真夜中の再会1
王妃の誕生日のお祝いから一ヶ月が経った。
すぐに城を出るようにとの言いつけを守らず、黒精霊と接触までしてしまったルーリアは、ディベルにひどく怒られ、これまでの倍の数の魔法薬の生成と一日一回の食事を強いられることとなった。
きっとそのような罰は受けることになるだろうと予想していたルーリアは、落胆する様子なくすべてを受け入れた。
疲労も空腹も我慢して淡々と毎日を過ごしていけば、いつかきっとこれまでと変わらぬ日常へ戻っていく。
そんな希望を胸に抱いていたのだが、うまくはいかなかった。
「いやああっ!」
明け方、ルーリアは自らの叫び声と共に目を覚ました。
呼吸を乱しつつ、ゆっくりと体を起こし、辺りを見回した後、見慣れた粗末な小屋の中に闇の魔力の気配がないことにホッとし、額に滲んでいる冷や汗を手で拭った。
そして、あまり間を置くことなく、体の中で昂り始めた魔力を感じ取ると、ふらつきながらベッドを降り、調合台へと歩き出す。
(悪夢にうなされるのは、これで何度目だろうか)
毎晩のように、城で会ったあの美しい黒精霊が手を伸ばして迫ってくる夢をみては、目覚めた後、決まって魔力が暴走しそうになるのだ。
実際、魔力を抑え切れず、小屋の扉の外に施してある結界の役目をしている魔法石を破壊してしまい、黒精霊を呼び寄せてしまったことが三回ほどあった。
ディベルとクロエラとアズター、そして光の魔力を扱える屋敷の者たち数人がかりで、ようやく黒精霊を追い払うことができたのだ。
しかし、人々の体力の消耗が激しく、新たな結界を施すことも手間とお金がかかるため、ルーリアはディベルから「これ以上繰り返すなよ」と厳しく言われたのだ。
調合台に辿り着く前にルーリアは眩暈に襲われてふらりとよろけたあと、頭を押さえた。
昨晩も遅くまで魔法薬を作り続けて、魔力を搾り尽くしたと思っていたのに、まだまだ際限なく溢れ出てきそうになる。けれど疲労感はしっかり残っているため、体がついていかず足元がおぼつかない。
不意に、微かにではあるが嫌な気配を感じ、ルーリアは小屋の中を見回す。しかし、室内はディベルが施した結界により、光の魔力に満ちていて、なんらおかしい所はない。
ルーリアは視線を机へと移動させ、その上に置かれてある先日身につけた青い魔法石の髪飾りをぼんやりと見つめた。
魔法石は高級な品だったらしく、パーティーの後はクロエラの、もしくはアメリアの物になる予定だった。しかし、ひびが入ってしまったことで、装飾品としての価値が下がってしまったため、ふたりとも「要らない」という意見で一致したのだ。
とはいえ、魔法石に込めた魔力は健在なため、その効果が薄れるまでルーリアの部屋に置いておくことになったのだ。
「……お母様のネックレスのこと、謝りたい」
魔法石の髪飾りを目にする度、アメリアによって城の窓から放り投げられてしまった母親のネックレスを思い出す。
あの後、ルーリアはすぐにアズターと城を出てしまったため、ネックレスがどうなったのかはわからない。アメリアが庭に出てネックレスを探し出してくれていたら良いが、そのまま放置している可能性の方が高いと考えた。
どちらにせよ、無くなったのは自分のせいになっているだろうと一気に心が苦しくなり、悲しみや憤りでいっぱいになっていった。
感情に追随するように、体の中でルーリアを翻弄するように魔力が大きく揺らめく。焦りと共に歯を食いしばった時、戸口の方からぱりんと割れる音が微かに聞こえ、ルーリアはやってしまったと数秒目を瞑ったあと、急ぎ足で調合台へと向かった。
己の力を魔法薬へとふんだんに流し込み、一心不乱に生成し続けると、ようやく魔力が落ち着きをみせ始める。
ルーリアがホッとしたのも束の間、小屋の外から黒精霊の気配を感じて、顔を強張らせた。
(どうしよう)
このまま対面してしまったら、黒精霊の闇の魔力に自分の中に植え付けられたそれが反応し、大変なことになる。
逃げなくてはと思っても、黒精霊の気配は戸口のすぐ近くから感じられ、小屋の出入り口はそこのみだ。
足が動かない上に、戸口から目を逸せなくなっていると、ふわりと黒い影を漂わせながら、男の黒精霊が姿を現した。黒精霊はルーリアに対して何か訴えかけるかのように手を伸ばし、ゆっくり近づいてくる。
ルーリアが小さな叫び声を上げた時、小屋に駆け寄ってくる力強い足音が聞こえてきた。次の瞬間、小屋の中が光の魔力で満たされ、黒精霊は弾かれるように後ろへと吹き飛び、姿を消した。
「ひとまず大丈夫だ」
黒精霊に変わって小屋の中へと入ってきたのはアズターで、その手に割れてしまった魔法石があるのを見て取る。状況から割れた魔法石を新しい物と交換してくれたのだと判断でき、ルーリアは脱力するようにその場にぺたりと座り込んだ。
