神崎真莉沙
羽澄と坂巻は部屋に足を踏み入れると、鳴と向き合った。
「こんにちは。入れてくれてありがとう。オジサンたちは警視庁から来た刑事だ。今、君の友達を見つけ出す為に捜査している。協力してくれるかな?」
「大丈夫。このオジサンは君のお友達のことなら良く知っているし、ちゃんと話を聞いてくれるからね」
落ち着かせようと坂巻がそう言うと、鳴は反応を示した。丸く綺麗な青い目が見開かれる。
「刑事さんって……青蘭の知りあいなんですか?」
「ああ。青蘭の親父とは友達でね、あいつが小さいガキの頃からの付き合いだ。……だから、絶対に、青蘭は見つけ出すよ」
「本当に? 良かった……っ」
羽澄の言葉を聞いた鳴は、感情が高まった様子で、服の袖で溢れる涙を拭った。
「……鳴、どうする? 自分の部屋で刑事さんたちとお話しする……?」
「うん。ここが一番落ち着くから。……叔母さん、ありがとう」
「いいのよ。じゃあ、ちょっとお茶の用意してくるわね」
そう言って笑顔を残して行く叔母に、鳴は笑みを、二人は会釈を返した。
・・・・・・
三人は話をするため、床に腰を下ろし改めて向かい合った。
「……改めて、俺は警視庁捜査一課の青柳羽澄。隣の男は、部下の坂巻燈。よろしく」
「えっと、僕は聖雄高校二年……今は姫川鳴です」
「オジサンこんな顔だけど、捕って食われたりしないから安心してね」
「おい!」
自分を指す坂巻の言葉に、ついいつもの調子で声を出していた。しまった……と、心配しながら鳴を見るも、意外にも可笑しそうにクスッと笑っていた。
「刑事さん……青柳さん、なんだか青蘭に似てるなあ。安心する」
「そ、そうか? なら、良かった。うん」
一先ず胸を撫で下ろした後こっそり坂巻に一睨みすると、彼が涼しい顔をして「良かったじゃないですか和んで」と言いたそうに見て来たので、偉そうだなこいつと内心腹が立った。
でも、今はそんなことで争っている場合ではないので、気を取り直して羽澄は鳴に向き直る。
ここからはとても大事な話をしないといけないのだから。
「……さっきも言ったが、青蘭のことを見つけ出すためにも、君の話を聞きたいんだ。辛いことを思い出させてしまうけど……、昔の事件のことを覚えている限りで構わない、俺達に話してくれるかな?」
「あの時のことが何か、青蘭に関係あるんですか……?」
「あいつにも同じことが起きたかは分からないけど、もしかしたら、今回も絡んでいるかもしれなくてね」
「そんな……っ」
「これをちょっと見てくれるか?」
そう言って羽澄が見せたのは、例の仮面の男が映った写真だった。それを手に取ってじっと見る鳴の瞳が再び大きく見開かれる。
「あっ……」
「見覚えがあるかい?」
鳴の反応で察した羽澄が問いかけると、彼は硬い表情で頷く。
「……はい。でも、これ……?」
「……実はね、この写真に写っているもう一人の男は、今から七年前に失踪した青蘭の親父なんだ」
「え? せ、青蘭のお父さんも行方不明なんですか……っ?」
「ああ。……あいつからは、そんな話は聞いたこと無かったかい?」
「はい……。母子家庭ってことは知っていましたけど……、お父さんが居ない理由は……初めて知りました」
「そうか。あいつは、母親を支えようとずっと背伸びしてきたところがあるからな……そういう話を、なかなか人には言えなかったのかもしれないな」
青蘭と最後に会った日、初めて彼が自分に心の内を打ち明けたことを思い返しながら静かに漏らすと、鳴の顔に影が落ちた。
「……きっと、僕が弱くて頼りないから言えなかったんだと思います」
「え?」
「僕、こんな見た目だから、いつも上級生に揶揄われたり、虐められていたんです。青蘭は、その度に助けてくれるヒーローみたいな存在で、僕には凄く憧れだったんです」
「そうか」
確かに学校を訪ねた際、担任の教師がそんな風なことを話していたと思い出す。
だがこの後、鳴は羽澄と坂巻が想像もしなかったようなことを言い出す。
「それに、もしかしたら……青蘭は、僕が『異世界に二人で行きたい』とか『騎士物語のランみたいだ』とか沢山言ったから……本当に、知らない何処かの世界へ行っちゃったのかもしれないです……」
「「はあ?」」
羽澄と坂巻の声が揃った瞬間だった。
「ど、どういうことかな……?」
出来るだけ平静を装うとするが、上手いこと声が出なかった。
それでも変に気にしていない様子の鳴は、しんみりとした声で、大真面目に話を続けた。
「青騎士物語です。……とある国の、王国の危機を救った、勇敢な英雄ランに、青蘭はすごくピッタリで、もしかしたら生まれ変わりじゃないかと……僕、ずっとそう思っていたんです」
「「……はい?」」
おいおい、それはマジなのか?それともジョークか?
