嫌な予感
「開門!!」
予定時刻がやって来た時、硬く閉ざされていた門が重く低い音を立てながらゆっくりと開けられた。
「兄ちゃん、俺から離れないでよ?」
「ああ、解っているって」
周りにこれから王様達に会う為か、浮足立つ者やどこか落ち着きない顔をしている者が多いなか、青蘭はアシュレイが頼もしくも可笑しくなって、自然と肩の力が抜けた状態になれた。
広場はとてもそれは広かった。青蘭が例えられる広さで言うならば、東京スタジアムが軽く収まってしまえるほどだ。
敷地は白く高い壁に囲われている。壁中には何かデザインとして散り混ぜてあるのか、時折壁の陽に当った箇所が金色に煌めく。足元は緑の芝が敷かれていて歩くたびサクサクという気持ちのいい音がし、広場の中央には、これまた大きな噴水が鎮座している。
青蘭は広場を一通り眺め終え、今のうちにこの場に居る者達を確認をしてみようかと思ったが、そこへ一人の男が青蘭に近づいてきた。
「おい、お前! そこの黒髪の男!!」
「……てめえは、あの時のネズミ野郎」
相手は、この世界に来た初日に最悪な出会い方をした騎士のビンセントだった。
相変らずの不快な顔つきは、あの時の怒りを思い起こさせた。一方、アシュレイはビンセントにすっかり恐怖を抱いたようで、青い顔で不安そうに青蘭の後ろに隠れる。
それを見て、青蘭は悔しさと怒りのこもった拳を握るも、ビンセントは気付いていない様子で嫌な目付きで聞いてくる。
「誰がネズミだと……? 相変わらず礼儀がなっていない野蛮人が。お前、何故ここにいる?」
「俺はもう不法入国者じゃねえ。ちゃんと住所を取得した。だから、お前に縛る権利はねえし、俺が此処に居る理由を話す義理もねえ」
「どこまでも人を舐め腐った奴め!」
「お前こそ、上面でしか人をみない、名ばかりエセ騎士野郎が!」
そう言って、二人は一触即発の空気で睨み合っていたのだが、ふと青蘭はビンセントの背中越しに気になる人物を見付ける。
自分達がゲドルクの家を最初に訪れた時に着ていたような、灰色のフード付きのマントのような上着で、頭までをすっぽり隠した謎めいた人間だ。
生地から覗くのは褐色肌、生地が形作る筋肉のつきかたから恐らく男性だろうと思われたが、青蘭は男の放つ空気が気になった。研ぎ澄まされた、獲物を狩る前の猛獣のような気だ。殺気とも言えた。
――嫌な予感がする。
「……なあ、ネズミ野郎」
「あ? 何だ」
青蘭が念のため、騎士であるビンセントにも伝えようとしたが、丁度のタイミングで民衆を囲うように前後左右を固める警備隊が突如姿勢を正し、これまで広場に響いていた賑やかな話し声や物音が一斉に止んだ。
それは、来るべき時が訪れたということを示していた。美しく響く楽器の音色の後に、広場の中央にみえる階段の頂上奥から三つの人影が現れる。
右側に、見事な白金の短髪に凛々しい顔付きの高身長な若い男性。左側に頭一つ分低い、スラリとした、同じく白金を背中まで伸ばした美しく若い女性。真ん中に、五〇代後半ほどの、強い目に彫の深い同じく白金の髪を肩まで伸ばした男性。
「右がリスタ王子、左がエミリア王女、そして真ん中が、シルバ国王だよ!」
そう教えてくれたのは、笑顔を取り戻したアシュレイだった。
誰もが熱い期待と羨望の眼差しを送るなかで、シルバ・オルニワの言葉はこう始まった。
「——オルニワの民たちよ、今日は我らにとって誠にめでたい日である。このオルニワ王国を初代リシュゲール国王が建国され、この王国の歴史が始まったとされるとても輝かしく、何より尊い日だ」
辺りを盗み見ると、シルバ国王の言葉が紡がれるたび、周りの人間たちの頬が蒸気し、青蘭は、広場の温度が徐々に上がっていくのを感じた。
そして、暫く語り続けたシルバ国王は、最後にこう締めくくった。
「……我が愛する強く高潔なオルニワの民に誓う。わたしは、これからもこの国の為、民の為、豊かな国づくりを目指すと。そして、皆をより強く、美しき国へ導こう!!」
「「「「ウォーーーーッ!!!」」」」
その瞬間、地面が揺れるかのような歓声が沸き起こった。
「……すごいな」
青蘭はそこに確かに存在する王族と国民の熱量に思わず圧倒された。ずっと夢を見ているかのような足元がふわふわした感覚だったのに、直ぐ側で沢山の人間たちの息遣いを感じる。
みんな、確かに存在し、此処に生きている人たちだ。おかしな話だが、青蘭はそれを今漸く実感した。
「兄ちゃん、あれ見てよ! エバン兄ちゃんだ!」
思わず言葉を忘れ立ち尽くしていると、服を引っ張って言うアシュレイの声にハッとさせられた。
「え? エバン……?」
「ほら、あっち!」
アシュレイの目線の先を追うと、確かにそこにはエバンの姿が在った。
いつにも増して真面目かつ硬そうな顔つきをして立っている。しかも、王族の割と近くに控えるかたちで。自分は国とか王とか未だによくわからないが、その状況を、仮に自分の国に置き換えた時、初めてそれはとてもすごいことのように思えた。
「エバン兄ちゃんってすごいんだね!」
「ああ。本当だな」
エバンに尊敬のまなざしを向けるアシュレイに頷いていると、隣で不服そうな舌打が聞こえ驚いた。
「……ネズミ、お前まだ居たのか」
「あのな、お前がっ……呼び止めたんだろうが……!」
(てか、こいつこんな所で油売ってるなんて、さては下っ端だな?)という思がこもったような青蘭の目に、ビンセントは怒りで顔を赤くせながら訴えた。
すると、青蘭の頭に先ほどの男のことが思い浮かんだ。
「……あ、そう言えば!」
ハッとして男が先ほどまで立っていた方を見ると、上着を剥ぎ取っていたところだった。
その下の格好は、藍染を思わせる色合いに不思議な模様の描かれた、まるでどこかの民族衣装のような上下だった。周りに居る人間とはまるで違ったその姿に青蘭は男を見たままビンセントに訊ねた。
「おい、ネズミ男」
「何度も呼びやがって! ……いいか愚か者、俺は、ネズミじゃない。ビンセント・クラウドだ!」
「今はそんなのどうだっていいんだよ。それより、あれ、何だ?」
「あ!? あれとは何だ!?」
半ばやけっぱちになった表情で青蘭に言われるまま振り返ったビンセントだが、視界に男を捉えるとたちまち目を瞠った。
「何で……、コウライの民がっ……!?」
「コウライ……? お前、あの男が何者か分かるのか?」
「マズいことになったぞ……っ、くそ!!」
「おい……、どうしたんだよ」
こちらの質問など聴こえていない様子で、明らかにあの男に動揺しているビンセントに青蘭は不安を募らせる。
そうこうしていると、青蘭は謎の男が腰布から短刀を取り出したのを目撃してしまった。
「嘘だろう……マジか……っ!?」
漠然と感じていた嫌な予感が当たってしまった。