メイドは怒りぷんぷん
騒ぎが収まり屋敷が完全に寝静まった頃合いを見計らう。
俺はこっそりと自室の窓枠に足をかけた。夜風に当たりたかったからだ。
決してあのウサギ耳のモコモコパジャマが暑苦しかったからじゃない。
いや少し暑いけどな。
見回りのメイドに見つからないよう息を潜めて外へ出る。
なんとか屋敷の裏庭に降り立つことに成功した。
紐パンよりはマシとはいえこのモコモコも結構動きづらい。裾を汚さないように極力つま先立ちで慎重に歩を進める。
これで泥だらけになって戻ったらあの妹にどんな魔法を撃ち込まれるか分かったもんじゃない。
庭を抜けると視界が開けたちょうどいい小高い丘があった。芝生が綺麗に刈り込まれている。
丘の頂上に立つと心地よい夜風が頬を撫でた。
火照った身体が冷やされていく。
悪くない気分だ。
深呼吸をして見知らぬ星空を見上げる。
魔力やら変態メイドやらで疲弊した精神が少しだけ癒される気がした。
ふと足元に視線を落とすと、手頃な長さの木の枝が落ちていた。
庭師が切り落としたものだろうか。
太さといい長さといい、絶妙なバランスだ。
見ているだけで掌が疼いてくる。
俺の戦士としての血が騒いだ。
気がつけば無意識のうちにその枝を拾い上げていた。
軽く振ってみる。
ブンッ。
鋭い風切り音が夜の静寂に響いた。
今の俺の身体はか弱い少女のものだ。
筋力も体力もない。
だが前世で何万回何十万回と繰り返した剣の型は魂に深く刻み込まれている。
足幅を決めてスッと腰を落とす。
自然と呼吸が細く、鋭くなった。
頭のウサギ耳が夜風に揺れるのも構わず俺は無心で素振りを始めた。
上段からの振り下ろし。
袈裟斬り。
水平斬り。
筋肉がない分だけ動きの無駄を極限まで削ぎ落とす必要がある。
腕力ではなく重心の移動だけで枝に威力を乗せるのだ。
ビュンッ!
ヒュンッ!
枝が空気を裂く音が連続して鳴り響いた。
楽しい。
純粋に楽しい。
魔力だの何だの理不尽な力が支配するこの家で剣を振るっている時だけが俺が俺でいられる時間だった。
ウサギの着ぐるみを着た銀髪の美少女が月明かりの下で完璧な剣の型を披露している。
客観的に見れば完全に狂気を感じるシュールな光景だろう。
だがそんなことはどうでもよかった。
夢中で枝を振るいながら俺は前世の感覚を少しずつこの新しい身体に馴染ませていった。
突如、夜風を切り裂く微かな音が鼓膜を打った。
殺気だ。
前世で幾度となく嗅ぎ取ってきた死の匂い。
俺は無意識に首を逸らした。
直後。
ヒュンッという風切り音と共に俺の頬の横を一本の矢が通り過ぎていった。
見切った。
身体は鈍っていても長年の勘は死んでいない。
俺は飛んできた方向へと鋭く視線を向けた。
闇の中に潜む射手を捉え意識をそちらへ向けようとしたその瞬間。
「な、んで」
声が漏れた。
俺の目の前に黒い影が立っていたのだ。
矢を放ったはずの敵がすでに間合いをゼロにまで詰めている。
縮地かよ。
いや純粋な速度だ。
月明かりに照らされて輪郭が浮かび上がる。
女だ。
黒い装束に身を包んだ小柄な女。
その異常なまでの速さに俺は絶望した。
前世の俺ならこれくらいの速度ならあくびをしながらでも対応できたはずだ。
だが今の俺は違う。
英雄と持て囃されたかつての自分が無性に恥ずかしく思えた。
だが俺は戦士だ。
やられっぱなしで終わるつもりはない。
俺は手に持っていた木の枝を強く握り直した。
相手は速い。
だが弓矢使いだ。
遠距離の専門家が剣の領域である近接戦に踏み込んできたんだ。
その判断の甘さを後悔させてやる。
俺は枝を剣に見立てて下段から思い切り斬り上げた。
だが、遅い。
思考に対して肉体の反応が絶望的に遅い。
「こんなものか?」
女の冷たい声が降ってきた。
「なんの!」
俺は吠えながらさらに枝を振るった。
当たらない。
女はふわりと木の葉のように身を翻し後方へ大きくジャンプした。
しまった。
弓矢使いに距離を取らせてしまった。
近接戦で仕留めきれなかった俺の痛恨のミスだ。
女が手にした弓が不気味な赤い光を放ち始めた。
魔力だ。
ただの物理攻撃じゃない。
矢に高密度の魔力を乗せている。
弦が弾かれる甲高い音が響いた。
一直線に俺の眉間を穿とうと迫る赤い凶星。
俺は全神経を集中させて枝を盾にした。
ガキィィィン!!
