パジャマ論争と空飛ぶ兄
「さあアリスお嬢様!お風呂の時間ですわ!汗を流してサッパリしましょう!」
「いや待て。一人で入れる。一人で入らせてくれ」
「何を仰いますか!病み上がりの身体で事故でもあったら大変です!私がお背中も何もかも全てピカピカに磨き上げて差し上げます!」
抵抗は無駄だった。
俺はペリウルスに小脇に抱えられ浴室へと連行された。
このメイド腕力がゴリラだ。元英雄の俺が本気で暴れてもびくともしない。
俺の剣技は身体能力に依存する。今のこの筋肉のない少女の身体じゃ技術があってもパワーで押し切られる。
情けねえ。
風呂場での攻防戦はわずか三秒で決着した。俺は観念して浴室の椅子に座らされた。だが俺には最後の砦がある。
目だ。目は絶対に開けない。
中身が男である以上女性の裸を見るわけにはいかない。これは騎士道精神であり俺の最後の一線だ。
俺は親の敵のように瞼を固く閉じた。
視界を闇に閉ざす。
これなら風呂に入ってもセーフだ。
何も見てないんだからノーカンだ。
「あらあらお嬢様ったら。そんなに怖がらなくても大丈夫ですわよ」
頭上から甘い声が降ってくる。
温かいお湯が頭にかけられた。
ペリウルスが俺の髪を優しく洗い始める。
その指使いは驚くほど丁寧だ。
だが俺の頑なな態度を彼女は盛大に勘違いしたらしい。
「シャンプーが目に入るのが怖いのですね?可愛らしいこと!ふふっ赤ちゃんみたい!」
「ち、違う……」
「いいこいいこ。痛くないですからねー。おめめ瞑ってて偉いですねー」
屈辱だ。
元英雄が赤子扱いされている。
だが否定して目を開けるわけにはいかない。
俺は「んぐぐ」と呻きながらひたすら耐えた。
シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。
ペリウルスの楽しげな鼻歌が聞こえる。
地獄のような天国のような時間が過ぎようやく洗髪が終わった。
「さあ綺麗になりましたよ。湯船に浸かりましょうか」
身体を流され立ち上がるように促される。
俺は依然として目を閉じたままだ。
ペリウルスに手を引かれて歩き出す。
だがそれが失敗だった。
浴室の床は石造りで濡れている。
視界のない状態で歩くにはあまりにも危険だった。
ツルッ。
足が滑った。
浮遊感。
やばい。
「あっ!危ない!」
ペリウルスの叫び声。
俺の身体が宙に浮く。
反射的に俺はカッと目を見開いた。
受け身を取らなきゃ死ぬ。
そう思った瞬間視界に飛び込んできたのはペリウルスだった。
俺を支えようと手を伸ばしている。
終わった。
見てしまった。
俺の騎士道精神がここで死……。
「……は?」
時が止まった。
俺を抱き止めたペリウルスの姿。
そこには一切の肌色はなかった。
いや顔とか腕は出てるが重要な部分は完全に隠されていた。
バスタオルだ。
彼女は身体にバスタオルをガッチリと巻き付けていたのだ。
しかもかなり分厚い生地だ。
鉄壁かよ。
てっきり全裸で付き合ってくれるもんだと思ってた俺が馬鹿みたいじゃねえか。
「きゃあ!お嬢様大丈夫ですか!?どこかぶつけませんでしたか!?」
彼女は顔を真っ青にして俺の身体をぺたぺたと触って確認している。
俺は呆然と彼女のタオルを見つめたまま脱力した。
んだよ。
最初から目を開けてりゃよかった。
ペリウルスは本当に鋼鉄のようなバスタオルを巻いたまま湯船に入りやがった。
そこまで徹底するなら最初から別々に入ればよかっただろ。
濡れたタオルが肌に張り付く感触とか気持ち悪くないのか。
こいつの感性は理解不能だ。
俺たちは風呂から上がり脱衣所に置いてあった服を適当に着て部屋へ戻ることにした。
俺が手に取ったのは少しサイズの大きいシンプルなシャツだ。
誰のか知らんがフリフリのドレスよりは百倍マシだ。
廊下を歩いていると前方から怒号が聞こえてきた。
「だから!それは露出が多すぎるって言ってるの!この変態!」
「何を言うんだアルシェリナ!これは芸術だ!アリスの美しさを最大限に引き出す至高のデザインだぞ!」
またかよ。
アルフレッドとアルシェリナだ。
二人は俺のパジャマについて熱い議論という名の喧嘩を交わしていた。
アルフレッドが手に持っているのは布面積が極端に少ない……あれは紐か?
紐だ。
どう見てもただの紐だ。
あんなのを着せられてたまるか。
俺は関わり合いになりたくなくて柱の影に隠れてやり過ごそうとした。
だが。
「まあ!なんて素敵な紐パンツ!旦那様お目が高いですわ!」
ペリウルスが叫んだ。
そして猛ダッシュで議論の輪に飛び込んでいった。
嘘だろ。
お前そっち側かよ。
主人の性癖を肯定するメイドがいてたまるか。
俺の静止も虚しくペリウルスの乱入によって俺の存在もバレた。
二人の視線がこちらに向く。
「あ……」
気まずい。
俺は柱の影から逃げ遅れた子猫のように縮こまった。
アルシェリナが俺を見て目を丸くした。
「あら?」
彼女はスタスタと近づいてきて俺のシャツを摘んだ。
「あんた。それ私の部屋着なんだけど」
あ。
これ妹のだったのか。
通りでサイズ感が微妙に合うわけだ。
というか勝手に着てごめんなさい。
怒られるかと思って身構えたがアルシェリナは不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。
「まあいいわ。どうせ捨てようと思ってたし。でも勝手に着た罰は受けてもらうわよ」
彼女はアルフレッドの手から何かをひったくると俺に突きつけた。
「罰として今日はこれを着なさい。さっきの紐よりはマシだから」
彼女が持っていたのはモコモコの生地でできた着ぐるみのようなパジャマだった。
フードにはウサギの耳がついている。
可愛らしい。
可愛らしすぎる。
だが紐よりはマシだ。
俺が安堵して受け取ろうとした時アルフレッドが口を挟んだ。
「おや?それはさっき君が『あざとすぎて吐き気がする』とか『こんなの着て喜ぶのは媚び売りの天才だけだ』って散々罵倒して拒絶してたやつじゃないか?」
一瞬の静寂。
アルシェリナの顔が沸騰したように赤くなった。
「う……嘘をつくなぁぁ!!」
「いや本当のことだろ?なんだ。実はアリスに可愛い服を着せたかったのか……」
「黙れぇぇぇ!!」
アルシェリナが右手を突き出した。
掌に凶悪な魔力が収束する。
「天魔の鉄槌!!」
ドォォォォォン!!
爆音が廊下に響き渡った。
アルフレッドの身体がボールのように吹き飛んだ。
彼はきりもみ回転しながら廊下の彼方へと消えていく。
壁を二、三枚ぶち抜く音がした。
やりすぎだろ。
照れ隠しで兄を殺すな。
廊下に土煙が舞う中たまたま通りかかった別のメイドが吹き飛んだアルフレッドを見て足を止めた。
彼女はゴミを見るような目で一瞥し吐き捨てるように言った。
「あらあら。旦那様ったらまた床のシミになっておられるのですか?お掃除の手間が増えるので窓から飛び出してくださればよかったのに」
辛辣すぎる。
この屋敷の使用人は全員主人を何だと思ってるんだ。
「......ぴょんぴょん」
俺はウサギ耳のパジャマを握りしめたまま遠い目をするしかなかった。