「お父様、ごめんなさい。また伯父様を怒らせてしまうわ」
自分の失態は、間違いなく父親にまで迷惑をかけていることだろう。それが分かっているからこそ、気落ちし顔を俯かせたルーリアへ、アズターが真っ直ぐ歩み寄ってきた。
「ルーリア、少し話があるのだが……」
アズターからそんなことを言われたのは初めてで、ルーリアは驚きや戸惑いと共に恐る恐る視線を向ける。そして、苦々しく自分を見つめてくるアズターに不安を煽られながら、震える声で問いかけた。
「……は、はい。お父様、なんでしょう?」
「実は、お前を嫁に出そうと考えている」
「わ、私を、お嫁に?」
まさかそんな話だとは思っておらず、ルーリアはきょとんとするが、アズターは少しも表情を和らげない。
「まだ決まった訳じゃないが、上手くいけば……」
そこでアズターは、小屋に歩み寄ってくる数人の足音に気付き、言葉を途切らせた。諦めの小さなため息をこぼしてから姿勢を正し、ルーリアと少しばかり距離を取る。
小屋の外から魔力の揺らぎが何度か伝わって来たあと、まだ残っていた黒精霊の気配も消え失せ、そして、ルーリアの前にディベルとクロエラとアメリアの三人が姿を現した。
「また黒精霊を呼び寄せおって」
小屋に入って来るなりディベルが疲労感を交えながらぼやき、続けてルーリアを睨みつけた。
「これ以上魔法石を破壊するなとあれほど言ったのに、どうしてこうなる! 自分の魔力くらい制御しろ!」
「申し訳ありません」
怒鳴りつけられたルーリアはふらつきながらもなんとか立ち上がり、深く頭を下げる。
頭を下げ続けるルーリアにディベルは舌打ちすると、アズターの手から割れた魔法石を奪い取り、「アズターも来い」と命じて小屋を出て行った。
アズターはちらりとルーリアに目を向けつつも、すぐに「はい」と返事をし、ディベルを追いかけるように歩き出した。
残ったクロエラは頭を下げたままのルーリアを冷たく一瞥してから、部屋の隅に移動し、積み重なっている魔法薬入りの箱の数を数え始めた。アメリアは小屋の中を見回してから、顔を顰める。
「相変わらず陰気臭い場所」
ぽつりと呟かれた言葉にぴくりと反応し、ルーリアはゆっくりと顔を上げる。確かに日当たりの悪い場所に建てられているため、小屋の中は薄暗い。充満している薬草の匂いも、アメリアにそう思わせる一因となっていることだろう。
しかし、ここはルーリアにとって大切な場所であり、そのように言われてしまうと心がちくりと傷む。
「こんな場所で生活できるお姉様も似たようなものだけど」
(私はなんて言われても平気。気にしない)
感情を荒立てて、再び魔力が暴走しかけることだけは絶対に避けなくちゃいけないと、ルーリアはアメリアから気を逸らすように顔を俯け、ふたりの邪魔にならないようにと静かに部屋の隅へ下がっていった。
すると、ルーリアが反応しないことがつまらなかったようで、アメリアは膨れっ面になる。
「こんな面白みのない子が良いだなんて、ルイス様って実は物好きなのね。感じが良さそうで好青年の印象だったのに驚きだわ」
「本当だよ。アメリアに縁談の話を持ちかけるならまだしも、ルーリアにだなんて。何か手違いがあったとしか考えられないわ」
小馬鹿にした様子でやり取りされた会話を聞き、ルーリアはわずかに眉根を寄せる。
(ルイス様って、もしかしてパーティーでお会いした方? しかも縁談だなんて、私でも信じられない)
ルイス・ギードリッヒとは少しだけしか話していない上に、ルーリアは彼の手を払って逃げ出してしまっている。不愉快に思われはしても、気に入られるような所は全くなかったはずである。
(先ほどお父様が言いかけたのは、この事だったのね)
思いも寄らぬ縁談話だとは言え、自分を気に入ってくれてのことならば嬉しくはある。しかし、嫁に行くというのはこの場所から離れることを意味していて、不安と戸惑いの方が正直大きい。
ルーリアが困ったような表情を浮かべると、それに気づいたクロエラが鼻で笑う。
「やだ、なんでそんな顔をしているのよ。たとえどんなに縁談の話が舞い込んできたとしても、あなたを嫁になんて出せないわ。少し考えればわかることでしょう?」
「やだお姉様、いつかお嫁に行けるなんて思っていたの?」
当然だとばかりにクロエラから告げられてルーリアはわずかに目を見開き、続いたアメリアの言葉に瞳を伏せた。
これまでルーリアは自分が誰かの元に嫁ぐなんていう夢も期待も抱いたことはなかった。自分の状態を考えれば当然のことだ。
しかし、先ほどのアズターのひと言で、これまで一度も思い描いたことのなかった人生を、これから進んでいくことになるかもしれないと思ったのだ。
(さっき、お父様は上手くいけばって仰っていた。もしかして、嫁に出そうというのはお父様だけの考えで、これから伯父様たちを説得しようとしているの?)
