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刀戦

作者: 椎那



俺を見下ろす師匠が目の前にいた。

師匠に負けた。

俺は、師匠に負けたんだ。












俺が8になるか、ならないかの頃。

父さんが戦で行方不明になった。

行方不明。

死体が見つかってないだけでもう生きていないのだろう、と小さいながらも理解していた。

それに続くかのように、その日から数日で母さんも病気が悪化し他界。

怒ったり笑ったり話したりした大好きだったあの時間は。大好きな父さんと母さんは。

もうこの世にはいない。

もうこの世には存在しない。

胸の中に、酸っぱい空虚な穴が出来たようだった。

自分の中から何かが欠けた。

それから、俺はひとりになった。


生きる為に畑から食料を盗み、泥水を啜って生きていた。

生きることに執着はなかった。

ただ、死ぬ決意が出来ずに、目の前にある空腹感をひたすらに満たしていた。

けれども脆弱な子どもの小さな手で、藁に縋ったところで結果は決まっている。


ある雨の日に、俺は外で倒れた。


やっと、この意味もない生から解放される。

もしかしたら、天国で父さん、母さんに遇えるかもしれない。

そう思っていた。









目を開けると入り込んできたのは、木造の天井だった。

頭と身体が鉄の塊のように重く、痛く。

ここが天国ではなく現実世界だと思い知らされた。

「目が、覚めましたか」

声のした方を見ると、胴着を纏い眼鏡をかけている三十代後半ぐらいの男がいた。

優しそうな顔とは正反対に身体は筋肉質で荒々しく、右腕がない男だった。

「体調は大丈夫ですか」


「ここは……」

「ここは私の道場です。道端で倒れているあなたを見つけて、ここまで連れてきたんですよ」

連れてきた?

―――あのままだったら、俺は死ねたのに。

俺は、また、こんな世界で生きていかなければならないのか。

俺は、何も、意味のない時間を、また、過ごさなくてはならないのか。


「親御さんは? あのまま私が通らなければ命の危機だったか―――」

「親はいない。二人とも戦のせいで死んだ」

「……」

「俺はあそこで、何の意味もないこの生に終わらせられるつもりだった……」

「……なんの意味もない?」

「あんたさえ来なければ、俺は―――」

「なんの意味もない生なんてありません」

「そんなに死にたいなら、その命、せめて有効活用してください」

それが、師匠との出会いだった。






師匠は、刀術の範士だった。

戦場に行っていたが、片腕を無くし帰還させられたらしい。

野垂れ死ぬくらいなら、戦場で命を散らせ、と刀術を教えられた。

自分の決意に関係なく他者に奪ってもらえる戦場は、決意がいつまでも出来ずにいる俺にとって、願ってもなかった。

それから俺は、ひたすらに刀術に打ち込んだ。

戦場に赴ける最低年齢、18になるまで。

胸に空いたままの空洞を誤魔化すために、ただひたすらに。




そして、俺は18になった。

やっとこの人生に、終止符を打てる。

そう思っていた。

「片腕の私より弱いのに戦に行けると思っていたのですか? そんなはず、あるわけないでしょう」

寝耳に水だった。

「自分の方が強い、とでもまだ思っているのですか? では、こうしましょう。私にあなたが勝つことが出来れば、戦場に行ってもいいとします。勝てなければ、戦場には行かない。どうでしょうか」

「ああ、それでいい」

「負けても約束を違えないようにお願いしますよ。それでは、始めましょうか」




俺を見下ろす師匠が目の前にいた。

師匠に負けた。

俺は、師匠に負けたんだ。

俺は―――

俺は、まだ生きていかなくてはならないのか。

10年間俺は一体何のために刀術を続けていたのか。

まだ、こんな世界と別れられないのか。

いつになったら俺は……!

