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黒髪乙女とバンパイア  作者: 紗々
第三章
18/27

#18

「いいですけど、こんな夜中に何処へ出掛けるのです?」


「なあに、そう遠くはない。君に見せたいものがあるのだ」


「見せたいもの?串刺しになったままミイラ化した死体とか何かですか?」


「何故発想が物騒なのだ……。とにかく出掛けるとしよう」


「わかりました。ではお靴を歩きやすいものに履き替えてきますね」


「その必要はない」


 伯爵は小夜子を抱え上げると、そのまま窓の外に飛び立ちました。まるで鳥のように、ぐんぐんと風を切って満月の空を飛んでゆきます。


「伯爵様!伯爵様!」


「どうした?何か不都合でもあるのか?」


「いいえ。ただちょっと吃驚して。ああ凄い、私今、空を飛んでいるんだわ」


 吹き抜ける風が小夜子の髪を(なび)かせます。山の草木を揺らす夜の風は、鼻の奥を抜けるような匂いと共に伯爵と小夜子の頬を撫でました。

 ぐんぐん高く、ぐんぐん高く……。二人の影は満月へと近付いてゆきます。


「凄―い!こんなに高い。まるで下の景色がお人形の世界みたい!」


 伯爵に抱え込まれた小夜子の胸は、みるみる高まってゆきました。これは、こんなに高い空の世界を感じているから?それとも……。


 暫くの空中散歩を終え、伯爵は森を抜けた先にある小高い丘へと降り立ちました。

 ただでさえ人里離れた場所にある伯爵の城から、更に入り組んだところです。最早人の気配すら感じない、完全な秘境と言った感じです。


 今まで伯爵にしがみ付いていた小夜子を、そっと降ろします。


「随分と楽しんでいたようだな」


「はい!とっても!でもちょっと怖かったです。ふふふ、まだ心臓がドキドキしている」


 小夜子は小さな手で自分の心臓を押さえました。こうでもしないと、なんだか心臓が飛び出してしまいそうな気がするのです。


「伯爵様、此処は?」


 呼吸を整えながら訊ねます。


「見たまえ、この丘を」


 丘の上には無数の野薔薇が咲いていました。月の光を浴びて、白い花弁がキラキラと輝いています。

 夜風が吹く度、むせかえるような甘い香りを漂わせていました。


「素敵!」


 月光に輝く白い丘は、まるで夢の中の一ページを切り取ったかのような光景です。


「この場所は変わりないようだな。私が眠りにつく前から、この丘には野薔薇が咲いていたのだ」


「とても素敵な場所ですね。でも、どうして私を此処へ?」


「わからぬ。ただ君に、この場所を見せたいと思ったのだ」


「ふーん、伯爵様って案外ロマンチストなんですね」


「馬鹿にするのではない!」


「してませーん!」


 小夜子の笑い声が、夜風に乗って伯爵の耳を(くすぐ)ります。白い野薔薇と甘い香り、そして真っ黒い髪と服の小夜子。満月の下で、伯爵は不思議な光景を見ているような気がしました。憎まれ口ばかり叩く生意気な異国の少女が、この景色の中だとなんだか幻のようにも見えます。


「無暗に触れるのではない。棘があるぞ」


 野薔薇を摘み取ろうとする小夜子に、伯爵が注意を(うなが)します。


「野薔薇は可憐に見えて逞しい花だ。鋭い棘を持ち根元から刈り取られてもすぐに茎を伸ばして花を咲かせる。この強さは、どこか君に似ているような気がしてね」


「あら、強いだなんて言われても嬉しくないわ。女の子は弱い生き物ですもの。いつだってお姫様になりたいと思っているのよ。騎士(ナイト)にも見向きされないような強い女なんて、可愛くないじゃない」


