第3話 不可思議な力
書くのが遅い…
鉄錆と汚物を混ぜあわせた様な臭いに、匠は目を覚ました。
森の中で目覚めて二日目。
陽の光が地面に届いてないからか、日中は暖かく過ごしやすいが、まだまだ暗い森の中は、肌寒い空気が漂っていた。
上を見上げても空は見えず、時々光が漏れて見える。どうやら太陽は昇ってるようだが、陽の位置から時間を割り出すことは出来ないだろう。
朝の冷たい空気を吸い込み、頭を働かす匠は、現状を確認する。
今、目の前に横たわる死体は、昨夜襲ってきた小人の様な生物である。
見れば見る程にその死体は人間に近いとも言えるし、人間では無い何かとも言える見た目をしていた。
腕や足は筋肉を削ぎ落したような細さ、反対にお腹には無駄な脂肪がついてるのかポッコリと出ている。頭も大きく、顔の各部位も人間では有り得ない大きさの口、鼻は削ぎ落としたように存在せず、耳も真横に向いた正三角形のような形をしており、肌は薄い緑色で、今では泥と血によって黒く汚れている。
そんな歪な人型の生物を凝視し、頭の中では只管、アレでもないコレでもないと自分の持ちえる知識に照らし合わせてみたが判断は着かず、どうしたものかと思っていたその時だ。
その死体から、文字が浮かび上がってきた。
「え……」
突然、発生した現象。匠は思わず後ずさり、周囲も含め警戒する。
すると浮かび上がった文字は空気中に霧散するように消えていった。
警戒はしていた。が特にこれといって変化も起こらなかった為、匠は死体に近づきもう一度凝視した。すると……
「……浮かんできたわね」
先ほどと同じように死体から文字が浮かび上がってきた。
表情のない顔で乾いた笑みを浮かべながら浮かんだ文字を観察する。
まるで要領を得ない文字の羅列、蠢くように文字同士が何度も入れ替わり文章として成り立たないなか、唯一固定された文字列が浮かび上がっていた。
「ごぶりん……?これの名前かしら?」
ゴブリン。
そこには確かにそう書かれていた。
「……魔族?」
名前の下に浮かび上がる文字に匠は疑問を浮かべた。
魔族とは?普通の野に居る動物とは違うのか?「魔」と言うことは悪魔と同じような悪事を働いたり人を堕落させる存在なのか?等など、様々な憶測を浮かべたが分かるはずも無く、頭を振り払い思考を戻した。
「考えても分からないわ……とにかく、コレはゴブリンって名前で、魔族って言う生体の生物……それともゴブリンって種類で魔族は所属か何か……これが事実ならね」
そう納得した。
「あなたにはもう必要ないでしょ……貰って行くわよ」
そう言って。ゴブリンの腰に差してある程々の重さのナイフと、ナイフの鞘を奪う匠。
「少し錆びてる……研げば何とか――――!」
言いかけ驚愕する匠。
今しがた奪ったばかりのナイフを見ながら状態を確認していると、先ほどの文字の羅列がナイフから浮かび上がってきたのだ。
動揺はしたものの、何とか取り落とさずに握りしめ文字を読む。
「鉄のナイフ、ね」
むしろ鉄以外に何かあるのか?と、益もないことを考え首を振る。
こびり付いた血は付近の草葉で大雑把に拭う。あとは腰のエプロンの端の方で拭って処理する。錆びてる部分はどうしようもないので今は放おって置くしか無いだろう。
ふと、疑問と共に予想が浮かぶ。
エプロンのポケットに入っている細長い林檎の様な果実。これにも文字は浮かぶのだろうか?
