久喜青蘭
「久喜……っ!! テメエ、覚えてろよ!?」
「絶対に倍返しにしてやっからな!!」
「あんま、調子に乗ってんじゃねーぞ!!」
負け犬の遠吠えを上げながら去る上級生たちの背中を見送る久喜青蘭は、校庭の真ん中で堂々舌を出して言い放った。
「覚えてねーよ、バーカ!」
「青蘭!」
勝負を見届けて駆け寄って来たのは、青蘭の友人、姫川鳴。
ハーフだかクオーターらしく、ミルキー色のパーマ毛とビー玉が嵌めこまれたような、綺麗な澄んだ青色の瞳で、裏切らない容姿だ。
「大丈夫だって言ったろ?」
「そうだけど、それでも、僕の為に戦ってくれているから心配だったんだ……っ!」
鳴は曇った表情から一転、安心したように笑みを浮かべた。
そう、先ほどまで相手をしていたのは、よく鳴の容姿を馬鹿にして絡んでくる質の悪い三年の集団だった。今回も懲りずに彼を虐めていので、見つけた青蘭が返り討ちにして追い払ったというわけだ。
まあ最後は決まっていつも「お前、後輩のくせに態度が生意気なんだよ!」「睨んでんじゃねーよ!」「喧嘩売ってんのか!?」なんて言われ、怒りの矛先全て青蘭にすり替わっている状況になるのだが。
確かに背は高い方で、がたいもバイトで鍛えているからそれなりに自信はあったりする。けれど、特別髪も染めていないし、ピアスも開けていなければ、自分から悪戯に喧嘩を吹っかけたことなど一度も無い。それなのに色々上手くいかないのはきっと、この生まれ持った鋭い眼つきのせいということにして、青蘭は自分を納得させている。
「青蘭は本当にすごいね!! さっきの人たちも蹴散らしちゃったし、強くて、カッコよくて、ますます憧れちゃうな!! 君はやっぱり、特別な、選ばれた人だ!!」
「また始まった。……鳴、いい加減その妄想どうにかしろよ」
鼻息を荒くし興奮気味に力説する鳴を鎮めようとするが、逆効果だと思い知らされる。
「いやいや、本当だって!! 君は『青騎士物語』に登場する、国の存亡をかけて戦う【ラン】にそっくりなんだもの!! この時代に生きているのが勿体ないよ!! 実は先祖が英雄ってことはない!?」
「俺の家系は先祖代々、生粋の日本人だ!」
勝手に人の家系図を捻じ曲げるなと、青蘭は言いたいのを堪えながら溜息を吐いた。
鳴はある意味すごい男で、昔から魔法を使う話や冒険記、異国転移系の物語など、様々な作品を愛読してきたために、本気で前世やタイムトラベル、タイムスリップなど、空想の世界を信じている。
それゆえに異質に見られがちで、先ほどのように虐めの標的にされやすい。そんな彼を助けているうちに、自分もいつからか仲間の括りにされ、周囲からは『姫と騎士』なんて揶揄されるようになった。
別に彼と居るのが一番気楽だから何を言われても構わないが、彼の妄想が日に日に濃くなっていることは心配だ。
「鳴、お前は小学校の時に親父がサンタだと知らされずに育った口だな?」
「何急に。それは知ってるけど。知らされた時は大いに泣いたね」
「じゃあ、ショッピングモールで愛想を振り撒いているキャラクターの中身が実は人って知っているか?」
「ピョン助? それなら知っているよ! かわいい小柄のお姉さんだよね!」
残念!! 昨日俺が偶然見たのは、明らかに五〇は超えた小さいおっさんだった……っ!! とはどうしても言えずに、青蘭は次の問いへ移った。
「……じゃあ、俺が空も飛べなければ変身も出来ない、武器もなければ魔力も使えない、ただの人間だとは理解してくれるか?」
「でも、青蘭なら人のレベルは超えていけるよ。いつか、空くらいは飛べるって!」
「おい!!」
説得しているつもりが、何故か「自信を持って!」と、勘違いの励ましを受けたのでつい、目の前にあった頭を叩く。
パアーン! と我ながらいい音がした。
「も~痛いな……っ。何いきなり!」
「いきなりじゃないわ!! 日に日にグレードアップしてんだろう!! お前の激しい妄想の世界に俺を巻きこまないでくれ!!」
「えー? 妄想だけならタダだからいいでしょ! 本当は今すぐにでも呪文唱えて、二人で異世界へ転移出来たらどんなにいいかと思うくらいなのに~!!」
「恐いこと言うな……っ!!」
その顔で言えば何でも許されると思うなよ!? 先ずありえないけど駄目だ!!