 伯爵は笑いながら答えます。


「それは悪かった。全く君は面白い娘だ」


「私、芸人さんじゃないから面白いと言われても嬉しくはないんですけど!」


 むーっと膨れる小夜子を見て、伯爵はまだ笑っています。

 伯爵の言葉で少々ご機嫌を損ねた小夜子に、伯爵は優しく声を掛けます。


「美しいな、君の髪は。月明かりを浴びて黒髪が一層深く艶を放っている」


 伯爵の細い指が小夜子の髪を撫でました。


「綺麗なのは髪だけ?」


 伯爵はクスリと笑って答えます。


「そうだな。髪だけは一人前の貴婦人のようだ」


 普段は意地悪を言われている伯爵ですが、今回ばかりは反対に小夜子に意地悪を言っているようです。


「伯爵様ったら!私、折角こんな素敵なところに連れてきて貰って喜んでいたのに。レディに向かって随分と酷い事仰るのね!」


 小夜子のご機嫌が少々麗しく無くなってきたようです。伯爵は流石にこれ以上の意地悪を言うのはやめようと思いました。


「ははは、すまない。どうも私は君との会話を楽しんでしまっているようだ。私が何を言っても食って掛かる君が、つい面白くてね」


 小夜子はまた何か言い返してやろうと思いましたが、まるで少年のように楽しそうに笑う伯爵の顔を見て、つい言葉を飲んでしまいました。

 長い封印から目覚め能力の衰えた自身を悲観していた伯爵が、これ程楽しそうにしているのは多少たりとも自分のお蔭なのかな?と思ったからです。


「ま、いいわ。許してあげる。確かに伯爵様の仰る通り、私本当に美人じゃありませんから!」


 口をへの字にしてむすっと吐き捨てる小夜子の肩を、伯爵はそっと抱えました。


「すまない、先程言った事は謝ろう。それから一つ訂正する。君は美しい。髪以外もな……」


 伯爵の囁く声に、小夜子は一瞬魂を掻き乱されるような気持ちになりましたが、直ぐ気丈に答えました。


「お世辞がお上手ですこと!」


 口調は強気ですが小夜子の口元は嬉しそうに綻んでいます。


 月の光が小夜子と伯爵を照らします。甘い香りに包まれた真っ白い野薔薇の丘に、二つの奇妙な影がいつまでも浮かんでいました。

 いつものように冗談を言ったり笑いあったり……。それはなんて事無い馬鹿げた時間かもしれませんが、二人にとっては何故か落ち着くような、不思議な時間だったのです。


 白い花弁を散らしながら丘を駆ける小夜子の姿を、伯爵は眺め続けます。

 動く度に美しく靡く黒髪は、まるで何かの魔力を持つかのように伯爵の目を惹き付けました。

 何故こんなにこの少女に惹かれるのかは自分でも判りません。初めて会う異国の少女だから?初めて会う二十一世紀の人間だから?今迄出会った女性とはまるで異なる妙な性格の娘だから?

 理由は判りませんが、今目の前に居る美しい黒髪をした少女の姿を、いつまでもこの目に焼き付けておきたい。そんな気がするのです。


 伯爵はふと、目の前で踊るようにはしゃぐ小夜子の手を掴み取りました。

 小夜子は一瞬驚いたようですが、そのまま伯爵の手を取り握り返しました。


 何も言わず、ただ手を握って見詰め合うだけの二人。伯爵の意図は読めませんでしたが、少なくとも好意的である事は確かです。

 なんとなくおかしくなった小夜子は調子に乗って伯爵にこんな提案をしました。


「伯爵様、踊りませんこと?」


「馬鹿を言え」


「ふふ、やっぱり駄目ですか」


 小夜子が伯爵の手を離します。


「君がもう少し、一人前のレディになったら、いつか相手をしてやっても構わぬがな」


 照れ隠しとも思える伯爵の言葉は余りにも小さく、小夜子の耳に届いたかは定かではありません。

 この後も二人は、月光の丘で静かな時間を過ごしたのでした。

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