繋がり
「なあ、エバンの将来も視ようぜ?」
グレイの家でお茶を飲んでいる最中、青蘭が不意に言いだした。
「な……っ」
まさか自分へ向くと思わなかったエバンが動揺する様子をちらつかせたので、青蘭が余計に聞きたそうな不敵な笑顔で見てくる。
どうやら、怒りは収まったが、さっき馬鹿にした仕返しのつもりらしい。あと、自分だけ知られているのがフェアじゃないとかなんとか、グレイに訴えているのが聞こえる。
別に晒されたところで困ることはない!と、本当は堂々といたいところだが、不安要素がないわけじゃなかった。しかし、気付いた時にはすでにグレイが左目でこちらを視ていた。
「エバンは……そうだな。出世するな。でも、このままだとゴールにたどり着く前に自滅するやもしれん」
「……ん? それはどういう意味だ?」
「まあ、騎士はお前が思っているよりも大変な仕事だということだ」
「…………」
ドキリとした。
表面的な言葉を言われている筈なのに、この人には自分の心の中のどす黒い渦を巻いているものが見えている。それを指摘されているように感じた。
居た堪れなくなり、背中に嫌な熱が走る。
――――――
「元気でな。気をつけて帰れよ」
見送りに玄関まで出て来たグレイが二人を見て言った。
なので、青蘭も笑みを浮かべて応じる。
「爺さんもな。あと、やたらめったら物騒な物投げんなよ。毒針とか」
「あれは、お前みたいな血の気の多い奴専用だ。ついでに、鈍くさいやつ」
「言っておくけどな、あれは考え事していたから避けられなかっただけだからな!」
青蘭が負けじと言い返すと、グレイが不適に微笑んだ。
「ほー? じゃあ次は正面から避けてみせられるだろうな?」
「勿論だぜ。俺の反射神経舐めんなよ!」
「手土産期待しているぞ」
「あんたこそ、美味い茶でも用意しとけよな」
「えっらそうに! この!」
憎らしそうに言いながら、グレイは青蘭を雑に撫でつけた。でもグレイの青蘭を見る眼差しは優しかった。
それを見たエバンがすっかり仲良くなったなと思わず破顔していると、グレイがこちらへ顔を向けた。
「エバン、お前も今日はありがとうな」
「はい。お元気で」
エバンはグレイに笑顔で頷く。すると、一瞬顔を曇らせたグレイが歩み寄り、そっとエバンにの肩に手を置いて耳打ちした。
「——あまり、思いつめるな。一人で抱えきれないならゲドルクやワシ、誰だっていい。頼れ」
「……グレイさん」
「じゃあ、またな」
思わず瞠るも、自分を思って直ぐ元の態度に戻るグレイに合わせエバンは口元にもう一度笑みを浮かべた。
青蘭がエバンの様子の変化に気が付いたのは、馬にまた揺られながら、ゲドルクとレドの待つ町へ帰っている時だった。
「なあ、ちょっと休憩しねえ?」
「良いだろう」
青蘭が単に疲れたと思ったらしいエバンが馬を引き留めて、2つの町の境になる川辺に腰を下ろした。
「なあ、エバンどうかしたのか?」
「え? それはこちらのセリフだが」
「いや……ちょっと、様子が変だったからよ」
青蘭がこう言った時初めて、エバンは休憩という意味を理解した。
「……そうか、俺を気遣っていたのか」
「爺さんと何か話したろう。 それも関係しているのか?」
「あれは……別に。というよりは、グレイさんこそ俺を心配してくれていたんだ」
「それはさっきの、未来の話か?」
「まあ……」
エバンが言い淀むと、青蘭は一度エバンの方を見てから言った。
「別に言いたくなかったらいい。聞き出したいわけじゃねえ。お前が誰かに吐き出すことで、前を向いたり、気分が少しでも晴れるのなら、俺がその相手になれたらいいと思っただけだ」
「え……」
「お前には、ここへ来てから世話になりっぱなしだからな。こんな事しか出来ないけど、俺にできることは力になる」
「……青蘭」
この時、グレイの言葉が頭を過った。
『——あまり、思いつめるな。一人で抱えきれないならゲドルクやワシ、誰だっていい。頼れ』
そしてふと、話してみたくなった。
「――俺は子供の頃の記憶が欠如しているんだ」
青蘭は、驚いた顔をしているが何かを言ってくるわけではなかった。なので、エバンは前を見たまま言葉を繋ぐ。
「忘れているとか、そういうんではなく……自分の感覚としては、切り取ったような、あるいは抜け落ちたかのように欠けている。それが、ずっと気持ち悪くて……家族と居る時も時折、どこか居心地の悪さのようなものを感じるんだ」
まるで、自分はそこに居る筈じゃない人間のような、違和感を。
「……でも、聞いてしまったら、どうして自分がこうなのか知ってしまえば、良く分らないが……今の自分そして家族を失ってしまうような、そんな漠然とした不安があって。……ちゃんと、向き合う意気地もないんだ。そのくせ、家族の言動を疑ってばかりいる自分がいる」