木の枝と矢がぶつかったとは思えない金属音が鳴り響いた。
なんとか軌道を逸らすことには成功した。
だが衝撃を殺しきれなかった。
少女の貧弱な腕と脚では耐えられない。
俺はバランスを崩し芝生の上に無様に仰向けに倒れ込んだ。
肺から空気が押し出される。
次の瞬間。
俺の腹の上に重みが乗った。
女が馬乗りになっていた。
「貴様には失望した」
感情の抜け落ちた声だった。
女の手には赤い矢が握られている。
そのまま俺の心臓目掛けて矢尻を振り下ろそうとした。
終わった。
二度目の人生は随分と短かったな。
ズガァァァン!!
横から閃光が走った。
俺を刺そうとした女の顔のすぐ横をすさまじい威力の魔術弾が通過していった。
「ちっ」
女が忌々しそうに舌打ちをする。
俺は魔術弾が飛んできた方向へ視線を向けた。
そこには一人のメイドが立っていた。
ペリウルスだ。
お茶会でのドジな姿も風呂場での変態的な顔もない。
「お嬢様に、何をしようとした……?」
地を這うような低い声だった。
完全にキレている。
周囲の空気が凍りつくほどの凄まじい殺気だ。
次の瞬間。
ペリウルスの姿がブレた。
消えたんじゃない。
速すぎるんだ。
さっきの女の速度すら凌駕する神速。
気づいた時にはペリウルスは女の背後に立ちその顔面に手を鷲掴みにしていた。
掌に圧倒的な魔力が収束していく。
ゼロ距離で魔術をぶっ放す気だ。
頭が吹き飛ぶぞ。
「殺すのは辞めろ!」
俺が叫ぼうとしたその時だった。
女が俺に向けて何かを弾き飛ばした。
暗器だ。
鋭い刃物が俺の喉元に向かって一直線に飛んでくる。
あ、死ぬのか?
前世の動体視力は眼前に迫る死をくっきりと捉えていた。
だが身体は到底追いつかない。
死を覚悟して目を閉じた瞬間。
ガチンッ。
硬質な音が響いた。
目を開けると目の前にペリウルスの背中があった。
女の顔面を掴んでいたはずの彼女が瞬きする間に俺の盾になっていたのだ。
彼女の指の間には俺の命を奪うはずだった刃物が挟まれている。
素手で白刃取りをしたのかよ。
「大丈夫ですか!?お嬢様!」
ペリウルスが血相を変えて俺を振り返る。
「大丈夫だ」
俺が掠れた声で答えると女は夜の闇に溶け込むように後退した。
「邪魔者めが……」
女はそれだけ言い残し音もなく姿を消した。
静寂が戻った丘には折れた木の枝とへたり込む俺そして心配そうに俺の顔を覗き込む最強の変態メイドだけが残された。




