気持ちを新たに進め
たった今鳥から人へ変化したレドは、長身でスラっとした体型に、白金の背中まである長い髪で、鳴とはまた違うタイプの中性的で綺麗な顔をしていた。
「——こういうことだ」
「どういうこと!?」
こっちはまったく頭が追いつかない状況にも関わらず、隣であっさりと言ってのけてきたエバン相手に、青蘭は状況を忘れ思わずコミカルにつっこんだ。
レドとゲドルクは、そんな二人の様子に顔を見合わせて笑う。そして、言葉足らずのエバンに代わり、青蘭へ説明をしてくれた。
「レドは、ご覧の通り、獣にも人間にも姿を変えられる特異体質なんだ。彼のような者は、縦獣と呼ぶ」
「じゅう……?」
「縦の獣と書き、縦獣だ。この世界の動物には、二種類の形態が存在するんだよ。変化することのない、横の獣と書く横獣と、人に変化し人語を話せる縦獣だ。身体を四足歩行で支えると横長に、人の様に二足歩行だと縦長になるだろう。名付けは、そこからきているようだ」
「……へえ。けど、本当に不思議な体質だな。この謎の世界ならではというか……。でも、どうやって生まれてくるんだ?」
青蘭が訊ねると、それに対してはレド自らが応えた。
「人間と植物以外の生き物たちは、全て卵から生まれてきます。生まれ出る前の卵に、髪の毛や睫毛、爪など、体の一部を忍ばせるのです。それを卵が栄養として吸収すると、我々のような人の遺伝子を持った者が生まれてきます。しかし私の場合は、誤って母の髪を吸収して生まれてしまった堕子と呼ばれるケースだったので、両親には認知されず、たまたま私の住む村を訪れたゲドルク先生に引き取られました」
「え……」
エバンは事情を把握していた様で、驚くのは青蘭だけだった。レドの横に立つゲドルクを見れば、薄く笑みを浮かべ頷く。
何て言えばいいのか言葉を探しあぐねていると、レドの方から声をかけてくれた。
「驚かせてしまって申し訳ありません」
「いや……こっちこそ。けど……、うん、納得だよ。あんた、鳥の姿の時もすげー綺麗だったから、こんな綺麗な人なのが納得だ。最初、空を飛んでいるのを見た時、綺麗過ぎて思わず見入っちゃったんだ俺」
「……嬉しいです。ありがとうございます。青蘭さんは優しいですね」
「え?」
驚きはしたものの、今のは心からの青蘭の言葉だった。だから、青蘭は自分が特別なことをした感覚がなく、思わず覇気の無い声を出してしまった。それを聞いて、またもゲドルクとレドが顔を見合わせてクスッと笑い合っている。
エバンは壁にもたれ掛かりながら、そんな二人の様子を見て安堵の笑みを浮かべる。ただ一人、青蘭だけが、今何故彼らが笑い合っているのか分からず、不思議そうに小首を傾げていた。
✦
一頻り楽しんだ様子のゲドルクとレドは、真面目な顔になると、改めてエバンそして青蘭を見据えた。
「――用件を聞こうか」
「はい。セイランはこの通り異国の者なのですが……話を聞けば、仮面を付けた謎の男に突然こちらへ連れて来られたらしいのです。彼をどうにか元の国へ帰せないかと、先生にはお力を貸して頂きたく参りました」
「突然こんなこと、迷惑なのはわかっているんだ! けど……っ、俺は、早く戻りたいんです!! 元の世界でお袋が……母親が、俺の帰りを待ってんだ!!」
エバンに続いて青蘭が訴えかけると、ゲドルクの目が驚きで見開き、すぐさま顔を曇らせた。
「なるほど。転移に仮面の男とは……。久しく聞く、嫌な響きだな」
「「え……っ?」」
青蘭とエバンは予想外のゲドルクの言葉に顔を見合わせる。
「先生……その男をご存じなのですか?」
「見たことがあるのか!?」
「……いや、この目で見たことは無いよ。けれど、なんという巡り合わせ」
「何を……っ、どういう意味だよ? 教えてくれ!」
青蘭が駆け寄って催促すると、漸くゲドルクの口から続きが紡がれた。