「くそっっっっ……」

「これではっきりしましたね。蒼太。お前は私より、弱い。先ほども言いましたが、約束は違えないように」

持っていた木刀を地面に叩きつけ、外に駆け出した。

「外は雨なので、気をつけてくださいね」

“心配している風”を装っている師匠の声が、去り際に聞こえる。

あの奥底では何とも思っていない、上辺だけの“心配をしているフリ”が世界一嫌いだった。







外は雨が強く、強く、降り注いでいた。

俺をあざ笑うかのように冷たく、遠慮がない雨が身体を打ち付ける。


俺はどうすればいいのだろうか。

そうして立ちすくんでいると、ある列が見えた。

その列は武装をしていた。

恐らくはこれから戦場に行く人達だろうか。

もしかしたら、あの列に加われば戦場に行けるかもしれない。

俺は――――






俺は、足が動かなかった。

師匠の約束を守った訳ではない。

ただ、足が動かなかった。

「動けよ……なんで、動かないんだよ……」

むりやり力を入れ、前に進もうとする。

が、上半身だけが前のめりになり倒れただけだった。

雨で掘り返された泥が口の中に入り、強雨が身体を打ち付ける。

惨めな気分だった。

「――きみ! ―――じょうぶ!?」

突然、俺の身体を打ち付ける雨が止む。

「聞こえる!? 大丈夫!?」

夏の日差しのような優しい声が雨音の間に聞こえてくる。

見上げるとそこには少女がいた。

俺が濡れないように傘を差し出していた。そのせいで背まで伸びた長い綺麗な黒髪は、雨で濡れてしまっているのに。そんなことは少しも気にしていない様子で俺を見ていた。 海のように蒼い綺麗な目をしていた。

「君顔が真っ青じゃない! 今すぐ身体を温めないと……」

「……放っといてくれ……」

「今にも倒れそうな人を放っておくことなんて出来ません! 私の家がこの近くだからちょっと来なさい!」

自分が汚れることを厭わずに彼女は俺の肩を担ぐ。

潰れてしまいそうな程に華奢なのに、彼女は力があった。俺は逆らうことが出来ず半ば強制的に連れて行かれた。







彼女の家は普通ではなかった。

母屋は木造の大きな屋敷が堂々と立っており、その他にも、ゆうに百人が入れる剣術道場や土蔵の倉が二つ見えた。

中に入ると玄関口に名前が刻まれた代紋があり、一目で“東雲家”だということが分かる。

東雲家。刀術の御三家と呼ばれる名家の一家だということは、世間に疎い俺でも知っていた。

そのまま彼女は俺を中に引き入れた。

「お風呂場はここだよ。身体を拭くのにはこれを使って。しっかり、身体温めてね」

そう言われ俺は風呂場に通された。

このまま入らないで出てなにか言われたら面倒だ、と感じ素直に彼女に従って風呂に入る。









風呂場の中も明らかに一人用とは思えないほどに広かった。

身体についている泥を落とし湯船に浸かる。

俺は今後のことを考えていた。

俺は師匠に勝たなくてはならない。

しかし今のままでは師匠に勝つことは出来ない。

手詰まりだった。

そんな時に風呂場の外から声が聞こえる。

「ここに服置いとくから! 多少は大きさが合わなくても我慢してね」

彼女の声を聞いて頭の中にある考えがよぎった。

ここが彼女の家ということは、彼女は東雲家であることはまず間違いない。

つまり、彼女に頼んでお父さんか誰か、東雲家の当主に術を教えてもらえばいいのではないか、と。












風呂から上がった俺は、まず彼女に確認した。

「……名前はなんて言うんだ?」

「そういえば、自己紹介してなかったね。 私は東雲紗耶しののめさや。君は?」

やはり彼女、紗耶は東雲家だった。

「俺は、八剣蒼太やつるぎそうた。紗耶、お父さんを俺に紹介してくれないか?」

「え? そ、そんな急にどうしたの?」

「俺は、決めたんだ。東雲(を師匠)にすると」

「そそそそそそれって、どういう……」

「言葉通りの意味だ。俺が東雲(流)になるってことだ」

「そそそそそそそそそそそれって……こ、こ、こく」

「頼む紗耶」

「とととつぜんすぎるよ! 私たちまだ、出会ったばかりじゃない!! それにお父さんは……」

紗耶はなんだか顔を赤らめてそう言った。

風邪でもひいたのだろうか?

