不器用な結婚生活4
その翌日、いつも静かなジークローヴ邸には、雑巾や箒にハタキなどを手にした婦人たちで賑わっていた。
大勢で暮らすことがカルロスは嫌らしく、この屋敷では数日に一度通いのお手伝いさんたちがやって来て、足りていない掃除や家事などを共に行う形をとっている。
ルーリアも何かお手伝いをしたいと申し出たが、婦人たちに「嫌ですわ。奥様はお茶でも楽しんでいてくださいな」とあっさり断られてしまう。
皆が仕事をしている姿をぼんやり見ているしか出来ないのはやはり心苦しく、ルーリアはみんなの邪魔にならないように自室に戻ることに決める。
階段をのぼろうとした時、「ごめんください」と玄関の方から声がかけられ、すぐにエリンが姿を現す。
「どうしましょう。ちょうど今、回復薬を切らしてしまっていまして。ごめんなさいね」
「そうですか。わかりました。いつもいつも甘えてしまっているから、今日は天気も良いし、頑張って歩いて行くことにするわ」
困り顔のエリンに老婆はにっこりと笑って頭を下げると、足を軽く引きずりながら屋敷の外へゆっくりと出ていく。頬に手をあて「失敗したわ」と呟くエリンの元へと、ルーリアは静かに歩み寄る。
「どうかなさったのですか?」
「今のは近くで独り暮らしをしている方なのですが、見ての通り足がとても悪くて。カルロス坊ちゃんが医局まで魔法薬を買いに行くのが大変だろうと、屋敷にある分をお譲りしているのです」
相手が騎士団など、大口の場合は生成者と直接契約する場合もあるが、魔法薬を手に入れるには医局に行くのが一般的だ。
「少し多めに備蓄するようにしているのに、在庫が少なくなっていると言われていたのをうっかり忘れていて、しかも今朝、レイモンドが残りを持って行ってしまったのよ」
ルーリアは医局の場所を知らないが、それほど離れていない所にあったとしても、先ほどの老婆の足では大変だろうことは想像できる。
少しだけ躊躇ったのち、ルーリアは思い切って声をあげた。
「……あのっ! 聖水があれば、すぐに回復薬を作れます。もちろん私が作ったもので良ければですけど」
ルーリアの申し出にエリンはハッとした顔をし、すぐに笑顔となる。
「それなら奥様にお願いしましょう! 私、お婆さんを呼び戻してきます。聖水は書斎にありますので、そちらでお待ちください」
「はい」
すぐさまエリンは外へと駆けて行き、ルーリアは言われた通り書斎へ移動する。
カルロスが幼い頃に入り浸っていたという話を思い出し、わずかに胸を高鳴らせながら室内に足を踏み入れる。三つほど並んだ背の高い本棚の横を進んでいくと大きな机があり、その先に調合台が置かれてあった。
調合台の立派さや、その後ろにある大きな棚の中にびっしりと詰まった薬品の瓶に圧倒されるが、机の上に写真立てがあるのに気づき、つい足を向ける。
「……カルロス様だわ。懐かしい」
飾られていた写真に写っていたのは、ルーリアの記憶に残っている幼い彼そのものだった。そんな彼を中心にして後ろに男性と女性、彼の隣に女の子がいる。
「カルロス様のご両親と、妹のカレン様かしら」
カルロスと同じ黒髪碧眼で精悍な顔立ちの男性から、栗色の髪と瞳を持ち微笑みを浮かべている女性と少女へと順番に視線を移動させていく。
そして、今も過去もルーリアの記憶にはない、にっこり笑っている幼いカルロスへと視線を戻して、つられるように口元を和らげた。
「お待たせいたしました。奥様、白衣を持ってきましたので、よかったらどうぞ。夫のものなので少し大きいと思いますが、汚れるよりマシですので」
書斎に急ぎ足で飛び込んできたエリンが、両手で抱え持っていた白衣をルーリアに差し出した。すぐにルーリアは机の前からエリンの元へと歩き出し、「ありがとうございます」と頭を下げてそれを受け取る。
羽織った白衣は、少しどころではなくルーリアには大きくて思わずふたりは顔を見合わせる。
「奥様は華奢ですから、余計に大きく見えますね。どうしましょう。代わりになるような物を探してきましょうか」
「平気です……あ、でも、袖を折らせてもらっても良いですか?」
「もちろん、構いませんよ」
早速ルーリアは邪魔にならないところまで袖を折り曲げようとするが、うまくできずモタモタ手間取っていると、エリンが手を伸ばし、代わって袖を折り始める。
ルーリアが「ありがとうございます」と嬉しそうに伝えると、エリンは「どういたしまして」と笑みを浮かべた。
それからルーリアはエリンと共に調合台後方の棚の前へと移動し、引き出しや扉を開けつつ、瓶や聖水や薬草の保管されている場所や、常備の魔法薬置き場などの説明をひと通り受けた。
