第8話 理不尽の代償 恩と仇
遅くなりました。
文字数が1万文字ほど有りますが気にしないでください。
タクミ達の三人は、サナとミルが住む村に辿り着いた。
助けだしてから三日後の夕方である。
ハヌア村。
サナとミルが住む人口300人程の小さな村。
大河から枝分かれした、人工的に作られた小さな支流。それは村を横切り各々の畑へと流れ、下流側に作られた堀に流れ込み、泥などが沈殿した後にまた本流の大河へと流していく。
畑には小麦と思われるイネ科の植物が生っており、夕方の今、畑から家へと帰る人々の姿が辺りに見て取れる。
家々は木造の平屋が目立ち、二階建の建物は数えるほどしか無い。
田舎独特の静けさが、タクミの中では新鮮だった。ビルに囲まれた息苦しい世界には無い、ゆるりと流れる時間が牧歌的な雰囲気を醸し出していた。
ハヌア村は疎らに建てられた平屋の隣に畑が作られているようで、一つ一つの建物の間隔が開いている。
その畑の一つから仕事終わりの農夫がサナとミルに気づく。
「サナ!サナじゃないか!ミルも無事に帰ってきたな!」
「トマおじさんも無事で何よりです」
約六日ぶりの再開に農夫は顔を綻ばせ喜んだ。
サナも野盗に荒らされた村を見ていたので、知り合いの無事な顔を見て安堵していた。
ミルは無事に村に付いた安堵からか、トマと呼ばれた農夫にしがみつき、眠たい目を擦っていた。それを見てトマはミルを優しく抱えてやり寝かしつけた。
「あぁよかった……カールがお前たちを助けに行こうと準備していたからな。只でさえ森の奥は危険だからな、その上野盗達は実力もあったからな。下手に助けに行けばカールも死んじまうってんで村の皆でなんとか抑えてたんだ。」
「そうだったんですね……お父さんが無茶したみたいでごめんなさい……」
いつの間にか周りにはサナを心配していた者達が集まっていた。
サナの両親に知らせるために走る者もいる。
皆が姉妹の無事な姿に喜び騒いだ。
「なに、俺達も心配だったしな。村長が依頼を出そうと準備してたが、こりゃあ救出依頼から野盗の討伐依頼に書き換えだな」
姉妹は無事だが、野盗を許すつもりのないトマの言葉に、周りの村人も首肯していた。
だがその言葉も、
「あ、その必要は無いですよ。野盗は討伐された筈ですから」
サナの一言によって皆が一様に驚いた。
「討伐された筈って、お前たちは隙を見て逃げてきたんじゃないのか?」
誰よりも早く我に返ったトマが、皆の聞きたいことを代弁した。
この村には野盗達をどうこう出来る程の者はいない。
狩りのために弓を持つ者も居るが、姉妹を人質に取られてしまい誤射を恐れて矢を放てなかった。
だからこそ、「討伐された」と報告するサナに、皆一様に疑問を覚えたのだ。
「いえ、私達は助けて貰ったんです。その人が野盗を討伐しました。」
「話は終わったかしら?」
村人の集まる場所から離れた位置に居たタクミが、会話の変化を受け、サナ達へ目を向ける。
タクミの姿を見た者は息を呑み警戒した。
雪のように真っ白い髪、白目が無く赤黒く変色した黒目、村人の誰一人として見たこともない服装、サナの妹のミルと同じくらいの歳の男の子。その得意な子供がサナとミルを助けだした人だと言われても信じられないのは仕方ない事かもしれない。
「……き、君はドコの子だい?」
「ただの根無し草よ」
声音も表情も起伏が無く淡々とした、しかし確りとした受け答えに、警戒心と共に気味悪さが込み上げてくる村人一同。
別の村人が声をかける。
「でも、親御さんが心配して」
「根無し草だって言ったわよ?……両親なんて居ないんだから」
タクミの返答に、今度は同情と心配の声が上がる。
何処の子なのだろう。捨て子なのか。いったい誰が。等、周囲の村人が口々に憶測を交わす。
そこまでは良かったかもしれない。
どこか熱を帯び始めた意見の数々。それはやがて攻撃的な物に変わっていった。
