白騎士 エバン
善は急げと、青蘭はアシュレイに連れられ、アシュレイの親代わりだという人物の家を目指した。
アシュレイの話によると、その人はこの街の外れで評判のパン屋を営んでいるらしい。
「エリシアさんのパンは美味いぞ!! 世界一だ!!」
「そっか。お前それいつも食ってんのか? 羨ましいな」
「実は、兄ちゃんを助けたのも、エリシアさんが良く、困っている人が居たら助けてあげなさいって言っているからなんだ」
「そうだったのか。お前の親代わりの人、良い人だな」
「えへへ」
アシュレイはまるで自分のことのように、誇らしげで嬉しそうな顔をして鼻を掻く。エリシアという親代わりの女性が大好きなのだろう。
青蘭自身、その気持ちに心当たりがあり、彼の気持ちが理解できた。それは母親紫華だ。父親が居なくなってからも、どんなときも青蘭の傍いて、父の分も二倍の優しさと厳しさをもって自分をここまで育ててくれた。
母親であり、青蘭にとって尊敬する大人だ。
「あ……、白騎士団だ」
「え?」
急にマズいという顔をして足をとめたアシュレイと同じ方向を見てみれば、仰々しい装飾に、金で縁取られた白い制服と長いマントに身を包む集団を発見した。
「何だ、あの仮装集団」
「だから、白騎士団だよ! 国お抱えの!」
「ふーん」
「ふーんじゃないよ! 兄ちゃん、今見つかったら面倒だよ!」
「え? ヤベーの?」
「パス持っていないんだから当たり前だよ……っ。最悪、捕まっちゃうかも!」
「マジか……。白騎士団……、日本で言う警察ってとこか?」
よくわからないが、そういうことなら身を隠さなければと思った矢先、声が掛かった。
「——おい、そこの二人待て」
「……何でしょうか?」
アシュレイが笑顔を作りながらも緊張しているのが隣に居て分かった。
青蘭たちを呼び止めたのは、例えるとネズミのような、制服とは不釣り合いに思える、青白く貧相な顔の男だった。
「見ない風体だ。お前、よそ者か」
答えたアシュレイにではなく、男の視線が青蘭に注がれた。上から下まで、値踏みをするような不快な目付きだった。
「ああ。ちょっと迷いこんじまって、道案内を頼んでいたところだ」
強ち間違っていないことを口にするも、男の目は納得していなかった。
「迷い込んだだと……? 白々しい。不法入国者が」
「あ? 誰が不法入国者だ」
「おい、口の利き方も知らんのか。我々が一体何者なのか知らぬわけあるまい?」
「——す、すみません……っ! この人はこの通り他国の方ですし、さっきまで倒れていたので、恐らく混乱しているのでしょう。後できちんと教えておきますから……っ!」
危機感を抱いたアシュレイが咄嗟に二人の間に入ろうとしたが、彼の手が誤って制服に触れてしまったのを見るや、男は容赦なくアシュレイを払い除けた。
「汚い手で気安くこの制服に触れるな!! 餓鬼が!!」
「う……っ」
地面に身体を打ち付けた衝撃で、アシュレイは呻き声を上げながら男の足元に倒れ込む。
「アシュレイ……っ!!」
幼い少年が無慈悲な目に遭っているというのに、民衆は一歩引いて何かを囁きながら傍観しているだけだ。
この白い制服の男を恐れているのか?
青蘭は信じられない光景を目の当たりにし、拳をわなわなと震わせた。
「おい……テメエ、今自分が何をしたか分かってんのか……っ!!」
「何だ?」
「たかが、服に触れただけだろ。何でそこまでする……?」
「たかが……? それこそ愚問ではないのか? この私の、白騎士の制服に触れたのだぞ?」
「下らねえな」
「何……?」
「その大層な制服の飾りは玩具なのか? 紋章はオマケか? 着せ替え人形じゃあるまいし、お前、自分のソレに責任持てや。どれだけ高尚なものか知らねーが、それで騎士なんて笑わせるぜ!!」
今だけは、ここにいたのが自分で良かったと思う。
もしも夢と妄想の住人の鳴が居たならば、ショックで涙の大洪水を起こしているのが否が応でも想像できる。
「貴様……っ!! 誰を愚弄しているか分かっているのか!?」
「——両者そこまで!! ビンセント、私闘による抜刀は固く禁止されている筈だが」
ネズミ男が剣の柄に手を置き、青蘭が硬く握った拳を振り上げようとした時、風の様に現れた一人の男にそれは止められた。
男は見たところ青蘭より少し年上で、銀色の細い髪を靡かせ、絵に描いたザ・王子のような、気品のある綺麗な顔をしていた。
そして何より、目に留まったのはその格好。ネズミ男と同じ、白騎士の制服を身に纏っていたのだ。
「エバン……っ」
「退け。抜刀の件、俺の口から騎士団長へ報告して欲しいわけはないよな?」
「……クソッ!」
ビンセントと呼ばれるネズミ男は、悔しそうな顔をしながら剣から手を引き、身を翻した。
