紅麗の民
「アシュレイ! 無事か!?」
段上の会話など聴こえている筈ない青蘭は、自分に忍び寄って来ているものの気配など微塵も気付かず、アシュレイを一心に気に掛けていた。
「うん! この通り、大丈夫だよ。あの獣の兄ちゃんのお陰だ」
「そうか……良かった。恐かったよな。ごめんな、直ぐに駆けつけてやれなくて。俺と一緒に来たばかりに……本当に悪かった!」
アシュレイの身体を全体的に確認し本当に無事だと分かった青蘭は、一息吐いて表情を硬くするとアシュレイの前に深く頭を下げた。
すると、アシュレイは困った様に笑いながら下がった青蘭の肩にそっと手をかけて言う。
「何言ってんのさ、これはオレが自分から決めて着いてったんだし、兄ちゃんだって、まさかこんな事起こるなんて思わなかっただろう? 誰の所為でもないよ!」
「でも……」
「二人とも無事だったんだし、もう言いっこなし! それよりも、兄ちゃんの折角のチャンスが台無しになったことが残念だよ」
「アシュレイ……」
「——本当に、アシュレイは大したものだな。どちらが年上だか分からない」
「「エバン(兄ちゃん)!?」」
二人して振り向くと、腕を組みながら微笑んでいるエバンがいた。エバンはそのまま目の前までやってくると、二人に向かって少し表情を曇らせてこう言った。
「……今日は、見ての通りお開きだ。神殿にて、王族の方々だけで祭事の続きが執り行われるらしい。お前達は日が暮れないうちに帰った方がいい」
青蘭はエバンの言葉で辺りを見回した。
広場に集まっていた人間たちはあの後直ぐ騎士たちの誘導のもと広間から出され強制的に帰されたようだ。今残っている者は、青蘭たちを除いては役職のある人間ばかりだった。
そんななか、青蘭はふとある人物を思い出した。
「……あ、なあエバン、そう言えば魔導士を見なかったか?」
「魔導士?」
「ピンクの頭で、俺達と歳は変わらないくらいの男だ。さっき、縦獣の男がいた時にこの場に一緒に居たんだ」
「いや……見ていない。民衆に紛れて退場したかもな」
「そうか~……。唯一話が出来そうな奴だったのにな。あんときは話しどころじゃなかったから何も聞けなかったぜー……畜生!」
「兄ちゃん、元気出して」
悔しがる青蘭をアシュレイが励ます。その様子を見ながらエバンは何やら考えていたが、暫くして立ち直った青蘭がエバンに訊ねた。
「お前はまだ残るのか?」
「……ああ。俺は白騎士としての仕事がまだ残っている。終わるころには皆で宿舎に戻らないといけない時間だしな」
確かに、建て物が破損したわけではないが、無数に散らばった矢の片づけに、踏み荒らされた芝生を整える必要がある。それに、さっきから幾度となく負傷した警備隊員が運ばれている光景を見ているので、これでは人手も足りず慌ただしいことだろう。
「……じゃあ、俺らは邪魔にならねーうちに帰るわ。頑張れよ」
「ああ。アシュレイのこと、よろしく頼んだぞ」
「おう。ちゃんと送り届けるさ」
青蘭がエバンにそう返すと、アシュレイはエバンに向かって笑顔で手を振った。
「エバン兄ちゃん、またね!」
「アシュレイまたな」
エバンも、それに自然と笑みを浮かべ応えながら、小さく片手をあげて二人を見送った。
✦
アシュレイを家まで送り届け帰宅した青蘭は、ゲドルクに今日の出来事を報告したあと、ずっと気になっていたことを訊ねてみた。
「ゲドルクさん、知っていたら教えて欲しいんですけど……コウライの民って何ですか?」
そう、気になっていたのは、あの正体不明の、褐色肌の縦獣男についてだ。
その言葉を口にしていたビンセントは、自分が勢い余って気絶させてしまったので、結局あの後も眠ったままで聞き出すことは出来なかった。
レドが淹れてくれたお茶を飲みながら待ってみると、ゲドルクも口を付けていたコップを置いて静かに切り出した。