親は馬鹿だの、愚か者だの、ひとでなしだの、その村はきっと野盗の集まりだの、それは侮蔑と暴言の色を帯びて飛び交う爆弾。野盗に襲われ、膨れ上がった不安と恐怖と怒りを孕む爆弾。そこに現れた調度良い他所者の存在は、いつ暴発してもおかしくない爆弾の着火剤としては十分だった。
周囲の豹変ぶりにサナは動揺していた。動揺しつつも、この攻撃的な雰囲気を止めようと必死に周囲に呼び掛けていた。だがその行動も意味をなさなかった。
「そんな親から生まれた子供だ。碌でもないに違いない!」
誰かが叫び上げた一言で、村人の全ての目がタクミに向いた。
瞬間、はじまる口撃の嵐。
決壊したダムを止める方法をサナは持ち合わせていない。
いつの間にか村中の人間が集まって居たのだろう、タクミへ向けられる大音声の罵倒の数々。
止める者はおらず。
止まる者も居ない。
誰一人として味方の存在しないこの状況だが、それでもタクミは何を言うでもなく、只々呆れていた。
(……またなのね)
タクミにとってはなんて事のない、生前に受けてきた小さなコミュニティ内での排斥行為の数々。その延長線のような今の状況の中、思うことは「諦め」と「無関心」であった。
何の面白味も無ければ、代わり映えもしない侮蔑と罵倒に飽きてきたタクミ。
その時、
「うわあぁあぁああぅん!!!」
ミルが突然泣きだした。
突然の少女の泣き声に、先程までの暴動紛いの状況が一変し、静寂が訪れた。
ミルが泣きだした理由が分からない村人たちは混乱した。そして泣いてる理由を再度、目の前の他所者にぶつけようとした。だが、
「ど、どうしたんだミル?まさかあいつに」
「うばゃぁあぁあああぁぁぁああぁん!!!!!」
声をかけた村人の言葉を遮り、先程以上の大声で泣きだした。
この小さな体で何故これほどの声量が出せるのか不思議でならないが、その結果、近くに居る者は耳を塞ぎ、離れた場所に居る者も口を閉ざし喋る者は居なかった。
その場に居る村人皆がミルに注目していた。
どれだけ泣いていたのか、少しずつ泣き声は小さくなり、唸るような声に変わっていた。
小さな声で、だが、今この場ではよく通る声で、ミルはぽつりと喋り出した。
「ううぅ……なんでタクミをいじめるの?……私達を助けてくれたのはタクミだよ?」
小さな少女のたった一言、その言葉を聞いた周囲の村人は、バツが悪いと感じたのだろう、黙ったまま頭を垂れた。
経緯や手段はどうあれ、サナとミルの姉妹を救ったのは紛れもないタクミなのだ。
感謝こそすれ、罵倒される謂れは無いのだ。
そのことに何人の村人が気づいたのか。青い顔をした者、はっとした表情で黙る者。
だがタクミにとってはもう、どうでもいい事だった。
この村に執着するほどの価値は、既になかった。
だから、
「話は終わったかしら?」
淡々と、再度問いかける言葉を放つタクミ。
その表情に変化は無く、感情のない目でサナに視線を向けた。
「はい、話は終わりました。それと、案内するので私の家に来ませんか?夕飯をご馳走しますよ」
「そう、ならお願いするわ。ここは居心地が悪いからね」
「じゃあ付いて来てください。トマさん、ミルをお願いしてもいいですか?」
「ん?あぁ、抱えてってやるよ」
タクミとサナとミル、そして、唯一周囲に影響されずにミルを抱えて守っていたトマだけが、その場から離れていく。四人の背中を見送る村人たちは、冷静になり自分たちの行動を省みたあと、沈んだ雰囲気のまま一人、また一人と家路についた。
「娘達を助けてくれて、ありがとう……」
30代程の男性が深々と頭を下げて礼を言う。
「おっと、紹介が遅れたね。僕の名前はカール、狩りで生計をたてている猟師だよ。こっちは妻のマリー、調合師をしているよ」
「マリーです。私からもありがとうございます」
引き締まった肉体の、優しい雰囲気を持つ男性カールと、同じく優しい雰囲気を醸し出す、柔らかな女性マリーは自己紹介をしつつ、改めて礼を述べてきた。