「覚えていろ。この借りは必ず……っ!!」
そう、言い残して。
「アシュレイ、大丈夫か!?」
暫く男の背中を睨んでいたが、ハッとした青蘭は急いでアシュレイを振り返った。ゆっくり抱き起すと、弱弱しくも笑って頷く姿に安堵する。
「大丈夫……。兄ちゃん、ありがとう」
「気にするな」
さっき彼が言ってくれた言葉と同じ言葉を返したら、アシュレイの笑みが深まった。青蘭もつられて微笑むが、直後背中にかかった声にたちまち瞳が剣呑さを帯びる。
「君は向こう見ずにも程があるな」
「あんたも白騎士なのか?」
アシュレイを抱え振り返りながら訊ねれば、居残っていた銀髪の男が困った笑みで頷いた。
「さっきの今で答えるのはやりずらいが、そうだ。俺の名はエバン。あいつとは階級が違うが、同じ騎士団だ」
「何故止めた?」
睨み付けると、エバンはため息交じりに青蘭を見返す。
「死にたかったなら邪魔をして悪かった」
「誰が。あいつはクズだ。一発殴らなきゃ気が済まねえんだよ」
「……否定はしない。ビンセントは騎士と言う地位を傘に着て好き放題だからな」
「あんた、あんな奴を野放しにするのかよ」
「俺に言われても困る。階級は上でも、罰する権限は俺には無い」
「はっ。騎士なんて所詮名前だけだな。その制服に見合った仕事なんてしているのかどうだか。そんなクソ役に立たない集団なんか、いっそなくしちまったらいいのによ」
「え……?」
青蘭の言葉にエバンが大きく目を見開いた。
「何だよ? 怒ったのか? いっとくけど謝らねえぞ」
てっきり気を悪くしたのかと思うが、どうも理由は他にあったらしく、エバンは首を横へ振った。そして、青蘭へ呆れ交じりの視線をむける。
「いや……何でもない。それにしても君は……不敬罪に問われる物言いは止しておけ。どこで聞かれるか分らない」
「あんたが聴いている時点でどうでもいいだろ」
「君は……」
まったく危機感のない口振りにエバンの方が心配になってくる。しかし、青蘭はそんな彼に眉を寄せながらこんなことを言ってきた。
「あのさ、さっきからきみ君って止めろよ」
「だが、君の名前を知らない」
「青蘭だ! 気持ち悪いんだよ。 もう二度と呼ぶなよ!」
「な……っ、気持ち悪いだと? セイラン、お前は失敬な男だな!」
「うるさい!」
「ちょっと……、耳元で喧嘩しないでくれる? オレ、一応怪我人なんだけど」
「「すみません……」」
アシュレイの言葉でハッとした二人は、どちらがオトナか分からないなと真っ赤な顔を見合わせながら声を揃えた。
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仕切り直したところで、エバンがふと疑問に思ったことを青蘭とアシュレイの二人に訊ねた。
「ところで、二人は何故一緒に?」
「倒れていた俺をこいつが見つけてくれたんだ」
「倒れていた……? 何か事件にでも巻き込まれたのか?」
眉を寄せるエバンに、アシュレイが青蘭の話に補足して言う。
「この兄ちゃん、良く分らないんだけど、仮面を付けた知らない男にこの国に連れてこられたんだって。それで早く帰りたがっていたから、取り敢えずオレの親代わりの人に何かいい方法を聞こうと思って、一緒に家へ向かっている途中だったんだ」
「他国から……。成程。まあ確かに……見慣れない姿だ」
エバンが青蘭を眺めながら珍しそうにボソリと呟いたので、青蘭は念の為とばかりにエバンに言う。
「俺は不法入国したわけじゃないからな? 気付けばこの国に居た」
「その者は何処にいる?」
「知らねーよ。目が覚めたら独りだった! ……本当だ!」
「別に疑っているわけではないが……状況的には非常に危ういな。パスは持っているんだろうな?」
「いや、それが……持っていないみたいなんだ」
またも、代わりにアシュレイが答えると、エバンは綺麗な顔を盛大に崩して青蘭を見た。
「な……それじゃあ不法入国と変わらないぞ!」
「え、じゃあ……俺はどうなる……?」
「恐らく、身元の確認が取れるまでは拘束されるだろうな。それでも何もわからない場合は、最悪牢獄行きだ」
恐る恐る聞いた問いに対して返って来た回答は愕然とするものだった。
「冗談じゃねえ……!! 俺は……っ、直ぐにでも元の国に帰らなきゃなんねーんだ!!」
「そう言われても俺にはどうすることも……っ。本来なら、事情を知ってしまった以上、お前を直ちに捕縛し、しかるべき対処をするのが仕事だ」
「捕縛だ!? さっきあのネズミ野郎から助けてくれたじゃねーかよ!!」
「あれは……ビンセントが横暴だったから見ていられないと思って止めたまでだ」
「そんな……っ、ねえ、どうにか出来ないかな!? 兄ちゃんが可哀想だよ……!!」
