願っていた再会3
馬車が動き出すと同時にアメリアは母と伯母に手を振り、門を出た後はその手を自分の胸の上に重く。
「王妃様の誕生日パーティーですもの、他の貴族のご子息たちもたくさん出席なさるわよね?」
そわそわとした様子でアメリアが問いかけると、ディべルはこくりと頷いて答えた。
「ああ、もちろん呼ばれている」
「じゃあ、カルロス様もきっといらっしゃるわね! 私が虹の乙女として町で人々の治癒を始めておこなった時、お見かけしたの。凛々しくて素敵だったわ。ようやく彼に会えるのね。ねえ伯父様、私をダンスに誘ってくれるように、カルロス様にお願いしてちょうだい」
名指ししたことから、アメリアがカルロスという男性を好んでいるのは伝わってくるが、他人と接することなく生きているルーリアにはそれがどのような男性なのか想像すら難しい。
アメリアのおねだりを聞いて、ディべルが顰めっ面となり、気だるそうに答えた。
「カルロス・ジークローヴか。ジークローヴ公爵家の若き当主で、非常に有能な男だと言われているが、あいつはダメだ。黒精霊の気配に敏感でバスカイル家の汚点に気付かれる可能性がある。だからふたりとも、特にルーリアは絶対に近づくな。それに、アメリアが踊るべきなのは、死神公爵だなんて呼ばれているあいつではなくシャルード王子だ」
普段は何事にも甘い伯父から、きっぱりと駄目と言われてしまったアメリアが、怒りをぶつけるようにルーリアをぎろりと睨みつけた。
「……まったく、どこまで不快にさせるのよ」
その眼差しから、それもこれも我が家の汚点であるあなたのせいと心の声まで伝わってきて、ルーリアは表情を強張らせた。
「でも伯父様、ルーリアお姉様だけがカルロス様に近づかなければ良い話でなくて?」
どうしても諦めきれないアメリアがディべルに食い下がるのを遠くに聞きながら、ルーリアは顔を俯かせて物思いに耽っていく。
(他の貴族のご子息たちも参加するというのなら……あの時の彼もいるかもしれない)
頭に思い浮かべたのは十年前、ルーリアが七歳の時に出会い、助けてもらった名前も知らない彼のこと。
(彼は身なりからして貴族の子で間違いないし、年齢もたぶん私より少し上くらい。もしまた彼に会えたら……言葉を交わすことが許されるなら、あの時助けてくれたお礼を言いたい)
心が熱くなる反面、それは不可能だろうこともルーリアは分かっていた。
城に着いた後も、もちろん行動は制限され、王妃への挨拶が済めば、すぐに会場を後にすることになる。短時間で朧げな記憶を元に大人になった彼を見つけ出すことは難しいだろうし、仮に見つけられたとしても、ディべルとアズターの目がある限り話しかけることなど出来ないだろう。
ふと街の裏路地に続く暗がりの中に、黒い影を纏い、魂の抜けたような表情を浮かべている小さな精霊の姿が空中に浮いているのを見て取り、ルーリアはぎくりとして慌てて視線を逸らした。
(黒精霊。大丈夫、こっちを見ていなかったもの。私に気づいてないわ)
普段は伯父の光の魔力で施された結界の中にいるため、黒精霊の目に映らないように過ごせているが、今は結界の外にいる。髪飾りのサファイアが魔法石となっていて、そこに魔力が込められ結界の役割を果たしているが、それだけでは決して万全だとは言えない。
(黒精霊や闇の魔術師たちに捕まりたくない……そうよね。黒精霊から祝福を受けた私なんかが、浮かれる資格はないわ)
黒精霊や闇の魔術師に捕まれば、心の闇を刺激されて意識を乗っ取られ手下にされてしまう。暴力を振るったり、闇の魔力を使って人の命を殺める手伝いをさせられたりなど、闇に引き込まれた人々は穢れ者と呼ばれている。
まるで生き地獄のような酷い扱いを受けると、伯父夫婦に子供の頃から言われているため、ルーリアは顔を青ざめさせわずかに体を震わせた。
黒精霊の姿が目についてしまったのは、ほんの一瞬でも心を浮つかせたことに対する自分への戒めだったような気持ちになり、ルーリアの目にわずかに涙が浮かぶ。
(私は余計なことなどしちゃいけない。王妃様への挨拶をすぐに済ませて、たった一つの居場所に戻ろう)
カルロスの件でなかなか首を縦に振らないディべルにアメリアが痺れを切らし、アズターにもお願いし始めたところで、馬車は幅広の跳ね橋をゆっくりと進み、城の敷地内へと入っていく。
(これがアーシアン城。なんて美しいの)
真っ白な城壁にたくさんの窓が並び、四方に高く聳える塔は鋭く天へと伸びている。
まるで物語に出てくるかのような城の壮麗さを目の前にしてしまえば、自分を律したばかりのルーリアも心が逸るのを止められない。
