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破壊の種  作者: おにび三条
とある医者
12/52

11



 礼拝堂ではオールが石灰を固めた筆記具で床に陣を描く。

「ミーサさん」

 左右に片付けられた木椅子の山でふんぞり返るミーサは本を読んでいた。

「邪魔っした?」

「いいえ、そういうわけではなく」

 円形を描いているが歪んでいる。

「王族を恨んでいるはずのあなたがどうして私をアルスさんに紹介したのか…気になったのです」

 オールの背中をミーサは見つめた。昔話を掘り返しはじめた昔の知人。懐かしめる時間はあとわずか。

「…王族うんぬんの前に友人すよ?職業の業だか立場の業だか知らないすけど、責任を全うするためだけに生かされるの、ちょっと好けないかな」

 本に記された文字の羅列を目で追っても頭には入って来なかった。

「それに、恨んでない」

 オールは何か勘違いしているな、とミーサは思ったが口にはしなかった。オールはそれに対しては何の相槌も打たないのが、不満だった。

「ミーサさんは、」

 オールの言葉が続く前に遮った。ミーサにとってはくだらない問いを投げ掛けられる予感がしたからだ。

「あの時、手加減してくれてたんでしょ。制御も難しいくせに」

 あの時…、オールが頭を天井に向けた。穏やかな空が天井に描かれ、繊細な金の細工が飾られている。そこにミーサの差すものがあるのか。

「ああ。あの大きな鳥の…ああ、なるほど。だから3つも違う術を使うなどという無茶を…」

 オールは再び作業に戻る。腰を屈めて陣に必要な細部の意匠を描き足している。見本を必要としていない。

「それが答えなワケっす。碌な魔力がもうない」

 治癒術と補助魔法と召喚術。確かに無茶をしたという自覚はあったが、オールの魔力を補助するよりは容易かった。オールは魔力の制御が苦手なようだった。

「何も責めているつもりでは、ないのです」

 無職であることに対しての純粋な疑問をオールは投げかけようとしていた。

「ミーサさん」

「はぁい」

 空返事。礼拝堂の脇に小さく置かれた本棚に興味深い書があった。オールは特に咎めもせず、その空間にいることを赦す。

「アルスさんに、お前に思い出はないのかと訊かれました」

「ないんすか」

 オールは首を振る。後ろ姿だけだったが、おそらく表情はない。もうすぐ消えることになった途端、今になって惜しむのか。

「難病を克服する患者、大怪我を治し走り回る患者、後遺症を緩和する治療に励む患者、見るたびに成長していく生徒たち、卒業生、昇進していく同僚…思い出はたくさんあります」

 オールは大学教授だった、ようなミーサの認識の中にあやふやにある。セルーティアの名を隠し、別名義でやっている。気取った観光地にある病院の名もそうだった。

「ミーサさんの病気を治しきれなかったのは心残りですが」

 取って付けた文句なのか、本心なのかオールの胸中はミーサには分からなかった。大した病気でもなく来院したミーサを覚えていることにミーサは驚いた。

「いいよ、これは。治療放棄したのこっちだし」

 ミーサは、ははは、と乾いた笑い声を上げる。

「他にも…」

 他にもオールには世話になったことがある。遠い昔、ずっと昔だ。

「アルスさんに、患者の1人を助けていただいたのです」

 ミーサは興味無さそうに書に意識を戻し、適当に返事をする。盗み見たオールの姿は止まっている。描くのは飽きたのか。真面目な男だ。飽きたからといって途中で手を止めるということはないだろう。

「偶然でしたが」

 ぱき、とチョークが砕ける音がした。ミーサはその音で顔を上げる。また魔力が制御出来なくなったと言い出すのかと思った。一瞬駆け抜けた悪寒は通り過ぎて消える。ただ手に力が籠っただけらしかった。

「何か面白いことがあったとかではないのです」

 この男は泣かない。泣くように設計されていない。ミーサはオールの後ろ姿を見つめるだけ。

「楽しかったのです。アルスさんとセレンさんと半日だけれど、一緒に出歩けたのが。医者でも教授でもなく…個人的に接せられたのが。医者としての役目でも」

「オール」

「どれだけ犠牲になったと思っているんです。それで私が好き勝手に生きたら…報われないでしょう」

 ミーサの言わんとしていることを、オールは察していたらしい。チョークが磨り減る音がした。

「これでも悩んだのです。記憶か肉体か。ただで治るものではないことは、診た時にすぐ分かりました」

 ミーサは返事をしなかった。オールに罪がなくても、本人はそうは思わないだろう。そして犠牲者や遺族は。行き場のない、理屈では片付けられない怒りをオールに向けるしかない。

