ゲドルク先生と鳥人間
「え? 青蘭が!?」
羽澄の元に紫華から震える声で連絡が来たのは、青蘭と別れた翌日だった。
バイトは終わったはずなのに2時間が経過しても帰宅する気配が無い為、紫華がバイト先に連絡したら『今日はもう上ってますけど……』という返事だっと言う。
<<どうしよう……っ。何であの子まで……っ。青柳さん……っ、あの子まで居なくなってしまったら、もう私は……っ>>
その先を、決して言わせなかった。
「紫華さん!! 家で待っていてくれ!! 青蘭は俺が首根っこ掴んで連れて帰るから……っ!!」
乱暴に通話を切り、スマホを放り投げた。
どうなってやがる。何で今度は青坊が……っ。
1日前の自分の行動を悔いた。
『バイト先までついでだから送ってやろうか?』
『遠慮する。パトカーで出勤なんて、周りにどんな噂立てられるか分かったもんじゃねえ』
『はは。そうか、じゃあな青蘭。また連絡する』
『ああ』
見送っている場合じゃなかった。是が非でも、あの時送届けるべきだった。
「クソッ!!!」
車のハンドルを殴りつけると、振動と一緒にクラクションが派手に鳴った。
「うわ……ビビった。青柳さん、どうしました……っ?」
恐る恐る車に駆け寄ってきたのはコンビニ袋を手にした坂巻。
今はバディを組むこの坂巻と、ある事件に関わった疑いのある男を張っているところだったが、羽澄の脳内は最早それどころではなかった。
「坂巻、悪いが俺はこの件降りる。代わりは呼ぶから、ちょっと待っていろ」
スマホを懐から取り出し通話ボタンを押す直前で、坂巻は慌てて羽澄の手を掴んで止めた。
「は? えっ、急に!? マジで、何があったんすか……っ! 話してください!!」
「……前に言っていた、紅蓮の……」
「紅失踪事件? ……え、進展があったんです!?」
こんな展開、誰もが予想しないだろうから仕方ないとは思っても、目を輝かせて聞いてくる坂巻の優しさが、今は酷く痛かった。
羽澄は、俯き片手で自分の目元を覆った。
「……違う、そうじゃない。その、逆だ。次は、息子が……青蘭までもが……っ、消えた……っ!」
「え……」
この時、坂巻は羽澄と出逢って初めて、彼の涙を見た。
――――――
その頃、異世界にいる青蘭はというと、アシュレイをエリシアの待つ家へ連れて行き、彼女と対面したところだった。
「な……っ、アシュレイ、一体どうしたの!?」
当然だが、青蘭に抱えられたアシュレイを見てエリシアは驚嘆した。
「エリシアさん……ごめんよ。ちょっと転んじゃったんだ。へへ」
「転んだって……」
エリシアの疑いの目がエバンと青蘭に向けられた。朝まで元気だった息子が、突然不思議な組み合わせの男二人に抱えられて戻ってくれば、怪しむのも突然だろう。
エバンはエリシアへ真摯に頭を下げ事情を話した。
「申し訳ない。彼の傷はウチの……団の者が乱暴を働いて出来てしまったものだ。」
「え……白騎士様? 何故この子が白騎士様にそんな目に……っ? 一体、何があったんですか!?」
思わずエバンに詰め寄るエリシアを見て、青蘭が口を開いた。
「エリシアさん……だっけか、俺が、アシュレイを巻き込んじまったんだ。悪かった」
「あなた……っ」
青蘭と目が合うと、エリシアは目を泳がせた。初めて見る異国の人間に戸惑っているのだろう。
「俺の名は青蘭。倒れていたところをあんたの息子、アシュレイに助けてもらったんだ。だけど、白騎士に俺が不法入国者だって疑われちまって、アシュレイは何も解らねえ俺を庇おうとしてくれて怪我をしたんだ。……申し訳なかった。だから、エバンのことは責めないでやってくれ」
「そうだったの。……あなたは、ケガはない?」
「え? ……ああ。アシュレイのお陰でどこも。あんたの息子はすげーカッコいいよ」
青蘭が笑顔でそう言うと、エリシアの表情も柔らかくなった。
「当然よ、私の自慢の子だもの」
きっと、アシュレイを褒められたことが嬉しかったに違いない。
その後は、青蘭がエバンと一緒に居ることは勿論だが、人柄を信用したらしく警戒心を解いてウチの中へ招き入れてくれた。
「店に戻らなきゃいけないから特別な物は出せないけれど、スコーンとコーヒーでもどうぞ。少しだけど、アシュレイをここまで送ってくれたお礼よ」
「「でも……」」
「アシュレイは全然あなた達を責めていないもの。それなら私も、もう何も言うことは無いし、それでも心苦しいなら、スコーンと淹れたコーヒーを残さず胃の中に片付けて帰ってちょうだい。言っておくけど、私はコーヒーを入れるのだって上手いのよ?」