流石に二回目は、加減を忘れて脳を粉砕する変な自信があったので留まったが、たまたま側に生えていた校庭の大木にやり場のない怒りをぶつける。
「うらぁああ!!」
メキメキと崩壊の音を立て裂け目を作った大木と青蘭を見比べ、鳴が何故か瞳を輝かせる。
「凄い青蘭~!! まるで、伝説の破壊神のようだね!!」
「は……?」
おいおい、それ、もう悪役だろ。
ついさっきまで、国の存亡をかけて戦う騎士とか何とか言ってなかったっけ?
キャラ、ブレブレだな?
お前はあれか、自分で言うのは不本意だが、俺なら何でもいいのかよ!! てか、破壊神って、一体どっからきた!?
青蘭の頭は既に情報過多でショート寸前だ。
時計をみればまだ余裕はあったものの、どのみちこのままここにいたらヤバいと、青蘭は鳴をみて言う。
「鳴、俺は帰る。バイトの時間だ」
「バイト?」
「そう。小銭稼ぎに勤しまなきゃなんねーから。現実の俺は、街を護っている暇も、壊している暇もねーの」
「ちょっと待って! じゃあ一緒に帰ろうよ!」
「悪いけど、俺は急ぐ!! じゃあなっ!!」
青蘭は追いかけてくる気満々の鳴から半ば逃げるかたちで、足早に帰宅した。
まさか、後にあんなこ事が起きるとは思いもせず。
✦
「青蘭おかえり」
帰宅すると、母親の久喜紫華が出迎えてくれた。
「ただいま。着替えたらバイト行くから夕飯要らねーよ」
「そうなの? でもお腹空くでしょう。おにぎりでもつくるから待って」
紫華は炊飯器からご飯を取り出し手早く握りはじめた。中身は、青蘭の好きな鮭と梅だ。
青蘭がそれを見て襖一枚隔てた隣の部屋で素早く着替え始めると、今度は水筒にお茶を注ぎながら、紫華が襖戸を見つめ口を開く。
「本当に、苦労ばかりさせてごめんね」
「……何が? そんなことないし」
「だって、もっと友達と遊びたいでしょう」
「別に。遊ぶっていう歳でもないし、好きで抜けて来ただけだって」
鳴との付き合いはこのくらいがちょうどいいしな。下手したらいつの日かいいように頭の中が組み替えられかねない。そんな複雑な事情まで見当が付かない紫華は、息子の言葉を強がりくらいにしか思っていないだろう。
「……ごめんね。あたしが働けたらこんなこと、強いたりしないのに……っ」
「馬鹿言うなよ。俺は、病弱なお袋に働きに出て貰ってまで楽をしたくないし、贅沢したいとも思わない。つーか、お袋は何も悪くないだろ! 悪いのは……っ」
そこまで言いかけ、ハッとして口を噤んだ。
紫華が、まるで自分のことのように悲しむ顔をしていたから。
クソ……っ!!
青蘭は出かかっていた言葉をグッと呑みこみ、息を吐き出した後、平静を装って紫華に微笑んだ。
「……とにかく、俺は好きで働いているだけだから気にするなよ。行ってきます」
「うん、青蘭……気を付けて。必ず、帰って来てね」
紫華も一瞬瞳が揺れたものの、笑顔を浮かべ、いつもの言葉を青蘭にかけて送り出した。
『気を付けて。必ず、帰って来てね』これを、紫華は毎日、ちょっと近くのコンビニに出るだけでも青蘭に欠かさず伝える。
これは多分、いや絶対、言霊のつもりなのだろうと思う。
元々は朗らかな笑顔が似合う人だった。それが、‘‘ある事”をキッカケに笑顔を失い、以前から細身だった身体はやつれ細ってしまった。青蘭はそんな母を見るたび悔しさが込み上げるも、やり場のない怒りをどうにかしたくて拳を硬く握り絞めることを繰り返していた。
✦
「——よう、悪がき。お勤めご苦労だな!」
「……あんた、どこのヤクザもんだよ」
バイトへ行く途中で青蘭は、突然音もなく横付けしてきた黒い車の主に言った。
窓から覗く男の容貌は、白髪混じりの黒髪のオールバックに、鋭い眼つき、頬から顎にかけて三センチほどの斜め傷がある。こんな風体で明るい時間帯から高校生に声をかけるのはどうかと思う。
しかしながら、側から見れば十分怪しいこの男、青柳羽澄の正体は現職刑事で、青蘭の古い知り合いだったりする。
「お前な、間違っても刑事の俺にそれはねーだろう」
「……いや、あんた自分の顔一回ちゃんと鏡で見て来いよ。どっからどうみてもソレだって」
「お前……、俺に散々世話になっておきながら!」
「余計なお世話、な?」
そう言って車から降りて来る羽澄を挑発すると、思わぬ逆襲を受けた。
「おいコラ坊!!」
それは、昔子供の頃の青蘭に羽澄が使っていた呼称だった。今となってはそう呼ばれることは羞恥でしかない。それを、羽澄は分かっていて時々呼ぶときがある。