停まった馬車からまずはディべルとアメリアが、続いてアズターも重い腰をあげるようにして降りた。ルーリアも羽織っていたストールを座席に畳み置いてから、そわそわしながら地面へと降り立ち、改めて優美なアーシアン城を見上げて圧倒されるように息を吐く。
「行くぞ」
ディべルのひと言で、四人は馬車を降りた順に連なるようにして歩き出した。
これまでの道中もそうだったが、門の内側にも多くの馬車が止まっていて、招待された貴族たちが談笑する姿が至る所にある。
ついルーリアは記憶の中の彼を追い求めて周囲を見回してしまうが、人が多すぎるのと、前の三人の足の早さに追いかけるのがやっとで、迷子になっては大変だと彼を探すのを早々に断念した。
城内に入ると、ディベルとアズター、そしてアメリアに気づいた貴族たちが次々と声をかけてくる。
挨拶もそこそこにすぐに彼らは自分の息子をアメリアに紹介しようとするため、「虹の乙女」としての注目を集めている娘を嫁にもらえるかもと期待しているのが丸わかりだ。
もちろんディベルはそんな彼らを「我々、王妃様へのご挨拶が済んでおりませんので、また後ほど」と冷たくあしらい、すぐに先へと歩き出した。
傲慢にも思えるディベルに対し、貴族の男たちは揃って苦虫を潰したような顔をし、息子たちはアメリアへと名残惜しそうな視線を送る。
そんな彼らの視線が自分に向き、話しかけられるよりも先にルーリアは慌てて顔を俯かせ、父親の背中を追いかけ城の中へと入っていった。
大階段を登り、柱が多くあるだだっ広い廊下を突き進み、会場となっている大広間へと足を踏み入れた瞬間、ルーリアは思わず息をのむ。
大広間は伯父の屋敷の居間より何十倍も広く、奥へ奥へと続いている。天井からはいくつものシャンデリアが下がっていて、煌びやかな光の下で、多くの貴族たちがグラス片手に立ち話をしていた。人々の隙間の向こう側に食事が並んだテーブルがいくつも置かれてあり、みずみずしい果物が人の背よりも高く積み重ねられているのも見えた。
そして、大広間の端には階段があり、その先の壇上に薄紫色のドレスを身に纏った奇麗な女性が座っている。
女性の元には挨拶の順番を待つ列ができていることから、品の良さが漂う彼女こそが王妃で間違いないと判断がつき、自ずとルーリアの心に緊張が湧き上がる。
(気を引き締めないと。王妃様の前で絶対に失敗できないもの……もし失敗したら……)
黒精霊から祝福を受けてしまったせいか、子供の頃からずっとルーリアの魔力は不安定のままだ。そのため、絶望や憤怒といった激情を心に宿した時はもちろんのこと、意図せず光の魔力が高まって暴走してしまうこともあり、これまで繰り返し伯父の結界を打ち破ってしまっていた。
光の魔力の増幅に反発するように、祝福によって刻み込まれた闇の魔力も一気に大きくなり、ルーリアを取り込もうとしたり、黒精霊たちを呼び寄せたりしてしまっていた。
屋敷の裏庭でならまだしも、このように人目のある場所で力を暴走させ、黒精霊まで姿を現してしまったらルーリアが黒精霊から祝福を受けていることが知られてしまう。今まで必死に隠していたことが公のものになれば、バスカイルの名に泥を塗ることになり、伯父夫婦からひどく怒られることになるだろう。
何より、王妃の祝いの席を台無しにしてしまったことで国から何らかの責任を問われ罪に処されることだってあるかもしれない。ルーリアは不安と恐れを心に抱きながら前を行くディベルとアメリアの後ろ姿をじっと見つめた。
人々の間を縫うように進んでいた時、大広間の脇に控えていた楽師たちが演奏を奏で始め、それに合わせて談笑していた人々が一気に動き出した。
身近にいる男女でペアを組み、軽やかにダンスが始まると、グラスを持っていた人々が場を空けるように脇へと移動する。
その流れをうまくかわせなかったルーリアは、よそ見をしている貴族男性から勢いよくぶつかられた。
「きゃっ!」
小さく発した悲鳴と共に、弾き飛ばされる形で床に倒れ込みそうになったが、すんでのところでルーリアの腰に手が回され、逞しい腕によって力強く引き寄せられる。
「すっ、すみません。ありが……」
ルーリアは自分を助けてくれた相手へとすぐさま視線を上げて謝罪するが、それに続くはずだった感謝の言葉は最後まで紡げなかった。
助けてくれた相手は黒い騎士服を身に纏った男性だった。艶やかな黒髪に強い輝きを宿した碧い瞳、すっと通った鼻筋に形の良い唇など、整った顔立ちは目を奪われるのを抗えないほど美しい。
しかし、ルーリアの鼓動を高鳴らせたのは、彼の見目麗しさだけが理由ではなかった。
(に、似てる。あの時の彼に)
十年前、その身を呈して黒精霊から救ってくれたあの幼い彼の面影が、目の前の男性にしっかりと重なったのだ。