明かされた名
「二人ともお帰り」
「「ただいま」」
帰って来た青蘭とエバンをゲドルクが笑顔で出迎える。
「グレイは元気そうだったかな?」
「はい。とても……」
それだけで、長い付き合いのゲドルクには充分伝わったらしい。エバンの答えに破顔する。
「そうかそうか、ご苦労だったね。……青蘭はどうだった?」
「とんでもない爺さんだったけど、会えてよかったです。ゲドルクさん、行かせてくれてありがとう」
青蘭の笑顔に、ゲドルクは満足そうに目元を和ませる。
そうしている時、不意にエバンが家の外へ視線を向けた。
「エバン?」
「……ちょっと外に居る。ロイに褒美もやりたいし」
ロイというのは、先ほどまで自分達を運んでくれていた馬の名前だ。それなら自分もと続こうとしたら、エバンに止められてしまった。
「ロイも疲れただろうから、俺一人でさっとやってくるよ」
「……そうか。じゃあ、エバンよろしくな」
「ああ」
そう言うならと青蘭は部屋の奥へ入る。その後で、何やら察した様子の目で、ゲドルクがエバンの背中を見つめていた。
「——リリーか」
エバンは家の方を一度チラリと見てから、ロイの居る小屋へ入ると声を発した。
その直後、赤髪が視界に映り込む。姿を現したのは三つ編みを揺らす少女、リリー。
先ほどから気配は感じていた。恐らくゲドルクの庭の木にでも隠れていたんだろう。丁度死角になるここなら人目を気にせず話ができると思い、青蘭を遠ざけ彼女をこちらへ誘導した。
「ご名答。みんな大好きリリーちゃんだよ!」
「……用は」
自分の発した声のトーンを確かに聴いていただろうか?と、疑いたくなる突き抜けた明るい声で、エバンは思わず蟀谷を押えたくなった。
「ちょっと、そこスルーしないでくれない? 滑り倒させないでよね! まったく!」
「リリー」
彼女はいつもよく働いてくれ良きパートナーだと思っているが、少しいやかなり、エバンからするとノリが軽すぎるのが難点だった。
場所は安全だが、いつ誰が来るかは分からない。気持ちが急くあまり少々声を低くして促すと、半ば不満そうに口を膨らませながら、漸くこちらが欲している言葉をくれた。
「報告だよ。——シリウス様と団長、やっぱりあの二人は結託して何かを企んでいる」
「……そうか」
エバンが返事をすると、リリーはもう一つ大事なことを報せてくれた。
「あと、誰かを秘密裏で捜しているみたいよ」
「捜す? ……協力者ということか?」
「うーん……聞いた感じだと、居なくなって焦っているみたいな雰囲気だった」
「居なくなった……? 人捜し?」
エバンはどういうことか分からず懸命に答えを導きだそうとしたが、ピースが足りず厳しかった。
「もしかしたら……その人物をこちらが先に見つけ出すことで、父上達の企みが何なのか判明するかもしれない。リリー、もう少し情報が欲しい。頼めるか?」
「任せなさいよ!」
「だが、無茶はするな」
「解っている。いざっとなったらトンズラするから安心して。——あ、そういえば」
「そう言えば?」
まだ何かあるのかとエバンがリリーに顔を向けると、彼女は不思議そうな顔をして聞いてきた。
「あの、異国人は何?」
「異国人? ああ、青蘭か。あいつは全く心配ないよ。……俺の、友達だ」
少しまだ慣れないその響きに照れくささを感じながら口にすると、リリーは明らかに驚いていた。
「友達ですって? どういうこと……っ!? ……ってか、エバンって、あたし以外に友達いたのね」
「……言いたいことは色々だが。兎に角、あいつに害はないから、警戒しないでくれ」
「はいはい。分かったわよ。——それじゃあ、またね」
「ああ。くれぐれも気を付けろ」
「ええ」
リリーは片目を閉じて可愛い微笑みを残すと、またも風のように姿を消した。
エバンは暫く佇んだ後、ロイに餌をやり始める。その脳裏には先ほどのリリーの言葉が浮かぶ。
『誰かを秘密裏で捜しているようだった』
一体、誰を捜している……?
