願っていた再会5
王妃は「そう」と短く呟いてから、改めてルーリアに視線を留めた。
「体が弱いとは聞いていたけれど、こうして社交界デビューできたということは、もう大丈夫なのかしら」
「前よりは幾分良くなりましたが、なかなか」
ルーリアへの問いかけの返答がディベルから返ってきたため、王妃はほんの一瞬真顔になりつつも、そのままルーリアへと話しかけ続けた。
「ルーリア、今度お茶会に招待するから、ジェナと一緒に参加してちょうだい」
「……承知いたしました」
物言いたげなディベルと目が合い躊躇いも生まれるが、王妃の誘いを断るなどできるはずなく、ルーリアは深々と頭を下げた。
「そのドレスにネックレスも、よく似合っているわね」
「あっ、ありがとうございます」
「そうだわ。疲労回復の効果があるとされるグラッツのパイとジュースを召し上がっていって。特別に、私好みの味にしてもらっているの。絶対食べて行ってね」
「は、はい」
矢継ぎ早に言葉を並べられ戸惑っているルーリアへ王妃は小さく笑いかけ、続けてゆっくりと視線をアメリアへ移動させる。
「アメリア、あなたは虹の乙女としてのバスカイル家を背負って立つことになったと聞いているわ」
ルーリアへの言葉を興味なさそうに聞き流していたアメリアだったが、優しく名前を呼びかけられた途端、目を輝かせて王妃へと顔を向けた。
「あなたが作る様々な魔法薬は高品質でとても評判が高いと聞いています。いつ何時でも、どれだけ量が多くても、しっかり求めに応じてくれるからありがたいとも。アメリアだけでなく、ルーリアも一緒に作っているのかしら?」
「いいえ、王妃様、今魔法薬を作っているのは私ひとりです」
ルーリアが口を開くよりも早く、アメリアが胸を張って答えた。
「まあそうなのね。あれだけの量をひとりでだなんて、アメリアの魔力量の多さには驚かされます。さすがです」
王妃からの褒め言葉にアメリアは笑みを深めて、「恐れ入ります」と誇らしげに返事をした。
躊躇うことなく飛び出したアメリアの言葉にルーリアはしばし茫然とする。そして、腑に落ちない気持ちをぐっと堪えるようにをわずかに唇を噛んで俯く。
王妃の落ち着いた声にアメリアが明るく弾む声で返し、時折ディベルとアズターが口を挟んだ。もちろんその会話にルーリアは混ざることなく、ただ黙って聞いていると、王妃の後ろに控えていた執事が「そろそろ」と声をかけた。
「バスカイル家の光の魔力は、他国にも誇るべき大きな力です。若いふたつの力が、トゥイルス国をより良い未来へと導いていくことを心より期待しています」
最後に贈られた言葉が心に深く染み入るのを感じながら、再びルーリアはアメリアに合わせる形で頭を下げ、「恐れ入ります」と言葉を返した。
四人はゆっくりと壇上を離れた。階段を降りて王妃から十分に距離をとったところで、アメリアがルーリアを睨みつける。
「なんだか納得できないわ。どうしてお姉様だけお茶会に誘っていただけたの?」
そう怒りをぶつけられても、ルーリアに王妃の心のうちはわからず、顔を強張らせるだけで何も言葉を返せない。
「……あれは、アメリアも含めた三人に対して掛けられた言葉であろう。まあどちらにせよ、ルーリアは参加することはないのだし、ジェナと共にアメリアが行くことになる」
そう信じて疑わない様子でディベルが呟き、続けて肩を竦めてみせた。
(そうよね。私はきっともう、屋敷から出ることはない)
わかっていたはずなのに虚しさを覚えたのは、また王妃様と会って話ができるかもとか、母親と一緒に初めての外出ができるかもなどと、少しばかり期待してしまったからだ。
「おい、何をぼんやりしている。無事に用は済んだのだから今すぐ大広間から出るんだ……ああ、シャルード王子がいらっしゃった」
ディベルはアズターとルーリアへ当然の顔で言いつけたあと、大広間に姿を現したシャルード王子に視線を留め、少しばかり目を輝かせた。
カルロスの姿を探していたアメリアも、ディベルの言葉でシャルード王子の姿を見つける。白銀色の長髪を後ろで束ね、肌はとても色白。話しかけてくる貴族たちに向けられる眼差しは穏やかで温かいが、上品さの中に気高さもしっかりと感じ取れた。
ここまでカルロスばかりを気にしていたアメリアだったが、この国の貴族の娘なら誰もが憧れる王子を目の前にして表情を変える。一気に興味が湧いてきたらしく、「シャルード王子ともぜひお近づきになりたいわ」とまんざらでもないように口元に笑みを浮かべた。
一方、貴族の娘であっても、唯一の例外と言って良いルーリアは、ただぼんやりとシャルード王子の姿を目で追いかける。
(王妃様に雰囲気が似ていらっしゃるわ)
