動き始める者達
異世界で青蘭が一歩前に進もうとしている頃、現実世界では、この男が動き出そうとしていた。
「青柳さん!!」
「……坂巻?」
青蘭が居なくなった日から、羽澄はただちに捜索を開始。上司に事情を話し、坂巻は別の人間と組ませていた。
だから、車に乗り込もうとする自分の元へ走り寄って来る坂巻に、顔を確り見たのはいつぶりだろうと思う一方で、羽澄は、彼を驚きの表情で見返した。
「どうかしたのか……?」
組んだ奴となんかあったとか、聞きたいことでもあるのかと、なんとなくそれらしい当たりをつけてみるも、そのどちらでもなかった。
「俺も一緒に捜査します」
「は? 何言ってんだ……? そんな急に」
「もう許可は頂きましたから」
「はあ!?」
喚く羽澄を、坂巻はあしらいながら助手席側へ押しやる。
「運転俺がしますから青柳さんは助手席で」
「馬鹿言うな! それに、俺は他人の運転は……っ」
「嫌いなんですよね。でも、今日は理由があるので、つべこべ言わず座ってください」
「はー!?」
ほとんどの組は後輩が運転することが多いが、羽澄たちの場合は羽澄が他人の運転が苦手なので、いつも彼が運転をしていた。それなのに、何で突然変わらなければならないのか。
まったく訳がわからないまま、結局羽澄は助手席に押し込められるかたちで座った。横を恨めしく睨み付ければ、坂巻が鞄から何やら取り出してこちらへ渡してくる。
「理由があるって言ったでしょう。これ、走りながら目を通してください」
「これは……!」
羽澄が資料を見て声を上げたのは、一番上に<紅失踪事件調査資料>とあったからである。
「俺なりに紅事件の手がかりになりそうなこととか、独自に調べてまとめたものです。本当はUSBに記録するか、携帯に直接送りたかったんですけど、青柳さん、機械と相性最悪じゃないですか」
「な!? う、煩いわ!! ……つーか、お前、何やって……!」
「言っておきますけど、勤務時間外でやったことですから。藤堂さんと組んでいる間も仕事はきちんとやっていましたよ。また殴らないで下さいね」
「何でお前までこの事件に首を突っ込んでいる……っ?」
とりすました顔で前をみたまま車を走らせ始める坂巻を、羽澄は、対照的に困惑の表情で見つめる。
「最初は、青柳さんが必死になっているのに、俺は傍観したままでいいのかって思って、それで始めただけでした。でも、調べているうちに……最早、この事件は偶発的なものじゃないような気がしてきて。俺自身、気になって仕方がなくなったんです」
「……紅蓮の時と同じだ。青蘭だって、母親を残して黙って居なくなるような奴じゃねえ。そう思うと……確かに、紅蓮と青蘭が親子だと知らない奴の犯行にしては、偶然が出来過ぎている」
「はい。……それと、俺がそう思うようになったきっかけのある事件がありまして。関連性があるかまではまだわかりませんが、青柳さんに見て欲しくて」
「ある事件……?」
坂巻の言葉を受け、羽澄は坂巻の資料を捲った。
そこには、当時の事件を扱った記事が載っていて、〇〇県〇〇市【五歳の少年が神隠しに!!】と書かれていた。
「神隠し? 何じゃこりゃ」
「所謂、地域に伝わる言い伝えの類ですよ。……そこよりも問題は、その子供が未だに見つかっていないということです」
「何だと……?」
「青柳さんのご友人の紅蓮さんが行方不明になる八年前の話ですが、事件当時目撃者が本当に居なかったのか探っているうちに、まさかの人物に辿り着きまして」
「まさか……っ」
「ええ……仮面の男です」
嫌な予感が過った羽澄が資料からその名を見付けたのと、坂巻が口にしたのがほぼ同時だった。
資料には、事件当時怪しい男の目撃証言あり。【変な外国の仮面を付けた男】と載っていた。
「……こいつ、こんな昔にも現れてやがったのか……!?」
「同一犯か、あるいは今回のは模倣犯なのか……」
「その事件、身代金の要求は?」
「調べる限りでは無かったです」
羽澄は、坂巻の答えに思わず資料を睨み付けた。
「何なんだよこいつ……何のつもりで……っ!」
「いずれにせよ、奴の目的が見えませんね」
「ああ……」
「青柳さん、目撃者に会いに行ってみません?」
「ああ。……そんなの、行くに決まっている!」
「言うと思っていました。相手には既にアポ取っていますから、向かいましょう」
行くのは大前提だが許可は? と聞けば、「青柳さんに頼まれたって言って、もう二人分取ってます」という、一切淀みのない返事だった。
そんな坂巻を見た羽澄は、窓の外へ顔を背けると、ボソリと静かに告げた。