混乱していると、鳴が徐に立ち上がって本棚の方へ向かった。その隙に、隣の坂巻がそっと肘で羽澄を小突いて、こちらが振り向くと目で合図してきた。坂巻が見ていたのは、今鳴が向かい合っている本棚の方だった。
白壁一面を占める大きな本棚には、ファンタジーからオカルト、グリム童話、神話まで、それは幅広いジャンルの本が沢山並んでいた。
それだけじゃない。改めて彼の部屋を見渡せば、地球儀、帆船、馬に跨った騎士の置物、地図、至るところに、夢の世界を思わせるアイテムが点在していた。つまり、彼は本気で言っているのだ。
「お待たせしました。これが、青騎士物語です。……どうかしましたか?」
「「いや……」」
羽澄と坂巻は、この時ばかりは上手く笑えなかった。
「——失礼します」
そこへ、湯のみが並んだお盆を手に鳴の叔母が戻ってきた。さっき言っていたお茶を持ってきてくれたようだ。
羽澄達はこのタイミングでの彼女の登場に心から感謝した。このままだったら、まともに彼と会話を続けられる自信が無かったのだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「頂きます」
二人は心からの笑顔を叔母に向けた。
羽澄達がお茶を飲んでいる間に、叔母が鳴にも淹れてきた飲み物を渡して、ふと気が付いた表情をする。
「あら……これ」
視線を落としている先を未だに湯呑を持ったままこっそり盗み見ると、まさかの鳴が床に置いた青騎士物語だった。
思わず噴き出しそうになるのを何とか堪え、気付かぬふりで見守っていると、叔母の反応に嬉しそうな顔をして鳴が言った。
「うん、青騎士物語。……真莉沙が、小さい頃好きだった本だよ」
「真莉沙……? 他にも兄弟が?」
つい口に出してしまったことで二人がこちらを向く。
羽澄が不躾だったかと謝ろうとした時、叔母が言った。
「真莉沙ちゃんは、鳴の双子の姉です」
「え!?」
「……ちょっと待ってください、攫われたのは男の子じゃ……っ?」
咄嗟に坂巻も懐から取り出したメモを見比べながら確かめると、叔母は苦笑しながら首を横に振った。
「いいえ。この子達は、男女の双子の姉弟です。……確かに、居なくなった真莉沙ちゃんは当時すごく髪を短くしていたそうで、良く知らない人から見れば、まるで男の子みたいだったようですけど」
「それに、真莉沙は臆病で泣き虫な僕と違って、どんなときも笑顔で明るい活発な子だった。みんなが見間違えてもおかしくないです」
「そうなのか……っ」
神崎家の子供が双子だったと教えてくれた佐久間は、そんなことは言っていなかった。恐らく、一家とそこまで深い関わりは無かったのだろう。
でも、一つ腑に落ちないことがある。
「何故、ご家族は正しい情報を警察に伝えなかったんですか……?」
今でも残る過去の記事には、五歳の少年と書かれている。行方不明になった場合、探すためには正確な情報が必要だ。
そもそも、親なら子供を絶対に見つけ出すために、記事に誤報が載っていたら警察やマスコミに対して情報の訂正を強く求める筈だ。行方不明なのは、少年ではなく少女だと。
居心地の悪さを感じながら叔母が口を開くのを待っていると、表情を暗くする彼女に代わり、鳴本人が答えた。
「——それは……居なくなった子供は僕だと、母に思わせる為です」
「え……?」
「母は昔から、僕より何でも器用に出来る真莉沙を可愛がっていました。だから、真莉沙が居なくなった時、精神を病んで、僕のことを真莉沙だと思うようになったんです。実際真莉沙と僕は一卵性の双子で、顔も良く似ていましたから。——……なので、その様子を見た父親は、母がこれ以上壊れないように、誤った情報を利用して、居なくなったのは僕だということにしたんです」
「そんな……」
信じ難い話に、羽澄と坂巻はどう言っていいか言葉が見つからなかった。
「でも、誰も恨んでいないし、これは……罰だと思っています」
「罰? ……一体何の……?」
こんなにつらい目に遭っているのに、そのうえ何の罰を受ける必要があるのか?考えても絶対に自分では辿り着けない答えを聞くために待っていると、鳴が静かに、震えたような声で告げたのだ。
「だって、真莉沙はあの日、僕の身代わりで攫われたんですから」
「……え?」
揺れる瞳で見返した鳴は、姉を思い出しているのか、本を切ないような愛おしそうな、何とも読み切れない表情でそっと撫でていた。
羽澄は、驚きと胸の痛みで、感情が追いつかないままその姿をじっと見つめていた。