タクミを家の中へ通し、サナは母親のマリーと共に料理を作り始めた。
建物自体はそれほど大きくは無い。土足のまま入り、板張りの床で出来た居間にテーブルと椅子が家族四人と、来客様に数脚用意されていた。居間の奥に部屋があり、そちらは作業部屋や寝室となっている。
料理を作る母娘を横目に、タクミはカールから頼まれ、助けた時の経緯を話した。
牙をナイフ代わりに使い、サナを刺した時はカールも冷静では居られなかったが、タクミ達の会話に聞き耳を立てていたサナが咄嗟にタクミを庇い、その場を収めた。
食事をテーブルに並べ、五人で食卓を囲む様に座る。手を組み祈りを捧げるカール達家族を見てタクミも模倣する。郷に入っては郷に従う。
食事を摂り、寝る前にサナから文字を教わるタクミ。その姿を見て加わる母親のマリー。サナに文字と薬草の調合を教えた経験が有るためか、マリーは文法の癖や文字の読み方のコツなどを的確にタクミに教えていく。その結果、翌日には拙いながらも自力で本を読む程度にはウェドゴニー共通文字を理解していた。
タクミ自身、中身は26歳の大人だ。文章の癖や法則と言ったものをなんとなく理解していた事と、6~7歳程度の今の脳はスポンジに水の如き早さで知識を吸収していた結果とも言える。
翌日、タクミとサナは早朝から森へ入り、薬効の有る野草を採取していく。
わざわざタクミがこのような雑用をしている理由、それは昨晩の勉強会で、マリーがタクミの文字を習う意識の高さを見て、サナと一緒に調合を習ってはどうかと提案されたからだ。
対価もなく知識を得ることが出来る、とタクミはその提案を受け、現在森の中で薬草を採取しているところだ。
マリーから薬草として使える野草の種類や特徴は聞き出していた。そしてそれ以外にも野草を見分ける手段をタクミは持ち合わせていた。
「サナ、それは似てるけど違うわ。貴女の右隣に生えてるのが使える薬草よ」
「うぅ……なんでタクミさんは分かるんですか……」
サナが口を尖らせ納得いかないと不満を呟く。
タクミがはっきりと薬草と只の野草を見分けている方法。それは、
(文字が浮かんでるのよね)
そうゴブリンやホーンボアの名前を知る切っ掛けとも言える「浮かび上がる文字」。それを植物相手に使っただけのことだ。
名称はマリーから教えられているので間違いようがない。なのでそれらしい植物を見つけては凝視し、文字が浮かび上がれば答えは自ずと判明する。
都合のいい能力だが、サナやマリーの様子から、全ての人間が「浮かび上がる文字」を視認している訳では無いようだった。なので文字以外の理由を後付する。
「葉がほんのり赤みを帯びてて、葉っぱの線が綺麗に二等分されてって、最期は八つに枝分かれしてるでしょ?それがカトラン草よ。ついでに貴女が持ってるそれはカラン草。枝分かれが不揃いでしょ。葉に毒があるから気をつけなさい」
「え!?」
説明を受けた後、瞬時にカラン草を投げ捨てるサナ。少し触れた程度では毒素を吸収する事は無いので問題は無いが、サナには文字通り、良い薬になったことだろう。
二人はその後も薬草を採取していき目的の数を集めた後、家路についた。
昼食を摂り、午後はマリーから文字の読み書きと調合を習う。
マリーの教え方はとても丁寧だ。そしてタクミ自身も小さな疑問や手法の違いを遠慮無く質問するためか、教わる側のタクミだけではなく教える側のマリーも熱が入ってしまった。そのためか、サナはしばしば着いて行けず頬を膨らませて抗議してくる場面が何度もあった。
日中だけではなく、日が暮れてからもタクミは活動していた。
この村のサナ達の家の事情しか知らないタクミだが、電気式の明かりがないことは把握していた。
なのでこの村の住人は陽が登ると同時に活動し、陽が沈むと同時に家路につき早くに寢る。少なくとも、これがこのハヌア村の住人の活動サイクルだ。
蝋燭もしくは油皿に火を点けただけの明かりは、お世辞にも明るいとは言い難い。そして蝋燭や油自体もお金がかかるため遅くまで起きる者は居ない。タクミ以外は。
