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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

なずきさらい

作者: 吹岡龍

 姉が死んだ。

 雨上がりの早朝、彼女が通う高校の教室で息絶えているのを、用務員の男性が発見した。

 その有様の詳細を、妹である私は知らない。ただ彼女の遺体確認を行なった両親の反応から察するに、未成年の私には見せられない姿だったらしい。

 年嵩の刑事曰く、姉は殺されたらしい。全国指名手配されている逃亡中の男が、二年前から国内の至るところで彼女と同様の殺害方法を選んでいるようだった。

 警察署内の個室でそのような説明を受けていると、若輩の刑事の声が部屋に飛び込んだ。曰く、用務員の男性を任意で引っ張ったという。姉の死亡推定時刻は夜の九時頃、男性にはその時間のアリバイが無いので詳しく事情聴取を行なうとのことだった。

 私はそのとき両親の鬼の形相というものを初めて目の当たりにした。普段の、姉がまだ健在だった頃の優しい笑顔など欠片もなく、ただただ憎しみだけで彩られた真っ赤な顔だった。

 部屋から飛び出した両親は屈強な刑事達に取り押さえられていた。刑事達に連れられた男性に掴みかかったようだった。当時、まだ姉の死を実感できていなかった私は、わずかに込み上げる怒りを自覚してはいるものの、それを表現することができなかった。

 そうやって呆然とする私の傍で、女の人が呟いた。


「ちゃう、あの人は犯人ちゃう」


 関西弁のその声は私達家族がよく知る人のものだった。彼女は姉の親友、Hさん。中学一年生の頃に関西からこちら関東に越してきた。姉とは三年生で出逢い、二人は同じ高校を受験した。

 類は友を呼ぶものらしく、二人は共通の趣味を持っていた。高校に入学し、クラスは違えど、その趣味のために同好会を新たに設立してしまうほど熱を入れていた。

 活動場所は主に図書室。活動時間は主に放課後。任意に研究・調査内容をレポートにまとめ、顧問の現代文の女性教師に報告することを主な活動とする。会名は――〈神秘学研究会〉。つまるところ、オカルト同好会である。

 二人の趣味は私の興味の外にあった。それはきっと顧問の教師にとっても同じことだったろう。彼女としては生徒が自発的に何らかの興味を追求し、それを文書に纏めることに意義があるのだと思っていたに違いない。

 だから私は今更彼女を責めはしない。何故そんな同好会の設立を許したのだと、生徒会にも訴えを起こしはしない。オカルトは茶番だという一般的な観念を否定したり、それにまつわる無知論証を回避することなどできないからだ。

 違うと繰り返すHさんの横顔を眺めながら、私は数週間前のある日のことを思い出していた。私達家族の家に、Hさんが遊びに来たのだ。




 初夏というには少し早く、しかしながら梅雨というには日差しが強く汗ばむ一日だった。姉とHさんは、姉の部屋でパソコンのモニターを食い入るように見つめていた。怪談や都市伝説などのオカルト全般を扱っているサイトのようで、世界各国のユーザーがその国や地元特有の民間説話や伝説などの情報を寄せているようだった。

 その日二人が目に留めたのは、〈紅い影〉と銘打たれた都市伝説だった。要約すれば、“くっきりとした赤い人影を見た者は近日中に惨い死に方をする”というものだ。都市伝説であるので怪談とは異なり、あくまでフィクションである。

 姉は赤い影を人工的に作れると言っていた。赤いセロハンと他の色のセロハンを用意し、それらを別々の方向から通した二つの光を一つの対象物に当てると、赤い影と他の色の影ができるらしい。

 赤い影の神秘性が失われたことで、読み物としての〈紅い影〉の価値も無くなったように思われた。しかし姉がコメントページを指差したことで、少しだけ事態が変化した。コメント主の恋人が実際に赤い影を目撃し、亡くなったというのだ。恋人の死に様と赤い影の因果関係についてコメント主は〈紅い影〉の投稿主に情報を要求していた。




 それからひと月ほどが経ったある日、〈紅い影〉の投稿主がコメント主に返信を寄越していることが分かった。どうやら投稿主は自称フリーのルポライターのようで、日本全国で起きている事件や事故を取材しているらしい。その過程で赤い影の存在を知ったという。

