便利な仕組みと感じたエレナは何とも言えない気持ちになった。
(いいなー。ライズ国にもあったら領地内の移動とか買い物とか便利なのに)
窓から流れる景色を眺めながらそう思う。ノーランド家の領地が他の子爵領よりも狭いとはいえ端から端までの移動は時間がかかるもので、便利な移動手段があれば父も楽なのにと思った。
(それにしてもこんな広い馬車に一人って暇……)
さすが王族専用の馬車だけあって中は広く装飾は華美であり、荷物を置いても余る座席に落ち着かない。
話し相手がほしいと思っても馬を操る御者が外にいるだけなので、やり場のない憤慨していた気持ちは徐々に眠気へと変わっていく。
(いいや。寝てる間に着くよね)
欠伸をかみ殺しながら背もたれに体を預けて目を閉じた。
***
エレナが眠ってしばらく経った頃、体を揺らされる感覚に意識が浮上していく。
重いまぶたを開くと目の前に厳しい顔つきをする御者の姿があって目が覚めた。
もう着いたのだろうかと思ったが、御者の表情は厳しくて違和感を感じざるをえない。
辺りから聞こえる複数の人の怒鳴り声にようやく緊迫した状況を理解した。
「申し訳ありませんが盗賊に囲まれてしまいました。私が気をひきますのでエレナ様は馬に乗ってお逃げ下さい」
馬には乗れますかと訪ねられてエレナは頷く。
乗馬は幼い頃よりたしなんでいて、今でも忘れない程度の間隔で乗っている。
「馬車をひかせている馬は万が一に備えて人を乗せて走る訓練を受けていますからご安心下さい」
(それはいいけど相手は複数だよね? 御者さん一人じゃ無理なんじゃ――)
戸惑うエレナの腕をひいて馬車から出た御者は馬の前に連れて行き、手綱を小さな手に握らせる。
急かされるままにエレナが馬に乗った所で粗雑な格好をした男達がまわりを取り囲んだ。
「逃げようとしても無駄だぜ?」
「怪我したくなかったら身ぐるみ含めて金目の物を全部出すんだな」
「早くしろ!」
「エレナ様お逃げ下さい!」
(どうすればいいの!)
ぎらぎらと目を鈍く光らせてナイフなどの刃物を持つ男達に、エレナを逃がそうとしてくれる御者の男性。
こちら側の人がもっといたならばエレナはきっとこの場を頼んで馬を走らせるに違いない。
けれどたった一人で何人もの男と対峙する人を置いて言われるまま逃げるほどにエレナは従順にはなれなかった。
(相手は五人。武器はナイフとかの刃物で長さは短め。――やるしかない……!)
エレナは人前に構わずワンピースのスカートをたくしあげ、太ももにバンドでくくりつけていたロッドを外して片手に持って勢いよく振り、最大に引き伸ばし。
「やあ……っ」
片手で手綱を操り馬を走らせた。
長さのあるロッドの先は馬上でも男達に届き、エレナはあっという間に男達にロッドによる攻撃をお見舞いして気絶させていく。
突然のエレナの行動に盗賊達は呆気にとられて為すすべもなく地面に伏していった。
「はぁっ、はぁっ……」
(終わった……?)
馬を落ち着かせてエレナはまわりを見渡す。
五人は倒れたままで動く様子は見られず、そのことにエレナはほっと胸をなで下ろした。
(念のために持っててよかった)
護身のためにエレナは日頃から折りたたみのロッドを持ち歩いていた。
サセット国に向かうにあたり必要ないかと思われたが、携帯していて心底よかったと思う。
馬からおり、ロッドをつけていた場所にしまって馬の顔を撫でていると御者が慌てて駆け寄ってきた。
「ご無事ですか!」
「私は大丈夫です。御者さんは大丈夫でしたか?」
「エレナ様のお陰で助かりました。なんとお礼をしたらいいか……」
眉を下げて今にも泣きそうな御者に驚きながらもエレナは笑みを浮かべる。
未だ心臓は速い鼓動を刻んでいるが御者に余計な負担はかけたくない。
エレナは自分一人を逃がそうとしてくれた気持ちがとても嬉しかった。
「それでしたらラディアント様のお城に着くまで馬車の運転を――」
急に感じた息苦しさ言葉を途切れさせ、エレナは辺りの男達に視線を走らせる。
すると倒れていたうちの一人がふらふらと立ち上がって片腕をエレナに向けて上げていた。
「甘かったな。嬢ちゃん余所者か? 俺たちゃ魔術が使えるのさ」
にたりと不気味に笑う男が手を握りしめる動きを見せる。
たちまち首がさらにじわじわと締まる感覚に、両手を首もとにあてたエレナはぱくぱくと口を動かして喘いでしまう。
目の前で慌てる御者に声をかけたくてもエレナは声を出すことが出来ず苦しさから目に涙が浮かんでいく。
初めて体験する死への恐怖にエレナはどうすることも出来ない。ただただ脳裏に浮かぶ家族や領民の姿に焦がれながら嫌だ嫌だと声にならない気持ちを心で叫ぶ。
「おうおう可愛い泣き顔だな! 俺は優しいからひと思いにあの世に送ってやる」
「……ぁ――っ」
「エレナ様……!」
苦しい。楽になりたい。死にたくない。
気持ちが混ざり合って意識が確実に朦朧としていく。
もう駄目だとまぶたが下がっていく中でエレナはいななきを聞いた気がした――。