「頼む」

「ちょ、ちょっと、そんな急に言われても……ってちかい! ちょちょちょっと近いよ! 待って、私にはまだ覚悟がっ……! せ、せめて、優しくっ……!」

「頼む。どうしても刀術を習う必要があるんだ」

「へ?」

「ちょちょっと待って」

「なんで、お父さんを紹介してほしいのかもう一度ちゃんと言って……?」

「俺は、東雲家の刀術を学びたいんだ」

「…………ッッッッッッ…………」

突然、紗耶はジタバタ暴れ出した。

さっきから腹でも痛いんだろうか?









「おっほん。さっきの話なんだけどもうお父さんはいないんだ。だから残念だけど……」

「悪い」

「別に気にしてないから大丈夫だよ」

しかしお父さんがいないとなると俺は誰に刀を教われば――――?

じゃあ、今は誰が東雲流を継いでいるんだ?

この家に来た時からあった違和感。

紗耶以外に人が住んでいる気配がなかった。

それに小柄な紗耶が俺をここまで無理やり運べた理由。

自分の中にあった疑問がだんだんと繋がっていた。

それを疑問を確証に変えるため俺は質問を投げかけた。

「今は誰が東雲流を後継しているんだ?」

「…………なんで蒼汰はそんなことが気になるの?」

「俺は、刀術の師匠に、どうしても勝たなくてはいけないんだ。だが今のままでは勝てない。だから、東雲流を教われば勝てるようになれるんじゃないか、と」

「だから、頼む紗耶。俺に刀を教えてほしい」

「……蒼汰の想像通り、私は東雲家現当主。だけど」

紗耶は面倒見がよさそうだから引き受けてくれると思ったが、返ってきた反応は思っていたものとは別ものだった。

「私は、誰にも刀術を教えたくありません。お帰り下さい。」

今までの態度とは違う東雲家当主として、冷たく突き放す拒絶だった。




このまま雨に放り出して風邪でも引かれたら後味が悪いから、と雨が止むのを待って俺は追い出された。

俺はどうすればいいんだ。

死に向かって自ら進もうとしても足がすくみ、唯一の可能性の紗耶にも拒絶される。

灯りのない洞窟に一人取り残された気分だった。

師匠の元に帰る訳にもいかず、紗耶と出会った場所に戻っていた。

この場所は、この世で一番落ち着く場所だった。

両親とよく遊んだ思い出の場所だった。

両親がいなくなったあとのここは家の代わりだった。

そして、紗耶と出会った場所もここだった。





「君は人を殺すために、刀術を上達したいの?」

顔を上げると紗耶がいた。

本物か幻覚を見ているのか分からないが、慎重に答えを紡いでいく。

「俺は……師匠を倒すために刀術を上達させたい」

「つまり、君は人を殺すために刀術を上達したい訳ではないの?」

俺は……。

俺は人を殺すために戦に行く訳ではない。

「ああ、俺は人を殺すために上達させたい訳ではない」

「分かりました。それではお師匠さんに勝てる程度の刀術なら教えましょう」

「その代わり、東雲流を途切れさせないようにしてください」

「わかった」

こうして俺は、紗耶に刀術を教わることになった。

「ところで、どうしてここまで来たんだ?」

「どうしてって、君がまたどこかで倒れてるんじゃないかなって」

「そんないつも倒れている訳じゃない」

「分かってるよ。でも君、今にも倒れそうな顔してたから」

「表情なんていつも変わらないだろう」

「そうかな? 君の顔はわかりやすいけどな」








次の日から。

「まずはあなたの実力を知りたいので私と戦ってください」

そう言って紗耶は練習用の木刀を構えた。

刀術のことになると雰囲気が一気に変わる紗耶だったが、刀を構えるとさらに変わる。

一本の鉄の塊のように鋭く、美しく。それでいて、山に一輪だけ咲く紫色の花のように本能的に恐怖を感じる重圧があった。

自分より何十倍も強いと、木刀を握る手が伝えてくる。

それでも、自分より小さな紗耶に負けるはずはない。そう無理矢理自分に言い聞かせ、木刀を構える。

