弟子入り
「あの日、戦争に加わらなかったが……判断を誤ったと、今でも後悔している。本当に失いたくないのなら、戦争をこの手で止める覚悟で、自ら陛下へ直訴するなり、戦地へ赴くべきだった。私がしたことはただの逃げだった……。結果として、守りたかった人も、大切な人も、二人の友を同時に失うことになってしまった……」
「二人って……紅麗の人は死んじゃったのか……っ?」
ゲドルクの言葉に最悪な状況を想像したが、ゲドルクは首を横へ振った。
「いや……深手を負ったと聞くが、幸い生きている。だが、もう二度と会う気はない」
「そんなっ……」
何故そこまで頑なのか分からなかったが、ゲドルクから声を発した。
「セイラン、この家へ最初に来た時、どんな場所を通ったか覚えているかい?」
「え? はい……」
返事をしながら、青蘭は頭の中で、初めてゲドルクの家へエバンに案内されてやって来た日のことを思い出す。
まるで迷路みたいな細い裏路地を進んで、石の煉瓦壁で行き止まりになった。あの時はエバンが道に迷ったかと思ったが、仕掛けが施されていたために壁がスライドし、先に続く道が出現したことでここまで来られたのだ。思い出すと今でも驚く仕掛けだった。
それに、そう言えばあの時、エバンはひどく人目を気にして青蘭に上着を着させた。自分が異国の人間だからかと思ったが、他に理由でもあったのか。
「普通にはあの壁の前までしか行くことは出来ない。例え万が一仕掛けを見破られ突破されることがあっても、私が侵入を許して無い者の目には、この家がある場所は、ただの更地にしか見えないように術式を施してあるんだ」
「あ……だから、エバンはすいすいと行けたのか……。でも、何でそんなこと……?」
「追手を巻くためさ」
「……?」
混乱する青蘭に、ゲドルクは驚くべき話をした。
「五年前、グレンが姿を消した直後から、私は突然何者かに狙われるようになったんだ。恐らくは、グレンに用があり居場所を突き止めたい何者かが、私ならどこに居るか知っていると睨んだとみえるが、何せあまりいい予感がしない」
「それって、居なくなる前のグレンさんに何かあったってことかな……? ゲドルクさん、本当に居場所は知らないんですか?」
「ある時ふらりと文が送られてきてからやり取りがあったが、その時も何処に居るかは書かれていなかった。そして、その文でさえ、一年前にパタリと途絶えてしまったよ」
「そうなのか……」
返事をしつつ、話を聞くなかで途中から抱き始めていたある想いを、青蘭は思い切ってゲドルクへ投げかけてみることにした。
「ゲドルクさん……、何でそんな状況下で、あなたは俺を此処に置いてくれたんですか? 後見人になってくれたうえに、王城へ行くことを自ら薦めてくれたり……っ」
ゲドルクは青蘭の視線を受け取ると、何か言葉の意味を取り違えた様子で、申し訳なさそうな笑みを浮かべながら頭を下げた。
「……そうだな、巻き込まない為と言いながら、君に肝心なことを話さないでいた。すまない。安全は考慮して受け入れたつもりではあるが……もし、今の話で不安にさせてしまったなら、セイランの住まいは何処か別の場所を検討しよう」
「待ってくれ……っ! 違うんだ! ゲドルクさんを責めているとかじゃなくて、俺の見た目は悪目立ちするし、もし変に噂が立ちでもしたら、その謎の追手に見つかっちまうかもしれないのに……っ! リスクを背負ってまで、何で俺を受け入れてくれたのかっていうことを訊きたいんですよ!! 大丈夫なんですか……っ!?」
青蘭はつい声を上げて椅子から前のめりに立ち上った。ゲドルクとレドは驚いているが、青蘭は驚きと衝撃と混乱で、冷静になんていられなかった。
数秒の沈黙の後、ゲドルクはふっと目を細めながら青蘭に向け優しく微笑みかけた。
「セイラン、ありがとう。私達の身を案じてくれているんだね」
「そんなことっ……当たり前じゃないですか!!」
思わず反応が遅れながらも、青蘭は強く言い返した。
すると、ますますゲドルクの笑みは深まり、刻まれた目じりの皺も濃くなった。
「……そりゃ、セイランが言う可能性を完全否定することは出来ないよ。でもね、少し前からこのままでいいのかと、自分の中で考えていた。そろそろ、じっとしているだけじゃなく、何かしら変わっていくべきではないかと。そんななか、エバンと共にセイランが私の前に現れたんだ。あの時、言葉では言い表せない特別な縁を感じたよ。だから、この出逢いに賭けてみることにした。私の命運を」
