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拝啓、秋涼の侯

作者: 日ノ光
掲載日:2026/01/04

九月十四日、今日を命日にしよう。そう思い立ったのは約三十分前。

アパートの角部屋で仰向けになっていた。目に入ってきた青白い天井は今日も無言でいる。

今日ここに来るまでを思い返す。

不意にカレンダーに目をやる。先の予定は無い。

零時を回り、見ないふりをやめた。一度天井に目を向けて、元に戻す。目の前にいたのは、腰の高さほどの少女。何度も言葉を詰まらせて話そうとしている。

「明日はね、公園でかくれんぼするの」

予想できなかった台詞に、拍子抜けした。

「そ、そう」

少女の表情は、口角を上げたまま変わらない。

「来週はね、新しいCDを買いに行くの」

さっきまでは見下ろしていたはずの顔が今では目と鼻の先にある。

そして瓜二つの姿まで成ったとき、また口を開いたが、何かに気づいたように口を閉じた。


質素な部屋に新品の黒いスーツ、近づくことさえ不愉快だ。ポケットの社用携帯が騒々しく鳴っている。確認もせずに電源を切った。

小さな部屋の真ん中で、私は椅子の上に立つ。立て付けの悪い椅子は不安定で落ち着かない。

降りる理由は、もう考えなかった。

初めて上から見る部屋。近づいた天井、上の階で誰かが歩いている。

天井近くに付いている換気扇から入ってくる煙を直に吸って咳き込む。秋刀魚でも焼いているのか部屋にうっすら煙がこもっていて、目に染みる。薄目で窓を開けて換気する。もう一度、椅子に登る。皺のないスーツが一着、そこから手に取ったネクタイを首にキツく巻く。加減を間違えたか、息が詰まる。視界がぼやけ、不安定さに拍車がかかる。

本棚の上に飾ってある写真をちらりと見た。ホコリを被った写真立ては、反射された光によって中身がよく見えない。前に傾けた重心を元に戻す。静寂に切り込む呼び鈴の音で、意識に焦点が合った。

玄関の扉を開けるとダンボールが一箱置いてある。突然の中断に煩わしさを感じるも、中身を開ける。

地方の両親が厚手の服を送ってきた。季節外れの送り物をみて、箱を閉じる。

「厚手、か…」

 部屋に立ち込めた香りが苦い思い出を反芻させる。というのも、小学生だった頃、食わず嫌いで焼き魚を口にしなかった私を父は叱った。父は厳しい人だった。

そんなことを考えているうちに自然と首へ手が伸びていた。火照った顔に滞った血液、それを全身に流すみたいに、キツく巻き付いたネクタイを緩めた。首に残った跡に手を伸ばすと、指先が冷たいことがわかる。それからネクタイを丁寧に畳んで元の場所へ戻した。

向かい側で、少女がダンボールを開けているのに気づいた。

「死ぬのは寒くなってからでもいいかもな」

こわばっていた身体から力が抜けて、私は朝まで泥のように眠った。

 

朝起きたとき、最初に目に入ったのは直されてない椅子。まだ寝ぼけ半分の頭が澄んでいく。

手元のスマホを開くと、家族三人の姿がデジタル表記の時間と被っていた。通知を確認すると、父から不在着信。不慣れなメッセージが一件、

「少し早いですが、温かくしてください。」

既読をつけないように画面を伏せた。

テープが乱雑に剥がされたダンボールは、もうここに馴染み始めている。

カーテンから光が射し込む朝は、夜よりも前が見やすい。

同時に開けっ放しの窓から吹き込む風が、部屋を満たしている秋刀魚の匂いを飛ばしてくれた。

また仰向けになって言う、

「おはよう」

独り言がプツッと途切れると、他の音に耳を傾けやすくなった。

お気に入りのCDを再生すると、時計を見る。

七時十分、時の流れが遅い。

忘れ物がないように身支度を済ませると、端の折れたカレンダーに目をやる。不自然な位置で直されない椅子を横目に玄関の扉を閉めた。

 

歩いていると、長い赤信号に捕まってしまい、足を止める。向こう側ではランドセルを背負った小学生が追いかけっこをしていて、それをぼうっと眺めて待つ。

ゴミを捨てる隣人に挨拶をしていると、信号が変わる。皆が一斉に歩き始め、その中に私も含まれていた。

いつもより早い足取りは、段々と人を抜いていく。

改札を通って、電光掲示板を確認する。七時五十分着の電車には間に合ったようだ。

電車の起こした風に吹かれて、ときどきスーツから魚の匂いが薫る。何も無いはずなのに喉が詰まる。

ここで私はふと疑問に思う。呼び鈴が鳴った時、誰にも出会わなかったことを。すぐに玄関へ向かったはずだった。

そのとき耳を刺すような甲高い音を立てながら、到着した電車が止まった。 

浮かない顔の大人たちが、忘れたことさえ忘れた様子で乗っていく。

私もまだ分からない。でも先はある。

だから、寒くなるまで待てるのだ。


九月十四日の私より

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