「……こないだは、悪かったな。……情けないところ見せちまってよ」
先日、自分はうっかり一回り以上離れた後輩の前で涙を流してしまった。
あれから坂巻は何も言ってはこないが、たった今、目に力が戻った羽澄を見て安堵する笑顔を見た瞬間、彼が口では何と言おうと、気遣って、あれこれ手がかりになりそうなことを調べ回ってくれていたのは明らかだった。
最初は何の話か分かってない様子だった坂巻も、察するや否や、真っ直ぐ前だけを見て羽澄の言葉に応じる。
「別に……俺に謝る必要なんてないでしょう。人間の生理現象です。汗と一緒」
決して涙とは言わない坂巻に柄にもなく礼を伝えたくなったが、坂巻の言葉はまだ続きがあった。
「そりゃ、後輩が買って来たコーヒーを横取りするわ、いくら言ってもライターは持ち歩かないくせに買って来いって命令するわ、機嫌が悪いとすーぐ手が出るような、例え血も涙もないような青柳さんでも、やっぱり人の子なんですから」
「……うん。お前が俺をどう思っているかは、よく解かったぞ」
折角の感動も一瞬にして冷める。何だこいつと、通常モードになりかけるところだったが、次の瞬間、坂巻の雰囲気がまた真面目なものへ変わった。
「――……でも、これでも俺、コンビ組めて良かったって思うくらいには、青柳さんを尊敬していますから」
羽澄は、煙草をもし加えていたらうっかり口から落としてしまいそうな程、内心驚いた。坂巻がまさかそんな風に思っていたとは、悪いが微塵も感じていなかったのだ。不意打ちを喰らい、逆に羽澄の方が照れくさくなり、こう返すのが精一杯だった。
「……ったく、褒めたって何も奢らねえぞ」
「えー? そこは高級寿司とか、空気読んで食べに行きましょうよ」
「阿保か。急ぐぞ!」
「残念だなー。分かりましたよー」
残念と言いつつ、坂巻の顔はちっともそうは言ってなかった。それがまた、この男なりの気遣いと分ると、羽澄は年下の相棒に小憎らしい反面、口では言わないが感謝した。
そして、羽澄達はとうとう本格的に捜査へ乗り出すのだった。
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――異世界 オルニワ王国。
「――おや、シリウス様じゃありませんかー」
白騎士団本部の回廊を歩くエバンを、突然横から明らかな作り声が呼び止めた。
かつて王をはじめとする王族たちが使っていたとされる建物をそのまま基地として賜っている騎士団本部は、訓練後に泥だらけの靴底で歩いているなど信じがたいほど、どこもかしこも手の込んだ彫刻や美しい絵と装飾に囲まれている。
その為、男の姿が目に入ったエバンの顔は自然と歪む。気品と荘厳さが漂う空間の中、まるで、野犬が一匹迷込んだような違和感を感じてしまう。
「……マーク」
彼は同じく白騎士団の騎士で、マーク・ラエル。暗色のクセのある茶髪を真ん中で別けている。農村出身なので肌は日に良く焼けた小麦肌で、制服の上からでもガッシリしているのが分かる体つきだ。
因みに胸元の階級章の印は五つ。騎士団では唯一無二の騎士団長を除いて五つの階級が存在し、数字が小さいほど上級騎士の証となる。マークとエバンの数字は異なるが、入団した時期が一緒で、エバンにとって彼は同期とも言える存在だった。
ただ、エバンはこの男があまり好きではなかった。
「ご機嫌いかがですかー?」
「お前に会ったばかりに最悪になった」
堂々と不快だという顔を見せると作り笑いが崩れて、向こうも嫌悪の色を滲ませる視線を投げてきた。
「ふん。……さっき、お前のパパからまた、大量の食糧や支援物資が届けられたってよ」
「何……?」
朝から忙しくしていたエバンには初耳だった。
マークはエバンの反応を見るや、再びわざとらしい作り声と笑みを貼り付けながら、身振り手振りでエバンを挑発する。
「あ~あ! 本当に素晴らしいですねーシリウス様のパパは! 素晴らしいですよ、シリウス家は! 感激し過ぎて言葉もありません!」
「……お前、まさかそれをわざわざ俺に知らせるために待ち伏せていたのか? そんな暇があったら鍛錬に励んだらどうだ」
「うっ……。父親の根回しで入団しやがった奴が、偉そうな口叩くんじゃねーよ。見てろよ、直ぐに追い抜いて、お飾りのお前なんて引きずり下ろしてやる」
エバンの言葉で頭に血が上ったマークがそう吐き捨て、二人が睨み合っていた時だった。
「――エバン」
「父上……っ!?」「グランツ団長……っ!?」
エバンとマークは各々声の先に、エバンの父親であるブラッド・シリウスと、騎士団長のユリアス・グランツの姿を見止め声を上げた。
