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(仮題)理不尽の清算  作者: 月見窓
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第一話

初投稿。不定期更新。

 「……ほんと、理不尽だわ」






 そんな男の呟きは、夜の闇に消えていった。






 10月――肌寒くなる季節。毎年行われるこの催しは店に勤める者達によって開かれるお祭り騒ぎ……この男、矢野 匠の誕生日を祝うものである。


 矢野 匠が務めている店「ぼへみあん」は男色家の男達が務める、所謂「ゲイバー」である。




 矢野 匠の人生は良い物ではなかった。


 物心付いた時には両親は冷め切っており、目に映るのも嫌なのか匠を無視するのは日常茶飯事だった。唯一の救いは食事だけは作って置いてあったことだろう……。匠は両親の愛情を受けることが出来ずに育った。とても、とても歪に。

 学校へ行くようになってもその生活は変わらなかった。両親の話題が出ても話せず、愛されて居ないと判明してからは周りの子供達の反応は瞬間にして変わった。イジメだ。肉体的なイジメは殴る、蹴る、水を掛ける。それだけならばまだ耐えれた。

 だがあろうことか、子供に混じって教員の大人たちまで口々に罵り、蔑み、無視をした。精神的な口撃に匠の心はボロボロに成っていた。


 小学校へ入ってから数年、匠は両親の車に載せられ遠出していた。誕生日に「食事に行こう」と両親に告げられ、初めての外食に匠は心の奥で嬉しさが込み上げていた。


 (ああ……、まだ両親は自分の事を見ててくれている)

 今まで耐えて我慢してきて良かったと、匠は今日という日に感謝した。


 希望が絶望に……いや、希望などと言うものは最初から無かったのかも知れない。


 矢野 匠の人生は良い物ではなかった。



 両親は、あろうことか匠を路地に置き去り、帰っていった。精神の壊れる音がした10月10日、肌寒い風が凪ぐ匠の誕生日だった。



 両親に捨てられ、肌寒さに凍えているところをゲイバーの店長に拾われたのが10歳のとき。その後、「ぼへみあん」に務める男性達にも可愛がられて過ごし、数年間が過ぎていた。だがその中心にいる匠は常に警戒心と歯を剥き出していた。


 周りの男達はあれやこれやと手をつくし、必死になって匠を育てた。時には爪を、時には歯を、食事を持ち込む腕に立てられる。たまったものではなかった。それでも店長を中心に優しく接し続けた。その結果が実り、少しづつだが匠も普通に食事が取れる余裕が出てきていた。


 少しづつ心を開いていくがそれでも完全に信頼しきれたわけではないのだろう、匠は店の男達に対して少なからず一線を引いていた。だが出会いの凄惨な時期を見てきた男達にとってはそれでも許せた。いや、男達はそれでも良いと、まだマシだと笑って許したのだ。その対応が匠にとっては良い回答だったのだろう。少しずつだが会話する機会が増えていった。


 匠の歳も15となり、店の厨房を手伝うようになった。


 忙しい店長の代わりに家事を一手に引き受けた匠の掃除、洗濯、料理の技術はとても素晴らしいの一言で、気づけば店にいる男達の賄いを作るように成っていたのだから厨房を手伝うのも頷ける。


 気づけば、25歳。そして今日は10月10日。今日で26の誕生日。店は少し早めに閉め、誕生日を祝うために近くのコンビニで軽く買い物をし、店に帰ってから軽く軽食を作る予定だった。急いでいたため近道をしようと人気のない路地を通ったのが不運のだったのかもしれない。


 矢野 匠の人生は良い物ではなかった。



 背後から誰かが近づいてくる気配を感じていたが、人間を信じることの出来ない匠は後ろに居る気配に対して無視を決め込み、背後を振り返り確認すると言う行動を取ることはしなかった。もししていたならば……



 背後の人物が顔を歪めて涎を垂らし、右手にナイフを持って居る事実を確認出来たはずなのだ。



 匠は背後から突き飛ばされた。そして突き飛ばした相手に向かって憤りをぶつけようと立ち上がり、振り返るはずだった。だが体に力が入らず腕の力だけで体を起こすことも叶わない。それもそうだろう、背中側、肋骨のすぐ下を深々とナイフが刺さっていたのだから……。


 ナイフの無機質な冷たさと、漏れ出る自分の血液の熱さ、何が起こったのか……なぜ背中が痛いのか……衝撃を感じた背中に手を伸ばせば、手全体を覆うほどの真っ赤な血。背後からはヒュルルルルと、舌と歯の間から漏れるような息遣いだけが聞こえてきていた。


 匠は自分の半生を呪った。家では両親に、学び舎では周囲の子供と大人たち全員に、そして今は狂った男に……人生を壊されているんだと、自分の人生の半分は呪われているんだと。


 諦めていた。


 どうせ助からないのだろう、流した血の量が如実に表す現実に匠は――。





 ――憤りを覚えた。





 良くも悪くも匠は諦めていた。

「どうでもいいわ……」

 その時の匠の顔に表情はなかった。表情に出てないだけで、確かな怒りは存在していたのだろう。背中に感じていた冷たさも、熱さも、汚い息遣いも、何も感じなくなっていた。只々、有るのは怒りと背後の人間に対する復讐心だけだった。


 この時、既に匠の心は完全に壊れていたのかもしれない。


 力の入らなかった足に力が戻り、背中に刺さっていたナイフを引き抜いた。その拍子に噴き出した血を気にする様子もなく、振り返りざまに、目を見開いて驚きの表情に顔を歪めた男の肩に血塗れのナイフを力一杯刺し込んだ。狂った男の悪手は、刺した後の痛みに悶える匠の様子を楽しもうとその場に留まってしまったことだろう。


 狂った男は肩に刺さったナイフをそのままに、泣き叫びながらその場を去っていった。


 匠は追いかけようとした。だが目眩と同時に仰向けに倒れこんだ。体の感覚が抜けていき、心地良い眠気に襲われていく中、匠は誰ともなく呟いた。




 「……ほんと、理不尽だわ」




 ゆっくりと視界が黒く染まっていき、耳には遠くに誰かを呼ぶ声が届くが、それも次第に聞こえなくなっていく。


 ……矢野 匠の人生は良い物では……訂正しよう、匠の人生は凄惨なものだった。



 (せめて来世くらい、良い人生で有りたいわ……)



 そんな他愛のない願いと共に矢野 匠の意識は闇の中へ沈んでいった。





 もし神という存在が居るならば匠は恨むだろう。今までも、そしてこれからも(・・・・・)


 10月10日、今日は矢野 匠のもう一つの誕生日(・・・・・・・・)である。





読了ありがとうございます。

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