「南方に、紅麗という島がある。コウライの民とは、そこに住む者達を指す」
「コウレイ……? コウライじゃないのか?」
「コウライというのは、島の外の人間が勝手に呼びやすく変換した名で、本来はコウレイだ。肌は花が色づいたかのような褐色で、その目は色ガラスか宝石でも嵌めこんだように透明がかり麗しい――と謳われる島民たちの象徴的な姿から、島の名は紅麗となったという説がある」
「へえ……。あの男も縦獣だったけど、レドとは関わりはないのか……?」
青蘭がそう言いながら顔を向けたのは、四角いテーブル席の、コの字型に座った並びの対面に居るレドの方。彼は質問を受け取ると穏やかな微笑を浮かべながら言った。
「ええ。私は、紅麗とはまったく異なる山深い村の出身ですから。——縦獣は、農業や狩りを生業とする田舎の方に多いという特徴はあれ、居ること自体は特別不思議なことではないのです。都心部に行けば行くほど数は少ないので、物珍しく見られることは確かですが」
「そうなのか……じゃあさ、紅麗と国王との間には一体何があったんだ? 一緒に居た白騎士の奴も、あの男が紅麗の人間だと分かった途端動揺していたし、遠くで何話しているかは聞こえなかったけど、国王も何だか……自分を狙う理由が分かっている感じだった」
「それは……っ」
青蘭の問いかけに言葉を詰まらせるレド。視線はゲドルクへと向けられている。
もしかして、ゲドルクにも関わってくる話なのか?青蘭がそう思ってレドに先を促せずにいると、再びお茶を飲んでコップをテーブルへ置いたゲドルクが静かに口を開いた。
「——今より五年前、紅麗と王国の間である理由から内戦が起こったのだ。そして、私も本来ならその戦いに加わるはずだった」
「え……っ!? あ、でも……はずだったって……?」
ゲドルクの言葉に驚くも、青蘭はよくよく冷静になって続きを待った。
「紅麗の当代は、子供の頃一緒に野を駆けまわって遊んだ兄弟とも言える存在でね。私はどうしても、その人や、その人にとって大切な島の人達と戦うことが出来なかった。だから、私は国王陛下の招集には応じなかったんだよ」
「そうか……そりゃ嫌だよな……。けど、それって大丈夫だったんですか……?」
普通に考えると、それは即ち王様の命令に逆らうということだ。良く分らないなりにも、タダじゃ済まなそうなことは分かった青蘭が不安な視線を送ると、ゲドルクはある名前を口にした。
「……かつて、私の元には弟子とも、友人とも呼べる一人の男が居た。今の青蘭のように、衣食住を貸し与えて短い間だったが共に暮らしていた。その者が、恩返しだと言って、代わりに戦いに加わると志願してくれたお陰で、一先ず国王陛下から罰が下ることは無かったんだよ……」
「え、もしかして、それってグレンって人……?」
「セイラン、グレンを何処で知った?」
青蘭から出てくるはずないと思っていたその名前に、ゲドルクの目が見開かれる。なので、青蘭は思い起こす表情で打ち明けた。
「グレイの爺さんに会いに行ったとき。エバンと一緒に話してくれたんです」
「そうか……」
そう頷いてゲドルクは目を細めるが、その瞳が悲しい色をしているのが気にかかった。
「ゲドルクさん……?」
「……五年前の争いにおいて、戦場は後に【紅血戦】と語られるほど炎と血の海と化し、戦いは壮絶を極めた。あの時、グレンは私の為を思ったものの、安易に立ち入っていい領域ではなかったと悟ったのだろう。無事に帰還こそしたが、彼の目はすっかり色を失い、かつてのグレンではなくなってしまった。……そして、それから半月もしないうちに、彼は私の元を去ってしまった……」
「あっ……」
『……グレン。その人は今何処にいるんだ?』
『……グレンさんは居なくなった。何処に居るか分からないんだ』
ゲドルクのその話を聞いた青蘭の頭の中に、エバンとの以前の会話が蘇った。