「はぁぁぁぁ!!!」

「っっ」

紗耶は俺が木刀を構えた瞬間、とんでもないスピードで間合いを詰めてきた。

自分より小さな紗耶に負けるはずはない。そんなことは間違いだったと一瞬で悟る。

間合いを詰めてきた紗耶に対し、俺はもっていた木刀に力を入れて紗耶を弾き飛ばそうとする。

だが、木刀と木刀が打ち合った瞬間、弾き飛ばされたのは、俺の方だった。

「あなたの実力は大体分かりました」

紗耶は木刀を置き、息を吐き出す。

すると身に纏っていた雰囲気がすぅっと消える。

「ふぅ~、今日のところはおわりだね」

俺は紗耶の実力に圧倒されていて、しばらく言葉が出なかった。






「ところで君、ちゃんとお風呂入ってる?」

「いや、外で野宿しているから入っていない」

「外で野宿!? 何で!?」

「師匠のもとに帰る訳にも行かないから外にいた」

「あーもう! なんでもっと早くにいってくれなかったの!!」

「お父さんもお母さんもいなくなって使ってない部屋がいっぱいあるから、私のうちに住みなさい! 反論は認めません!」

「……なんでそんなに俺にいろいろやってくれるんだ?」

「初めて会った時の君の顔が、お母さんを亡くした後の……戦場に行くときのお父さんの顔に似ていたから……なんだかほっとけなくて」

「悪い」

「それよりさ! 君、野宿ってことはまともなご飯食べてなかったんでしょ! 私、料理の腕には自信あるから、待っててよ!」







「さ! 召し上がれ!」

自信満々の紗耶が作ったのは、魚の煮物にご飯、それにお味噌汁とおつけもの。

匂いからしてうまそうな料理に、俺は我を忘れて手を付けた。

「う、うまい……」

う、うますぎる……。

なんだこれは……。うまい……。

「でしょう!」

紗耶がうれしそうにしていたが、そんなことよりも、うますぎる……。

「さ、もっといっぱいあるから遠慮しないで食べて!」






次の日。

この日から特訓は始まった。

練習内容は人形相手に打ち込みの練習だった。

紗耶との打ち合いを想定していたため、心底安堵していた。

「打ち方が素直すぎます。それでは相手に刀筋を見切られます」

「力に頼り過ぎです。力押しだけでは勝てません」

「上半身だけを注視しないで、常に全体を見てください。足払いなど意識外の攻撃をされてもいつでも反応出来るように」

紗耶の言葉に意識を割きつつ、ひたすら打ち込む。




日がすっかり暮れ、空が朱色に代わり始めた頃。

「ふぅ、今日のところもこれで終わりだね。君、お師匠さんのおかげか基本的なことが出来ているから戦い方さえ分かれば相当強くなると思うよ」

そんな言われても少しも嬉しくないお世辞を言われ、反射的に返してしまう。

「お世辞はいらない」

「私、刀術と刀のことに関しては、嘘は言わないよ。だから、これはほんしん。それに君、飲み込みが早いからすぐに上達すると思うよ」

紗耶のあの実力の前に、上達した所でと思ったが、それでも紗耶に褒められて、俺はちょっと嬉しかった。









それから何日も、何週間も過ぎて。

紗耶に戦い方やいろんなことをたくさん教わり、そのおかげで上達した。

俺は、師匠ともう一度戦ってケリをつけるつもりでいた。

紗耶には、それを、何か分からない、分からないが、見ていてほしくて、俺は紗耶に立ち会いを頼んだ。

「紗耶、俺は師匠にもう一度戦うことにした。だから、それに、立ち会ってほしい」

「そっ、か……わかった、いいよ」

「そっか、だれかとの生活もこれで終わっちゃうのか。また、この広い家に一人になっちゃうのか」

俺は、師匠と戦うということは、この生活が終わるということと同義だと、そのことを忘れていた。

「君は、蒼太は、この何週間か、楽しかった?」

「ああ」

「両親が死んだ俺にとって、この世は、なにをやっても、楽しくなくて、生きている心地がしなかった。だが、あの場所で、紗耶と出会ってから、それは変わった」

