少年 アシュレイ
「あーあ……青柳さん、とうとう殺りましたね」
青蘭と別れた羽澄が部下が来るのを待ちながらお弁当を食べていると、漸く現れたその部下、坂巻燈が羽澄を見るなりゲンナリ顔で言った。
「は?」
「前々からいつ起こってもおかしくはないとは思ってはいたんですが、今日ですか。……何も俺の誕生日にそんなことすることないでしょ。何ですか、嫌がらせですか? まあ、何でもいいです。――取りあえず殺人容疑で逮捕し」
「阿保か!!」
全てが言い終わらないうちに、羽澄は拳骨を坂巻の頭上目掛けて振り下ろした。
「痛……っ!!」
「お前の誕生日なんか知るか! 冤罪の痛み、身をもって知れ!!」
頭を押えて悶絶する坂巻を尻目に、スカッとした羽澄はまた食事をはじめる。
「え? 嘘、違うの? 殺してないんすか?(てか、「おめでとう」くらい下さい)」
「あのな、マジで殺していたら平然と飯なんか食えるか!!(誰が言うか)」
そんなふざけたやり取りをした後に、一応坂巻が真面目に羽澄の袖口を指して言う。
「でも……それ、ケチャップじゃないですよね?」
「ああ、血だ。だが、これは違う。間違っても殺しじゃねえよ。事情があんだ事情が。それよこせ!」
じっと見て来る坂巻の視線から逃げ、彼が飲もうとしたコーヒーを奪い取る。
「あ。窃盗罪だ! 現行犯逮捕!」
「……お前は、小学生のガキか」
つーか、飯なんだから茶を買って来いよと愚痴りながら、羽澄はコーヒーに口をつける。
「あの、青柳さん……もしかしてなんですけど、その血、七年前の事件が関係していたりします?」
「……は? 何でお前が知ってんだよ……っ?」
坂巻はサラサラな短い茶色がかった黒髪に、メンズ雑誌に載っていそうな長身でスラッとしたスタイルの、スーツなんかもちょっとお洒落に着こなしているような男だ。どこか省エネ思考ぽいのが羽澄は気に入らないが、今時と言えばそうなのかもしれない。
そんな若い世代が知っていることに驚くが、坂巻は平然と話を続ける。
「いや、知らない奴、居ないと思います。ベテラン敏腕刑事・青柳の人生を狂わせた謎の紅失踪事件」
「変な言い方するな。俺はただ、未解決の事件を追っているだけだ。ちゃんと仕事してんだ。何が悪い」
「上からの命も、ついでに出世も蹴って、良いか悪いかで言えば、最悪じゃないですかね?」
「うるせーよ! この野郎!」
「うわ、痛ぇ!」
羽澄に再び頭を叩かれて、公務執行妨害適応しますかねー!? なんて騒ぐ坂巻の横で、彼は顰め面で煙草を銜えた。
煩い。仕方ねーだろう。
約束したんだから。約束したのは、自分だから。
『青坊、父ちゃん、必ず見つけるからな』
『うん! おっさん約束だぞ!』
『おーよ、約束だ。青柳のおっちゃんに任せとけ!』
あの幼かった涙に強く、誓ったのだ。
この時、羽澄はまさかその日のうちに最悪の事態が起きるとは思いもしなかった……
✦
その夜のこと。
「久喜君、お疲れさま」
「お先です」
足元が吸い込まれそうな真っ暗闇を月明りが静かに照らす頃、青蘭はバイトを終えて家へ帰ろうとしていた。
「……ん?」
ふと目に入った路地に怪しげな人影を見つけた。
最初は気のせいかとそのまま通り過ぎるつもりでいたのだが、その直後に今度はハッキリと、人の姿が目に留まった。
「おい!!」
「……」
相手が声に反応して動きを止めた。頭がわずかにこちらへ動く。
青蘭は相手を見据えたまま告げた。
「ツラ、見せろ!」
語気が自然と強くなってしまったのは、この時間に遭遇したことへの警戒心もあったかもしれない。だが何よりも、目の前の人物の黒マントに奇怪な仮面という風貌が、聞き覚えのある人物像と重なった。
――数時間前のこと。青蘭は羽澄からあることを聞かされていた。
『お前の親父……紅蓮は見つかっていないが、俺は今、手掛かりとして仮面の男について調べている』
『仮面……?』
『……黒いマントのようなコートを羽織って、顔を奇怪な仮面で隠した謎の男だ』
『そいつが親父と何の関わりがあるんだよ……?』
『ある人物が過去に偶然、紅蓮とその仮面が一緒に居るところをカメラで捉えていたんだ。接触したなら何らかのトラブルに巻き込まれたという線も視野に入れるべきだろう』
『けど……っ、たまたまサイズにおさまる距離で一緒に映り込んでいただけって可能性もあるだろう……? 仮にそんな奴を見付けたからって、あんたじゃあるまいし、あの親父がどうこうするなんて……』
そこまで言うと、羽澄が青蘭に対し思い出したような顔で告げた。
『そうか、お前は、紅蓮も元刑事なの知らなかったのか……!』
『え……?』
青蘭は驚きの余り一瞬動きを止めた。
親父が……元刑事?