「……エリシア」
「ははっ。流石、アシュレイの母ちゃんだな!」
彼女の笑顔と気前のいい言葉で、二人にも漸く明るさと笑みが戻った。
「……そういえば、倒れていたって話しだけど、大丈夫なの? 何かの病気じゃないかしら?」
「いや、身体は平気だよ。……どうやって来たかはわからねーけど、目覚めたらこの国に居たんだ」
「摩訶不思議なことがあるものねぇ」
仮面の男の話はエリシアには言わなかった。アシュレイはエリシアに帰る方法を聞こうとしてくれていたけれど、もしその事でこの親子を面倒に巻き込むことがあってはいけないと、エバンと話して秘密にしておくことに決めた。アシュレイにも黙っておいてもらう約束をした。
「「――ご馳走様でした」」
「ふふ。お粗末様」
空になった二つのお皿とコーヒーカップを見て、エリシアは満足げに笑った。
挨拶を済ませ、二人は席を立つとエリシアたちの家を出る用意を始めた。
「兄ちゃん達……もう行くの?」
出て行く寸でで、横になっていたアシュレイが見送りに現れた。
「ああ。エバンに付いて行って、どうやっても帰ってみせるよ」
「セイラン兄ちゃんなら大丈夫だよ」
「アシュレイ、色々ありがとうな。すげえ短い間だったけど楽しかった! お前、きっといい男になるよ!」
「本当?」
「ああ! これで別れるのはちょっと惜しいけど、アシュレイのことは俺、絶対に忘れないからな!」
「兄ちゃん……っ。オレだって、兄ちゃんのこと忘れない! じゃあね!」
「おう!」
最後に、もう一度くしゃっとアシュレイの頭を撫でて、青蘭はエバンと共に歩き始めた。
「……で、そろそろ教えてくれよな。奥の手について」
アシュレイと別れて直ぐ、エバンが立ち止ったのを機に青蘭が切り出すと、エバンは少し辺りを気にしながら声を落として言った。
「そこへ行ったとして、どうにかなるという保証はない。それでも、これしか無い。頼れるのはこの人しか居ない。そのお方の元へ、今から向かう」
「……お方? 偉いのか?」
「ああ。民からは先生と呼ばれている、とても偉大なお方だ」
「解かった。案内を頼む」
「その前にコレを纏え」
そう言ってエバンが青蘭に投げつけたのは、足首まで隠れる長さのフード付きコートのような衣服だった。
「何これ?」
「エリシアから譲ってもらった。亡くなった旦那の物らしい。通常は、雨避けや防寒着として活用するものだ」
「へえ……。けど、何で?」
「お前の見た目は悪目立ちするからな、人目を避けるためだ」
「けど、エバンも着るのか?」
一緒になって袖を通している姿を見て尋ねれば、これが一番の安全策だとか、ブツブツ独り言を口にしながら渋い顔で頷いていた。
「よし。これで身動きは取りやすくなったな」
「そうか? ……俺はちょっと前が見えづれえし、歩きづれえ」
エバンより頭1つ背が高い青蘭だが、エリシアの旦那はとんだ大男だったらしい。ちなみに、エバンはエリシアのおさがりだった。
「文句を言うな。ビンセントの奴が上に報告していないとも限らない。また出くわして連行ともなったら面倒だ。見つかれば、それこそタイムロスだぞ。今は絶対に見つからないことが重要だ。急いで戻りたいんだろう?」
「勿論だ!」
「じゃあこの先は俺の言う通りに動いてくれ」
「分かった」
青蘭は、思いのほか真剣に考えてくれているエバンに感謝して、彼の眼を見てしっかりと頷いた。
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「おい、行き止まりだぞ?」
青蘭がエバンに連れて来られた場所は、裏路地を右へ左へと迷路のように進み続けて突き当たった石壁の前だった。
道すがら同じような石壁を幾つも見たが、エバンが立ち止ったのはここが初めてだ。一瞬、彼が道に迷いでもしたかと焦ったが、青蘭を振り返ったエバンに動じる素振りはなかった。
それどころか、青蘭の様子を察し、こちらへ言葉を投げる。
「心配するな。これは、先生のいらっしゃる場所へ続く扉だ」
「扉……? って、言っても何も見えないぞ?」
目を凝らしてもあるのは、凹凸一つ見つからない極厚な石壁が一枚。困惑していると、エバンが徐に壁へ手を這わせ、ある場所で手を止めると力を入れて押す。その途端、何やらゴトゴト動く音がしはじめ、目の前の石壁が移動すると同時に、行き止まりの先にある筈がなかった一本の道が現れた。