ゲドルク先生……まさか、グレンさん……?
思考を巡らせる最中、ロイのヒヒィンという鳴き声と、餌の手が止まっていると言わんばかりの頭をすり寄せてくる感覚にハッとした。
「……よしよし、悪かったよ。ほら」
そして、エバンは嫌な予感を打ち消すように笑みを浮かべながら、ロイに餌をやりつつそっと撫でた。
✦
その夜、ゲドルクの部屋の窓辺に一羽の鳥が止まった。
灰色の羽色に、ブラウンと金色のオッドアイが誰かによく似ている。
「……ふふ、早速来たか」
鳥を見るゲドルクの目にしわが深まる。そして机の引き出しから小袋に入れていた餌を取り出すと、中身を手で一掬いして机の上にばら撒いた。
すると、窓辺から机の上に降りてきた鳥は餌を啄み、すべて平らげたと思ったら、突然人の言葉を話し始めた。
<<よう、ジジイ元気か?>>
「ジジイはお互い様だろうが。自分だけ若いつもりか、まったく」
ゲドルクは声を聴くと、大して驚く様子無く、少しだけ呆れたようにそう返した。
<<青蘭、あいつは生意気で困ったもんだぞ>>
「はは。それはお前が悪趣味な揶揄い方をしたからだろう。自業自得だ。私には至って礼儀正しい、いい子だよ」
そう言えば、鳥の声は一度止んだ。恐らく、向こう側で悔しそうな顔をしているのだろうと思うと、可笑しかった。
<<……確かに、生意気だが、良い奴だ。あいつによく似ている>>
「グレンか……。お前もそう言うだろうと思った。それに、視えたろう?」
<<ああ、お前が何で青蘭を寄越したか分かったよ。あれほどの宿命を背負った人間は‘奴’以来だ>>
「それでも、青蘭は強い。私はあの子を、グレンの二の舞には決してさせない」
ゲドルクが強い目をしてそう言うと、少し遅れて向こうから声が返ってきた。
<<心配するな。何かあればワシも力を貸す。何処へ居ようと駆けつける>>
「……心強いな」
何より欲しかった言葉に、ゲドルクの目が細まる。
<<それに、青蘭とエバン……あの二人を見ていると、懐かしい気持に駆られたわ>>
「ああ……あの頃を思い出すようだな」
そう言ってゲドルクは、若かりし頃の自分と友の姿を記憶に視て微笑んだ。
――――――
「——青柳さん……それじゃあ不審者と変わりませんけど」
「あ!?」
校門の前で中を覗き見るように立っている羽澄に、後ろの坂巻がそっと忠告する。
「……あの、ウチに何か御用でしょうか?」
案の定、生徒から報せを受けたらしい男性教師が、様子を伺いながら怪しんだ目でこちらへ近づいて来た。
ほら言ったじゃないですかという坂巻の視線を受け流し、羽澄は一歩前へ出ると、その教師に懐から警察手帳を出して見せた。
「すみません……我々は警察です。青柳と坂巻といいます。突然申し訳ないんですが、こちらの生徒さんにちょっとお話を聞かせて貰いたいのですが」
「警察……もしかして、久喜の件ですか?」
「「え?」」
教師から出た名前に驚いた二人は顔を見合わせる。そして、羽澄はハッとして、校門の横に刻まれた学校名をよくよく見てみた。
「あ、此処……聖雄高校か」
「青柳さん?」
間の抜けた声を発する羽澄を怪訝な顔した坂巻が見つめる。すると、少しの沈黙の後に衝撃的なことを口にした。
「……思い出したぜ。聖雄って、青蘭も通っていた学校だ」
「えっ、マジですか……?」
羽澄は驚いている坂巻相手に硬く頷くと、写真を手に教師に尋ねた。
「あの、先生……この生徒さん、今日登校していますか?」
「私はこの子の担任じゃないので確認してみないと……。お待ちください」
そう言って、教師は一度職員室へ引っ込んだ。舞い戻って来た時には、もう一人男性教師を連れていた。
「どうも。えっと、久喜とその写真の生徒の担任をしております、藤田です。この子は、久喜が行方不明になってからは不登校が続いているんです……。久喜といつも一緒だったので、事件のことが本当にショックだったようで」
