忍び寄る影
「父上、大丈夫ですか?」
「どこかお怪我でもされましたか?」
王子と王女の心配する声に、下の慌ただしさを表情暗く見つめていた国王シルバはハッとし、椅子に座り直すと静かに微笑んで応じた。
「大事ない。それより、驚かせてすまなかったな」
「いえ」
「ご無事ならよいのです。一時はどうなるかと肝を冷やしましたが……」
二人はそう口にしながら父親の無事に安堵の笑みを浮かべる。
そこへ、ブラッド・シリウスとユリアス・グランツがやって来た。
「「陛下!」」
「シリウスにグランツか」
名前を呼ばれると、王の目の前まで来た二人は膝を折ろうとしたが、シルバに手ぶりで止められ、立った状態で深く一礼するにとどめた。
「お怪我は?」
「必要であればすぐ救護班を」
「いや、この通り無事だ。必要ない。……それよりも、お前達の働きには礼を言わねば」
シルバがそう言うと、二人は顔を見合わせたあと首を横へ振った。
「いえ、私共は指示していたにすぎません。陛下を護ったのは、うちの団のエバン・シリウスでございます」
「エバン・シリウス……もしやさっきの白騎士の若いのが?」
ユリアスの言葉を受け彼から自分に視線を移すシルバに、ブラッドは笑みを浮かべながら頷いた。
「はい。私の息子です」
「そうであったか……! エバンは、まだこの場に残っているのか?」
「居ります。——エバン、来なさい」
ブラッドが振り返って呼ぶと、近くに控えていたようで直ぐ返事が返って来た。
「はい」
足音と共に姿を現したエバンの顔は、少し緊張で強張っているように見えた。何故なら、国王とは普段、他の団員たちと列をなして対面することはあっても、一対一で、ましてや言葉を交わすことは初めての事だったからだ。
二人に道を開けられ、シルバの前に来ると、エバンはその場に片膝を着いた。
「シルバ国王陛下、エバン・シリウスです」
「そうか、其方が、シリウスの息子のエバンであったか。成程……真っ直ぐな、良い目をしている。——エバンよ、此度は、危ない所を其方の働きで掬われた。礼を云う」
笑顔で自分を称える言葉を口にするシルバを前に、エバンは下げていた頭をもう一つ分低くして、緊張気味に言葉を発した。
「いえ……決して、私だけの力ではありません。他の者達も陛下のため、懸命に戦いました。……それに、私は奴を取り逃がしました。お褒めの言葉を頂戴する立場ではないかと。申し訳ございません」
「いや、あれでよい。今日は我が国のめでたい日なのだ。血で穢すようなことがあってはならなかった」
「……はい」
エバンから返事を聞けたシルバは次に彼にこう訊ねた。
「其方には何か褒美を授けるべきだな。何を望む?」
すると、エバンはシルバの予想外の答えを口にした。
「私には、陛下のそのお言葉だけで十分でございます」
「本心からの言葉か? 遠慮は要らんぞ」
「はい。心からの言葉です」
驚きと拍子抜けだったが、シルバは少しして納得した様子を見せるとため息交じりに頷いた。エバンの後ろに控えるブラッドを見ると、彼も困ったような、何とも言えない笑みを浮かべていた。
きっと、この青年は正真正銘、このような性格なのであろうとシルバは悟った。そして、口元の笑みを深めると、改めてエバンを称えた。
「欲の無い奴だ。……だが、忠義に熱く、目の前の欲に支配されないその清らかな心は、誇り高き騎士道が何たるかを心得ている。実に頼もしいことよ。——エバン、これからも其方には期待している」
「光栄の極みでございます。エバン・シリウス、陛下と王国の為、これからも身命を賭して努めてまいります」
「ん。下がってよい」
そう言われ、エバンはこれ以上だと地面に頭が着くのではないかと思うほど頭を下げた後、すっと立ち上がり静かに去って行った。
彼が居なくなった後、次にシルバは王子と王女を見て声を掛けた。
「リスタ、エミリア、お前達も身体を休めなさい。この場は動ける警備隊の者達と白騎士団に任せることとする」
「はい」
「解かりました」
王子と王女も返事の後お供の者達と立ち去り、シルバ・ブラッド・ユリアスの3人だけがその場に残った。
――――――
シルバは、二人を見るとこれまでとは違い、少しゆったりとした表情で口を開いた。
「シリウス、グランツ……お前達には礼を云う。お前達の後にもあんなに立派な若い人材が控えているなら、この国はこの先も、ワタシが居なくなった後も安泰だ」
「陛下……」
「突然何を仰るんです」
二人が国王の言葉に驚いていると、シルバは先ほどのような暗い顔をして静かに話した。
「……お前達もあの者を見て解かったであろう。五年前の【紅血戦】の生き残りだと。……そして、あの目は復讐の炎を未だに煌々と燃やしている。彼だけではない、ワタシは彼目の奥に、まだ見ぬ紅麗の者達の憤る姿を見た……ワタシの心臓を貫き、息の根を止めるまで、あの炎は消えることはないのだろう……っ」
「陛下……いけません。そのような悲しいことを申されては。陛下は、この国にとってこの先も必要なお方。私達が、これからも全身全霊でお守りしますから」
「そうですよ、陛下。……幸いにも、今日の一件である逸材を見付けました。ぜひ、その者をグランツ騎士団長率いる白騎士団に加えて、一層守りを厚くしたいと思っていたところなのです。後は、陛下のお許しを頂くのみです」
ユリアスに続いてブラッドがそんな話をすると、少しシルバの表情に色が挿す。
「ほう……エバンの他に、若い宝がまだ居たのか?」
「はい。陛下、彼の者は息子エバンと同じく陛下を護るため、果敢に紅麗の男に立ち向かった一人なのです。私共が見る分には、勘・力量ともに大いに期待できるかと」
「未だ本人と交渉はとりつけておりませんが、正式に入団を果たしましたら、私が責任を持って鍛え上げ、立派なオルニワの騎士にしてみせます」
二人はシルバの変化を見てとると、安心の笑みを浮かべながら畳みかけるかのごとく言葉を重ねた。
すると、シルバはすっかり期待に目を輝かせ始めていた。
「お前達がそこまで言うのなら、さぞ見込みがある者なのであろうな。……何とも気にかかる。その者は、一体どのような者なのだ?」
その姿を見たブラッドは、ユリアスにしか分からない一瞬の間に、同じ笑顔でも先ほどとは異なる、不適さの除く笑みを浮かべてこう告げた。
「漆黒の髪と暗夜の瞳を持った、世にも珍しい異国の青年です」