まだ名前すら知らない果実を一つ取り出し、それを凝視する。
アディヴの実
どうやら林檎を細長くした様な果実は、「アディヴの実」と言うらしい。
だが匠はそんな名前の果物を見たことも聞いたこともなかった。
「聞いたこと無いわね。ドコの食べ物かしら……」
名前の判明したアディヴの実を仕舞いながら独り言つ。
その時、ふと自分の右手を眺めていた。
「まさか……ね」
自分の情報も文字として浮かび上がるのかと言う疑問。
その「まさか」は的中した。
「ん、ん?」
浮かび上がった文字は腕に巻き付くように蠢いているが、触れている感触などは一切なかった。
表示された文字列は「人族」。これはそのまま人間であることを表していると予想は付いた。そして一つ上の文字列には「タクミ」の文字が表示されていた。
何故カタカナなのか、そも名前は表示され苗字が表示されないのは表示する必要が無いからか、それとも他に理由があるのかは現時点では判断の付かない疑問である。
分からないことを何時迄も考えたところで仕方ないと、頭を切り替える。
「それにしても」
倒れているゴブリンの死体を改めて観察する。
襲った対象に殺され、持っていたナイフも奪われ、誰に弔われること無く森に放置される。そしてそれをやったのは匠自身だ。だが悲壮感や嫌悪感は感じない。それどころか、咄嗟の事とはいえ命を奪った罪悪感すら無い。
「はは……ほんと何も感じてないわね、私……」
自分の起伏の少ない感情に自嘲した。
感傷に浸るつもりもないため、ゴブリンの死体は放置し、移動のためにその場から離れた。
時間の感覚が分からなくとも、人間、動けば腹は減る。
エプロンのポケットに仕舞ってあったアディヴの実を齧りつつ、新たに見つけては補充したりと、少なくとも、今すぐ飢えて死ぬということは回避出来る。
余裕があれば周囲に有る植物を視るタクミ。その全てがやはり見たことも聞いたことも無い植物ばかりで、自分がいよいよドコに居るのか完全に分からなくなってしまっていた。
「そういえば、あんまり疲れて無いわね」
初日、明るい間は常に歩き続けていた。夜は樹の幹に背中を預け、毛布も無しに寝づらい思いをした。寝る前にゴブリンとも戦っていた。
二日目の今日は朝の不可思議な展開、その後は一度休みを挟み、そして今も歩き続けている。
生前はこんなに歩いた事も無いので分からないが、この小さな体で、休みなく歩けるものなのだろうか?とふと疑問に思っていた。
昨日の疲労が残ってはいない。そして今は多少疲れは感じるが、動けない程ではない。だが、昨晩のゴブリンの様に見たこともない存在に襲われる可能性もある。その時になり疲労で動けないでは笑えない。
倒木に腰を下ろし、目を瞑る。完全に横になって寢るつもりは無かった。何かが近づいてくれば音で判るだろう。その時すぐさま動けるよう座っているだけだった。
周囲はとても穏やかで静かだ。そしてとても五月蠅い。生前の町中特有の騒音は無く、鳥や虫の鳴き声が何処からとも無く響き渡る。故に、静かで、五月蠅い。
歩く音もなかなか響く環境。警戒はしていたが、遂に襲われる事は無かった。
移動を再開してから少し、変わらない緑の景色に目が慣れてきた頃、徐ろに立ち止まり耳を澄ませた。
鳥の囀る声に混じり、耳に届く微かな水の音。
「……流れてる音がするわ」
進行方向からは少々ずれるが、それでも果物以外で水分が取れるのはありがたいと、音を頼りに水の流れる場所へ向かう。
見つけた川は幅が広く浅い。小さな魚も泳いでいることから飲めないほど汚染されてるわけでも無いようだった。川に沿って歩けばいずれ人の住む村や町には辿り着くだろう。道無き道を進むよりも可能性はある。
太陽の位置は確認できないが川で木々の切れ間があり、久々に青い空を見上げることが出来た。
影の差す方向から大体の方角を割り出し、川沿いを下ることで南に向かっていることが判明した。
少し歩いたところで空は赤みを帯びてきた。
森の中は既に暗闇と言える程、光は届いていない。歩くならば川沿いしか無いが、今日は一日移動し続けていた事を思い出し、早めに休むことにした。
朝の肌寒い空気を考え、川から離れたところで腰を下ろし横になる匠。
川のほうを見れば完全に日が落ちたのだろう大分薄暗くなっていた。それに伴い森の中はチューリップの様な花から淡く光る胞子が漂い始めている。