「……昔、セイランと同じくしてこの国へ迷い込んだ一人の男が居た。彼は、今の君のように、国で待つ家族の元へ帰りたいのだと切に訴えていた。憐れに想い、私は何とか彼の力になろうと試みた。……しかし、力が及ばず、彼は今もこの世界の何処かに留まっている」
「な……っ!?」
青蘭は耳を疑う言葉に愕然とした。そのまま力なく床に膝を着く。
「セイラン……っ!」
エバンは青蘭の元へ駆け寄ってゲドルクを見てみるが、申し訳なさそうに首を横へ振るのみ。それを側でみていたレドも、切なげに目を伏せるしか出来なかった。
「そんな……」
エバンは何か掛ける言葉を探すが、青蘭の背中が小刻みに震えているのに気付いてそのまま口を閉ざした。
✦
「エバンさん……セイランさんは未だ外に?」
レドの声に反応し、エバンは溜息を吐いて俯かせていた顔を上げると頷いた。
「ああ。……一応声は掛けたが、要らないと」
その手には、ゲドルクが用意した食事のお盆が乗っている。青蘭がゲドルクから辛い事実を聞かされてから何度も時計の針が時を刻み、来た時は明るかった外も太陽が隠れすっかり暗くなっていた。
「今我々に出来ることは様子を見守ることくらいだよ」
「先生……」
「安心しなさい。セイランは私が面倒を見るよ。書類さえ出来れば、後見の手続きをしてもいい。もしもの時は、そこまで私に頼む気だったんだろう?」
そう言われ、エバンは一瞬言葉に困ったが、大人しく白状して深々と頭を下げた。
「その通りです……。すみません……!」
「いや、責めているわけじゃない。寧ろ、私にはこれくらいしかしてやれないからね。出来ることは何だってするつもりだよ」
「先生……、ありがとうございます。正直言うと、先生に甘える気でした……っ」
「はは。素直でよろしい。――エバン、お前は彼を気に入ってしまったんだね」
「……自分でもよく分からないんです。でも、会ってまだたった数時間なのに、強烈な印象を残してくるもので、目が離せなくなるんです……。それにどこか【あの人】の影を感じずにはいられないところが、奴にはあるように思います」
「……グレンか」
懐かしむ目をしながら、ゲドルクは小さく呟いた。
「そういえば……、グレンさんは今どこにいるんですか……?」
「私にもわからない。文もここ一年はぱたりと来ていないよ」
「そうですか……」
目に見えて落胆の表情へと変わるエバンに、ゲドルクは時刻を確認して声をかける。
「エバン、今日のところは私達に任せて、お前は帰りなさい。念の為に、レドに外を見張らせておくから」
「……解りました。よろしくお願いします」
「うん」
もう一度頭を下げるエバンに、ゲドルクは目元を和ませながら確りと頷いた。
エバンはゲドルク邸をあとにし歩き出す。それでも、最後に一度だけ振り返った。
見ているだけで苦しいが、こればかりはどうしようもないと、そう言い聞かせ。
✦
気が付くと、青蘭は何もない真っ白い世界に立っていた。世界と表現したのは、その場所が、部屋とも呼べないほど広く、先を見ても出入り口のようなものが見つからなければ、窓もない、本当に果ての無い場所のように感じるからだ。
「……何だ、ここ?」
頭は冷静だけど、留まってはいけないと、本能が訴えていた。その時、何も無かった場所から突然、人の影が出現した。
「え……?」
姿が立体化していくまでを何も出来ないので見ていると、陰は、あの奇怪な仮面の男となった。
「お前……っ!?」
「…………」
相変らず、凍てついた感情の無い目をこちらへ見せつけ黙りを決め込んでいる。忌々しかった。
「お前のせいで、俺は元の世界へ帰れなくなったぞ……っ!! どうしてくれんだ!! お袋がまた泣いているかもしれねーのに……っ!!」
どれだけ睨み付けて喚こうが、相手は一貫して冷静だった。
「何か言えや!!」
それが、最後にそう言った時、たった一言あの仮面から声が発せられた。
『お前は選ばれたのだ』
漸く発せられたけれど、脈絡もなく告げられた言葉に青蘭の怒りは頂点に達した。
「意味がわからねーんだよ!!」