「な、何だこれ……っ?」
「隠し扉だ」
「隠し扉って……忍者かよ」
「にんじゃ……? よく分らないが、早く行くぞ」
「お、おう」
からくり扉のような壁の向こうへ足を踏み入れると、センサーでもあるかのように、勝手に石壁が再び動きだして、道をまた壁として塞いでしまった。
青蘭はどんな人物がこの先に居るのか気になりつつも、逸る気持ちを抑えながらエバンの後を付いて行った。
壁の奥は道が続いていたが、目的地はそう遠くはなかった。暫く歩いていると、突然鳥が鳴く声がして、うっかりそっちへ気をとられている間にエバンが立ち止まったのだ。
「セイラン、ぼけっとするな。着いたぞ」
「あ、悪い……」
エバンと同じ方向を見ると、一軒の住居らしき建物が在った。石造りで木の玄関扉までに数段の階段があり、その階段の両脇をさまざまな植物が彩っている。先ほどの石壁を抜けて直ぐ、街の景観がカラフルな色使いの建物から、石造の建物ばかりへガラリと変わったように思う。あまりの雰囲気の違いに、まるで二つの街をくっつけたようだった。
不思議でつい眺めてしまうが、その間にもエバンが先を行ってしまうので、今度こそ注意されまいとして、青蘭は慌てて彼の後を追いかけ階段を駆けあがった。
エバンは扉の前まで来ると、一度コンと扉を叩いた。暫く待っても応答は無かった。
「留守なのか?」
青蘭にまたも不安が過るが、エバンはこちらを振り返らず、何故か行くぞと合図したかと思えば勝手に扉を開けてしまった。
「え……っ!? ちょ、エバン!?」
これこそ、住居侵入で逮捕されないか!? と焦る青蘭を尻目に、エバンは冷静な顔つきで告げる。
「大丈夫だ。報せがいったから、先生にはちゃんと伝わっている」
「へ……? 報せ? 良く分らねえよ! 頼むから解るように言ってくれ!」
さっきから自分は疑問符を多用してばかりな気がする。青蘭は痺れを切らし、エバンの袖を掴んで説明を求めた。しかし、エバンには「うだうだ言わずについて来い。俺の言う通りに動くと約束しただろう!」と、結局注意される羽目になった。しょうがないので、もう意見せず黙って付き従うことにした。
足を踏み入れた建物の中は、外観よりもずっと奥行きがあって広かった。縦長の構造になっているらしい。
最初の部屋には壁一面に木製の棚が備え付けられていた。本棚となっている個所もあったが、その殆には、ジャム瓶のような大小様々なガラス製の瓶に、種や葉、チップ、粉末状のものという、植物関連らしいあらゆるモノが収納されていた。床には、大人一人くらいは優に入れそうな大きな鉢植えまである。ここの家主は無類の植物好きか……? と、青蘭は辺りを見渡す。
他は、同じく木製の作業台と丸椅子、それから理科室で目にしたことのあるようなすり鉢とすり棒や、専門的すぎて使い道の分からない器具を発見した。
一体どんな、何をしている人物なのか先生という人物への関心が高まった時、次の部屋へと足を踏み入れたところで、一人の人物に出迎えられた。
「――エバン、よく来たね」
「先生」
エバンが頭を下げると、声の主は穏やかな笑を浮かべた。
見たところ六〇~七〇代の、痩せ形で、白髪というよりは白銀の髪と髭を蓄えた皺深い男性だった。それでも、エバンが最初偉いお方と語っていただけあって、表情は穏やかだが威厳というのか圧倒されるものを感じた。
「……初めまして。俺……青蘭といいます。突然入ってしまってすみません」
「構わないよ。君達が来ることは分かっていた。」
「え?」
「だから言っただろう。先生には分かるんだよ。ゲドルク先生には有能な伝達者が居るんだ。ほら」
エバンが視線だけで見ろと示してきた先には、開け放たれた状態の格子窓があった。そこに、白い身体に、赤・青・オレンジの三つに分かれた長い尾羽を持った一羽の綺麗な鳥が止まっていた。目の前にすると予想以上に大きかったが、青蘭は見た瞬間、先ほど上空を飛んでいた鳥だと気付く。
「え……え!? 伝達者って、まさか、あの鳥!?」
漸く言っていることはわかったが、大事な部分が理解できない。どうやって報せたのかだ。
オウムのように話せるのか、あるいは鳴き声を合図として使っているのか。どちらにせよ、客人と捉え主に知らせるのなら優秀だ。そう青蘭は考えていたが、真相は想像を遙かに超えていた。
「――初めまして、レドと申します」
「はああああ!?」
何と、白い体躯の有能な伝達者は、青蘭の目の前で突然人間の男性に姿を変えたのである。