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伯爵はヒエラルキーの最下層なのだ

「大丈夫?怪我はしていないかい?」


 さっきまで妹と殺し合いを演じようとしていた男とは思えない切り替えの早さだ。

 アルフレッドは瞬時にキラキラとした王子様モードに戻っていた。

 その笑顔は国宝級だ。

 差し出された手は白く美しい。

 普通の女ならこれでイチコロだろう。

 だがこのメイドは違った。


「あ、はい。大丈夫です」


 塩対応だ。

 彼女はアルフレッドの手を無視して立ち上がった。

 埃を払う動作すらしない。

 割れたカップも濡れた絨毯も放置だ。

 彼女の目は一直線に俺……いやアリスに向けられていた。

 アルフレッドが虚空を掴んだまま固まっている。

 シュールな光景だ。

 メイドはベッドの端までダッシュで駆け寄ってきた。

 その勢いに俺は思わずのけぞる。


「アリスお嬢様!お目覚めになられたんですね!?」


 近い。

 顔が近い。

 さっきまで床に頭を擦り付けていた女と同一人物とは思えないテンションだ。

 彼女は俺の手を両手で包み込んでキラキラした瞳で見つめてきた。


「はぁ……なんて可愛らしいんでしょう……!まるで天使!いや妖精!この透き通るような肌!宝石のような瞳!長い間眠っていたとは思えないほどの美しさですわ!」

「あの...どうも」


 俺が引き気味に答えても彼女の興奮は止まらない。

 むしろ加速していく。


「見てくださいこの睫毛(まつげ)の長さ!マッチ棒が三本は乗りますよこれ!それにこの髪の艶!最高級の絹糸も裸足で逃げ出すレベルです!」


 褒め殺しかよ。

 マッチ棒って例えはどうなんだ。

 だが悪い気はしねえな。

 前世じゃ筋肉とか傷跡しか褒められたことなかったからな。


「そうだろう?そうだろうとも!」


 復活したアルフレッドが横から割り込んできた。

 彼は得意げに胸を張って俺の頭を撫で回す。


「アリスの可愛さは世界遺産レベルだからな。特にこの鼻筋のラインを見てくれ。芸術品だろう?それにこの頬の柔らかさといったら……」


 彼は熱っぽく語り始めた。俺のほほをもちもちするのはやめてくれ。

 長くなりそうだ。

 妹自慢が始まったら止まらないタイプか。

 俺はどう反応していいか分からず曖昧に笑うしかない。

 だがメイドは強かった。


「はいはい旦那様はちょっと静かにしててくださいねー」

「えっ」


 手でシッシッと追い払うような仕草だ。

 雑すぎる。

 飼い犬に対する扱いより酷いぞ。

 アルフレッドはショックで口をパクパクさせている。

 メイドはそんな主人など意にも介さず再び俺の手を握りしめてうっとりとしていた。


「ああ……本当にお可愛らしい……!今日から私が専属でお世話させていただきますからね!着せ替え人形のように着飾って差し上げますわ!」


 このメイドも大概だな。

 俺の周りには変な奴しかいないのか。

 ふと部屋の隅を見るとアルシェリナが壁に寄りかかって冷めた目で俺たちを見ていた。

 その目は明らかにこう言っている。

『ご愁傷様』と。


「私の名前はペリウルスと申します。以後お見知り置きを」


 ペリウルス。

 変わった名前だ。

 彼女はスカートの裾をつまんで優雅に、いわゆるカーテシーを決めた。