『まあ……お前が生まれた頃には刑事を辞めてたから、あいつが話してないなら知らなくても無理ねーか』
『本当なのかよ? 親父が、元刑事って……』
『ああ。親友の前に、あいつは俺の相棒だった。優秀な刑事だったよ』
『……マジかよ』
『解ったろ。だから、そんな奴に出くわしたら俺でも目を付けるが、あいつの正義感は刑事の頃から人一倍だったし、見過ごせるとは思えない』
『……親父』
初めて、訊かされることに驚くとともに、自分は知っていた様で父親のことをよく知らなかったのだと気付いた。
『俺も一緒に探すよ。その仮面の野郎』
『駄目だ。お前は一般人なんだ。危険だ』
『おっさん……っ!!』
『俺は最初、お前にこのことを話すか悩んだ。紅蓮が居ない間にもしもお前を危険な目に遭わせでもしたら、あいつを殴るどころか、会わす顔がなくなっちまうからだ。それでも話そうと決めたのは……、お前に、紅蓮のことをもう少し信じてやって欲しいと思ったからなんだよ! あいつは、好き好んで家族を裏切ったり、人様に迷惑をかけるような男じゃねえから!』
『……じゃあ俺は一体どうすればいい。俺、心の中ですっと……親父を死んだことにしていたんだ。何度も何度も、浮かんでくる笑った顔が恨めしくて……っ。ちょっとくらい無茶しないと……、俺だって……何かしないと、親父に顔向けできねえ……っ』
『青蘭……、そうだよな。お前はお前なりに葛藤していたんだな。それなのに……悪かった』
羽澄は涙する青蘭の頭を子供の頃にしていたように軽くぽんと撫でた。
青蘭も、子供の頃の情景が浮かんで心の中で懐かしく感じていた。けれど、すぐさま泣いていることが恥ずかしくなり、涙を拭って頭の上の腕をはらった。
『もういい……わかった。仮面の男のことは、あんたに任せる。だから親父のこと、今度こそ見つけ出してくれ』
『おう』
約束した。その日に、なんて巡りあわせだろう。青蘭は目の前の仮面の男を見ながら思った。
「ツラ、見せろって言ってんだろ」
もう一度言うと、仮面の男は徐に仮面に触れた。一瞬、外すのかと思ったが、仮面越しに何かを言った。直後、突然時が止まったかのように、自分と仮面の男が立つ空間以外の人や建物の音がブツっと消えた。
不自然な現象に多少驚くも、隔離されたのが外ではなくこちら側なら好都合と、青蘭は聞きたかったことを仮面の男から聞き出すことにした。
「一体、何者だ? これ、手品か何かかよ。お前……七年前も、現れたよな?」
「……」
「俺の親父、久喜紅蓮に今みたいに何かしなかったか? 俺は、あいつの息子だ。ずっとあいつの帰りを待っている。……お袋も待っているんだ。何か知っているなら教えてくれよ……っ! 親父を何処へやったんだよ!!」
「……」
何も言葉を発せず、仮面の冷ややかな目でこちらを見ているだけの相手に痺れを切らし、青蘭は拳を握って仮面の男に飛び掛かった。
しかし、仮面の男は武術の心得でもあるのか、身のこなしが軽く簡単にかわされてしまった。
「……チッ」
青蘭はそれでもあきらめず何度かあの手この手で攻撃してみるものの、子供が遊ばれているような状態で、歯が立たなかった。
仕方がなく、頭が冷えてきた青蘭が携帯を手に羽澄へ連絡を取ろうとした時だった。
『——時間だ。君には此方側へ来て貰おう』
直ぐ側で声が聴こえ、ハッとした時にはもう遅かった。
「な……っ?」
黒いものが目の前を覆ったのを見たのを最後に、青蘭は意識を失った。
✦
「おい、兄ちゃん、大丈夫か!?」
誰かが呼ぶ声に起こされ目を開けると、天井には青空が広がっていた。
——ん? 何で空? ……え?