「な……っ、その呼び方すんなって何度も言ってんだろうが……っ!!」
「言われたく無けりゃもっと可愛気を見せろ、青ぼ」
「……いーい覚悟だ。歯食い縛れやおっさん!!」
最後まで言う前に殴りかかろうとしたが、腕を掴まれニヤリと笑われた。
「公務執行妨害で捕獲完了!!」
「あ!?」
歳は食っても流石現役というべきか、あっという間に車の中に引きずり込まれた。
「たく、手のかかる餓鬼だぜ」
プロレス技でも掛けるかのように固められ身動きが取れない。
「おい、どういうつもりだ!」
「話がある。バイト前にちょっと顔貸せ」
「ああ!? 何だよ、アンタと話すことなんてあいつのことくらいしか……っ、て」
ハッとする青蘭に、羽澄は表情を変えた。
「おう。それしかないよな」
「……チッ」
青蘭は不快感を微塵も隠さず羽澄を睨み返した。
実は、学生の青蘭が刑事である羽澄と知り合いなのには理由があった。
「親父は見つかったのか……?」
ギリッと口を噛みながら訊ねると、それを見て困った顔をしながら、羽澄は首を横に振った。
「いや……、それは未だ」
「クソ!! だったら何だよ……っ!?」
「……青蘭、止せ」
羽澄はどんどん歯噛みが強くなる青蘭の口元を咄嗟に自分のシャツの袖で拭う。すると、白かった生地が赤色に染まった。
「馬鹿。傷付けてんじゃねえよ」
「俺の身体だ。どうしようと勝手だろう……っ」
「親から貰ったもんだろうが。紫華さんを悲しませんな」
「……俺じゃねえ。お袋を悲しませているのは……っ、あのクソ親父だ!!」
青蘭はとうとう怒りを爆発させるかのように車体を蹴りつけ声を荒げた。
‘‘ある事”というのは、そう、青蘭の父親、紅蓮のこと。
実は紅蓮は七年前から失踪していた。青蘭が小学四年生の頃だった。
いつもと変わらなかった。いや、その日がたまたま結婚記念日だったこともあり、多少意気揚々と、紅蓮が家を出て行く姿を記憶している。
紅蓮と青蘭は、その日の夜頃合いを見計らい、サプライズで花束とプレゼントを紫華へ渡す計画を立てていた。
『青蘭! 父ちゃんが帰ってくるまで、勝手にアレ、渡すなよ!』
『おう! 父ちゃんの為に魅せ場はとっておいてやるぜ!』
『生意気に~! ま、帰ってきたらな!』
『ああ。遅れるなよ! 早く帰ってこいよ!』
『おうよ! 行ってくるぜ!』
硬く握った拳同士を突き合わせて笑顔で約束した。それは何の心配もなく、当然果されるはずだった。
しかし、その日の夜、紅蓮は帰って来なかった。
それどころか、どれだけ待とうが、それきり二度と戻らなかった。
『紫華さん!! 青坊……っ!!』
どうすればいいのか分らなかった青蘭と紫華は、紅蓮の高校時代からの親友でその時には既に刑事だった羽澄を頼った。
羽澄は電話で事情を説明するとすっ飛んできてくれた。
『青柳さん……っ、紅蓮さんが……主人が!!』
『帰って来てないって……どういうことだよ?』
『分らないの……っ。最後に別れた時、普段と何も変わらなかったの……っ。何も言わず居なくなるなんて……。あの人の身に何か起こったのかもしれない……っ!!』
『大丈夫だ。俺が、あいつを見つけ出すから……っ!!』
『おっさん……っ』
『青坊、俺が父ちゃんのことは探し出す。そんで、心配かけやがった罰で、一発ぶん殴ってやるから!!』
『うん……っ!!』
この時は、もう大丈夫だと思った。刑事の羽澄に頼めば、直ぐに見つかる筈、そう信じていた。
それなのに、警察が組織で捜索しても、羽澄が力を尽くしても、一向に紅蓮が見つかることはなかった。ましてや、足跡さえ掴めないとう始末だった。
――そして未だに父親は消息不明。
『大変言い辛いことなのですが……、こうなると、ご主人は自らの意思で居なくなった可能性も……』
最初は必死に捜索してくれていた警察も、心配してくれていた近隣の住人たちからも、時が経つほどにそんな声が囁かれるようになった。
そうなると、青蘭の心境にも変化がおきはじめた。昔は信じて疑わなかった父親の心を、だんだん疑うようになった。
あの笑顔も言葉も全て、自分達を騙すものだったのかもしれない。父親には自分の知らないもう一つの顔があり、他所に愛人や、別の家族がいたのかもしれない。
考え出すとキリがなくなって、煩わしくなってきた。もういっそのこと帰って来なくてもいいと思うようになっていた。けどその反面、紫華のことを思えば、何をしている?早く帰って来いよ!と、叫びたくもなる。
自分でも、どれが本当の気持ちなのか分らなくなってしまった。