「久し振りに話せて、よかったです」

 両手を叩いて白い粉が舞う。陣は大きく歪んでいた。必要な図形と象徴する絵は何が描いてあるのか判別が難しい。診断書の隅に描かれた患部を示す図が下手だったのは随分と前に目にした光景だった。

「行きましょう。確か大臣にお呼び出しされていましたよね」

 その中にオールの名はなかったが。



 


 種上げの儀式の失敗は次期王への就任は不可能だということを意味する。精霊か、もしくはこの地がレーラを認めていないということだ。ガーゴンが冗談とは思えない顔で言い放った冗談やオールが冷たく言い捨てた、アルスが無理矢理に王位に就くということも、無理ではなかったが、その先に待ち受けるものが何であるかは、人知では測り知れない。

 アルスとセレンとミーサは小さな部屋へと集められた。ミーサは先に来ていた。

「オールは…、調子は?」

「順調にいってるみたいっす」

 アルスが気の抜けた笑みを向けてミーサに訊ねた。隣でセレンが不思議そうにミーサを見た。セレンと視線がかち合うと、わざとらしく明るく答えた。いつか分かることなんすよ。もっともこっちから言うつもりは微塵もないっすけど。アルスに昨夜、セレンにいうか否かを話し合って、そう告げた。

 ガーゴンはすぐにやって来た。時間厳守、即対応は何度も何度も城内に響き渡った教えだ。

「まずはレーラ様が世話になった」

 入室早々、ガーゴンは雑に座るミーサを軽蔑の眼差しで見下ろし、その口からは身の伴わない礼が出る。何の話しか分かりません、とばかりにミーサは受け取った視線をどこかへ流す。人と話す時は目を見ろ、と厳しく教わったアルスは内心ひやりとしてミーサを横目で窺う。

「アルス、セレン」

 ガーゴンの意識はミーサからアルスとセレンへ移る。冷たい手で突然首筋を撫でられたかのような反射が起きる。

「勝手に王都を抜け出すとはな。隠し通せるとよくも思えたものだ」

 アルスはぶるぶると首を振る。セレンは固まったままだ。他人事の説教に付き合わせるなと言わんばかりにミーサはぼけっとしていた。

「看護婦長は知っていたらしいな」

 空気が突然変わり、ミーサはまた意識を戻す。

「婦長は関係ありません。オレたちが独断で…」

「そうです!婦長は止めたんです…!でも…」

 アルスが噛み付かんばかりの勢いでガーゴンに詰め寄って反論する。セレンも負けじと声を荒げた。

「門番の話では、婦長は積極的にお前たちを送り出したようだが?」

 アルスが唇を噛む。

「自分たちの立場を自覚なさい。黙認そして事後報告。由々しき事態だ。厳罰に処す必要があるな」

 セレンがガーゴンを睨みつける。ガーゴンは挑発的にそれを受け取って、ミーサに投げた。

「城の者が…特別階級にある彼等がこの様子で、平民の君はどう思う?」

 侮蔑や軽蔑の意が存分に含まれていることを読み取れないほどミーサは鈍くはなかった。だがどうするのが正解なのか、そういった喧嘩っ早さは持ち合わせていない。感情的な王都の民とは違うのだ。ミーサは肩を竦める。

「どう…って…。城の中の話と平民の話だと訳が違いますよね。良くも悪くも」

 ガーゴンが片眉を上げる。気の利かない配慮にミーサは苦笑した。

「ミーサ・マグナリューといったか。偽名か。…胡散臭いな。普通の平民ではない―職無しの君に訊いたのは間違いだったな」

「ミーサちゃん…?」

「別に偽名ではありません。深く調べていただければ分かります…もしかしたら効力は切れているかもしれませんが」

 ガーゴンはミーサを一瞬、強く睨んだ。

「ただ、あの王都に入ってきた巨大な鳥を彼等は倒しました。大した被害も出さず、犠牲者も出さず。…民間の弓兵は来てくださいましたが…そうですね、わたくしの記憶では…ええ、いや、職無しのわたくしの口からは…」

「申しなさい」

「特別階級が何を指すのかは…申し訳ありません、わたくしの頭では分かりかねますが…城の方々の代わりに街を守る弓兵といえど平民を危険に晒すのは、少々思う所があります」

 アルスは冷え冷えした気分でミーサとガーゴンを見る。ミーサはいつになく真剣で、本気でへりくだっている様子がある。

「分かった、それは不問に処す。そして迅速な対応が出来るよう善処しよう」

 だがな、と続く。

「問題はこちらの方が大きい」

 ミーサが綺麗に後頭部へ纏めた髪を掻く。

「要塞を閉じた状態で、無断で部外者を連れてきたことだ」

「急を…要しましたし…」

 アルスが情けなく小声で答える。

「彼は王都から永久追放されているはずだ」

 アルスとセレンの、え、という声が重なる。ミーサは、まじか、と声にならない声が出た。セレンが顔を顰めている。

「厳密にいうと彼の今の名はオール・ピートンなのですが、それでもいけませんか?」

 ミーサがお洒落と芸術を気取った風変りな観光地にある病院名を思い出す。遠い昔に行ったきりで忘れかけていた。世を忍ぶ仮の名で過ごしていると風の噂で聞いたことがあった。地域によるが、オールもピートンもさして珍しい姓や名ではない。

