宣誓
部屋の少し奥へ進むと、背後で再びドアが動く音が聴こえた。
ちらりと首だけ動かして見れば、扉の両脇に立っていた衛兵らしき者たちが一定の速度でゆっくりと扉を閉めていた。
青蘭は初めて足を踏み入れた王の間をこっそり観察する。
姿が映し出されるほど透明感に溢れる石素材の床と、城の外壁と同じ綺麗な白壁に囲われており、出入り口から王座まで真っ直ぐ続く絨毯の青色がとても映えている。
なにより驚いたのは、右手側の壁上だ。足を踏み入れた瞬間、寸分違うことなく並ぶ歴代のオルニワ国王達の肖像画と目が合う。凛々しい顔のあまりの迫力に、まるでこちらを見定めているように感じ、無意識に背筋が伸びる。
ユリアスに言われた通り、この場は神聖かつ荘厳な雰囲気に包まれていた。
「——その二人が、セイランとアイビス・ウィザリーか」
シルバが声を発すると、ユリアスは二人が彼から良く見えるように一歩横へずれて頷く。
「そうです」
「そうか……二人とも良い眼をしているな」
シルバは青蘭とアイビスを見て目を細める。
初めて姿を見たのが公の場で、あの日のあまりの風格と強い眼差しが勝手に恐ろしい人間像を作り出していたが、意外にも、自分達を見る目は慈しみに満ちていた。
青蘭の中で、シルバ・オルニワの印象が変わった瞬間だった。
「二人ともこちらへ」
そう声を掛けたのは、シルバの側に控えている一人の男性。
年齢は六〇代後半から七〇代前半程で、細身で彫が浅く皺深い顔をしている。青蘭はふと鳴に散々聞かされた話を思い出し、彼は国王の側近だろうかと思った。
二人がシルバの前に片膝を立てた姿勢になると、やがてシルバが側近に命じた。
「儀式を始めよう。剣をここへ」
「畏まりました」
返事一つで部屋の垂れ幕の奥へ一度消えると、側近は今度、白布に包まれた細長いものを大事そうに両手に抱えて姿を現した。
何だ?あれが、剣なのか……?
青蘭は盗み見て俯きがちに困惑の表情を浮かべた。一方アイビスは、これから起きることを全て理解してるようで余裕の表情を浮かべている。
これから自分は何をどうすればいい?
城へ着くなり真っ直ぐここへ連れて来られ、全くこの国における儀式とやらの作法を聞かされていないことに今更ながら気付いてしまった。
青蘭は待っている間、自分の心臓の音を聞きながら更に緊張感を高まらせてしまう。
そんななか、側近から白布を受け取ったシルバは、その布を丁寧に剥ぎ取る。やがて露わになったのは、金色に輝く、豪華な装飾の施された細身の剣だった。
鞘を抜くと、その剣を一度顔の前に掲げる。剣なんて、青蘭は玩具くらいしかお目にかかったことなどなかったが、剣身に曇りなくはっきりシルバの顔が映し出されるのを見て、それが紛れもなく本物なのだと理解した。
シルバは剣先を下げると、青蘭たちを見下ろす。
「アイビス・ウィザリー」
「はい」
最初に呼ばれたのはアイビスだった。彼が伏し目がちに返事をすると、シルバが短く命じる。
「顔を上げよ」
「……はい」
アイビスは言われるままその顔をシルバへ向けた。
シルバは一度アイビスと無言で視線を交わすと、降ろしていた剣先をアイビスの両肩に順に乗せた。そして最後、彼の顔の前へ剣先を突きつける。
何が起こっているのか良く分らない青蘭は、思わず声を上げそうになるのを必死に耐えて、その代わり側に控えるエバンにこっそり視線を送った。
すると、彼は青蘭が驚くのは想定済みだったようで、確りこちらを見ると大丈夫だと口パクで伝えてきた。
不安が全くないわけではないが、彼がそう言うのなら信じるしかない。
青蘭は顔を元に戻すと、その様子を固唾を呑んで静かに見守った。
「アイビス・ウィザリーよ、本日より其方はオルニワを護る精霊の遣いの一人となる。如何なる時も祖国を愛し、類まれなるその力に奢らず屈せず、人の道を離れず、オルニワの温かい光となれるよう在れ」
「はい。国王陛下と、我が愛するオルニワ国に忠誠をお誓い申し上げます」
アイビスは笑みを浮かべながら穏やかに宣誓を口にすると、シルバが差し向けていた剣先に手を添え、次の瞬間顔を下げてそこへ口付けた。
——————————!?
言葉にしてはならない場だから良かったのだが、声にならない衝撃が青蘭を襲った。
しかし、パニックに陥っている間など与えられない。気が付けば、青蘭の番が直ぐやって来てしまった。
「セイラン」
「……は、はい」
「大丈夫だ。深呼吸をしなさい」
「……っ、はい」
シルバは声までも、まるで大切な者を前にしているかのように、柔らかく穏やかだった。青蘭の衝撃を引きずるあまり裏返った変な声に顔を顰めることもなかった。安心させられた青蘭は、言葉に甘え、肩を上下させながら一度大きく深呼吸をした。
そして、落ち着いたタイミングでアイビスの行動を頭の中に思い起こし、再びゆっくりとシルバを見上げた。
目が合ったシルバは口元に小さく笑みを作りながら頷き返してくれる。そして、先ほどのように剣先を両肩に順に置くと、青蘭の前にもとうとう剣先が向けられた。
「セイランよ、本日より其方はオルニワの勇敢なる戦士の一人となる。……例え生まれた国は違えど、如何なる時もこの国を愛し、使命を忘れることなく、立派に騎士の努めを果し、オルニワの眩い希望となれるよう在れ」
シルバの言葉を聞いた青蘭の頭の中に、大切な家族や、この国で出逢った人々の顔が浮かぶ。
自分の目的は元の世界へ帰ること。いつか、近いか遠いかは分からないが、自分はここを去る。けれど、自分がやるべき事、自分の心は、場所がどこであろうと変わらない筈だ。
やがて、自身に問いかけ漸く見つけた言葉を、青蘭は声に乗せて待っているシルバへと伝えた。
「はい。祖国ではないけれど、大切な者達が居るこのオルニワ国を愛し、守ることを俺は、心優しき国王陛下と自分自身に誓います」
青蘭なりの宣誓は、周りを少し驚かせたようだが、顔を見ればシルバは満足そうに微笑んでいた。
それに安堵した青蘭は、剣先に手を添え、アイビスと同じようにそっと唇を近付けたのだった。