願っていた再会6
壁に軽く背中をもたれかけて、混雑している大広間を改めて見渡すものの、アズターの姿はもう見つけられない。
(社交界デビューなんて、しなくて良いと思ってた……けど来てよかった。今日は私にとって特別な日になったわ)
ルーリアはアズターの言葉を思い返しながら、幸福感で満ちていく胸に手を当てて、わずかに口元を綻ばせていると、目の前を警戒中らしき騎士団員がふたり通り過ぎていった。
そこでカルロスのことも思い出し、慌てて室内を見渡す。
(……カルロス様とも、もう会うことは叶わないだろうし、せめて最後にお姿だけでも)
明るい色のドレスを身に纏う人々が多い中、黒色の騎士団員の制服は目立つ。それを目印に探していくと、背が高いことも手伝って比較的苦労することなく彼の姿を探し出すことができた。
すらりした立ち姿は遠目からでもとても凛々しく、黒の騎士団服もよく似合っている。そんな彼の傍らには目を輝かせて喋りかけるアメリアの姿があり、周りにいる令嬢たちも頬を染めてカルロスを見つめている。
そして、アメリアの少し後方にはディベルがいて、痺れを切らしたような顔から「死神公爵ではなく王子の元へ早く行くべきなのに」といった心の声が聞こえてくるようだ。
(でもどうして、カルロス様は死神公爵だなんて言われているのかしら……見ず知らずの私を助けてくれたほど優しくて素敵な人なのに)
アメリアに対してニコリとも笑い返さないことから、冷たい人に見えなくもないが、それだけで死神公爵と呼ばれてしまっているなら不憫でならない。
きっと何か理不尽な理由でそう呼ばれてしまっているのだろうと頭の中で結論付けてから、ルーリアは自分の心にしっかりと留めるかのように、「カルロス様」と小さく呟いた。
するとその瞬間、カルロスの視線が何気なくルーリアに向けられ、しっかりと目が合った。もちろん偶然だとわかっていても、まるで自分の声が彼に届いてしまったかのような気持ちにさせられ、ルーリアは気恥ずかしさからすぐさま顔をそらす。
目が合ったのなどほんの数秒の出来事だというのに、頬が一気に熱くなり鼓動も大きく高鳴っている。平常心を取り戻すべく深呼吸していると、すぐ近くから声を掛けられた。
「ご気分が優れないのですか?」
いつの間にか隣に立っていた男性を、ルーリアは驚きと共に見上げた。男性はルーリアより頭半分ほど背が高く、髪と瞳は同じ薄茶色で、頬には少しばかりそばかすが散っている。
「い、いえ、平気です」
「そう。それなら良かった」
その男性はルーリアににこりと笑いかけたが、人馴れしていないルーリアはうまく笑い返すことができなかった。その上、視線を合わすことすらままならず俯いてしまうが、男性はそれに気を悪くする様子もなく、にこやかに話し掛け続ける。
「失礼ですが、アメリア嬢のお姉様ですよね? 妹さんとは先ほど少しお話しさせていただきました」
「そ、そうでしたか」
「ああ、すみません。僕はルイス・ギードリッヒと言います。実は、あなたとも話をしてみたいと思っていたので、こうした時間を持てて光栄です」
ルイスに握手を求められ、ルーリアは困惑気味にその手を掴む。
「私はルーリア・バスカイルと申します」
それ以上話を広げることができず、ルーリアがすぐに手を離そうとすると、まるで揶揄っているかのようにルイスががっちりと手を握り締めた。そして離れぬ手に戸惑うルーリアに微笑みかけながら、そのまま自分の元へと引き寄せる。
「ルーリアもなかなかに強い光の魔力を持っていそうだね……ん?」
口元に笑みを浮かべながら、耳元で囁き掛けてきたルイスだったが、急に違和感を覚えたように眉を寄せたため、ルーリアはわずかに顔色を変える。
(もしかして気づかれてしまった?)