 曰く、赤い影を見たという人物は確かに死んでおり、皆揃って同じ死に方をしているのだという。そしてその背景にはある連続殺人犯がいて、警察はあまりに惨い被害者の死に様を報道関係者には噤んだまま犯人の行方を追っているとのことだった。警察関係者はその犯人を犯行手口から“なずきさらい”、そう呼称していると。

 都市伝説は事実になぞらえて作られるものではないと知っていた姉達は少し興奮しているようだった。これは怪談だ、だとすれば赤い影とは何のか、殺人犯の影が赤いのか、その殺害方法とやらはどういったものなのかと結論の出ない議論を意気揚々と交わしていた。

 呆れて部屋に戻ろうとした私だったが、Hさんからとんでもない一言を聞いた。彼女らは学校の図書室を利用し、赤い影を人工的に作り出し、それを撮影したというのだった。

 私は怪談も、ましてや都市伝説などもっと信じてはいない。しかし生得的にというべきか、危機感をわずかに覚えずにはいられなかった。

 今でも私は覚えている。二人がそれぞれに写真中央で被写体になっている二枚の写真のことを。外からの光を完全に封じた暗がりで、二方向から光を浴びる彼女達には、確かに赤い影と、青いセロハンを通したことで生じた青い影ができていた。

 愕然とする私を捨て置き、それでもやっぱり“くっきりとした赤い影”とは言えないねなどとのたまっていることに、私は何も言えなくなってしまった。きっと彼女達は、これからことあるごとに何らかのオカルトを科学的なアプローチで証明しようとし、できなければそれをオカルトであると認定していくのだろうと思っていた。きっと非科学的な呪術的行為にも挑戦していくのだろうと。

 しかし私の近い将来に対しての予測は裏切られた。夏休みの半ば、Hさんの家に遊びに行った姉が、夜になっても帰ってこなかったのだ。




 Hさんは夕方にはすでに姉は帰ったといい、姉も外出前にそのように母に言っていた。二三時、姉の携帯電話を鳴らしても応答がないので、警察に捜索願を出した。

 翌日、警察から連絡があり、姉の死が伝えられた。

 署内での一騒動の後、夜の帳が下りた頃、私達家族は警察に家まで送られた。一言も発さない両親はリビングのソファーに座り込み、私はひっそりと静まり返った姉の部屋に足を踏み入れた。署内でのHさんの言葉が気になっていた。

 私は次第に頭が回らなくなっていくのを自覚した。姉の残り香や遺品に触れるたび、途方もない悲しみと喪失感に押し潰されそうになっていた。私はふと思い立ち、姉の勉強机に設置されたデスクトップ・パソコンを立ち上げた。そしてあの日以来目に触れていなかったあのオカルトサイトを開いた。

 〈紅い影〉のコメントページに進展があった。親友から赤い影を見たというメールが届いた数時間後に親友が亡くなった、赤い影とは何なのか、“なずきさらい”は人間なのかという内容だった。対して投稿主は、次に死ぬのはアナタだとコメント主に返信していた。何故なら、アナタも一緒になって召喚したでしょう――と。

 私は椅子から立ち上がった。直ちにHさんに携帯電話からメールした。見つけたとすぐさま返信が来た。何をと問うと、あろうことか赤い影だと返った。私の返事を待たず、仇は討つとも言っていた。何処にいるのと訊くと、学校の近くの廃屋だという。

 彼女が本気だということは、署内で彼女の横顔を見たときから分かっていたからだ。彼女の目元は赤く泣き腫らしていたし、強く噛みすぎた下唇からは血が滴っていたのだ。それもそのはずだ、姉がそう思って疑わなかったように、二人が過ごした日々はとても楽しく、尊いものだったのだから。

 一刻の猶予もない、そう感じた私は警察に電話した。当然漠然とした情報で電話先の署員はまともに取り合ってくれなかったが、姉の件を説明してくれた年嵩の刑事を呼び出してもらった。錯乱した遺族を厄介に思っていたに違いないが、私が苦し紛れに“なずきさらい”という隠語を口にするや、事件関係者たるHさんの捜索を開始してくれた。