タクミは自力で火を生み出せることを利用し、明かりを確保。砂を入れ均した器に細い棒でウェドゴニー共通文字を書いていき練習する。均しては書き、また均してはまた書く。
耳を澄ませばカール達家族の寝息が微かに聞こえてくる程の静寂の中で、砂を割いて文字を書く音だけが響く室内。魔法を使用し続けたことによる頭痛でタクミは手を止め、鞄から毛皮を取り出し体に被せて目を閉じた。月が空高く登る夜夜中の時間帯だ。
それからもタクミは午前中に森へ、午後からはマリーの教えのもと薬草の質や見分ける方法と調合方法を教わり続けた。
時にはカールとも森へ入り、ホーンボア等の獣を狩る。その際、弓の扱い方や毛皮や肉の捌き方も教わり、今の匠ならば一生を森の中で暮らせる程度には知識と経験を得ていた。
ちなみに、タクミが正面からホーンボアを仕留めた際、カールはなんとも言えない顔で口元が引き攣っていた。その時、タクミが魔法を使えることを知って驚いていた事も記しておく。
気づけばハヌア村で三週間が経過していた。
タクミにとっては生きるために必要な知識を得るために必死に学ぶ濃密な時間だった。
文字は早々に書けるようになっていた為、途中からは独学で本を読み進め、時にマリーに疑問をぶつける。カールと共に獣を狩り、毛皮をや肉、骨等の素材の知識を学び、定期的に訪れる行商人に売り渡し、金銭を稼ぐ。
最初、商人はタクミを見て驚いてはいたが、商売と損得の話になれば感情は二の次なのだろう、タクミ相手であっても快く取引をしていた。それどころか、タクミは仕留める時に足先と首しか斬り付けない為、傷の殆ど無い上質な毛皮が手に入る、と商人はタクミを甚く気に入っていた。
魔法については毎晩のように明かり代わりに使用していた為か頭痛にも慣れてきてしまっていた。
そして「浮かび上がる文字」。これは一番の変化と言ってもいいかもしれない。
いままではその物の「名称」と「種類」のみが読めており、他は子供の落書きのように文章の体を成していなかった。
だが今では追加で新たな言葉が解読されていた。
例としてカトラン草を上げると、
裂傷治癒 解熱
この様な文字が浮かび上がっていた。
カトラン草の根には解熱剤、葉と茎は傷薬に使用されるのでこの情報が正しいのは確かだ。
まだまだ読めない文字列も多いが、この力は今後も生きていく上で役に立つことだろう。
この変化にタクミは、生物、無生物問わず、様々なものに注目し情報を集めていた。
三週間と言う時間は情が湧くのには十分な時間だ。
タクミがハヌア村を出る。それを聞いた時、サナ達はタクミを引き止めた。
カールとマリーも、タクミを説得しようと何度か話し合ったが、それでもタクミの考えが揺らぐことはなかった。
旅立つ前の日の晩、タクミとカールはテーブルを挟みあうように座っていた。
「貴方達に感謝はしてるわ。でもここは私の帰る場所じゃないのよ」
「……君の帰る場所とは何処なんだ?今さら言うのも何だけど、僕は君の事を本当の家族のように思ってるよ。僕だけじゃない。マリーやサナだってそう思ってるはずだよ。ミルなんか君にしがみ付いて泣いていた位だからね。」
「ええそうね……」
他の三人はすでに夢の中の時間帯。
明かりはタクミが魔法で火を生み出し、飲み物の入ったコップだけがテーブルの上、お互いの前に置かれているだけだった。
「……言っても理解できないかもしれないけど、私はね、子供の頃周りの人間に虐げられてたの」
ぽつり、とタクミは話し始めた。
「周りの同い年位の子供からだけじゃないわ。大人たちからも、ね。両親からも無視され続けて、最期には捨てられたわ」
語られる過去のタクミ。
カールは息を飲み、真剣な顔で話に耳を傾けた。
「肌寒い季節でね。何も無ければそのまま死ぬはずだったわ。でも生きてたわ。ちょっと変わった人に拾われてね。あ、私の今の口調もその人の影響よ」
