お茶会と婚約破棄
週末、待ちに待った婚約者とのお茶会。
今回は私の屋敷の方でお茶会をする予定だから待つだけでいいのだが、やはりそわそわしてしまう。本当に婚約破棄を伝える時もこんな気持ちなのだろうか。いや、もっと暗い雰囲気だろうな。
「ミアルナ様、リアム様がお見えになりました」
メイドの言葉に肩が跳ねるほど驚いてしまう。それでも何とか繕って「お通しして」と告げる。足音が近付いて来たところで深呼吸を1つ。私はソファーから立ち上がった。
「リアム様、ごきげんよう」
「久しぶりだな、ミアルナ」
いつも通りの無表情で私を見つめている彼に微笑みかける。とりあえずいつも通り人払いをしてから彼を部屋に招き入れた。
彼と2人きりの空間になったことを確認してから顔を見合わせ、そして同時に素を出す。私は肩の力を抜き、彼は大きく欠伸をする。
「眠たいの?」
「あー…いや、気にしないでくれ」
「…そう」
彼の言葉に特に言及せず、代わりにソファーを勧める。私は予め用意しておいたポットから紅茶を注ぎ、彼の前に静かに置いた。彼は腰を下ろすと同時にきっちりと止められた第一ボタンを外す。堅苦しい格好を嫌う彼らしい行動だ。
リアム・ドーハティ__私の唯一無二の幼馴染であり、今では大切な婚約者。
同い年であるが学園には通わず、すでにいくつもの事業を並行して扱っている凄腕の公爵様。膨大な知識を持っているだけでなく頭の回転も速いからこその芸当だと思うが、本音を言えば自分の身体を大事にして欲しいところ。過労で倒れたという話は最低でも5回聞いている。
社交界で一目置かれている彼と、学園で高嶺の花と称される私。そんな私たちだが、2人きりの時は自然と素が出てしまう。
リアムは服を着崩したり、遠慮なく欠伸をしたりと人間らしいところを見せてくれるのだ。幼馴染から婚約者へと変わっていったが、私たちの関係性が悪化することはなかった。
かく言う私も彼と2人きりの時は敬語で話さない。本来ならばご法度であるがタメ口で彼と話す。今までそれを咎められたことは無いし、逆に今更敬語というのも気恥ずかしいものだ。
使用人がいる場ではお互いに気を張ってしまう。だからこうして人払いをして2人きりでお茶会を楽しむのが毎回の自然な流れだった。
「学園はどうだ?」
「それなりに楽しいわよ。ただ、やっぱりお淑やかな言葉遣いが難しいわね。敬語ならまだいいけれど、お嬢様方と話す時はこの口調ではいられないから」
「流石のミアルナでも苦労するのか」
「敬語とはまた違った言い回しが多いのよ。習うより慣れろっていう所ね」
茶菓子を出しながら彼の向かいに座る。先日のお茶会で出されたクッキーを用意してみたのだが彼の口に合うだろうか。
「だからリアムと話す時は楽をさせてもらってるわ」
「俺はお嬢様言葉の練習に付き合っても構わないが?」
「ご冗談を」
そういうと明るく笑われる。分かりやすく表情が変わる彼に思わず私まで笑みがこぼれてしまう。社交の場での仏頂面と比べると随分コロコロと表情が変わる。そんな部分さえも愛おしいのだが、嫌がるだろうから黙っておく。
「ん」
「どうしたの?」
「このクッキー美味しいな。好みの味だ」
「本当?私も好きな味だったからリアムも食べて欲しかったのよ。口に合ってよかった」
「そうなのか。わざわざありがとう」
彼は再度クッキーを味わってから紅茶に口を付けた。私も同じようにカップを口に運ぶ。
しばらくの無音の後、そろそろかと彼を見つめた。
「リアム」
「どうした?」
不思議そうな顔のリアム。言おう言おうと決めていたはずなのに、心を許してくれている彼に嘘でも婚約破棄を告げるということに今更ながら罪悪感を感じる。
(無理に流行に乗っていいことなんてないか)
そう気づき、言葉を呑み込んだ。彼にバレないようにさり気なく言葉をすり替える。
「………最近休んでる?仕事も忙しいと思うけれど程々にね」
「急にどうした」
逆に心配そうに見つめられてしまう。それもそうか。普段の私ならこんな話題を出さない。でも心配しただけで逆に心配されるのはなんだか不服だ。
「最近リアムが忙しそうにしているから心配なだけよ」
「ああ……仮眠は取っているし問題ない。ミアルナこそ無理していないか?」
仮眠に関しては今は見逃そう。言ったところで休んでくれる人でもないし、学園を卒業して一緒に暮らすようになってから強制的に寝かせばいい。
「私は大丈夫よ。最近は同級生とお茶会をして気晴らしもできているわ」
「珍しいな」
「……どういう意味よ」