俺は、何故、師匠と戦ったのか、なんのために、勝とうとしたのか、忘れるぐらいには、この生活は、楽しかった。

「紗耶との生活は……楽しかった」

「そっか。よかった」

「私も、楽しかった」

それでも、師匠とは決着をつけないといけない気がしていた。

これまでのこと、両親のこと、そして師匠とのことも、戦うことで、区切りをつけられる気がしていた。

紗耶とは、俺が勝っても戦場に行かなければ、今後も会えると思っていた。

よく考えれば、そんなことはあるはずもないのに。






俺は紗耶を連れて、師匠がいる道場まで来た。

「帰ってこないから心配していましたよ?」

開口一番師匠はそう言い放つ。

いつもこいつはそうだ。

思ってもいない、言葉。

それなのに、俺のことを思っているフリをする。

その態度が、言葉が、いつも、いつも、俺の神経をいら立たせていた。

だがもう――――師匠のことはどうでもいい。

ただ、ケリを付ける。

それだけだった。

「師匠に勝ちに来た」







「私に勝ちにきた? そんな直ぐに結果は変わらないと思いますが……」

「ところで後ろにいるお嬢さんは……なるほど、東雲家のご当主ですか」

「……蒼太の刀術の基礎がしっかりしていたので、相当な実力者だとは思いましたが……まさか、斎野さんだとは思いませんでした…………ご無沙汰しております」

「襲名式以来ですか。その後お変わりなく?」

「……はい」

師匠と、紗耶はなにやら面識があるようだった。

「蒼太の気がこんなに大きくなっている理由はあなたですか。はぁ……余計なことをしてくれましたね」

「……」

師匠の一言で紗耶の身体が強張った。

「紗耶に頼んだのは、俺だ。余計なことばかり言ってないで、早く勝負をしろ」

「ずいぶん喋るようになりましたね。いいことです」

師匠はまた、思ってもないことを、煽るように言ってきた。

「では、紗耶さん、立ち会いをお願いできますか?」












「東雲の当主たる東雲紗耶が立ち会います。勝負方法は、木刀による致命傷部分への一撃先取制。それでは、試合開始」

俺は、前師匠に力押しで勝負し、力押しで負けた。

だから、今回は教わった戦い方の中でも紗耶の戦い方、スピードで勝負することにした。

「はあああああ!!」

俺は師匠に対して、紗耶がやった時のように素早く間合いを詰めた。

「なっ!?」

師匠は驚いたがすぐさま剣を構え、俺を弾き飛ばす。

「……これは厄介なことになりましたね……本当に余計なことを……」

師匠は腐っても師匠だった。

いつまでたっても変わらない、あの口をへし折ってやりたかった。

紗耶に習ったことを一つ一つ、頭の中で反芻し、一歩踏み出す。

何度も、何度も、師匠の刀に打ち付け、速さで勝負をする。

師匠のことを否定して、紗耶のことを肯定するために。

それでも、師匠は俺を“思っているフリ”を続ける。

気を使っている風を装い、こちらの急所や弱点は一切狙ってこない。

それが、気に入らなかった。

「お前の……その態度……いい加減やめろよ! 俺のことなんか思ってもないくせに、思っているフリをするのはやめろ!」

打ち合いで興奮しているのを自分でも理解していたが、それでも抑えきれなかった。

「なんのことですか?」

「とぼけるなよ! いつもいつも、俺を嘲笑う笑みを浮かべて、心配していないのに、心配しているフリをして!」

「……。本当に心配しているんですけどね……」

「そうやって嘘の言葉を積み重ねて、いい加減にしろよ!」

「……蒼太それはちが――」

「紗耶さん! それ以上は大丈夫です。大丈夫ですから」

「これは、私が蒼太との接し方を間違えたのがいけなかったんですから」

「近いうちに失ってしまうなら、最初から感情を持たなければいいと」

「それでも」

「それでも、私を持ってしまった。だから」