目を閉じ微睡む中、地面を伝って森の中を疾走し近づいてくる気配を感じた。
いつでも動けるよう体勢を低く起き上がる。腰に差したナイフに手を掛け、息を殺して待ち構えた。
聞こえてくる足音は勢い良く藪を突き破って出てきた。
その姿は、光沢のある鱗で体を覆い、短い手足を足した半魚人ともいうべき異型の化け物の姿。ゴブリンを前もって見ていなければ狼狽えて叫び声の一つでも上げていたのかもしれない。
サハギン
目の前に居る「魔族」の名前だそうだ。
サハギンは先程まで匠が居た当たりの匂いを嗅いでいた。前もって切れ目を入れたアディヴの実もご丁寧に嗅いでいる。
アディヴの実はそのままだと特に気にならないが、皮を剥き内側の果肉を露出させると芳醇な香りが広がる果物だ。それをサハギンが来る前に一つだけ切れ込みを入れ放置し、自分は近くの木々に身を隠したのだ。
サハギンがアディヴの実に気を取られている内に仕留めようかとナイフを抜く。だがサハギンは突然起き上がり自身が通ってきた方角に目をやった。
何をしているのか観察していると、勢い良く藪を突き破り、サハギンを見下ろすもう一つの化け物。
大きな梟のような頭、だが首から下は太く強靭な熊の体、その体はびっしりと体毛に覆われていた。
オウルベア
どうやらサハギンを追いかけて来た「魔族」で、互いに牽制するように睨み合っている。
サハギンの足は指と指の間に皮膜が付いいるが、手には指の先に鋭利な爪が付いている。その爪でオウルベアを切り刻むため、突進していった。だがオウルベアもわざわざ当たってやるつもりも無いのだろう、徐ろに後ろ足だけで立ち上がる。立ち上がったオウルベアは2メートルを超える程の巨体だ。その巨体から繰り出される、腕を振り回すだけの迎撃。それはサハギンを吹き飛ばすのに十分だった。
吹き飛ばされたサハギンは木にぶつかり地面に倒れた。だがすぐさま立ち上がりカチカチと歯を鳴らすと甲高い奇声を発した。
匠がこの森で目覚めて何度も経験する衝撃、だが今回の衝撃は今までの比ではなかった。
サハギンの周りに水の玉が浮いているのだ。
我が目を疑った。だが見間違いの類でも何でもないその水の玉は、徐々に大きくなり、人の顔ほどの大きさまで膨れ上がると同時にオウルベアに向かって打ち出された。
オウツベアは水の玉をマトモに受けてしまったようで、呻き声を上げて受けた胸元を抑えるように前足を添えていた。
水の玉が効くと判明したからか、サハギンは再度、水の玉を生み出し攻撃しようとした。しかしその初動を見てオウルベアは二足歩行から四足歩行に戻り、素早く横へ移動し水の玉を避けた。その素早さに着いて行けないのか、サハギンの水の玉は明後日方向に飛んで行く。
オウルベアが立ち止まり一つ鳴き声を響かせた。瞬間、オウルベアを中心に円を描くように風が流れる。まるで台風のように周囲の草葉や枝、石などを持ち上がり、小さな暴風圏が出来上がる。
それを見て脅威を感じたのだろう。サハギンは水の玉を作り出しては打ち込むが、その全てが暴風の壁に遮られオウルベアには届かない。
この時、サハギンが選択するべき行動は素早く身を翻し逃げることだったが、その行動に至れなかったサハギンは数秒後に自身の身を持って知ることになる。
オウルベアが暴風圏は周囲に乱立する木々すらも削りとるように、その牙を剥いていた。そしてサハギンが歯を鳴らし、何度目かの無駄な抵抗をしようとした時、オウルベアは空へ向かって鳴いた。
暴風内の石や枝が突然素早く流れだす。次の瞬間、空気が弾け、暴風に巻き込まれていた石等がオウルベアを中心に、周辺へ撃ちだされていた。
サハギンは逃げる間も、身を隠す事もできず、撃ちだされた石に穿たれ、枝葉に切り裂かれ、痙攣しながら血を吹き出し地面に倒れた。
オウルベアはサハギンが事切れたのを確認すると、死体を咥え、元きた道を帰っていった。
周辺に充満したサハギンの血のお陰か、はたまた食料が手に入った事で満足したのか、オウルベアは匠の存在に気づくことは無かった。
あまりの衝撃と不可思議な現象に頭の追いつかない匠はゆっくり100秒数え、オウルベアの気配がしないことを確認した後、戦いの跡から離れた場所で横になり、意識を手放した。
この森に来てから二日目の夜である。
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