そんな感想を抱いた時、改めて「いつまでそうしている」といったような目をディベルに向けられ、反射的にルーリアは体を強張らせた。
その時、恰幅の良い貴族の男性に声を掛けられて、シャルード王子が足を止めた。男性が自分の傍にいる娘を王子に紹介するような素振りをみせたため、それを見たディベルの顔に焦りが浮かぶ。
ディベルがアメリアを伴って歩き出すと、ルーリアはこの場への未練を捨て去るように小さくため息をついて、伯父の言いつけを守るように大広間の出入り口に向かって一歩踏み出した。
「ルーリア、待ちなさい」
言葉と共にアズターに腕を掴まれ、ルーリアは驚いた顔で肩越しに振り返る。
神妙な面持ちのアズターに、ルーリアはどうしたのかと疑問を抱くが、その口は一向に開かないため、ただ見つめ合うだけで時間が流れていく。
「お、お父様、すぐに帰った方が良いかと」
いつまでもこの場に留まっているのをディベルに見られたら、自分たちは間違いなく怒られるだろう。怒られるだけならまだ耐えられるが、食事抜きの生活を数日強いられることになるのだけは避けたい。
ちらちらとディベルの様子を気にしているルーリアに気づいて、ようやくアズターが引き留めた理由を口にした。
「もちろん帰る……がしかし、その前に王妃さまが勧めてくださったものくらい食べておいた方が良いと思って」
「……グラッツのパイとジュース」
幹の太いグラッツの木に、ルーリアの顔の大きさくらいある真ん丸の黄色くて甘酸っぱい木の実がなる。それを使ったパイとジュースを食べていくようにと王妃から言われたのをルーリアは改めて思い出すが、それでも躊躇いは完全に消え去らない。
ルーリアにとってディベルは決して逆らってはいけない存在であり、王妃の言葉と同じくらい重く心にのしかかってくるのだ。
「伯父様の言いつけを守らないと怒られます。それに私は誘っていただけても参加できないかと思いますし」
「いや。ディベル兄さんはああ言ってたが、王妃様は言ったことは守るお方だ。ルーリアがジェナと一緒にお茶会に顔を見せるまで繰り返し誘ってくださるだろう」
小声ではあるがアズターから力強く断言され、ルーリアは困ったように瞳を伏せた。
アズターの言う通りなら、いくらディベルと言えども、王妃からの誘いを断り続けることは難しいだろう。
ディベルから許可が降り、いつかまた王妃様の前に立つ日が来た時、グラッツのパイやジュースの感想を聞かれるかもしれない。しかも本日振る舞われているものは、王妃様の好みに合わせた特別仕様のものだ。
(味はどうだったかと聞かれて、答えられなければ食べていないのがバレてしまう。……それに私、「食べていってね」と言われて、思わず「はい」って返事してしまったし、ここはお父様の言葉に従っておいた方が良いかもしれない)
首から下げているネックレスの透明な石に無意識に触れながら、ルーリアが必死に頭を悩ませていると、アズターが「ふっ」と短く笑った。
驚きと共に目にしたアズターの眼差しが心なしか優しく感じ、心がとくりと跳ねた。
「……お、お父様?」
「すまない。ジェナもその守護石のネックレスをつけている時、よく同じ仕草をしているから」
魔力を込めて様々な方法で利用するべく生み出された石を魔法石と呼ぶのに対し、元々魔力を宿しいている石のことを守護石と呼ぶ。
強大な魔力を秘めたものから微力なものまで守護石にも様々あり、今ルーリアが身につけているような弱い魔力のものは、お守り代わりとして身につけられることが多い。
「時々、お母様もこのネックレスをつけていらっしゃるの?」
「それはジェナが常に身に付けている物だ。俺たちはお前にドレスも靴も簡素な物しか用意できなかった。だからせめてこれだけでもとジェナがディベル兄さんに頼み込んだんだ」
全て伯父夫婦が用意した物だとばかり思っていたルーリアは、改めてネックレスの守護石に触れたあと、無感情のまま着ていたドレスにも視線を落とす。
(お父様とお母様が私のために)
必要以上に両親と接点を持たずに生きてきたルーリアは、両親にとって自分はいらない子なんだと思っていた。しかし、思いがけなく両親の優しさに触れ、嬉しくて心が震え、言葉が何も出てこない。
「靴はサイズが合わなかったようだな。赤くなっている。すまない」
確かに感じていた靴擦れの痛みが、父の気遣いを受けた途端に和らいだように思え、ルーリアは「このくらい平気です」ともごもご呟きながら首を大きく横に振る。
「それではあまり歩きたくないだろう。グラッツのパイとジュースを取って来るから……あの辺りで待っていなさい」
壁際に視線を向けながらのアズターの言葉にルーリアは頷き、アズターが料理がたくさん乗ったテーブルへと歩き出すと同時に動き出した。
 