 さっきまで床で土下座して泣き喚いていた人物と同一とは思えない切り替えの早さだ。

 この屋敷の人間はどうなってるんだ。

 情緒がジェットコースター並みに不安定すぎる。

 それにしても気になるのはこのメイドと伯爵の距離感だ。

 普通使用人ってのは主人の前じゃもっとこう萎縮してるもんじゃないのか。

 ペリウルスはアルフレッドを無視するどころか邪魔だと言わんばかりに尻で突き飛ばして俺の前に陣取っている。

 アルフレッドもそれを咎める様子がない。

 むしろニコニコと見守っている。

 どうやらこの屋敷じゃこれが通常運転らしい。

 規律とか上下関係とかそういう概念は窓から投げ捨てたようだ。

 俺が呆れている間にペリウルスは部屋のクローゼットを勢いよく開け放った。


「さあアリスお嬢様!まずはその病院着のような寝巻きを脱ぎ捨てましょう!新しい人生の始まりですわ!可愛らしいお洋服がたくさんありますのよ!」

「ちょ、ちょっと待って」

「待ちません!時間は有限です!さあこれなんてどうでしょう!フリルたっぷりのワンピース!ピンク色が白い肌に映えますわよ〜!」


 有無を言わさぬ勢いだ。

 俺は抵抗する間もなく着替えさせられた。

 抵抗しようにもこの貧弱な腕力じゃメイド一人にすら勝てない。

 屈辱だ。

 元英雄の俺がなすがままに服を剥ぎ取られフリフリの布切れをあてがわれている。

 鏡の前に立たされた俺は絶句した。

 そこに映っていたのは完全に「お人形さん」だった。

 淡いピンク色のドレス。

 ふんだんに使われたレースとリボン。

 スカート丈は膝上で動くたびにふわりと揺れる。

 スースーする。

 落ち着かない。

 前世じゃ鉄の鎧か革の防具しか身につけてこなかった俺だ。

 こんな防御力ゼロの布切れ一枚でどうしろってんだ。

 恥ずかしさで顔から火が出そうだ。

 俺は無意識のうちにスカートの裾を握りしめて内股になっていた。


「うぅ……これ……短くないか?」


 上目遣いで訴えてみる。

 ペリウルスは鼻血が出そうな顔で親指を立てた。

 その横からスッと影が落ちる。

 アルフレッドだ。

 彼は俺の前に片膝をついて視線の高さを合わせた。

 近い。

 吐息がかかる距離だ。

 整いすぎた顔が目の前にある。


「アリス」


 甘い声だ。

 脳がとろけるようなバリトンボイス。

 彼は私の頬に手を添えて愛おしそうに目を細めた。


「似合ってるよ。まるで春の女神が舞い降りたようだ」


 囁き声が耳朶を打つ。

 背筋がゾクゾクした。

 なんだこの破壊力は。

 中身はおっさんの(わたし)でも心臓が跳ねたぞ。

 これ普通の女子なら失神してるレベルだ。

 イケメン無罪とはよく言ったもんだがこいつの場合は有罪だ。

 私が顔を真っ赤にして固まっていると横から鋭い視線が突き刺さった。

 ペリウルスだ。

 彼女は面白くなさそうに頬を膨らませていた。

 明らかに嫉妬……いや独占欲か。

 自分の作品に手を出された職人のような顔をしている。


「むぅ……旦那様はお嬢様に近づきすぎです。お嬢様が(けが)れます」

「ひどい言い草だなペリウルス。僕はただ真実を述べたまでだよ」

「その顔でその声でその距離感は反則です。お嬢様には刺激が強すぎます」


 ペリウルスはアルフレッドをジロリと睨みつけたあと俺の姿を上から下まで眺め回した。

 そして何かを閃いたようにポンと手を打つ。