 私は警察から待機するよう求められたが、すでに身体は突き動かされていた。風一つ吹かぬ真夏の夜道を三〇分ほど駆け、姉達が通っていた高校にようやく辿り着いた。私は廃屋の場所を知らなかった。廃屋というからには明かりの点いていない家屋を(しらみ)潰しに探した。私がTシャツの袖で汗を拭い、その全身が街灯に照らされたその瞬間、短く薄い、それでもはっきりとした息遣いが跳ね上がったのを聞いた。右手を向くと、住宅街の一角に一際暗い家屋の存在を辛うじて認めることができた。

 外から見るだけでも、その木造家屋は明らかに傾いており、今にも柱が折れて潰れてしまいそうだった。私は治まらない動悸を抑える術を探しながら、その家屋の玄関の方へ近付いた。


「おい!」


 野太い声が私の度肝を抜いた。振り返るとあの年嵩の刑事と若輩の刑事がいた。二人もまた、私と同じく息を切らしていた。その目は私を疑っており、口は何か問いたげに開いていた。互いがわずかな沈黙を破ろうとしたそのとき、廃屋の擦りガラスの引き戸の玄関扉が勢いよく開いた。見知らぬ中年男が奇声を上げなら飛び出してきて、私に襲いかかろうとしていた。

 その顔を認識するよりも早く、刑事達の鋭い双眸と記憶は男の容姿を全国指名手配中の殺人鬼のそれと合致させ、男の確保と私の護衛を同時にやってのけた。

 男を確保した若輩の刑事はポケットから取り出した手錠をチラつかせ、氏名を問い質した。男は叫び、吠え、呻くばかりだった。ひどく興奮した様子の彼にも動じず、若輩の刑事は手配書を彼の視界に置いて、彼の名と手配内容を告げながら手錠をかけた。腕時計で現在時刻を読み上げ、私を守護していた年嵩の刑事にアイコンタクトを行なった。

 全てが終わったような感覚が一帯を包んでいたが、私は殺人鬼の手に目を留めるや、急いで廃屋の玄関口に向かった。

 屋内は暗く、暗澹としていた。私は恐る恐る足を踏み入れ、大谷石(おおやいし)の玄関から土足で廊下を歩いた。随分と壊れているようで、昨夜の雨漏りの雫が頭やら鼻やら肩やらに落ちてきた。

 街灯の光さえも弾く闇の中、それは、それだけは、くっきりとした像を結んでいた。

 人が身体を起こした格好で両膝をついていた。両手はダラリと下がり、顔はやや上を仰いでいた。そして腹には刃が上に向いた三徳包丁が突き立てられていた。

 Hさんだった。

 Hさんの亡骸だった。

 Hさんの眉から上が鋭利な刃物でそうされたように、横にすっぱりと斬り落とされていた。つまり、頭頂部が無いのだ。激痛のあまりか目玉は飛び出していて、なおかつ白目を剥いていた。危うく美しささえ覚える切り口からは盆をひっくり返したように大量の血液が垂れ落ちていて、それが涙のように彼女の目元を伝っていた。口は唖然とした様子でぽっかりと空いていた。もちろん血反吐を吐きつつも、口角には赤く染まった泡がこびりついていた。

 私が彼女の白い眼球がちょうど自分の真上に向いていることに気付いた。まるで彼女に誘われるように天井を仰いだ。蜘蛛の巣が幾重にも張られた(はり)があり、無数の黒いシミが滲んで見えた。

 もはやこの空間に思考力は奪われていた。天井のシミの一つ一つを呆然と眺めていると、そのシミそれぞれから雫が垂れているのが分かった。瞬間、それらが一斉に落ちてきた。私に降り注いできた。

 一瞬の雨。彼女の白い眼球の前を一滴が行き過ぎるときに、それが赤い色をしていることに気付いた。そうしている頃には私もずぶ濡れで、異様なモニュメントのように固まる彼女と同じく、全身を彼女の返り血に染めていた。

 私は胃から込み上げてきたモノをその場でぶちまけた。物見遊山で彼女の遺体を観察していたわけではなかった。ただ、この暗闇で一際異彩を放つ情報の一切合財が、私目掛けて集中砲火したのである。