「何処だ!? つーか、あっ……!! あの仮面野郎!!」
どれくらい気を失っていたか分からないが、真っ先に浮かんだのはあの仮面の男だった。
姿を探そうと起き上がった途端、頭が勢いよく何かとぶつかった。
「いってー!」
「痛ー……っ!!」
痛みを耐えながら自分以外の声がした方を見れば、同じく頭を押さえている一人の少年の姿があった。幼さが残る顔つきで、体型も小柄なことから歳は恐らく10歳ぐらいだろう。
「お前……誰だ?」
「ちょっと酷いじゃないか! 折角起こしてやったのにさ!!」
「あ……っ、悪い。さっきの声はお前だったのか」
「そうだよ! 倒れていたから、心配して兄ちゃんのこと呼んでたのに、いきなり起き上がるから……っ!」
ちょっと涙目になりながら訴える少年に申し訳なくなってきて、青蘭は真面目に頭を下げた。
「本当に悪かった。見付けてくれて助かったよ」
「……いいけど。兄ちゃんさ、何でこんな所で倒れてたの?」
「こんな所……?」
少年の言葉で、青蘭は初めて辺りにちゃんと意識を向けてみた。彼のなかのこんな所はさておき、自分が目にする限り、今居る場所には違和感しかなかった。
自分はいつの間に異国情緒あふれるテーマパークに来たんだ? と思うほど、足元は石畳が広がり、中心には大きな噴水。それを囲うようにして並び建つカラフルで目に鮮やかな色彩の建物には見慣れない文字看板がぶら下がっている。
第一、目の前の、オレンジ色のクセ毛に紫がかった青い瞳をした少年を見てわかるように、街中を闊歩する人々の風貌が怪しい。まるで、ハロウィーンの仮装をしているかのように、全員が全員染めたような髪の色とカラーコンタクトレンズをはめ込んだような瞳の色をしている。悪いが、そんな見た目は鳴だけで間に合っている。
それなのに、少年や人々の口から発せられるのは、流暢な日本語というちぐはぐ感。
何なんだ。あまりの居心地の悪さに、不安になった青蘭の心の声が漏れる。
「此処、日本だよな……?」
すると、その声をしっかり拾い上げた少年が、不思議そうに首を傾げ衝撃の言葉を放った。
「二ホン……? 何それ?」
「おい、待て待て……駄目だ! そのフラグはヤバい。マジで止めろ!」
血の気が引く思いで抵抗するも虚しく、少年は天使かと思うほど純粋な目で、屈託のない笑みを浮かべながら、青蘭を恐怖のどん底へ突き落した。
「此処はオルニワ王国だよ? ちなみに、ここは王都の中心街」
「オルニワ……!? それどこだよ!? だいたい言葉だって通じてんのに……っ、どうなってんだ!?」
鳴と違って地理や世界史が得意ではなかった青蘭でも、此処が日本じゃないということだけははっきりと解ったが、疑問が山積みだった。
自分がここにいる理由もわからない。
『——お遊びはここまで。もう、時間だ。此方側へ来て貰おう』
……あの仮面の男。耳に残る声を頼りに、仮面の男の存在を思い出す。
最後の言葉が聞き間違いじゃなければ、青蘭を連れて来たのは間違いなくあの男だが、先ほどからそれらしき姿が見当たらない。
「……なあ、坊主、俺の他に誰か見なかったか? 黒マントを羽織って、変な仮面をつけた怪しい奴とか」
「え、そんな人は見なかったけど……。誰かと一緒だったの?」
「いや……まあ」
青蘭は何も知らずにこりと笑う少年を前に、再びがくりと肩を落とした。
つまり、自分は全く知らない国に突然連れてこられたうえ、理由は分からないが、たった一人置き去りにされたわけか。
「頭が割れそうだ……」
青蘭は顔を覆って項垂れる。
『二人していますぐ異世界に転移したいくらいなのに!』
ここにもし鳴が居たら、能天気にこの広場で踊り始めるか、さぞ泣いて喜ぶことだろう。何故、よりによって自分なのか。
