願っていた再会1
精霊たちが住まい豊富な鉱石を有する霊峰が北部に広がるトゥイルス国。山から流れくる清らかな川のそばには精霊たちと人間が協力し合って繁栄してきた首都のアーシアンがある。
時を遡ること十七年前、月の清らかな光が差し込む部屋の中、アーシアンに居を構えているバスカイル伯爵家にひとつの命が誕生した。
「頑張りましたね。元気な女の子ですよ」
産婆は生まれたばかりの赤子を優しく抱きかかえ、顔色悪くベッドで休んでいた母親の元へと連れていく。
「……ああ……ようやく会えたのね。愛しいあなたに」
母親は微かに震える手を伸ばし、柔らかな赤子の頬に触れ、目に涙を浮かべた。
自分の腕で抱くべく、母親が産婆から我が子を受け取ったその瞬間、天地を切り裂くかのような激しい雷鳴が響き渡った。
母親と産婆は身を強張らせながら窓へと視線を向けるが、夜空に黒い雲など立ち込めていなく、揃って怪訝の表情を浮かべる。しかし、不意に感じた気配にふたりは勢いよく室内へと振り返り、目を大きく見開く。
室内は月光が当たる場所以外、ところどころランプが置いてあるだけで薄暗い。元々陰っている戸口の手前に浮遊する形で、黒いモヤが球体となって渦巻いていてる。落雷によってどこかが燃え上がり、生じた煤かと勘違いしそうになるが、すぐにそのモヤの正体が姿をあらわにし、ふたりは息をのむ。
体の大きさは二十センチ程度、綺麗なドレスを身に纏い、美しい顔立ちの若い女。右足から短い鎖が下がった足枷をつけている。
「黒精霊」
恐れ慄きながら母親はそう呟いて、我が子を守るように腕の中にいる小さな体をぎゅっと抱きしめる。
黒精霊はその様子を感情の読み取れない顔で見つめていた。
やがて赤子が、火がついたように泣き始めると、感情の高まりに呼応するように清らかな光がふわりを舞い散った。
すると黒精霊は、ふらりと体を揺らした後、黒目がちな瞳でしっかりと赤子の姿を見据える。すると、廊下をこちらに向かって一気に近づいてくる足音がいくつか聞こえ、力いっぱい扉が開け放たれた。
まず部屋に飛び込んできた男性が黒精霊を見て、戸口で唖然と立ち尽くす。続けて姿を現した男女も同様に息をのむが、すぐさま攻撃体勢へと移行する。
男女は黒精霊に対して光の波動を放ったが、それよりも数秒早く、黒精霊が煩わしそうに手を軽く払い、濃厚な闇の壁を生み出した。
壁の向こうで「黒精霊め!」と男が吐き捨てた声など気に掛けることなく、黒精霊は赤子へと向き直ると、小声で呪文を囁きながら、爪の長い人差し指を己の口元へ移動させる。
細長い指に口付けをした後、その指先を赤子へと向けて弾くような仕草をした。
空中を滑るように黒い球体が赤子の元へ放たれる。咄嗟に母親が赤子を隠すように抱き寄せようとしたが、時すでに遅く、黒い球体はその力をしっかりと刻み込むように赤子の体内へと吸い込まれていった。
赤子は泣き叫び、母親と産婆は顔を青ざめさせ言葉を失い、黒精霊は表情一つ変えずに、その場から姿を消した。
闇の壁が消え去ると共に、三人が母親と赤子に駆け寄り、絶望や憤りの顔を浮かべる。
黒精霊の闇の魔力がまとわりついているのを見れば、この赤子、ルーリア・バスカイルが黒精霊から祝福を受けてしまったのは一目瞭然である。
そしてそれは、数多くの優秀な光の魔術師を輩出してきたバスカイル家にとって、あってはならぬことだった。