「私は蒼太に負ける訳にはいきません。」

まだ、師匠はそんな嘘ばかり言っている。

「私は勝って、蒼太は、絶対に戦争なんかに行かせません」

「……戦争?」

「これで決めましょう蒼太」

師匠は刀を持ち直し、気配を変えた。

次の一太刀で決まる。

俺も、気合いを入れ直し覚悟を決める。

少し呼吸を整えたおかげで思い出す。

勝つ目的を。

ただ、紗耶のために勝つ。

そう、師匠なんかはもうどうでもいい。

ただ、決着をつけて、紗耶との生活のために。

「「はぁあああああ」」

俺は前に踏み出した。

……………………

……………………

……………………

「…………勝者、八剣蒼太」







師匠に勝った。

俺は師匠に勝った。

これで、おれは紗耶と――

「くそっっっっっっ!!!!!!」

道場に師匠の声が響き渡った。

師匠の方を見ると。

地面に膝をついて、泣いていた。

感情的になる師匠を初めて見た。

自分の中の熱湯のように熱かった血が、冷たくなったのを感じる。

師匠も、人間だったのだと。

「私は………………! 蒼太を失いたくはない! これ以上戦争に何かを奪われるのは……もうたくさんなんだ!」

全部、師匠の言っていることが、本当なんだと、わかった。

今言ったことも。

さっき言った、接し方を間違えたと言ったのも。

心配しています、と言ったのもすべて。

「俺は…………」

「ちょ、ちょっと待ってください!! 戦争ってどういうことですか……? それに蒼太を失うって!?」

「聞いていなかったのですか……? 蒼太は戦争にいくために私と戦っていたんですよ……」

「なに……それ……」

「どう……いうこと……蒼太?」





「俺は……家族が二人とも死んで……泥を啜って生きていた……。そんなことをしていても、生きている意味が見つからなかった。ただ、自分で死ぬのが怖くて。でも生きてはいたくなかった。だから、行けば死ねる戦場に行きたがっていた」

「でもそれは、紗耶と出会って、変わったんだ」

「紗耶との暮らしは、今まで空っぽで何も感じなかった胸の中が、暖かいもので埋め尽くされた。自分の中にも不の感情以外にこんなにもたくさんの感情があったんだって」

紗耶とのことを思い、一つ一つの記憶に触れていく。

胸のなかが暖かく、やさしく包んでくれる思い出一つ一つ。

その暖かさが俺のことを救っていた。

「おれは……もう……いきていたんだ」

「おれは、もう……戦争にいくつもりはない」

顔から、暖かさがあふれていた。

生まれて初めて感じた涙。

冷たい俺のすべてが、溶かされていく。

でも、まだ伝えたいことは伝えられてない。

だから俺は言葉を繋いだ。

「そんな風に変えてくれた、紗耶」

「紗耶が好きだ。人生を一緒に歩んでくれ」







「っ!!」

紗耶は身動き口元を手で覆う。

それでも抑えられなかったのか、涙が溢れでていた。

「私は……私も、お父さんがいなくなってから、あの大きな家にずっと独りぼっちでつまらなかった……」

紗耶は、両手を俺の顔の方に伸ばしながら話し始める。

「でも……ふふっ、そんな時に、蒼太を見つけて、一緒に住むようになって変わったんだ」

紗耶は泣いているのに楽しそうに笑いながら話す。

「どこか大人っぽいのに、放っておけなくて、いろいろ危なっかしくて……でも面白くて……」

「そんな蒼太が好き」

「私も蒼太のことが好き」

紗耶は、満面の笑みを浮かべてそう言った。






「でも……だけど、一緒に人生を歩むことは出来ない」

「私は、東雲家当主だから。次の誕生日、18歳になったら戦場に行かなくてはならない。それは、女性でも変わらない」

「それが、御三家当主の役目」

「……紗耶が戦争に……行く?」

紗耶が戦場に行ってしまうなら、なにも意味がない。

師匠に勝った意味も、今まで教えて貰ったこともなに、も?