「そうですわ!露出が多すぎるのがいけないのです!旦那様の魔の手からお嬢様を守るためにもっと鉄壁の守備を誇るあのお洋服を持ってきましょう!」


 彼女はそう叫ぶと再びクローゼットの奥へとダイブしていった。

 鉄壁の守備。

 嫌な予感しかしない。

 まさかフルプレートアーマーでも持ってくる気か。落ち着くといえば落ち着くのだが、この容姿では着たくない。

 いやこのメイドのセンスなら着ぐるみとかそういう斜め上の可能性もある。


「お待たせいたしました!これぞ鉄壁の守備!最強の布陣ですわ!」


 ペリウルスが自信満々に掲げたのは一見すると露出の少ない純白のロングドレスだった。

 首元まで詰まった襟。

 手首まである長い袖。

 足首まで完全に隠れるスカート。

 なるほど確かに肌の露出面積はゼロだ。

 さっきのミニ丈ワンピースとは真逆の清楚なデザインに見える。

 だが素材が問題だった。

 向こう側が透けて見えるレベルの極薄レース地だ。

 これ着てないのと変わらねえだろ。

 いやむしろ隠している分だけ想像力を掻き立てる最悪の兵器だ。

 男の性を知り尽くした悪魔の発想だ。


「えっ」


 思考する間もなかった。

 視界がブレたかと思った瞬間には俺の身体はこの破廉恥な布に包まれていた。

 早すぎる。

 前世で英雄と謳われた俺の動体視力でも追えなかった。

 このメイドただ者じゃねえ。

 着替えの速度が音速を超えてやがる。

 俺は呆然と鏡を見た。

 そこに映るのは白い霧を纏ったような姿の自分。

 肌色が透けている。

 もはやこれは服というより包装紙だ。

 こんな格好で外を歩いたら即捕まるレベルだ。


「ど、どうだ……?」


 恐る恐るアルフレッドの方を見る。

 彼は石像のように固まっていた。

 瞬きすらしていない。

 視線は俺の全身に釘付けだ。

 顔が赤いとかそういう次元を超えて蒼白になっている。

 限界突破したパソコンみたいにフリーズしていた。


「あ……ふ……」


 何かを言おうとして口をパクパクさせた。

 次の瞬間。

 ドサッという重い音が響いた。

 アルフレッドは白目を剥いて床に倒れていた。

 気絶した。

 刺激が強すぎて脳の許容キャパシティを超えたらしい。

 イケメンの死に様としてはあまりにも情けない。

 鼻からツーっと赤いものが流れているのが見えた。


「ふふん。私の勝ちですわね」


 ペリウルスは倒れた主人の死体を見下ろして勝ち誇った笑みを浮かべている。

 その顔は完全に勝者のそれだ。


「旦那様ごときではこの『聖女の誘惑・改』の破壊力には耐えられませんわ。これでお嬢様に触れることは不可能です。触れる前に死にますから」


 なるほど。

 鉄壁の守備ってそういう意味かよ。

 物理防御じゃなくて精神攻撃で敵を無力化する作戦か。

 近づく者をそのあまりの刺激で即死させる防衛システム。

 理には適ってるが人道的にはアウトだろ。

 俺は床に転がるアルフレッドと仁王立ちするペリウルスを交互に見て深い溜息をついた。

 この屋敷にはまともな人間が一人もいねえ。


「あーあ情けない」


 呆れたような声が部屋の隅から聞こえた。

 アルシェリナだ。

 彼女はコツコツとヒールを鳴らしてこちらへ歩いてくる。

 その進行方向には気絶したアルフレッドが転がっていた。

 避けるか。

 そう思った俺が甘かった。


 グシャッ。