こんな俺を知ったら、青蘭は何と言うだろう。笑うだろうか。
青蘭が何かを言うのを、とてつもなく長い時間のように感じながら、エバンは話し終えると暫く待っていた。
「……俺んとこさ、親父も……七年前に突然居なくなったきり行方知れずなんだ」
「え……っ?」
青蘭の第一声が、全く予想していなかったもので、思わず気持ちが声に出た。
「俺が一〇歳の時だった。その日は、両親の結婚記念日で、家族三人で派手に楽しく祝うはずだった。でも、親父は帰って来ず、今もどこに居るか分からない。——俺はずっと……親父を憎んでいた」
「青蘭……」
「七年も経っているからな、親父のことを信じられなくなったんだよ。……でも、この国に来る前に、親父のダチだった人から昔刑事だったって聞かされた。刑事は、悪を取り締まる仕事だ。実は親父がいなくなったことも仮面の男が関わっているかもしれなくて、だから、父親を信じろって、その人が言ってくれたんだ。俺はその時に、真実を知るのが怖いから、はなから親父を疑っていたことに気付いたんだ。――それに……」
「それに……?」
黙って聞くべきだと思うのに、声が出てしまったのは、多分自分に似たものを感じるからだ。この男の場合何を考えるのか知りたくなっていた。
青蘭は何やら顔を俯かせると、更に横から表情が見えないよう片手を顔の前に立てた。
「……グレイの爺さん、少し……俺の親父に雰囲気が似ているんだ。……それに気が付いたとき、俺……あんなに恨んでいたはずなのに、懐かしくて凄く嬉しかったんだよ……っ。……ダサいよな」
「……それでか。腑に落ちた。俺には、あの時話している2人が、まるで本当の父子の様に見えたんだ」
「……へえ」
エバンがそっと笑みを浮かべて言うと、青蘭は短く零し目だけこちらを覗かせていた。確り顔は見ていないが、きっと穏やかな表情に違いない。
「ありがとう青蘭。俺も……自分のこの情けない思いを、ちゃんと受け入れてみようと思えた」
「エバン……」
「こんなこと、今まで誰にも明かしたことなかったんだ……」
エバンがそう言うと、青蘭は手を外して漸く顔を上げた。
「同じだ。俺だって、誰にも……お袋にさえ、言わなかった。情けない想いでしかないと思っていたからな。……でも、お前の話を聞いて、初めて吐き出してもいいと思えた」
「青蘭……俺も同じだ。——……なあ、訊いてもいいだろうか?」
「何だ?」
「……俺達の関係に名前を付けるとしたら何だと思う?」
少し、狡かったかもしれない。恐らく、期待が見え隠れしていただろう。でも、この男相手ならそれもいいのだと、開き直れた。
今度は沈黙も無く、笑顔と共に確かに弾んだ声で聞こえた。
「友達だろ!」
本当なら出会うはずなかった二人の男。彼らの出逢いは、歴史を大きく揺るがす運命の出逢いとなるのか――
――――――
時は少し巻き戻り、現実世界。
「おーい、坂巻!」
坂巻は後ろから自分を呼び止める声に振り返った。
「月山?」
こちらに笑顔で歩み寄って来るのは、短髪に坂巻より頭一つ分低い細身の|月山馨。
彼は卒配が同じだった同期で、捜査二課所属だ。
基本他人とあまり群れたがる方ではない坂巻だが、月山は名前がお互い女子っぽいという理由で似たものを感じたのもあり、時折飲みに行くなど、同期の中ではとりわけ仲は良い方だった。
「お前こないだ○○県行ったんだろ? お土産はー?」
「……久々顔合せて言うセリフがそれか。有るわけねぇだろう。仕事だわ」
「それは残念」
「用はそれだけか?」
既に立ち去る準備を始める坂巻の腕を月山が掴み取る。
「まあ待てよ」
「何だよ」
羽澄を待たせているため、あまり時間を割いてられないので無意識に声が急く。
「……お前、そのまま行って大丈夫か? 同期の連中の中でも噂されているぞ。坂巻は青柳組になって、出世コースからは外れそうだって」
「はぁ……そんなことか。お前も、下らねーことに時間使わせるな」
「坂巻、どうしたんだよ? お前、前はそんなんじゃなかったろう」
坂巻の反応が自分の予想とは違ったことに、月山は分かりやすく驚いている。しかし、今はゆっくり話をしている時間と余裕の持ち合わせがない。
「さーな。どうでもいい」
「……あの人と心中するつもりか? 俺らはまだ始まったばかりだろうが。今なら、あの人にうまく乗せられただけってことで軌道修正利くって! 折角花形の捜査一課になれたのに、自分からチャンス逃してどうすんだよ、お前!」
「チャンスだったら、俺にとってはそれが今なんだよ。忠告は受け取っておくよ。じゃあ、俺急いでるから行くぞ」
「あ、おい……っ、坂巻!!」
坂巻は月山の腕をやんわりと離すと振り返ることなく歩き去った。
――――――
「——すみません、お待たせしました……!」
お詫びついでに自販機で羽澄と自分のコーヒーを買って部屋へ急ぐと、中には羽澄だけでなく、思わぬ人物の姿もあった。