「当然だ。要は同一人物だろう」

 あ~と落胆の声がミーサから漏れる。

「何か、本題があるのでしょう?」

 セレンが警戒心を隠しもしない声音で話を促す。ガーゴンがセレンに視線をやるとアルスが反射的にセレンの前に腕を出した。

「看護婦長の黙認は…不問だったな。ミーサ・マグナリュ―の偽名の件もどうやら疑わしいらしいな?」

 わざとらしい確認と問いかけにミーサはうんうんと頷いた。アルスとセレンはガーゴンを警戒している。

「だがオール・セルーティア乃至ないしオール・ピートンを王都へ入れたことは…混乱をもたらす。看過出来ない…手遅れのようではあったが」

 すでに医務室で医者や識者たちは混乱した。それを指しているらしい。

「それで、厳罰に処す、ですか」

 ミーサはガーゴンの言葉を借りる。厳罰とは何か、見当はつかない。死罪ではないらしい。それをありがたがるべきか。沈黙が流れた。ガーゴンは肯定も否定もしない。ただ無言だった。それは肯定に思えた。曖昧な脅迫ともとれる。

「オールがレーラのこと治すまで、待ってください」

 アルスが破る。

「お願いします」

 頭を下げた。セレンの眉間に皺が刻まれる。


「お願いします、ガーゴンさん。あと1日だけ、待ってください」

 返事をしないガーゴンに、アルスは膝を着く。セレンが戸惑っている。ミーサはそれを見ているだけ。

「お願いします、ガーゴンさん。厳罰とか何するか分からないですけど、全部、オレが受けますから」

 やはりガーゴンは何も返さなかった。セレンの表情が曇りはじめる。ただならないアルスの様子に何を思ったのかは分からない。

「お願いします。婦長の制止振り切って勝手に王都から出て行ったことも、オールのこと知らないで連れて来たのも、全部オレが勝手に、セレンとミーサちゃん巻き込んでやったことなんです、どうか明日まで…」

 頭を下げたままアルスはなおも黙ったままのガーゴンにそう懇願した。

「レーラ王子に庇ってもらえるとでも、思っているのか」

「ガーゴンさん!そんな言い方!」

 セレンの手がガーゴンめがけて飛んで、その腕は掴まれる。

「許せませんな」

 力強く掴まれたらしいセレンの顔が引き攣ったのを見て、ミーサは口を開いた。

「レーラ王子が庇う状況になるにはまずレーラ王子のご回復こそが先決。…王都は功労者を労わないのですな…これは、嘆かわしい事態ではございませんか。国の衰退に直結するのでは…?」