 鈍い音がした。

 踏んだ。

 迷いなく兄の腹をヒールで踏みつけて通過しやがった。

 アルフレッドが「ぐふっ」と空気を吐き出す音が聞こえたが彼女は目もくれない。

 絨毯のゴミでも跨ぐような自然な動作だ。

 酷すぎる。

 だが彼女は気にする様子もなく俺の目の前で立ち止まった。

 冷ややかな視線が俺の足先から太腿そして胸元へと這い上がってくる。

 値踏みだ。

 市場で家畜を見るような目が俺の全身を舐めるように観察していく。

 そして俺の顔で視線が止まった。


「……悪くないじゃん」


 ニヤリと口角が吊り上がる。

 悪い顔だ。

 整った顔立ちが歪んで悪魔のように見えた。

 その言葉に含まれているのは称賛じゃない。

 玩具を見つけた子供のような嗜虐的な響きだ。

 カチンときた。

 元英雄の俺をナメるなよ。

 俺は精一杯の虚勢を張って睨み返そうとした。

 だが。


「っ……」


 身体が動かない。

 視線が合った瞬間さっきの記憶がフラッシュバックした。

 あの圧倒的な魔力の奔流。

 物理的な暴力よりも遥かに恐ろしい純粋な「力」の差。

 本能が警鐘を鳴らしている。

『こいつには勝てない』と。

 ガチガチと奥歯が鳴った。

 膝が笑う。

 情けない。

 心は戦士でもこの幼い身体は恐怖を完全に学習してしまっている。

 俺の震えを見てアルシェリナは満足そうに喉を鳴らした。


「ふふっ」


 愉悦だ。

 怯える獲物を見る捕食者の笑みだ。

 彼女は俺への興味を失ったように視線を外し後ろに控えていたペリウルスの方を向いた。


「いい仕事ねペリウルス。あいつの趣味よりずっといいわ」

「ありがとうございますアルシェリナ様!お褒めに預かり光栄の極みでございます!」


 ペリウルスが深々と頭を下げた。

 おい待て。態度が違いすぎるだろ。

 さっきのアルフレッドに対する塩対応はどこへ行ったんだ。

 声のトーンからして違う。

 最大限の敬意と忠誠心が滲み出ている。

 完全に服従のポーズだ。

 アルシェリナは鷹揚に頷くと再び気絶した兄を踏みつけて部屋を出て行った。

 残されたのは震える俺と恍惚とした表情のメイドそして白目を剥いた家主だけだ。

 理解した。

 この屋敷のヒエラルキーの頂点は間違いなくあの妹だ。

 そして最下層は……あそこで踏まれてる兄貴だ。




「チッ……本当に手のかかる兄貴だこと」


 アルシェリナは心底面倒くさそうに吐き捨てた。

 彼女は未だ倒れているアルフレッドの頭を爪先で小突く。

 反応がない。

 完全に気絶している。

 彼女は大きく溜息をつくと屈み込み兄の耳元で小さく囁いた。


覚醒せよ(エゲルシス)


 世界がひっくり返ったかと思った。

 まるで爆発だ。

 音のない爆発が部屋の中で起きた。

 さっきの喧嘩の魔力が小川のせせらぎだとするなら今のは大津波だ。

 濃密すぎて質量すら伴った魔力の塊が空間を埋め尽くす。

 息ができない。

 肺の中の空気まで魔力に置換されたような錯覚。

 ただの魔法じゃないのかよ。

 なんでただ人を起こすだけでドラゴンでも殺せそうな魔力を放出する必要があるんだ。

 視界が白く染まる。

 俺の貧弱な身体は限界を迎えていた。

 膝から崩れ落ちる。

 床に激突する痛みすら遠い。

 薄れゆく意識の中で俺は思った。

 この家……絶対に長生きできねえ……。


 