教えて貰ったこと?

教えてもらったことがあれば、紗耶が戦場に行かなくてもいいように、出来るんじゃないか……?

紗耶が行かなくていいように、紗耶の次の誕生日までに戦争を終わらせられば、紗耶は戦場に行かなくていいじゃないか。

そうだ、俺が紗耶の代わりに刀を取る。






「紗耶が、戦場に行く必要はない。俺が、紗耶が戦場に行くまでに戦争を終わらせる」

「な、にを言っているの? 何年も続いてきたこの戦争が終わる訳ないじゃない! それに私にも勝てない蒼太がそんなこと出来る訳ない! 蒼太が戦場に行く必要はない!」

「紗耶に勝てなったのは、紗耶に教わる前の話だ。今は分からない」

「じゃあ、勝負して。私が勝ったら、蒼太は、絶対に戦場に行かせない。東雲家の力で、絶対に行かせないように働きかける」

「俺が勝ったら、戦場に行かせてもらう」

俺と紗耶は木刀を手にする。

紗耶は木刀をもった瞬間、雰囲気が一瞬で変わる。

「分かりました。では立ち会いは斎野さんお願い出来ますか」

「紗耶さん……私は、蒼太に戦争に行って欲しくない……だから……自分勝手ではあるのですが、必ず勝ってください……」

「元よりそのつもりです」

「お願いします」

「蒼太、勝負方法は、先程と同じでいいでしょうか」

「ああ」



「斎野肇が立ち会います。勝負方法は、木刀による致命傷部分への一撃の先取制。それでは、試合開始」

「はぁぁぁぁ!!!」

紗耶は開始早々、間合いを詰めてきた。

俺は紗耶に教わった速さ重視の戦い方に切り替えて、紗耶の初段に受け流して対応した。

『力に頼り過ぎです。力押しだけでは勝てません』

紗耶は初段で倒せると思っていなかったのか、続いて足払いなどでこちらを崩しにかかってきた。

『上半身だけを注視しないで、常に全体を見てください。足払いなど意識外の攻撃をされてもいつでも反応出来るように』

なんだか紗耶の修行をテストされているみたいで、少し面白かった。



そんな楽しい時間も、あっという間に過ぎ。

俺も紗耶も、長時間打ち合って体力を消耗していた。

打ち合っている紗耶は、小柄な体とは思えないほど、力強く、それでいて俊敏で、見ているものを感動させるほど、とても美しく綺麗だった。

だからこそ、こんな女の子を戦場になんて、行かせてはならない。

この気持ちを紗耶にぶつけるように、一歩間合いを詰めて、紗耶の木刀に木刀を打ち付けた。

紗耶も間合いを詰め、俺に打ち付ける。

紗耶の一撃は滝のように重かった。

だが、俺は負けるわけにはいかない!