いや、もしかしたら彼と長くい過ぎたせいでこうなったのかもしれない。気が付かないうちに、こういう場所に引き寄せられやすい体質になったのかも。
受けいれ難い現実に思考と心理状態がぐちゃぐちゃになるが、一人の人物の顔がふいに浮かんだことで、途端にいままでのものがパーンと弾け、その顔だけがくっきり輪郭をつくって青蘭の頭を占める。
青蘭はその瞬間、覆っていた手を外して顔をもちあげた。
「……お袋。そうだ、ヤバい……!」
母親の紫華とは、バイトに出る時に顔を合わせたきりだった。早く戻らなければ、父親《紅蓮》がいなくなった時と同じ思いを再び味合わせることになってしまう。
『青蘭……あなただけは、どこにも行かないでね』
それだけは駄目だ。もう、お袋の涙を見るのは二度と御免なんだ。
「坊主!!」
「な、何……っ?」
突然の青蘭の大声に、少年の肩が跳ねあがる。
「今は何時だ!? えっと、時差は、あ~クソ……!!」
「え、一体、どうしたんだよ!?」
事態がまったく呑み込めない少年は、頭にいくつもの疑問符を浮かべながらも青蘭を気遣うように訊ねてくれる。青蘭は出来る限り落ち着くよう自身に言い聞かせながら少年に告げた。
「信じて貰えないと思うが、俺は日本という国から気が付いたらここに来ていた。恐らく、さっき訊ねた仮面の男の所為なんだ。俺には、国で待っている家族がいるから、一刻も早く家へ帰らなきゃならないんだ……っ! 帰り方……っ、何か、手掛かりになるようなものをお前知らないか……!?」
「え……っと、ごめんなさい……。オレには何もわからないや……」
「そうか、そうだよなぁ……あ~もう、クソッ!!」
あの仮面の野郎……どういうつもりなんだよ!! 見つけ出したら絶対許さねえ!!
青蘭は怒りと悔しさを滲ませ拳を強く握りしめた。すると、様子を伺いながら遠慮がちに少年が声を掛けてきた。
「あのさ……兄ちゃんってさ、パスは持っていないの……?」
「パス?」
「この国に入れたってことは、許可証を持っている筈だから……それがあれば帰れるんじゃないかな?」
「許可証……パスポートのことか? ……それなら持ってねえ」
嫌な予感しかしないので目を逸らしながら苦笑交じりで答えると、案の定少年は驚きの表情で声を上げた。
「えぇ!? パス持っていないって……っ、どうやって入れたの!?」
「……知らん!! 仮面の野郎に聞いてくれ!!」
どうやって入ったかなんて俺が一番知りたいんだよ!!
そもそも、異能を使える時点で正規のルートを辿って来たか怪しいところだ。
何で俺がこんな目に遭わなきゃなんねーんだ!!!
青蘭は少年の手前、やけになって暴れ出してやりたい気持ちをどうにか堪える。
すると少年が考え込む顔つきの後、何かを思いついたように口を開いた。
「そうか……うーん、オレには本当にどうすればいいのかわからないんだけど、それなら、オレの親代わりの人に聞いてみてやろうか……?」
「え、良いのか?」
「……方法が見つかるかは分かんないけど、兄ちゃんを待っている家族がいるんだろう? それなら、早く帰ってあげないと!」
「……お前、すげえ良い奴だな。怒鳴って悪かった」
自分より二回りも小さい子供に気を遣わせている状況に反省をするも、少年は気にする素振りなど見せずに、それどころか朗らかに笑う。
「気にするな! いきなり知らないところに居たらそりゃ驚くよな! これも何かの縁だし、オレに出来ることだったら協力するよ! あ、オレの名はアシュレイだよ。兄ちゃんは?」
「俺は、青蘭だ」
「へえ、セイランか。カッコいい名前だな。よろしく!」
「……お前もな。ありがとう、アシュレイ」
やはり異国顔の少年から紡がれる日本語には違和感が残ったままだが、青蘭は今、彼に出会えたことだけが幸運だと思った。