「アリスお嬢様!お気がつかれましたか!?」

「アリス……!よかった……!」


 また知らない天井だ。

 いやさっき見た天井だ。

 重い瞼を開けると視界いっぱいに心配そうな顔が二つ並んでいた。

 ペリウルスとアルフレッドだ。

 ペリウルスは涙目で俺の手を握りしめている。

 アルフレッドも悲痛な面持ちで覗き込んでくる。

 だが俺の目は彼のある一点に釘付けになった。


「……その顔どうしたんですか?」


 アルフレッドの美しい顔面が変形していた。

 右頬が赤黒く腫れ上がり口角が切れている。

 どう見ても殴られた跡だ。

 しかも拳の跡がくっきり残るほどの全力パンチだ。

 俺が指差すと彼はバツが悪そうに視線を逸らした。

 部屋の隅を見る。

 そこには腕を組んで壁に寄りかかるアルシェリナがいた。

 彼女もまた気まずそうに顔を背けた。

 あとで聞いた話だが事の顛末はこうだ。

 俺が倒れた瞬間アルシェリナは激しく動揺したらしい。

『私の魔力で死んだ!?』と焦った彼女は一瞬自分を責めかけた。

 だがそこは最強の妹だ。

 即座に思考を切り替えた。

『そもそも私が魔法を使わなきゃいけなかったのは兄貴が気絶したせいだ』

『つまりアリスが倒れたのは兄貴のせいだ』

 という凄まじい論理の飛躍を展開したのだ。

 結果。

 目覚めた瞬間のアルフレッドは理不尽な鉄拳制裁を食らい顔面を破壊された。

 完全な八つ当たりだ。

 被害者なのに加害者にされた兄貴。

 俺は心の中でそっと手を合わせた。

 強く生きてくれお兄様。


 案内された食堂は広かった。

 高い天井にはシャンデリアが煌めき壁には名画が飾られている。

 いかにも貴族の食事処といった風情だ。

 だが光景は異様だった。

 長いテーブルにはすでに料理が並べられている。

 そして席についているのはアルフレッドとアルシェリナだけではない。

 ずらりと並んだメイドたちが当たり前のように席に座っていた。

 総勢十名はいるだろうか。

 全員がカトラリーを手にスタンバイしている。

 俺が部屋に入ると一斉に視線が集まった。

 怖い。

 圧がすごい。

 俺は思わず後ずさりそうになった。

 ペリウルスが背中を押す。


「さあアリスお嬢様!こちらの席へ!私の隣ですわ!」


 強制的にペリウルスの右隣に座らされる。

 左隣には頬を腫らしたアルフレッド。

 正面には無表情で肉を切り分けるアルシェリナ。

 そしてその周りを囲むメイド軍団。

 なんだこの配置は。

 公開処刑か。

 使用人が主人と同じテーブルで食事をとるなんて聞いたことがない。

 この家の常識はどうなっているんだ。


「さあ召し上がれ。今日はアリスのお目覚め祝いだ」


 アルフレッドが口を開く。

 腫れた頬が痛むのか少しモゴモゴしている。

 出された料理に目を落とす。

 元戦士の俺は絶対にお目にかかれない代物ばかりだ。

 メインディッシュは『火吹き竜(ファイアドレイク)の尾のステーキ』だ。

 まだパチパチと火花が散っている。

 付け合わせは『歌うマンドラゴラの素揚げ』。

 耳を澄ますと微かに悲鳴のような音が聞こえる気がする。

 スープは『月光茸のポタージュ』。

 青白く発光していて暗闇でも本が読めそうだ。

 魔境のゲテモノ料理かよ。

 だが匂いは悪くない。

 俺は恐る恐る一番安心感のあるステーキにナイフを入れた。


「……」


 視線を感じる。

 俺が一口食べるたびに周囲のメイドたちが固唾を呑んで見守っているのだ。

 ペリウルス以外のメイドは顔も名前も知らない。

 みんな一様に整った顔立ちをしているが無表情で怖い。

 喉を通りにくいことこの上ない。

 緊張でフォークを持つ手が震える。

 カチャリと食器が鳴っただけで全員がビクリと反応する。

 居心地が悪すぎる。

 逃げ出したい。

 そう思った時だった。

 斜め正面に座っていた黒髪のメイドが口を開いた。


「あの……お口に合いますか?」


 おずおずとした問いかけだった。

 俺はビクッとして顔を上げる。

 彼女は恥ずかしそうに頬を染めていた。


「え、あ、はい。美味しい……です」


 答えると彼女はパァっと表情を明るくした。


「よかった!それ私が捕獲してきたんです!火吹き竜(ファイアドレイク)って鮮度が命だから切り落とすのに苦労して!」


 捕獲。

 今サラッと言ったな。

 このメイド料理人じゃなくてハンターかよ。

 それを皮切りに(せき)を切ったように他のメイドたちも口を開き始めた。


「お嬢様!甘いものはお好きですか?デザートには『極楽鳥の卵プリン』がありますよ!」

「お花は何がお好きですか?庭の『人食い花』がちょうど見頃なんです!」

「剣術には興味ありますか?よければ食後の運動に手合わせしましょうか?」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

 内容は物騒だが声色は明るく好意的だ。

 どうやら彼女たちは俺を監視していたわけじゃなく興味津々だったらしい。

 俺が戸惑いながらも一つ一つ答えていくと彼女たちはきゃあきゃあと黄色い声を上げて喜んだ。

 なんだ。

 悪い連中じゃないな。

 話題の端々に「捕獲」だの「人食い」だの「手合わせ」だの物騒な単語が混じるのが気になるが根はいい奴ららしい。

 俺の緊張が少しずつほぐれていく。

 ふと横を見るとアルフレッドが慈愛に満ちた目(片目は腫れて塞がっているが)で俺を見ていた。


「よかったね、アリス。みんな君と仲良くなりたがっていたんだ」


 彼はそう言って笑った。

 その瞬間唇の端が切れたらしく「痛っ」と顔をしかめる。

 正面のアルシェリナはそんな兄を無視して黙々と発光するスープを啜っていた。

 奇妙な家だ。

 常識もへったくれもない。

 だが俺が知っている冷たい孤児院や殺伐とした戦場よりはずっと温かい場所のように思えた。

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