ルーリアは聖水の入った大きな瓶と容器となる小瓶を調合台へと移動させ、それらと向かい合った。
小瓶の半分ほどまで慎重に聖水を流し込むと、聖水を観察するように小瓶を自分の目の高さまで持ち上げる。軽く揺らせば、キラキラとした輝きが液体の中で散り、ルーリアは「わあ」と小さく声を上げる。
聖水にも良し悪しがある。これまで生成する時に専ら使用していたものは、それほど高くない聖水のため、これほど繊細な輝きは生まれない。
王族に上納する時のみ、使用するのは高級な聖水だったのだが、それでもこれほどまでに美しい輝きではなかったようにルーリアには思えた。
「とても純度が高いのですね。これほどのものは初めてで驚きました」
「さすが奥様、お分かりになられるのですね。お恥ずかしい話、私には普通のものとあまり見分けがつかないのですが、カルロス坊ちゃんもレイモンドも一級品だと言っていました」
「高価なものですし、カルロス様の許可をいただいてからの方がいいのでは?」
高級な聖水を使用した時は、クロエラから「一滴も無駄にするな」と繰り返し厳しく言われ、その上、生成時はすぐそばで見張られもした。
エリンの言う一級品がどの程度のものなのかルーリアはよく分かっていないが、少なくともその時よりは高価な物で間違いない。無断で使用したらカルロスを不愉快な気持ちにさせてしまうのではないかと、ルーリアはすでに小瓶へ移し替えてしまった聖水を不安そうに見つめた。
しかし、エリンは微笑みと共に首を横に振って否定する。
「昨晩カルロス坊ちゃんが、奥様が調合したいと言った時は、屋敷にある物すべて遠慮せず自由に使ってもらうようにとおっしゃっていました。足りないものがあれば言えとも」
昨日のカルロスとのやり取りを思い出し、早速、動きやすいように根回ししてくれたのだと考えれば、今またルーリアは彼の気遣いに胸を熱くさせる。
自分との婚姻はカルロスにとって得することは何もないとわかっているからこそ、少しでも彼の役に立てるように頑張ろうと、ルーリアは両手の拳を軽く握りしめる。
「あまりお待たせしても申し訳ないので、生成を始めますね」
そう宣言して、ルーリアは左手で小瓶を持ち直し、右の手の平を瓶の下部へと近づける。ゆっくりと目を瞑って数秒後、聖水とルーリアの体が共鳴し合うように断続的に輝き出した。ルーリアからふわりと放たれた光の粒子が線状に連なり、まるで意思を持っているかのように体の周りを旋回し始める。
ルーリアが右手の指先を動かせば、次々と現れ出る輝きが線状の粒子に折り重なって、やがて複雑で、しかし繊細な模様を浮かび上がらせていく。
神秘的な光景を目の当たりにし、エリンは目を大きく見開き、圧倒されるようにごくりと唾をのむ。
線が帯状まで大きくなった後、一気に弾け飛ぶ。ルーリアやエリンの周りがキラキラとした輝き溢れかえったその数秒後、ものすごい勢いで光は小瓶の中へと吸い込まれていった。
室内が通常を取り戻してからルーリアは目を開け、自分の手元で視線を留める。
小瓶の半分の量しか聖水は入っていなかったが、それが今にも溢れそうなほどの量にまで増えていた。いつもの通りにできたことにルーリアは安堵の息を吐いた。
「回復薬、ひとつ完成しました。一級品を使わせてもらったから魔力の馴染みがとっても良いです……エリンさん?」
感想を述べながら、ルーリアは出来立ての回復薬をエリンに手渡そうとする。しかし、エリンは唖然とした顔で回復薬を見つめたまま、受け取ることなく固まっていて、ルーリアは申し訳なさそうに俯く。
「良い物を使わせてもらった割には、この程度の出来ですみません」
「なっ、何をおっしゃいますか! 普段、医局で購入しているものとは輝きが比べ物になりません。それどころか、これほど美しい回復薬を私は見たことがありませんよ」
「そ、そうでしょうか?」
「ええそうです! このままカルロス様の元に持って行って、見ていただきたいくらいです。たくさん褒めていただけますよ……とは言っても、こちらはお婆さんにお譲りする約束をしてしまいましたし、お渡ししてきますね。奥様は休んでいてください」
エリンは小瓶を栓で封すると、慌ただしく書斎を出て行った。ひとり残されたルーリアは思わずぽつりと呟く。
「……カルロス様に褒めていただける?」
言葉にしてみれば、ルーリアの心の中にさまざまな思いが巡り出す。
(私程度の魔力ではきっと褒めてもらえないと思うけど……でもカルロス様はお優しいし、見てみたいともおっしゃってくださったし、もしかしたら本当に褒めてくれるかもしれない……カルロス様に褒めてもらいたい)
はっきりと抱いてしまった望みに戸惑いながらも、ルーリアは動き出す。




