クローリー・バグマン
「——……まったく、冷や冷やしたぞ」
王の間を出るなり、ため息交じりに眉を持ち上げるエバンに睨まれた。
「悪い悪い……けど、重大案件はこれで片付いただろう?」
「神聖な儀式を片付いたなどと軽く言うな」
「あ、すみません……」
今度はユリアスに失言を咎められ肩をすくめがちに苦笑していると、横で笑う気配がした。顔の向きを変えれば、アイリスが口元を隠しながら笑うのを耐えている様子が見てとれた。
「君って……面白いね」
「ほっとけ」
自分が見ているのに気づいたアイビスの言葉に、青蘭はむっとしながら視線をそらした。どう解釈したところで、手放しで喜べるような意味ではないはずだ。
「——式は無事終わったようだな」
突然どこからか聞こえてきた声の先を視線で追えば、焦げ茶色の長い髪を後ろで束ねた、六〇代後半くらいの男性の姿を見つけた。灰色の着衣が、色違いかのようにアイビスのものとよく似ている。
そして、背後には例えるならユリアスやセダルモートのように、年若な者たちを数人引き連れている。何者かはわからないが、只ならぬ人物のようだ。
証拠に、たった一人男性に近づいていくユリアスの表情はどこか硬く、後ろで一礼している副団長のアレンも、放っている空気から緊張をしているのが伺える。
「なあエバン……あれ、誰だ?」
「あれは……」
エバンが青蘭の耳打ちに応じようとしたとき、ユリアスがちょうどその名を口にした。
「バグマン殿、もしや、アイビスを迎えに?」
「ああ。ウチのまで任せて申し訳なかった。今日に限って、どうしても抜けられぬ所要があって」
「いえ。アイビスは、陛下を前にしても堂々として立派なものでした。流石、稀代の大魔導士クローリー・バグマン殿の愛弟子です」
「愛弟子……?」
不思議そうな青蘭とエバンの視線を受け、アイビス自ら二人の関係性を説明した。
「ああ、俺は子供のころに、バグマン様から直接魔法の手ほどきを受けたことがあるんだ。その縁もあって、今回君がグランツ団長方に推薦してもらえたように、俺も、バグマン様直々に魔法団へ推してもらえたというわけ」
「なるほど……そういうことか」
「――君は?」
足音もなくすぐ側で聞こえた声に驚く。
動揺するあまり、大袈裟に振り返ってしまった青蘭のすぐそばには、いつの間にか皺が細かくもくっきり刻まれた目でこちらをじっと見下ろしているバグマンが立っていた。
気配が……しなかった……?
「あっ……どうも、青蘭です……!」
心を落ち着かせながらどうにか挨拶をすると、隣に並び立ったグランツが正式に青蘭を紹介した。
「彼はうちの新人騎士です。アイビスとたった今儀式を受けたところです」
すると、バグマンは青蘭を上から下までじっくり眺め、特に笑みを浮かべることはないが非難する様子もない、落ち着いた声音で告げた。
「では、君が例の……。わたしは、王立魔法師団団長のクローリー・バグマンだ」
間近に見たバグマンは思ったよりも背が高く、袖から長く延びた手は骨ばって細かった。もしかしたら、ぶつかったら倒れてしまうのではないかと思うほどなのに、彼には一線引かせる強い何かがあった。まるで静電気が発生した時のびりつく痛みが体を駆け巡っている。
それでも、青蘭には彼がこの場を去る前に、絶対に確認しなければならいことができた。
「あ、の……っ!!」
「……何か、わたしに用かね?」
「はい……あの、あなたはっ……、俺と以前にも会った覚えはないですか……?!仮面を着けて、日本という国で……!!」
その質問に、他の者達は不思議、または怪訝そうな表情をするが、エバンだけはハッと息を呑んで表情硬く見守っていた。
沈黙のなか言葉を待っていると、やがて、眉を寄せながらバグマンが言った。
「ニホン……? いや……悪いが、仮面のことも、その国とやらも知らないな」
「……そうですか」
「聞きたいことはそれだけか……?」
「はい……。……ありがとうございました」
「期待に沿えずすまないな。では、我らはこれで。――アイビス、来なさい」
バグマンがアイビスに一声かけて一足先に前を歩く。その後ろを追いかけるアイビスが途中足を止め後ろを振り返った。
「セイラン、エバンここでお別れだ。また城の何処かで会おうね!」
女子でもいようものなら歓声に沸いたかもしれない、絵に描いたお手本のようなウィンクが飛んだ。しかし、生憎こちらは野郎二人なので、胸躍るどころかうっかり胸焼けしそうになって、青蘭とエバンは受け取ったそれを押し付けあうようにそろって苦々しい顔を突き合わせた。
それでも軽い空気は一時のもので、アイビスが居なくなると直ぐ、エバンは神妙な面持ちになって青蘭を見た。
「――なあセイラン、今の質問ってまさか……」
「ああ……気配のないあの感じ……なんだか似ている気がして……っ」
青蘭がバグマンが居なくなった方を見ながら硬い表情で告げると、不意に頭の上に影が落ちた。
ハッとして背後を振り向けば、厳しい顔をしたユリアスが立っていた。
「あ……」
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「あの無礼な若者は一体何なんでしょうか!!」
そう憤慨して言ったのは、ずっとバグマンの側に居た若者の一人、魔法師団副団長のアーサーだ。
後ろをついて歩く他の者たちは恐れ多くて聞き耳を立てるのが精いっぱいだったが、アイビスは彼を見ながらそっと口の端を上げる。
「ちょっと変わってますよね~。俺は面白くて好きですけど」
「ちょっと!? いいえ、かなりの変わり者です!! 大魔導士のバグマン様に向かって断りも無くあんなことっ……無礼ですよ!!」
アーサーは魔法師団の中でも随一の真面目人間と言われている。そのうえ、バグマンのことを神のごとく崇拝している。この時、皆口には出さないが、アイビスの言葉は火に油だと思った。
城内の人目にもつく廊下において隊列を乱す勢いで憤るアーサーを、他の者たちがどう抑えるべきか悩み慌てふためいているというのに、アイビスといえば何もせず愉しそうにしている。
この様子を背中越しに感じ取ったバグマンは、やれやれとため息を交えながら自ら動くことにした。
「アーサーよ、そういきり立つな。彼はどうやら他所国から来た者のようだ、こちらのことをまだ何も解っておらぬのだろう。仕方のないことだ」
「ですが……っ」
「お前は、このまま魔法師団の顔に泥を塗って歩き続ける気ではあるまいな?」
まだ言い足りなそうなアーサーに、バグマンはそんな言葉とともに鋭い視線を差し向けた。すると、ノド元をぐっと抑え込まれたかのように息苦しそうな表情になりながら漸く彼は口を閉じた。
一部始終に他の者たちが一様に青い顔をして震え上がるなか、ただ一人、恐れを知らぬ素振りのアイビスが笑みを携え、バグマンの傍へ寄っていき問いかける。
「ところでバグマン様、ニホンという国のこと、本当にご存知ではないのですか?」
「……ああ、知らんよ。それがどうした?」
「ニホンとはどのような国なのか、少し気になったもので」
「さあな……恐らく、あのセイランという若者の祖国なのであろう」
バグマンが前を向いたままそう告げると、アイビスは来た道を振り返りながら笑みを深めた。
「……へえ」