「……その人の所が、君の帰る場所、なのかい?」
「えぇ、そうよ。私が唯一信頼して、私が唯一家族と認めて、そして、私に初めて愛情を与えた恩人よ」
「タクミ君……君はいったい何者なんだい?その話しぶりだとまるで……」
「まるで大人と会話してるよう?ええ、その考えは間違ってないわ。でも、信じられないでしょう?貴方の目の前に居る子供は、その小さな体以上の人生を経験しているのよ。一体何者なのかしらね?私もまるで分からないわ。だって自分の身に起こった出来事がまだ信じられないんだもの」
自嘲しながら、どこか他人ごとのように語るタクミ。その表情はいつもと変わらない無表情だが、なぜか影が差したように沈んだ雰囲気をカールは感じ取った。
「それでも……僕らは」
「ねぇ、カールさん」
カールの言葉を遮るタクミ。
「貴方今どんな表情してるか、気づいてる?……とても強張った青い顔。酷い顔よ」
「なっ!」
言われて、自身の顔に触れるカール。強張って硬くなった顔に、眉間に寄った皺、額には汗が滲んでいた。気づけば手を強く握っていたのだろう、掌は赤く変色していた。
酷い顔。少なくとも相手に不安しか与えない顔。
(いや……不安を感じているのは寧ろ……)
カールはそれ以上の思考を放棄した。
「気持ち悪いでしょ?私のこの赤黒い目。怖いでしょ?こんな子供が当たり前のように獣を狩るんだもの。不安でしょ?まるで得体のしれない私が」
カールを諭すように、そして不安の正体を見透かすように語りかけるタクミ。
強く否定出来ないカールは黙るしか無かった。浮かぶ言葉全てが薄っぺらく響きもしない。何を言っても上辺だけの言葉にしかならない。その事実に、カールは余計に腹立たしさを感じていた。
「それでも……僕達は」
「ごめんなさいね。貴方達の人と為は見てきたわ。でもね、勘違いしないで頂戴。私は私の意思で外に出るだけなのよ」
つらつらと話すタクミの様子に、カールは何も言えなかった。タクミの心をここまで酷く曲げてしまった顔も知らぬ者達を恨むが、それも意味のないことだと分かっていた。
「僕らは……助けにならないのかな?」
「……いいえ助かったわ。ただ私が出て行くだけ。それだけのことよ」
意思は変わらない。それだけは理解できたカールは、最期に一つだけ、提案を述べた。
「明日の朝、せめて家族全員で見送りだけはさせて欲しい……」
その言葉には、タクミをこれ以上留める意思は存在しなかった。
留める意思が無いのなら、拒否する理由もありはしない。
だからだろう、タクミはその提案を受け入れた。
「……好きになさい」
カールは顔を綻ばせて礼をした。
翌朝。
朝食の後、タクミは準備を済ませ、カール達家族と共に村の南端へ向かう。
そこには既に行商人が荷馬車を準備して待機していた。
今日は馬車に乗り、一日掛けて下流の港町を目指す予定だ。
「ポラックさん、今日は頼みますね」
「なに、タクミさんには質のいい毛皮を卸して頂きましたからな。これぐらいお安い御用ですよ」
週に1~2度の頻度でハヌア村へ商売に赴く商人のポラックは、ホーンボアの毛皮を売りさばく時に知り合った商人だ。
タクミとも商品の取引をする程度には感情を操作できる優良な商人だ。
肩掛け鞄と背負鞄しか荷物のないタクミはさっさと積みこむと自身も荷馬車に乗り込んだ。
ポラックも昨日の時点で買い取った商品の最終点検を済ませているところだ。
その待っている時間の間に、カール達一家は順番に別れの言葉を告げていた。
「タクミ君、体調には気をつけて、無理はしないようにね」
「タクミ君の調合技術は私が保証します。生活には困らないはずですから頑張ってくださいね」
「タクミさん、助けて頂いた御恩は忘れません。お元気で」
「タクミ、またぜったい遊ぼう」
カールは病気や怪我を心配し、マリーは調合の師として言葉を残し、サナは助けられた感謝を述べ、ミルは涙目で遊ぶ約束を取り付けた。