ブラッドは、エバンと揃いの銀髪を乱れることなく整髪料で整え、上質なスーツに革靴姿の絵に描いた老紳士だ。一方、ユリアスは髪は櫛を通しただけのナチュラルだが、背丈に加え鍛え抜かれた身体に、隊長のみ着ることの許された特別仕様の制服を纏った姿で、騎士団長の風格を漂わせている。
ブラッドはユリアスと共にやって来ると、視線をエバンからマークへ移し口を開く。
「マーク・ラエル君。……息子を随分と気にかけてくれているようで、ありがとう」
「え、いや……っ」
息子の自分さえ時々臆するのに、ブラッドのオーラを肌で感じたマークは縮みあがっていた。いくらムカツク相手であろうと、その様子にエバンが内心同情していた時、ブラッドが信じがたい言葉を放った。
「今の話を踏まえて、今度君の御父上ともゆっくり話を交えてみたいものだ」
「な……っ、何故、俺っ……、私の父と話を……っ?」
「父上!! 我々は、ただ騎士としての在り方を討論していただけです。ただの世間話ですよ!!」
「……ほう。そうなのかい、ラエル君?」
エバンの言葉で意味するところを理解し、血の気を失ったマークは、もう大人しく頷くほかに道は無かった。
「はい……その、通りです……」
「成程。……どうやら私の聞き間違いか。では、またいつか」
「し、失礼します……っ!!」
笑みを浮かべるブラッドを前に、やっと一言口にすると、マークは振り返ることもなく逃げる様にその場を立ち去った。
「残念だ。――排除しそこなった」
マークを見送る背後でポツリと聴こえたのを、エバンは聞き逃さなかった。込みあげるものをどうにか抑えながら、表情を作り、ブラッドを振り返り頭を下げる。
「……物資を団へ支給して下さったとか。ありがとうございます」
「ああ、聞いたか。そうだ。お前を含め、皆、力を付けねばな」
「お心遣い感謝致します」
騎士団長のユリアスがブラッドに深く頭を下げる姿を見て、エバンは反射的に目を背ける。
すると、ブラッドが息子を一瞥し、突然問いかけた。
「それはそうと、今朝は早くから何処へ行っていた?」
「……別に。大した用事ではありませんよ」
「だが、出掛けて戻ったその足で市民管理部の方へ出向いていたそうじゃないか」
市民管理部というのは、役場における市民の住所や戸籍など、個人情報を取り扱う部署で、登録や書き換えまでの手続きを含め、情報に関する事すべてを担う。
言わずもがな、そこへ出向いていた理由は青蘭の後見人と住所登録の申請を通す為だが、エバンは父親にそのことを話す気などなかった。
「何故、そのことをあなたがご存じなのですか? もしかして、誰かを付けさせましたか? それとも……、あなたの息のかかった何者かが、私の近くに?」
そう言うエバンの視線がユリアスへ向くと、彼は真顔のままだが視線を外してきた。
「人聞きが悪い言い方をするな。子を気に掛ける親心だ」
監視の間違いだろう。そう、エバンは心の中で毒吐く。
「……それは失礼しました。しかし、個人情報に関わります。例え父上相手といえど、漏らせば私だけの問題では済みませんので、どうかお許しを」
視線を戻してそう言うと、ブレッドから降参の笑みが零れた。
「良かろう。もう、聞くまい。……では、私は帰るとする。エバン、励めよ」
「……はい。お気を付けて」
エバンは頭を下げながら、ブラッドそして、彼へ続くユリアスの離れ行く背中を、小さくなるまで鋭く見つめていた。
漸く口を開いたのは、誰も居ないことを確認したその後。それも、ある名を呼ぶ為だった。
「リリー」
名を呼べば、その人物は何処からともなく、エバンの前に降り立った。
「あー恐かった!! もう少しで息するのを危うく忘れそうだったよ、私!!」
「そうでもなさそうな顔色をしているがな」
「……エバンって、冗談通じないよね」
真面目な顔で返してくるエバンを冷ややかな目で見返すのは、燃えるような赤毛を三つ編みポニーテールにした少女リリー。小柄で見るからに身軽そうな体型に、二重瞼で、長い睫毛の可愛い顔をしている。
「お前に頼みがある」
「大方見当は付いているけど」
「……父上とユリアス騎士団長を探ってくれ」
「OK」
リリーは声に怒りを込めるエバンにも動じることなく即答し、瞬く間に風のように姿を消した。
エバンは、今度こそ誰も居なくなった空間で、懐から細いチェーンで繋がった一つの懐中時計を取り出した。エバンは上蓋を開けると、時計ではなく、上蓋の内側に視線を落とす。
そこには、荒く彫られた文字でこう刻まれていた。
【リゼア・シリウス/マリサ・カンザキ】