 血の雨で目を覚ました私は動転し、腰を抜かした。可哀想な彼女をまともに見ていられず、自然、彼女の足下に視線が移った。

 影が、彼女の影が、ゆっくりと伸びていた。私はすぐに気付いた。これは影ではなく、血の雨と彼女の腹からも溢れ出たそれが広がっているのだと。

 いや、あれは紛れもなく影だったのだろう。

 赤い、紅い影であったのだろう。

 私は動くことも声を上げることもままならず、その影をじっと見つめていた。影は触手を伸ばすかのようにじわじわとこちらに迫ってきていた。


〈くっきりとした赤い人影を見た者は近日中に惨い死に方をする〉


 ふとあのサイトの文言が脳裏を過った。


「……にげ」


 私は顔を上げた。Hさんの口がわずかに動いていた。私はあらん限りの力を振り絞り、後ろに床を蹴った。玄関へと這って逃げた。後ろは振り返られなかったが、悪寒が足下に迫ってきていることだけは分かった。

 開けっ広げにしていた擦りガラスの引き戸から街灯の薄明かりが見えた。もう少し、もう少し。煤けた廊下に左右の手足を交互につけながら急いだ。しかし光に近付けば近付くほどにそれが弱まっていった。引き戸が徐々に閉じられていた。

 待って、助けてっ!!

 声が出ず、いよいよ上がり(かまち)を右手が掴んだそのとき、戸口の隙間からあの殺人鬼の左目が見えた。それは確かに山なりに笑っていて、しかし確かに怯えていた。


「交替だ、お嬢ちゃん」


 頬を垂れる汗が、こうやって私を閉じ込め生贄に捧げることで助かろうとする魂胆だと伝えていた。


「てめぇこの野郎、何やってんだ!?」


 刑事の怒号が聞こえた。何かしらの呪縛から逃れようとする鬼を、二人して掴んでいる。されども鬼は大きな身体を揺り動かして、肩で戸を閉めようとした。揉み合う彼らのうち、若輩の刑事と目が合った。

 血塗れの私を見てギョッとするや、私の背後に迫っているらしい何かを見て血の気がさらに引いたようだった。しかし彼は戸を開き、私に手を伸ばした。私は両手でしがみついた。彼は私を引っ張り上げ、外へ連れ出すとすかさず戸を閉めた。

 ド。そんな低い音がした。

 引き戸の擦りガラスに、赤い物体が張り付いていた。私達は揃って腰を抜かした。その滑稽な姿を見ようとしていたのか、赤い物体はガラスに全身を押しつけた。

 ひょろりとした何か。しかし頭部と思しき影の先端に、頭と思われるようなものが見当たらなかった。Hさんと同じく横にすっぱりと綺麗に斬り落とされているようだった。

 Hさんと思ったがそうではない。身長が一八〇センチメートルはあったように思う、Hさんはもう二〇センチメートルは低い。

 赤いそれは、しばらくその場で立ち尽くした。私は何もできずにその場で座り込んでいた。赤いそれは目のようなモノをガラスに当てると、跡形も無く消えていった。




 あれから一〇年が経った。

 かの殺人鬼には未だに判決が出ていない。頭部の切断方法と、現場近くで見つかった頭頂部とは別に、脳だけが発見されていないからだ。鬼の被害者と思しき者達の脳が、全てである。

 そしてもう一つ謎が残っている。

 今もあの都市伝説サイトでは〈紅い影〉を閲覧可能だが、コメント欄は削除されており、新規にコメントを投稿することもできなくなっている。

 私は〈紅い影〉の投稿時期を見た。一四年前となっている。

 殺人鬼の犯行は一二年前から始まっている。当時の私は何故このことに気付かなかったのだろうか。

 〈紅い影〉の投稿主、自称フリーのルポライター。彼は何者なのか。

 私はまだ、答えを出せないままでいる。

「夏のホラー2015」用として、私はこの作品に一番力を込めました。

私の他の作品をご覧いただいている方は、「あれ、もしかしてこの登場人物……?」と思っていただけたかと思います。

内容としては、怪談と都市伝説と、殺人事件を綯い交ぜにした感じです。

描写が激しく残酷なので好まれるかどうか不安ですが、私は望んだものを書けたので大変満足しております^^;

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― 新着の感想 ―
[良い点] こ、こわ…… 赤い影の描写がすさまじかったです。 [一言] 三作読ませていただきました。 どれも異彩を放っており、面白コワでした(喜) もちろんポチッとな、しておきました。 どれも好き…
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