タクミも鬼でも悪魔でもない。各々の言葉には素直に頷いて答えた。
お互いに言いたいことを告げ、あとは出発だという時になった頃。ひとりの老人がタクミの元へ近づいて来た。
老人はタクミの顔を確認すると徐ろに話しだした。
「タクミ殿ですか?わたしはこのハヌア村の村長を務めておりま」
「何でしょうか?私はもう去る身ですので特に話すことは無いわ」
相手の自己紹介を遮り、話を切り離すタクミ。
名乗ることの出来なかったハヌア村の村長だが、何事もなかったように話し続ける。
「まぁまず聞いて頂きたい。村人たちがタクミ殿を馬鹿にした過去を謝罪したい。更に、タクミ殿の狩猟や調合の腕をこの村のために役立てて欲しいのです。いかがでしょう?」
村長は朗らかな笑顔を顔に貼り付け、小綺麗な言葉で取引を持ちかけてきた。
悪びれもせず誠意も無い謝罪、水に流した上で、その腕を村の為等と申す村長の言葉は、タクミに不信感しか与えなかった。
タクミは盛大に溜息を吐き、
「……くだらない」
一言呟いた。
村長にはよく聞こえていなかったようだが、周りの者達はタクミの雰囲気の変化でなんとなく理解していた。
「村長さん、謝罪の必要はないし、手を貸すことも出来ないわ。だって私は出て行くんだもの」
「なに心配は要りません。住むための家はこちらで用意致します。なのでタクミ殿の手荷物のみで十分です」
まるで話にならない、とタクミは思った。
今更の謝罪などなんの価値も無く、住む家などはそれ以上に価値がない。だがその事に気づかない村長は尚も言葉を紡ぐ。相手が取引に応じる事を信じてやまない様だ。
その中身の無い言葉にタクミは呆れていた。
穏やかに解決させる必要も無い。
邪魔をするならそれ相応の手段でもって対応するのみだ。
「話しにならないわ。邪魔をしないで頂戴。ポラックさん、出発して」
「まぁまぁお待ちください。悪い話では無いでしょう?タクミ殿は自分の家を持ち、その腕を遺憾なく発揮できる。私は村の発展の為にこの話を持ちかけて居るのですよ。過去にいつ迄も拘らず、現実を見るべきなのです」
「いま……なんて言ったの?」
声のトーンが下がり、目に見えて雰囲気の変わったタクミ。
唯一カールだけがタクミの変化の原因に気づいていた。
過去の出来事のせいで人を信じることが出来なくなり、そして過去の恩人を今でも慕っているタクミは、良くも悪くも過去に縛られた存在。そのタクミに先程の言葉は禁忌と言っても過言ではない。
カールは危険を感じ、家族の腕を引きその場から離れた。
「人の感情に土足で踏み込むのがこの村の代表の仕事なのかしら?」
「なっ、その様なつもりは有りません!言いがかりを付けないで頂きたい!」
「私はね、いまとっても怒ってるわ。誠意も何も無い謝罪に仕事の強要。そして人の過去に拘るな?悪いけど、貴方は今、私に謝罪するどころか喧嘩を売っているわ。今すぐこの場から去りなさい」
「ぬぅ、ええい何故わからんのだ。三週間も前の事をいちいち気にするなんぞ、馬鹿者のすることだ!つべこべ言わずに私に従えばいいのだ!そうすれば、」
「もう一度いうわ。この場から去りなさい」
村長の言葉を遮り再度警告するタクミ。
その目は獲物を見据え、その手はいつでもナイフを引き抜ける位置に置かれている。
ここまで思い通りに行かないことに村長は憤り、すでに正常な思考は出来ていなかったのだろう。タクミの最後通告を無視し掴みかからんとタクミに近づき――
「……跪け」
――地面から勢い良く飛び出した岩の杭に足を貫かれ、その場に崩れ落ちた。
突然の事に混乱する村長は、自分が盛大に虎の尾を踏んだことに今更ながら気付かされたのだ。
「貴方は今、明確な敵と見なすわ。もう何もいう必要はない。私の邪魔をし、喧嘩まで売ったのだから、今更許されると思わないことね」
「あ……ま、待て。私を殺せばお前は犯罪者だ!賞金首だ!それでもいいのか!?」