「うぉぉぉおおおおおおおおおお」

全ての力を振り絞って、紗耶の一撃を跳ね返した–––





「しょ、勝者、八剣蒼太」

俺は紗耶に勝った。

あの紗耶に、勝ったんだ。

「……蒼太……」

「紗耶は、戦争にいかなくても済むように、俺は戦争を終わらせに行く。師匠も、紗耶も今までありがとう」

ただで戦争を終わらせられるとは、思ってなった。

俺の命と引き換えに、戦争を終わらせるつもりだった。

「なに、それ、蒼太!! 死ぬつもりじゃないよね?」

「約束して!! 必ず帰ってくるって!!」

約束して、いいのだろうか。

もし、約束して、かえってこれなかったら、紗耶を永遠に苦しませてしまうのではないか。

俺は紗耶の言葉に–––


「分かった。約束する」

「必ず……必ず!必ず守ってね!」

紗耶に約束をして、俺は戦場に向かった。






戦場で、俺は敵をがむしゃらに倒していて敵を追い詰めていた。

ただ、紗耶との約束を守るために。

すると、先陣で敵を倒す俺に危機感を持ったのか、図体のでかいやつが現れた。

俺よりも何周りも大きく、鉄の棒、そう言ってもいいほどの刀を持っていた。

「人の陣地でずいぶん好き勝手暴れてくれたようだなぁ?」

図体だけでなく、態度もでかいらしい。

「あれ……相手の頭じゃないか……」

俺の後ろにいた味方が呟いていた。

相手の頭が出てきてくれるなんて、幸運に恵まれている。

俺は念のために、奴に確かめる。

「お前が頭か?」

「そうとも! 俺様がこいつらを仕切っている頭だ」

「ならお前を倒せば、この戦は終わるのか?」

「俺を倒す……? ばかかお前? 一番強いから頭張ってるのに、その俺様を倒すだぁ?」

「終わるのか、終わらないのか、どっちだ」

「馬鹿を通り越して、頭一本抜けてるなあぁ? そうさ、俺様を倒せばこの戦は終わる、そんなの当たり前に決まっているだろう」

「分かった」

「何が分かった、だぁあ笑わせる。お前ごときが敵うわけねえだろうが」

こいつを倒せば、戦は終わる。

こいつさえ倒せば、紗耶は戦に出向くことはない。

俺は持っていた刀を構え直し気合いを入れる。

「おいおい、馬鹿過ぎて会話も出来なくなったのかぁ! じゃあ、とっととくたばりやがれぇ」

そいつは、持っていた鉄棒を振り下ろしてきた。

俺は紗耶の俊敏さを真似するように交わす。

そして、奴に刀を――――――

『上半身だけを注視しないで、常に全体を見てください。足払いなど意識外の攻撃をされてもいつでも反応出来るように』

刀を入れ込む寸前、俺の後ろから矢が飛んでいることに気がつき、なんとか上体をずらす。

致命傷にはならずに、ふとももに当たっただけだった。

「誰が馬鹿正直に一騎打ちなんかやるかよ」

矢を引き抜きながら俺は宣言をする。

「次は仕留める」

「ははははははっ、お前は本当に馬鹿だよなぁああ? それが、ただの矢の訳ねえだろうが」

「なにを――」

矢が当たった所がだんだんと感覚がなくなっていた。

だんだんとそれは、足全体に広がっていき、立っていられなくなる。

俺は、膝から崩れ落ち――――

「おらぁ! これでおわりだぁ!」

そういって、奴は鉄棒を振り下ろし――――




『約束して!! 必ず帰ってくるって!!』




そうだ、俺は!

必ず帰らなくちゃならない!!

そう思うと、体が動き始めた。

「なに!! あの毒でなぜ動ける!!」

「俺は、紗耶のもとに、帰るんだぁあああああ!!」

持っていた刀を奴目がけて振りおろす――――――

「紗耶の、おかげ、だ……」

「か、え、らなく、ちゃ」

紗耶の、元に








目がさめると、よく見知った天井だった。

だけど、俺にはここが天国か夢か分からなかった。

「でも……もし……叶うのなら……現実であってほしい」

初めて、現実世界を望んだ気がした。

そんな風に変えてくれた女の子を探すために、恐る恐る周囲を見渡した。


横になっている俺の手を握って寝ている少女がいた。

手に意識を向けて見ると、優しく包み込んでくれている暖かさがずっとそこに存在していた。

俺は、怖くなって、その黒髪の少女を起こす。

「んっ……」

少女は、目を擦りながら、ゆっくりとこちらを見る。

整ったまつ毛に愛らしい蒼い瞳。何より見たかった女の子の顔だった。

「そ、うた?」

「ああ、紗耶」

「っ……」

その女の子は泣き出してしまった。

それでも、伝えたいことを、伝えた。

「ただいま、紗耶」







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