殴りかかろうとするが、見えない壁がまるで間にあるかのように跳ね返り、青蘭は派手に仮面の男の足元へ崩れる。
あの時と同じだった。触れることすらできない。
悔しさを滲ませながら顔を上げると、またも、出逢ったときと同じく、仮面の男が直ぐ側まで移動していた。
「……嫌だ……止めろ……っ。もう、何処へも行きたくねえ……っ!!」
青蘭は訴えたが、言っている間にも仮面の男の手がこちらへ伸びて来る。
青蘭は、その瞬間喉が潰れるのではないかというほど叫んだ。
「触んな……っ!!!」
今見ていたものが夢だったと理解したのは、払った手の感覚にハッとしたのと、目が覚めた時、目に飛び込んできたのがあの仮面の男ではなく、心配そうにこちらを覗き込むレドの姿だったからだ。
「……あ」
「大丈夫ですか? ……随分と魘されていたようですが」
「……嫌な夢を、見たんだ」
顔を手で覆いながら告げる青蘭の言葉に、レドの表情は曇る。
「そうでしたか……」
そこへ、ゲドルクが何やら器の乗ったお盆を手にやって来た。
「セイラン、おはよう」
「……おはようございます。俺……、いつの間にか寝ていたんですね」
「ああ」
外に居た筈が、気が付いたらゲドルクの家の中にある長椅子の上だった。どうやって中へ入ったか覚えていなかったが、最後が涙を拭う動作だったことを思い出した途端に羞恥心が襲った。
もしかして俺は……、いい歳をして、泣き疲れて眠っちまったのか……っ!?
それに、高齢のゲドルクが自分を運んだとはどうしても考えにくい。従って、レドが自分をここへ運んだと考えると、ますます情けなさに潰されそうになった。
穴があれば入りたいとはまさに、コレだ。
「……多大なるご迷惑をお掛けしました」
側に跪いてこちらを見ていたレド、そしてその側に立つゲドルクへ居住まいを正して深く頭を下げると、二人は揃って笑ってくれた。
「とんでもないです」
「こちらこそ、力不足ですまない」
「……いいえ。ここへ来る前に、無事に帰れる保証はないって言われていたのに、甘く考えていたんです。ゲドルクさんは何も悪くないです。……折角用意してくださった飯も……口を付けずに返してしまって、本当にすみませんでした」
「エバンもセイランも、なんて素直なのだろうな。――では、今日はこれを口にすることは出来そうかい?」
「え?」
ゲドルクが青蘭に差し出したのは、先ほどから持っていた器の乗ったお盆。器の中身は、緑色をしたボタージュのような料理だった。
「ウチで育てている薬草で作った粥だ。弱った心まで温かく癒してくれるよ」
「……粥。ありがとうございます。いただきます」
青蘭はお盆を膝の上に置き、スプーンで掬い取った粥をゆっくり口へ運んだ。
「口には合うだろうか?」
「はい。……優しい味で、美味いです」
薄ら湯気が立つほんのり甘い粥は、身体の中を巡って、本当に芯から温め癒してくれているように感じた。
レドが水も用意してくれ、それを合間に飲みながら粥は見事完食した。空になった器を見て、ゲドルクとレドは嬉しそうに笑った。
「……あの、俺は……今後どうすればいいでしょうか? 今すぐ戻れなくても、帰ることは諦める気は無くて……、出来れば方法を自分で探ってみようかと思っていて」
「うん。昨日エバンとは話したんだが、セイランは私の家で暮らすといい」
「え? でも、それは……っ」
「セイランは転移によりこの世界へ来た。そのために、パスを持っていないのだろう? それに、ここに来る前、白騎士の一人と揉めたそうじゃないか。今当てもなく出て行っては、帰る方法を探し出すどころか、見つかって身動きを封じられるのが先じゃないか? そうじゃなくとも、セイランの髪と目は人目を惹くだろう」
「う……っ」
そう言われたら青蘭は返す言葉もなかった。確かに、黒い髪と目は目立つ。ここへもマントのフードを深く被り隠れるようにして来た。良く知りもしない場所で動き方を間違えれば、下手をすると街の人間に通報されかねない。