「よう、坂巻。頑張っているか」
「……東課長」
そこに居たのは、捜査一課長の東信義だった。
「お、おはようございます」
「相変わらず青柳にパシらされてんのか」
「え?」
東の指す方を目線で追いかければ、買って来たばかりのコーヒーに辿り着いた。
「いや、これは……っ! あ! 課長、コレよかったらどうぞ」
「いいのか?」
「気配がしたので、二本買って来て正解でしたね」
「……お前には勿体ねえ、良い部下だな」
坂巻が笑ってどうぞと言うと、そんなことを口にしながら東は羽澄を見た。羽澄はその視線をふいっと横へスライドさせ、複雑そうに笑みを浮かべる。
二人は一体何を話していたんだろうと気になっていると、東がドアの方へ歩き出した。
「じゃあ、青柳また報告してくれ。……坂巻、青柳のこと頼んだぞ」
「え? あ、はい。え?」
「何で俺が頼まれるんですか!」
羽澄は不服そうに噛み付いたが、東はただ笑いながら坂巻から受け取ったコーヒーを手に出て行ってしまった。
半ば呆然と東の背中を見送ったあと、坂巻は後ろの羽澄を振り返った。
「……あの、えっと、報告……していたんですか?」
「ああ。捜査の進展を少し話していた」
そう言って羽澄はコーヒーに口を付けている。視線は、合わない。
「……何か、言われたんですか?」
「別に」
「嘘ですね。今度は虚偽罪ですか」
「お前は何でもすぐ罪にしたがる奴だな。警察より検事の方が向いているんじゃないか?」
一見くだらないやり取りだが、坂巻はごまかされない。
「これでもあなたの癖、見抜いてますよ」
「ぶっ!!」
コーヒーを吹く寸前で坂巻は壁に寄ったのでかかるのは避けられた。
「ほら、言った方が楽ですって。隠されたら俺だってやりにくいですし、青柳さんがそうするなら、今後俺も得た情報言わずにいますけど、いいですか?」
「う……っ。それは困る……」
じゃあどうぞと、手を前に出して促すと、羽澄は渋々という顔で告げた。
「……捜査は、今年がウチで出来る最後だ。もし紅蓮と青蘭を見つけることが叶わなかったら、俺は警察を辞めて……探偵として、今後は独りで捜索する」
「な……辞める? 課長はそれを言いに来たんですか!?」
ドアへ走り出しそうな勢いの坂巻を慌てて止める。
「落ち着け。見つからなかったら、だ。……それに、辞めることを持ち出したのは俺だ。東課長はそんなこと言わない。あの人は、紅蓮も良く知っているし、何より……優しい人だ」
「何で……っ」
「単純に、このままダラダラとやっていても駄目だって思ったんだよ。今までがちゃんとやってなかったわけじゃねえけど、ここは一課だってのに、課長が大目に見てくれているのをいいことに、やりたい放題やってきたからな。今更だが、ケジメだ」
「俺の所為ですか……?」
「え?」
「俺まで一緒に始めたから、だから……!」
「……確かに、なくはない。でも、所為とは違う。——お陰だ。お前が加わってくれたから、俺は頑固にやってきた自分のやり方を顧みることが出来たし、何が何でも、今年で決着付けたいと思った。前向きな考えだ」
「……易々と辞める気は無いってことですか?」
「簡単に辞められたら七年もしがみ付いてねーよ」
そう言うと、漸く坂巻の表情が晴れた。
「そうとなれば、やるしかないですね」
「おう。今日は早速行くところがある」
「何処です?」
「学校」
「学校……?」
不思議な顔をする坂巻に見せたのは、一枚の写真。
そこには、白いパーマ毛に青い丸目の少年が映っている。
「あ、この美少年確か……」
羽澄が彼の存在を目に止めたのは意外なところからだった。
また少し時を遡り、二人が事件の捜査の為に地方へ飛んだときのことだ。
『初めまして。青柳と坂巻です』
羽澄たちは佐久間という1人の男に会った。彼こそが、一五年前の児童行方不明事件で、仮面の男を目撃したとされた人物だった。
当時は坂巻と同じ年頃だった彼は、今は四〇代の無精ひげを生やした中年男性になっていた。
佐久間は、羽澄が参考に持ってきていた仮面の男の写真を見て、硬い表情で頷いた。
『一五年も前だからハッキリと一緒とは言えないけども……こんな風体だった』
『……そうですか』
『行方不明になった子供のことはご存知でしたか?』
坂巻の問いに、佐久間は頷いた。
『五〇〇メートル先の神崎って家の子供だ』
『神崎……』
メモを取り、続けて住所を訊ねようとした時、佐久間が渋い顔で首を横に振った。
『……今は、家があった場所は更地になっている。あの騒動の後、あの家の奥さんが病んじまって直ぐ離婚したんだ。残った片方は、母方の叔父夫婦に引き取られたって聞いたけど』
『『片方……?』』
どういうことかと声を揃えた羽澄達に佐久間はこう告げた。
『あの家の子供は双子だったんだ』