「人見知りがちなミアルナが同級生とお茶会なんて。本当はパーティーもあまり好きではないだろう?」
「…よく見てるわね」
「まあな」
そんな会話を経て部屋にはまた静寂が訪れた。
(私たちには私たちの関係性の築き方があるものね)
自分の中では納得しているはずだ。別に無理に彼を試す必要はない。
ただ、、ただ、何だろう。
同級生とのお茶会でリアムのことを『婚約者』として再確認したからなのだろうか。彼からの愛情が今は欲しくてたまらない。それと、ほんの少しの焦燥感。
「リ、リアム」
「どうしたんだ?」
「……」
「…ミアルナ?」
スカートの上で手をきつく握る。
「あの、さ。…私のこと、どう思ってる?」
声が震えないように気をつけながらはっきりと言葉にした。ちらり、と彼を見やる。彼はただただ不思議そうな顔をするだけだ。
「り、りあ、、」
「ミアルナは俺の大切な幼馴染だよ」
優しくそう言ってくれた。前までは幼馴染という言葉で満足していたはず。でも、なんだろう。
「…わたしのこと、愛、してる?」
はっきり言いたかったはずなのに弱弱しい声になってしまった。リアムは何かを言おうとした素振りを見せたものの、何かを言う前にそっと視線を私から逸らす。
その一連の行動に背筋が凍った。
「……」
「………ごめ、」
「……大切な存在だよ」
リアムの言葉に弾かれたように顔を上げる。彼はやはり私の顔を見ていない。
分かってる。
分かってるよ。
でもさ、私たちは婚約者同士だよね。
現状が幸せなことには違いない。でも、少しだけ、少しだけでいいから、
「リアム」
わがままな私を許してほしいの。
「幼馴染の私と、婚約者の私。どっちが好き?」
彼は私の問いに答えない。
答えてくれない。
それが彼なりの優しさだと分かっているはずなのに、
「…今ならやり直せるよ」
面倒くさいことを聞いているのは分かっている。
「元の幼馴染だけの関係に戻れる」
彼の顔が歪んで見える。頬を伝うのは、何の意味を持った涙なのだろうか。
「婚約破棄、する?」
子どもの時のように嗚咽を漏らすことはない。ただただ、静かに涙を零すだけ。顔を見られなければ分からないほど静かだ。
「……ミアルナ」
「なぁに?」
顔を上げるのも怖くて、視線を下げたまま声だけで空元気に返事をする。沈黙を破ったリアムの声は優しい。いつだって彼は私に優しかった。
「ミアルナは、俺のことどう思ってる?」
いつの間に立ち上がったのだろう。視線に入るように膝をついて私の手を取ってくれたリアムの表情は、見たことない程歪められていた。
「好きよ」
彼に逃げられている手に無遠慮に力を込めてしまう。しかし彼は何も言わず、私からも目を離さない。
「大好きなのよ。幼馴染なのは分かってるしリアムの仕事が忙しいことも分かっているけれど、婚約者として愛してほしいと思ってしまうほど貴方のことを愛しているのよ」
学園にいると沢山の婚約者の話を聞く。デートをしたり、旅行をしたり、パーティーで一緒に踊ったりと皆は様々な思い出を作っている。
でも私たちはお互いの家でお茶会をするだけ。何度羨んだことだろう。喧嘩がないだけマシなのは分かっている。政略結婚がザラの世界だ。幼馴染と婚約を結べるなんて相当恵まれているはずだ。
「……こんな女、面倒でしょう?」
自虐的に零す。彼の負担にも、経歴の傷にもなりたくない。そんなことになるぐらいなら彼との婚約を破棄する方を選ぶ。
「今更幼馴染にこんなことを言われるなんて、ね?…本当にごめんなさい」
すでに後悔に苛まれる。でも、どうしても抑えが効かなかった。
しばらくの静寂の後、彼の口が動くのが見えた。
「ミアルナ」
「……」
きつく目を閉じる。何を言われても仕方ない。そう思って覚悟を決めていると、優しく抱きしめられるのを感じた。
「愛してる」
耳元で小さく呟かれた言葉は酷く震えて掠れている。それでも欲しくて欲しくてたまらなかった言葉には違いない。
慌てて彼の顔を見ようとしたところで強く力を加えられる。
「ちょ、」
「……今、顔赤いから見ないでくれ」
尚更見たい。でも彼の力に敵う訳もなく、大人しくリアムの胸元に顔をうずめた。
「ねえ」
「今は話しかけないでくれ。あとでいくらでも聞くから」
「……ふふっ、分かった」
頭上から降ってくる彼の声。その言葉に私は再び笑ってしまう。拗ねたように抱きしめる力を強める彼を余計に愛おしく思いながらも黙って抱きしめ返したのだった。
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