必死に言葉を紡ぎ、自身の命を救うよう求める村長。その姿はあまりにも滑稽で、仮に村を纏める者のはずだが、威厳などは皆無に等しかった。
そして村長は全くの考え違いもしていた。
「……それがどうかしたの?」
「……は?」
タクミはこの世界の人間ではない。そして人を殺すことも厭わない。
賞金を掛けられ追われる身になったとしても、また森へ引き下がればいい。それだけなのだ。
わざわざ人の住む街へ行くのは単に、この世界の情報を集めるためと、暮らすのに便利だからだ。
そして世界の情報自体はカールやマリー、サナとミルから大筋は聞かされている。いま無理をして集めたい訳でもなかった。
そこまで理解した村長は、額から止めどなく冷や汗を流し、目元には大粒の涙を蓄えていた。
足は痛みと恐怖で震え、目に見える死は呼吸を浅くさせる。
目の焦点はブレていて定まらず、胃液が込み上げてくる不快感が強くなる。
カラカラに乾いた喉で必死に声を絞り出す。
「た、助け」
「嫌よ」
タクミの発した拒絶の言葉と共に、地面から新たに湧き出た岩の杭。
その杭は村長の喉に突き刺さり、形容し難い呻き声を漏らした後、そのまま息を引き取った。
タクミは自分の手荷物を降ろそうと荷馬車に近づいた。
「ああ、下ろす必要はないですよ。このまま出発しますから」
タクミは商人のポラックを睨み、その真意を探ろうとした。
順当に考えれば、このまま警察機関なりに連れて行くつもりと考えた、が、そうでは無いようだった。
「安心してください。別に衛兵の詰め所に突き出すつもりはありませんよ」
「……普通は突き出すんじゃないの?」
「出来ればあまり睨まんでください。本当ですから」
タクミに敵意がないことを示しつつ、理由を説明するポラック。
「まず先に因縁を付けたのはハヌア村の村長さんです。そして途中で実際に掴みかかろうとしてました。先に相手を害そうとしたのが村長なのは確かなんで、タクミさんはあくまで身を守るために応戦しただけですよ。だから何の問題も無いですよ」
ポラックは少し大きめの声ではっきりと喋っていた。それはまるで事の成り行きを見ていた周囲の農夫たちに聞かせ、正当性を主張する為と言わんばかりの話し方だ。
「まぁそれに、村の発展とか言って実際は税収目的でしょう。過去に拘るなとか言いつつ、自分は目先の利益に飛び付いてたんですから。馬鹿では無いですが愚か者、はっきり言えば自業自得ですよ」
ここぞとばかりに貶すポラック。先ほどの惨状を見た後に普通に話しかけることが出来る辺り、胆力が有るのかもしれないとタクミは思っていた。
「とまぁ、そんな訳なので、早速出発しましょう。急げば日が完全に暮れる前には何とか着くでしょう」
「ほんと……さすが商人ね」
「タクミ君、村長の死体はこっちで片付けておくよ。だから気にせず行っておいで」
近づいて来たカールが穴だらけの村長の死体を見て申し出た。
死体の片付けて時間を取られる訳にもいかないので、この申し出は素直に受けた。
ポラックは馬を走らせ、川沿いの道を進み始める。
背後を振り向けばカール達の姿が見え、サナとミルは大きく手を振って見送っていた。
タクミも答えるように手を振り、お互いが視認できないほど離れた頃に進行方向へ目をやった。
周りは疎らに木が生えている程度の広大な草原だ。
どこまでも続く土地の広さに感動を覚えながら、タクミは馬車の旅を楽しんだ。
目的地は港町ラタリア。
宛もない旅は、始まったばかりだ。
まるで打ち切りのようだ。
少々長くなりましたが、問題有りません。
誤字脱字は出来るだけ潰していますが、完璧ではありません。
そろそろ仕事が忙しくなる頃なので、更に遅れることでしょう。
少し前に初めてアクセス解析って言う機能をしって確認してみたところ、たぶん5~10人くらいの人が続けて読んでくれているのかも知れないと知ったので、楽しんでいる人の為に頑張ろうかと思います。思うだけ。
続くといいな……
あ、読了ありがとうございます。