アシュレイにまで懇願されたエバンは、渋面を作りながら暫く考える。
「——そうだな、手が……無いこともないが……。手を貸すからには、俺自身、セイラン、お前を信じられる確固たるものが欲しい」
「確固たるもの?」
「会って間もない他人を真っ直ぐに信用できるほど、俺もお人好しではない。それ以前に、俺は国王陛下の騎士だ。万が一お前が国を滅ぼそうとする者であった場合、厳しい罰が待ち受けている。――故に、俺を信じさせてみせられるか?」
「成程な」
青蘭はエバンの言葉に納得の表情で頷いた。そして、徐に片腕を前に出す。
「何をするつもりだ?」
「この腕、斬れ。必要なら両腕でもいい」
不思議そうに見つめるエバンに、青蘭は毅然と言い放った。
「……は? いきなり何だ……っ」
驚くあまり言葉がうまく出てこない。エバンは冷汗が浮かぶのを感じながら、青蘭を揺れる瞳で見返した。
反して、青蘭は先ほどからまったく変わらない調子で言葉を続ける。
「生憎だが、俺には今手札が何もない。保証を手に入れている時間も、人となりを語っている余裕もねえ。これが、今出来る精一杯の、あんたが言うところの【確固たるもの】だ」
「な……っ、正気か……っ? 何故そんな発想になった?」
「うーん……俺の国では、ごく一部のある組織が覚悟の証・縁の断絶の証とか、兎に角色々、意思表示としてそのやり方をしているから。俺だって、好きでやりたいわけじゃねえけど、この場合仕方ねえだろう。たまたま思いついたんだって」
「だが、リスクが……っ」
「そんなの、百も承知だ。その覚悟あってこその証明だろ。——なに、足さえ残れば帰ることは出来るんだ」
「……っ、馬鹿なのか!?」
エバンは問答を繰り返しながら頭痛をおぼえた。
確かに自分は信じさせてみせてくれと要求した。しかし、こんな滅茶苦茶なやり方を選ぶとは誰が予測できるか。
なぜたまたま思いつくのが、一か八かの賭けのような方法なのか。まったく、本当に馬鹿げている。前代未聞だ。
「ほら、さっさとしろよ。時間が勿体ねーだろ」
それなのに、青蘭は臆するどころか堂々とし、あろうことか急かしてくる。エバンは苛立ちを覚え青蘭を睨み付ける。
軽く言いやがって、斬らされるこっちの身にもなれ!!
「兄ちゃん……っ」
やり取りを黙って聞いていたアシュレイが涙声で青蘭を呼んだ。
さっきから妙に静かだと思ったら、泣いていたらしい。確かに、腕を斬ると聞いたら、ましてやこんな子供が、恐ろしく感じないわけがなかった。
しかし、そんなアシュレイを相手に、青蘭はいたって冷静に言葉を掛ける。
「アシュレイ、大丈夫だ。直ぐ終わる。お前は……そうだな、少しの間向こう向いていろ」
「嫌だよ……っ! 恐いって……っ!!」
抱えていたアシュレイをゆっくりその場に降ろしながら言うと、案の定、アシュレイは首を大きく横に振り乱して泣く。それでも、青蘭の腹は決まっていた。
アシュレイの頭にポンと手を置き、笑みを浮かべるとこう告げた。
「お前だって本当は恐いくせに、さっき俺の為にネズミ男に近づいて、ケガしてまで頑張ってくれたじゃねえか。今度は、俺が頑張らなきゃいけねえ番だろう」
驚くのは勿論だが、何故か、その言葉を聞いたエバンの頭の中で別の男の姿が思い出される。
『今度は俺の番だな!』
師匠……。
前代未聞だと思った。しかし、なんだか青蘭を見ていると、妙に懐かしい気持に駆られもした。その理由が、ある人物と重なるからだと気付いた瞬間、ごちゃごちゃとしたものが吹き飛んでいく。――心が決まった。
「……分った。もういい」
「あ? 何一人で完結させてやがる。俺は何もまだやっちゃいない。早く斬れ」
「うるさいな!!」
つい声を上げてしまい、ハッとする。青蘭とアシュレイが揃って驚きの表情でこちらを見ている。
「ゴホン……すまない。もういいと言ったのは、信用することにしたからだ。……だから、腕は早く下げろ」
「本当か……? 納得したのか? 俺のこと信用してくれるのかよ」
「……そこまでの気概と覚悟があるのなら、間違いないのだろうよ。それに、その様子じゃあ、例え何かあって、やはり俺に斬られることになっても、文句はないだろうからな」
「ああ。ありがとな、エバン。俺も、お前を信用するぜ!」
さっきまで腕を斬れと言っていた男とは到底思えない屈託のない笑顔に、エバンは一瞬当惑した。
この男は、本当に何なのだろう。不思議だ。
「……セイラン、き……お前は、少々真っ直ぐ過ぎるところを改めた方がいいと思うぞ」
「は?」
青蘭は何だそれ? と笑うが、エバンは本気で忠告したつもりだった。
このままだと、いつか身を滅ぼしかねないという不安を感じたから。
『エバン』
温かい愛で自分を包んでくれていた、大好きだった、あの男のように……。