「ゲドルクさん……」
「これは私が自分で決めたことだ。それで何か起ころうとも、セイランが責任を感じる必要はない。それに、もしセイランが私の立場なら、同じように言うと思ったが違うかな?」
「そ、それは……っ」
そう言われてしまうとそうだと思った。上手いことゲドルクにより言葉を封じられてしまった。
けれど、感情に任せたところで残念だが自分は他に宛もなく、独りになってしまっては、予想するまでもなく目的達成に時間をかけるに違いない。
自分は何のために彼らに迷惑をかけながらも今日までここに居る?驕るな。お前には何の力も無いだろう。
目的を達成できなければ、あてもなくプラプラとこの世界を彷徨うことになってしまう。それこそただのお荷物なうえ、背中を押してくれているアシュレイの想いや、ゲドルクやレド、エバンの心遣いを台無しにすることになるぞ。
――中途半端なことをしてはダメだ。
青蘭は次第に冷静になってきた自分の頭を殴りつけるようなイメージで自問自答を繰り返し、漸く、自分のするべき正しい選択が何かを導き出した。
「俺……偉そうに言いながら、冷静になって考えてみたら自分には何の力も無いって気付いた。今は、どんなことがあっても、あなたに頼るしかないんだって……。だから、出て行くことは出来そうにないです……。すみません」
「それでいいんだ。セイラン、君には君の、やるべき事がちゃんとあるのだから」
「ただ、俺は……だからって、あなたに護られたり助けてもらうだけの存在では居たくない。この先のことを考えたら、俺もこのままじゃ駄目だと思うんだ。——ゲドルクさん、あなたにお願いがあります」
「……何かな?」
そう訊きつつ、ゲドルクの顔は、青蘭が何を言おうとしているか分かっているように見えた。
穏やかな目に見つめられながら、青蘭は頭を深く下げながら言った。
「俺のことを、どうか弟子にして下さい!!」
この言葉を口にする前に思い浮かんだのは、グレイと始めてあった時のことだった。彼が毒の入った仕込み針を吹いた時、咄嗟のことで何も出来なかった。
エバンが一緒だったから避けられて無事だったのと、後々、当たっても解毒剤の用意はあったとグレイから明かされたものの、あれがもし敵からの容赦ない襲撃だった場合を考えたらゾッとした。
ゲームや漫画の世界とは違う。此処は、しっかり血の通った世界なのだ。ゲームオーバーしたあとも繰り返しトライできることはない。死んだら、そこまで。
せめて自分の命くらいは自分で護らなければ。それに、刺客が来なくとも、自分にはいずれ必ず対峙しなければならない仮面の男がいる。前に見た悪夢が現実にならないように、少なくとも今のままでは居られないのだ。
――しかし、気付けば長い沈黙が流れていた。
レドも驚き過ぎて言葉を失っている様子だし、これは期待出来ないかもしれない。あのゲドルクの目は呆れかえっている目だったのかもしれないと、心臓の音が煩く鳴って咄嗟に胸元の服を掴む。
「……本当に、セイランには驚かされるばかりだな」
ポツリと零す声が聞こえた瞬間、青蘭は弾かれたように顔を上げた。
「無理を言っているのは分かっている……っ! けど、グレンさんも弟子にとっていたなら、俺のことも弟子にしてほしいんです!! お願いします!!」
「……まさか、こんな老いぼれになって、再び弟子入りを志願される日が来るとは思わなかった。人生とは面白いな」
「もしかして、良いのか!? あ、良いんですかっ……!?」
声が弾んだように思えたので確認をとると、笑みを深めながらゲドルクが頷くのをはっきりと見た。
「良いだろう」
「やった!! あ……ありがとうございます!! よろしくお願いします!!」
歓びが先行して慌てて頭を下げ直すと、ゲドルクの手が徐にその頭に伸びた。
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
この人に付いていけば大丈夫だという気持ちにさせてくれるような、しわしわだけど、大きくて、温かみのある手だと思った。
こうして、青蘭はゲドルクの弟子になった。
城の片づけ作業や通常業務を終わらせ、久しぶりにこの家へやって来たエバンは話を聞いて当然驚いていたが、青蘭ならいずれそうするような気がしていたと笑った。
漸く本来の目的の為にやるべきことが固まって喜んでいたところだったが、その矢先にまさかあんなこと起こるなど、青蘭も誰も、この時は全く予想もしていなかった。