 ガーゴンの手がセレンを離れる。

「無生産者風情が分かった口を利く」

「内容によっては厳罰などいつでも処せますでしょう」

「ふん。もともとお前らを厳罰に処す気などない」

 死罪か。ミーサはぽかんと口を開けた。不敬罪で死刑という法律はミーサの知る限り無くなった。廃止にしたのは今3人の前にいるガーゴンなのだから。

「王子に代わり精霊の元へ行って契約を結び直して来い」

 アルスは頭を上げて、ガーゴンを見つめたまま動きが停止した。ミーサは言われたことを反芻する。

「精霊…って…」

 セレンがまず声を発した。

「召喚士が要るな…。ミーサくん、君は…」

「資格は持っておりませんので」

 遮るように答える。人の話は最期まで聞け。アルスならば叱咤が飛ぶだろう。

「ならばちょうどよい」

 ガーゴンの冷えた目が眇められる。ミーサの予想とは反していたが、言いたいことは分かってしまった。 

「ガーゴンさん!ミーサちゃんは平民で…っ」

「無生産者は王都に要らん。資格を持っていないのは好都合だ。潰す人材を惜しまずに済む」

 アルスはミーサを見た。セレンがきつくきつくガーゴンを睨みつける。

「死んでも構わない。そうおっしゃりたいんですね」

 セレンの双眸の奥が濁っていく。

「あの夜回りの屈強そうな将軍みたいな人は」

 医務室の帰りにすれ違った、陽気ながらも戦闘狂じみた雰囲気のある男を思い出す。

「ならん」

「なんで!」

 聞き分けの悪い人だというのはずっと前から知っていることだった。冷酷無比の鉄仮面。

「お前たちが行かねばならない」

 確実な方法をとらず、死んでも構わないという。ガーゴンの考えていることが分からない。

ていよく…王都から追い出したい?」

 ミーサがぽつりと言った。それは問うたのか、ミーサの解釈だったのか。

「厳罰というには将来が見込めない」

 ガーゴンの声がわずかに落ち着いたものへ変わる。ガーゴンにも緊張があったのだとこの時に3人は知った。

「免職だ」

「免職…」

「特別階級に免職も何もないが…」

 言い淀むガーゴンが珍しい。アルスとセレンは次の言葉を待つしか出来なかった。

「城に居られなくなる。王都で権利も保障できまい」

 アルスには、もう聞こえなかった。

「レーラ様が目覚めたところで、おそらく王位には就けないだろう。新たな派閥を生むことにはなるが、それも城内に留まる。すでに遠縁でも王族の嫡子を探しはじめている。民の反対はあるだろうな。だが…となるとアルス」

 肩を落とし、顔を上げられない。それをガーゴンは咎めることはない。

「お前の命も少々危うくなる。セレン、お前もだ」

「わたしも…?」

「レーラ様とアルスの幼馴染というだけでも危険因子に映ることだろう。それだけではない。過去に何があったにせよ太陽神の子の肩書は消えん。例の件で、失敗の原因はその所為だと難癖をつけられたら、命の保証は出来ない」

 見慣れた大臣の顔が別人のようだった。

「出て行きなさい。命有るうちに」

 それから、とガーゴンは続ける。

「言葉はきつくなったが、仮の資格証明を手配する。召喚士の協会にまで口を出されるのはつまらん」

 ミーサは髪を掻く。召喚士の組合に入られていると都合が悪いのだとはっきり言えばいい。退室していくガーゴンの気難しさと緊張感に大きすぎるほどの溜息を吐いた。

「…どういうことだった…?ごめん、聞いてなかった…」

 ふらふらと席に着くアルスの目は虚ろだ。

「王族の血を引く子を新しく王にして、そうなるとレーラ王子を王にしたい勢力と新しい王を迎えたい勢力で、内部で割れるけれども、儀式に失敗している以上は新しい王を迎えたい勢力が圧倒的に有利でそうなるとアルスさんやセレンさんは危険って話なのかと思わるっすね」

 ガーゴンの堅苦しく回りくどい説明をミーサは要約する。それもアルスは聞いているのか否か分からない。アルスは黙っていた。住むところがなくなる。全てが変わる。けれどそれは種上げの儀式の時に決めた覚悟とは大きく違う。

「出て行って、どうしろって…」

「精霊と契約を結び直す、それが終わるまではまだ役目があるってことすな。つまりはその間は今の立場がある程度は…」

「利用されるだけの、人生だったのかよ。分かってたけど…」

 ミーサはアルスを見ていられなかった。飼い殺されたも同然だ。まだ若いが、それでも10年と数年、彼は城の思うように育てられた。

「でもそれがオレの役目なら…。オールはすごいな、こんなことずっと背負ってたのかよ…ずっと」

 セレンの訝しんだ目をミーサは見逃さなかった。




 暗い部屋は紫の光りで明るく照っている。ベッドから運び込まれたレーラは、魔力を高めるために描かれた陣の中心に横たわっている。形式的には死体と変わらないが助かる見込みがある以上、オールの中では死体ではなかった。声にならない声でぶつぶつとオールは詠唱をはじめた。陣の外でレーラへ向けて手を翳す。強風が陣から巻き起こる。緋色の髪と蒼色の髪が大きく揺蕩う。両端に片付いた椅子やテーブル、本棚が軋み、揺れ。床は震える。天井の繊細な装飾が震動し、開いた古書は紙が暴走し捲れた音が耳触りだった。指先が透けはじめる。代償が記憶だけでは足らなかったか。肉体まで消えていくらしい。指先から手首まで大した時間もかからず、乾布を水に浸すのとほぼ変わらない様子で、衣服までをも喰らおうとしている。大きく開いた袖の奥でレーラの姿が見えている。

―――オール先生、ありがとうございます

―――オール教授、次のレポートの件なのですが…

―――思い出とかないのか

 ふと、以前に聞いた声、顔、風景が蘇る。いつの患者だか思い出せる。何の話しだか思い出せる。あると答えられる。他にも、歩けなくなると宣告された子どもを完治させたこと、栄転した同僚の表情、アルスに掴まれた肩の感触とその時見えた王都の風景。懐かしむ間もない風景、顔、声が思い浮かんでいく。魔力に変換されていく。記憶の波に呑まれていく。



―――セルーティア、相変わらず君は鈍臭いな



「そんなんじゃ、出世できないぞ」

 オールの唇がそう動いた。

 

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