入学式の朝
「佳苗、早くしなさい。もう、母さん準備出来てるわよ。」
母の急かす声が家中に響いた。
「わかってるー。もう終わるから。」
佳苗はお洒落に普段はあまり気を配るタイプではないが今日は特別だった。
母に無理を言って買ってもらったヘアアイロンで髪を整えて真新しい制服に袖を通した。
「やっぱり、かわいいわ。この制服。」
佳苗は思わずぽろりと独り言をつぶやいた。
御坂学園は制服がかわいいと定評のある高校で佳苗の通う中学の女子の間では憧れの高校だった。
そこそこ勉強が出来ていれば入れるくらいの学校だったし、何より佳苗は平均よりもちょっと上ぐらいの成績を修めていた。
自分の学力と相応で制服が可愛けとなればその高校を選択しない理由はなく御坂学園を第一志望として担任に進路希望を提出した。
そもそも、高校に通うことは当然の流れなのだからあとはどの高校に通うかを佳苗自身が選ぶだけだ。
担任は佳苗が無謀な進路希望を提出した訳ではなかったから特に考え直せと説得するこもなかった。
それに、母は今まで佳苗のしたいことに口出しをしくるタイプではなかった。
余程のことがない限り自分の意見が通るとこが佳苗にはわかっていた。
御坂学園の受験は年明けすぐ面接があり、その翌月に学力試験と二通りの試験体制を取っていた。
さすがに、面接だけの試験では受からなかったが学力テストで晴れて合格して御坂学園への入学が決まった。
今日は佳苗が晴れて入学を決めた御坂学園の入学式だ。香苗が準備にもいつもより時間がかかっていたのはこの為だ。
御坂学園に自分が通うと思うと緊張するし、不安もあったが叶にとっては期待の方が大きかった。
佳苗は、自分なりに身なりを今まで以上に整えて真新しい制服の匂いを身体中いっぱいに吸い込んで母と家を出た。
佳苗の住む御影地区で毎年催される桜まつりが開催される。叶は幼い頃から桜まつりの会場の桜並木の風景が大好きだった。
「母さん、今年って桜まつりいつなの?」
佳苗は毎年見慣れている風景なのにどこか懐かしい気持ちになり思わず母に問いかけた。
「今年は、四月の一週目だったから今週じゃないかしら?」
母もうろ覚えの情報らしく明確な答えではなかったが叶も桜まつりに行きたくて聞いた訳ではない。
春になると毎年こんな会話をしているが桜並木を見ているとどうしても聞きたくなってしまうのだ。
母は出産してから女手一つで佳苗を育ててくれいた。
母は朝から晩まで仕事を掛け持ちしていて仕事が忙しく遠出もなかなか出来なかった。
それに佳苗は不満をあまり持ったことがなかったが、母なりの気遣いからかこの桜まつりだけは毎年欠かさずに連れて行ってくれた。
焼きそばの屋台の香ばしいソースの香り。
宝石のように煌びやかな動物をモチーフにしたガラス細工。
大好きだったアニメキャラクターの綿あめ。
その全てが佳苗の記憶の中から呼び起こされる。
中学に入ってからは部活の練習が休日の予定を埋めるようになってからは友人と過ごすことが増えて母とは今日までの三年間桜並木すら歩いていなかった。
「あれ?母さん鍵置いてきたかしら?」
母は鞄の中にある携帯電話を取り出そうとして鍵がないことに気がついたようだ。
「佳苗、悪いわね。戸締りしたかも不安だから一回母さん家に戻るわ。遅刻するといけないから叶は先に学校いってなさい。」
佳苗がわかったと返事をする前に母は駆け足で家へと向かって行った。
大抵、戻ったところで鍵はかかっている。母の取り越し苦労に終わるのにそれでも母は一度戸締りが気になったら家に戻らないと気が済まない性分だった。
幼い頃からの母と出掛ける度によくあることだから佳苗は特に気に留めることなく、母の言葉通り駅へ一人で向かった。
今日はどこも入学式なのか駅にはお洒落に着飾った親子、慣れていない真新しい制服に身を包んだ学生の姿と休日に出掛ける乗客が殆どだ。
休日に友人と遊ぶ時以外はあまり電車に乗らない佳苗にとってこれから毎日電車通学になるのもまた新鮮だった。
「まもなく3番線に急行御坂駅行きが参ります。黄色い線の内側でお待ち下さい」
無機質な女性の声がホームに響く。
御坂駅は終着駅で佳苗の最寄りの相楽駅から急行で五駅先で30分程で到着する。母とは駅では落ち合えそうになく佳苗はこの電車で先に学校へ行くことにした。
ホームの先に電車が見えてきた。
誰かが黄色い線をはみ出していたからか大きな音を鳴らして電車はホームに停車した。
佳苗は電車に乗り込んだ。
やはり、座ることは出来なさそうだ。
相楽駅で乗り込む人は大抵は御坂駅まで行く乗客だし、途中の谷中駅で他社線に乗り継いぐ以外に差し当たって降りるような駅もない。
大きな街へ送り届ける路線というより住宅街に住民を都会に送り込む足がかりの路線が御坂線というところだ。
電車が出発して暫くするとさっきまで母と眺めていた桜並木が電車の窓からも見えた。
「母は入学式までに間に合うだろうか。」
そんなことを考えていると電車から大きな異音がした。佳苗は電車に乗っていてこんな大きな音の異音を聞いたことがない。
大丈夫だろうかと佳苗が思った瞬間、その異音はすぐに乗客の悲鳴へと変わった。
電車が大きく傾いたのと同時に佳苗の視界は真っ暗になった。