アズターからかけられた言葉を思い返し、ルーリアはそんな予想を立てた。
しかし相手は伯父夫婦だ。考えが違うふたりを納得させることなど出来るはずがない。
もし仮に納得させることができて、ルイスの元へ嫁いだとしても、黒精霊から受けた祝福のせいで、いずれ彼らに多大な迷惑をかけるのは想像に容易く、ルーリアはアズターの考えに賛成できない。
アメリアはクロエラの横に並び、魔法薬が入った瓶をいくつか手に取った。瓶の中にはキラキラと輝く液体だったり、緑色の粘土の高い液体が入っている。
アメリアは面白くなさそうに口を尖らせて瓶を元の場所に戻すと、思い出したようにハッとし、「そうだったわ」と粗末なクローゼットに向かっていく。
すぐ前に立っていたルーリアを押しのけて、そして持ち主の許可なくクローゼットを開けると、そこからアメリアは先日のパーティーでルーリアが着ていたドレスを取り出した。
「騎士団へ魔法薬を届けに行く時、これを着ていくことにするわ。カルロス様にお会いできるかもしれないし、質素なドレスの方が印象も良いかと思って」
クロエラに報告しながら、アメリアが自分の体にドレスを当てがったため、思わずルーリアは「……そ、それは」と手を伸ばす。アメリアはその手をひらりと避けて、ルーリアを睨みつけた。
「別に良いでしょ、私が着たって。そもそもお姉様にドレスを着る機会はもうないかもしれないんだもの。眠らせておくのは勿体無いわ」
ぴしゃりと言われ、ルーリアは黙り込む。身に着ける予定もなく、それ以前に外に出る許可すら降りないだろう自分の手元に眠らせておくのは、確かに勿体無い。しかし、両親からの唯一の贈り物を奪われたくないという思いもルーリアにはある。
魔法薬を数え終え、売上の金額までも算出したあと、クロエラはアメリアとドレス、続けてルーリアへと目を向ける。
「そうね。ルーリアにはもう縁のない服だわ。残しておけば売ってしまうのだから、アズターたちもルーリアへの最後の贈り物が、知らない誰かではなく可愛い妹のアメリアの手に渡った方が嬉しいでしょうよ」
最後の贈り物と断言されてしまい、ルーリアは目を見開き、アメリアは含み笑いを浮かべつつ「そうよね」と嬉しそうに言葉を返した。
「あとで魔法薬を取りに来させます。その時、新しい瓶も届けさせるわ。今日の分よ。今回もあまり出来が良くないわ。もっと頑張ってちょうだい」
それだけ言って、クロエラは用は済んだとばかりに小屋を出て行こうとするが、外に出る前に足を止めて、ルーリアへと振り返った。
「ああそれから、少しずつ小屋の中を片付けておくように。近いうちにあなたの生活の場を変えるから」
詳しい説明はせずにクロエラは再び歩き出し、アメリアはルーリアに対してニヤリと笑ってから、ドレスを抱え持ったままその場を後にした。
(私はどこに連れて行かれるのだろう)
先ほどクロエラが発した「最後の贈り物」という言葉が、まるで両親との永遠の別れを意味していたかのように感じ、ルーリアの心に重苦しく圧し掛かってくる。
そして子供の頃の、ディベルとクロエラがこっそりと交わしていた会話を聞いて恐怖に震えた記憶が蘇ると、吐き気を覚えて口元を抑えた。
言いようのない不安に押しつぶされそうになりながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。