「え……っ。彼は、青……久喜君と親しかったんです?」
「はい。……容姿のことでよく揶揄われ、質の悪い上級生の標的になることが多かったんですが、久喜がその度にいつも護ってやっていたんですよ」
「そう……でしたか」
思いもよらない新事実に、羽澄達は戸惑うばかりだった。
教師達に礼を言い車に乗り込む二人は、行先を定め、シートベルトを締める。
「それにしても、行くまで気付かないなんて、青柳さんにもビックリですよ」
「なっ……。仕方ないだろう! 知っていたって言っても、青蘭が高校合格したお祝いで会った時に、一度聞いたくらいだったんだからよ!」
「高校合格のお祝い……」
「何だよ?」
「いや……青柳さんにとって、青蘭君は息子同然だったんだろうなって」
「息子かー……そうだな。俺は結婚しなかったし、あいつらが俺にとっては、理想以上の家族だったからな。……けど、良い話なんかじゃねえ。俺があいつにやって来たことは、きっと罪滅ぼしと変わらない。約束しておきながらずっと果たせないでいるな……」
紅蓮が居なくなってからというもの、誕生日や何かの度、時間を作っては駆けつけて彼の成長を見守っていた。それは、刑事である前に紅蓮の親友だという、使命感のようなものに突き動かされていたからだと思う。けれど、羽澄は青蘭と顔を合わせるときは、同時に後ろめたさを覚えていた。
そりゃそうだろう。彼が欲しているモノは、偽物の親父じゃない。ずっとたった一つなのだから。
どんなに強がっていても、彼が心の中で叫んでいるのが、縋る勢いで求めているものが解ってしまう。解かり過ぎているから、期待に応えられない自分が情けない。
「……必ず、今年こそは」
声が風に掻き消えていく。
車はスピードを乗せ、目的地へ急いだ。
✦
目的地にたどり着きインターフォンを鳴らすと、中から中年の女性が現れた。恐らく、話に聞いていた叔父の妻だろう。
「どちら様ですか?」
「突然押しかけてすみません。警視庁の青柳と坂巻と申します」
「……警察?」
警察手帳に動揺する女性に、出来るだけ穏やかな口調で、羽澄は語り掛ける。
「先に学校へ行ったら、今日は休んでいると伺ったのですが……甥御さんはご在宅ですか?」
「あの子に用事? あ、もしかして、あの子の友達の件……?」
「はい、そうです。……あと、少し……一五年前の件についても、出来ればお話を伺いたいのですが」
そう言うと、女性は表情を硬くして訪ねて来た。
「……あの事件と今回に……何か、関係があるんですか……っ?」
「いや、今のところは何とも言えません。……ただ、目撃証言がよく似ているということもありまして……」
「そう、なんですね……。あの子は、自室に籠ったきり出てこないんです。お友達が居なくなってしまったことがショックだったようで……」
「……そのようですね。……話すことが難しいようでしたら、また日を改めます」
「……一応、声をかけてみます。少々、お待ち下さい」
女性は一度玄関扉を閉め、部屋の奥へ姿を消した。粘ってはくれたのか、戻って来たのは一〇分後だった。悪い方に予感が働いていたが、再び二人の目の前に現れた女性は若干戸惑いを感じさせながら言った。
「警察の人が来たと話したら、あの子が自ら話をしたいと言いました。なので、中へどうぞお入りください」
「ありがとうございます」
「失礼します」
思わぬ返事に二人は思わず顔を見合わせ、胸を撫で下ろした。
家の中へ足を踏み入れ、案内されるまま進むと、一つの部屋の前に行きついた。
扉が開かれた状態の部屋の中には、写真で見た風貌の青年が立っていた。
羽澄は、彼を数秒見つめると、静かに落ち着いた声音でこう尋ねた。
「——姫川鳴君……いや、‘神崎鳴君’だね?」
青年は、顔をこちらへ動かすと儚げな表情で小さく頷いた。