髪飾りに施された伯父の光の魔力が結界となっているのだから大丈夫とそう頭でわかっていても、自分の中に巣食っている闇の魔力を察知されてしまったんじゃと焦りと恐怖が込み上げてくる。
「その髪飾りは……」
「触らないで!」
呟きと共に彼が髪飾りに触れた感覚が伝わり、気がつけば、ルーリアは声を震わせてその手を振り払っていた。
もちろんすぐにハッとし、ルーリアの顔から一気に血の気が引いていく。
驚いた顔で自分を見つめているのはルイスだけではない。周りの貴族たちも同様だ。そして恐る恐るアメリアとディベルたちのいた方へと視線を移動させ、大きく息を飲んだ。
アメリアとディベルにカルロスまでもこちらを見ていて、そして、ディベルは「なぜまだそこにいるんだ」といった顔をした後、その表情に怒りを滲ませ始めた。
(怒られる……早くここを出なくちゃ)
恐怖で体を震わせながらも、ルーリアはこの場から逃げるように近くの出入り口から大広間を飛び出した。
廊下に出ても人の姿はあり、自然とひとけの少ない方に向かって無我夢中で進んでいくが、途中で足がもつれて小さい悲鳴と共に前のめりに転ぶ。
大きく肩で息をしながら、その場にぺたりと座り込み、周りを見回す。細長い通路の左側の壁にはひとつだけ扉があり、一方で右側は庭が見渡せるくらいの大きな飾り窓がいくつか並んでいる。
ルーリアから一番近い窓は大きく開け放たれていて、そこから吹き込んでくる冷たい風に体がわずかに震え、心細さを募らせる。そして見覚えのない場所に入り込んでしまったことに焦りも湧き上がっていく。
(戻った方が良いかも)
大広間には正直戻り辛いが、勝手に城の中を歩き回った挙句、迷子になろうものなら、ますます伯父を怒らせてしまうことになる。重い腰を上げるようにルーリアは立ち上がって踵を返すが、自分に向かってやって来る姿を視界に捉えた途端、足はぴたりと止まる。
「伯父様からさっさと帰れと言われたじゃない。なぜまだお姉様はいるのよ。せっかくカルロス様と楽しくお話ししていたっていうのに、余計なことばかりしてくれるのね」
「ごめんなさい」
目の前で足を止めたアメリアへとルーリアは頭を深く下げて謝るが、妹の怒りの形相はまったく和らがない。
機嫌を直す方法などルーリアには見当もつかない。後々どんな罰を受けることになるのかと思うと恐れと不安で心が押し潰されそうになり、無意識にルーリアは母のネックレスの守護石に触れる。
それを目にして、アメリアは眉間に皺を深くさせた。
「……バスカイル家のお荷物のくせに、本当に不愉快だわ」
怒りに満ちた声音にルーリアの体も更に強張り動けなくなる。
「お母様がとっても大切にしていて、私にだってあまり触らせてくれないネックレスを、どうしてお姉様がつけているのよ」
アメリアからの不満に、まさかそこまで大事にされているものだと思っていなかったルーリアは大きく戸惑う。
「ドレスや靴だって、私のは伯父様と伯母様が決めたって言うのに、お姉様はお父様とお母様が用意して……まあでも、結局お姉様だけの社交界デビューも見送られることになったけど」
髪飾り以外の身の回りの準備を両親がしてくれたのはついさっき知ったが、それはどうやら最近の話ではないらしい。普通ならルーリアは二年前に社交界デビューを迎えていたはずで、両親もそのつもりで用意してくれていたのだろう。
この二年間で体型は気になるほどの変化はなかったようだが、どうやら足は微妙に大きくなっていたらしい。理由を知れば、靴擦れの痛みも特別に思えてきて、ルーリアはわずかに表情を穏やかにさせた。
それを目にしたアメリアが怒りを爆発させ、一気にルーリアに近寄る。
「カルロス様もなぜかお姉様を気にかけているし……何もかも面白くない!」
敵意を剥き出しにしたアメリアから掴み掛かられて数秒後、ルーリアはチェーンが引きちぎられる音を耳にし、同時に首に痛みを感じた。
「何するの……アメリア、返して」
アメリアの手には、母の守護石のネックレスが握りしめられている。じわりと嫌な予感が心を蝕み、自然とルーリアの声が震える。
怯えるルーリアを見つめていたアメリアは何かを思いついたかのような表情を浮かべた後、にっこりと笑った。
「お母様にはちゃんと伝えておいてあげる。お姉様はこんな地味なネックレスなどいらない、私がつけているような高価な物が良かったと……窓から投げ捨てたって」
ルーリアは顔を青くさせ、アメリアを止めようとすぐさま動いたが、アメリアに強い力で突き飛ばされ、その場に尻餅をついた。
「お願い、やめて!」
ルーリアの必死の言葉はアメリアには届かない。開け放たれている大窓へと進み行き、持っていたネックレスを躊躇うことなく外に放り投げた。
小さな悲鳴をあげてルーリアは慌てて立ち上がり、身を乗り出すようにして窓の下を見た。
思っていたよりも高さがあり、ほんの一瞬、息を飲むが、母親のネックレスを見つけるべく必死に視線を彷徨わせた。
窓の下は低木や花壇などがあるが、光に反射して輝く物は見当たらず、どこに落ちたのかわからない。
「どうしてこんなことを!」
駄目だと思いながらも、怒りが湧き上がるのを堪えきれずに、ルーリアはアメリアへと責める様な眼差しを向けた。もちろんアメリアに自分のしたことを謝罪する様子はなく、逆に、反抗的な態度のルーリアを不機嫌に睨み返す。