エリシアの時も最初は驚いていたことを思い出す。最終的に心を許してくれたのは、アシュレイの存在と、白騎士のエバンが一緒に居たことが何より大きかったのだ。今更、自分が考えていることがいかに無謀なことか理解した。
「――解ったのなら、もう下手なことは口にせず言う通りにしていろ」
「え? あれ……エバン」
声がした方を見れば、部屋の入り口の所に立つエバンがこちらを見ていた。
「おはようエバン。早いな」
何やら含み笑いを浮かべるゲドルクに、エバンは心なしか気恥ずかしながら応じる。
「……おはようございます。……別に、普通ですよ」
「おはよう」
「……おはよう」
青蘭も挨拶をすると、一瞬驚いた顔になったエバンだが、すぐ挨拶を返してきた。
きっと昨日と違って青蘭の目に強さが戻ったのに気付いたのだろう。そう思うと、彼にも心配かけたなと、改めて青蘭は昨日のことを振り返った。
「エバン……昨日は、情けない姿みせちまって悪かった。俺、諦めずに帰り方探し出すからよ」
「当たり前だ。お前の家は、この国にはない。ならば、帰らなければならない。そうだろう?」
「おう」
青蘭とエバンは顔を見合わせると自然と笑みを交わした。その様子にゲドルクも安心したように頷く。
「じゃあ、手続きを済ませようか」
「はい」
「手続き……?」
「ゲドルク先生にお前の後見人となってもらうための手続きだ。俺は申請用紙を届けに来た」
「後見人……」
難い言葉と付いていけない話に困惑する青蘭に、エバンは、小脇に抱えていたケースから二枚の紙を取り出し、目の前に突き出しながら説明を始める。
「オルニワ国では、旅行客・商人・イベントの招待客といった、明確な理由のある人間を除き、他国の者は入国五日以内に届を出し、国内の所在地を明らかにしなければ、不法入国とみられ法律で裁かれることになっている」
「げ……っ!?」
「俺やアシュレイが昨日パスはもっていないのかと聞いただろう? 普通はあれに、入国ゲートで入国を許可されると職員により行動理由が印字されるから、他国から来る者達は持っていることで身の安全が保証されるんだ。けれど、セイランは入国することは不可抗力であったとはいえ、パス無し、今は浮浪者のようなものだろう」
「やべえ……」
「だから、急いで手続きをする。お前は現在滞在二日目。書類を提出し許可が通るまでには早くても二日かかるから、ギリギリだ」
「な!? それ、俺、大丈夫なのか……っ!?」
「……まあ、幸い俺は伝手がある。上手くいけば間に合うはずだ」
「何それ? お前、実はすげー奴だったの!?」
エバンのセリフに驚くと、彼は何故か少し暗い顔をした。
「……俺じゃない。シリウスの名が強い力を持っているだけだ」
「シリウス?」
「俺の家の名だ」
「じゃあお前は……シリウス・エバ……じゃねえ。エバン・シリウス?」
「ああ」
青蘭に応える間、エバンの表情は硬いままだった。いつのまにか静まり返り、ゲドルクとレドは二人の様子を黙って見守る。すると、暫くして青蘭が笑顔と共に明るい調子で言った。
「ふーん、そっか。けど、エバンの名前好きだし、今更シリウスなんて呼ばねーからな、エバン!」
「……ああ。俺もその方がいい。――って、こんな話は今はどうでもいい。この書類を早く書かなければ! 先生も、お願いします!」
「ああ。レド、ペンの用意を頼む」
先ほどまで暗い顔をしていたエバンが、青蘭の一言を聞いた途端、驚きから一転、纏う空気ともども表情を緩ませたのにゲドルクは気付いていた。
ゲドルクは目元を和ませ、視線をエバンから青蘭へ移す。直後、脳裏に浮かぶのは、まだ幼き頃のエバンの姿。
『先生……、仲良かった友人たちも、俺がシリウス家の次男だって知ったら途端に名前では呼んでくれなくなるんです。俺自身には、エバンの名には何の価値もないんですかね……』
この時、青蘭はエバンの家がどれほどのものか分かっていなかったが、ゲドルクは彼の何気ない人の心を動かす力に感心し、二人が出会えたことを心から喜んだ。