閑話 夏休みのザッケハルト家 後編
繰り返すが、こう見えてクーガーの内政計画は失敗だらけである。
「うーん……。注射器を作りたかったんですけど……駄目ですね、全然うまくいきませんね……」
「なあクーガー。俺にはどうも、この注射器というアイデアがよくわからん。何だこれは? 昆虫の魔物の針か?」
「ああ、ウォーレン兄さんには説明してませんでしたね……。ゆくゆくは予防接種という制度を確立したいんですけど……」
長男のウォーレンが、工業的に高度すぎて全然うまくいかない注射器もどきの製造に首をかしげたり。
「うーん……。計測機器とかガラス機器がそろってないのに、寒天培地とか作ってもなあ……。というかそもそも、細菌という概念が一般化されてないしなあ……目に見えないし当然か……」
「あら、クーガー。今度もガラス機器とにらめっこして、どうしたのですか?」
「! 母上! ああ、これはその、細菌学を研究するための機器を考えていたところですが、その……」
母のマリーディアが、細菌学というよく分からない学問を突然口にし始める息子に首をかしげたり。
「うーん……。ハーブティー飲用の奨励とか、食器使用の奨励を推進しているつもりなんだけど、二年じゃ浸透率はぼちぼちか……」
「そういうものさ、クーガー。私も市勢を見回ってみたがね、生活に余裕がない層の生活は中々変わらないものだ」
「! エンリケ兄さん……。いつも音もなく背後に現れるのやめてください……心臓に悪いです……」
三男のエンリケが、健康促進のためのハーブティー飲用の奨励、衛生向上のための食器使用の奨励などの施策の振るわなさを慰めたり。
「おーいー、クーガー。お前の魔術研究報告書、全然再現性がなくて、うちのメイド隊でも困ってるやつらが続出してるぞ」
「え、ナターリエ姉さん、本当ですか!?」
「死霊魔術とやらは、魔力消費量が結構大きいし、術式が膨大でそもそも理解するのが困難。魔石手榴弾とやらは今のところアタシぐらいしか再現したやつがいねーんだけど」
長女のナターリエが、突然クーガーが持って帰った高度すぎる魔術研究書について愚痴をこぼしたり。
「若様。世界迷宮からお持ち帰りになった、ハーブを食べる蚕ですが、どうやら弱っておりますぞ。もしかしたら地上の環境が合わないのかも知れません」
「! 本当ですか、セバスチャン? 温度管理、湿度管理は徹底してるはずですが……。この二年で、ザッケハルト家の養蚕のノウハウもそれなりに伸びたはずですし、メイドたちがしくじったとも考えにくい……。これは……マジか……」
「仕方がありません、若様。品種改良を進めた結果、地上の環境に適さない蚕になってしまった、ということでしょう。……幸い、持ち帰られた蚕全てが、というわけではございません。今元気な蚕だけでも、このまま育てましょう」
執事のセバスチャンが、世界迷宮から持って帰ってきた蚕による養蚕が芳しくないことを報告したり。
「お兄様、ノーフォーク農法の実験ですけれど、やっぱりかぶが病気に弱いみたいです……」
「あー……。やっぱりそうなんですね、マデリーン。かぶを実際に育ててみると、病気も害虫の被害も結構多いということに気付かされますね……」
「根菜のかぶを植えるため、犂耕の手間も増えましたし、もしかしたらノーフォーク農法はうまくいかないかもしれませんね……」
「いえ、上手くいくはずなんです。犂耕の手間が増えたなら、牛などの家畜を増やして、有輪犂を引かせて、犂耕の規模を増やせばいいだけなんです。……問題はやはり病気……くそ……」
妹のマデリーンと一緒に、意外とうまくいかないノーフォーク農法について頭を悩ませたり。
「足踏みクランク機構、シャフト機構、クラッチ機構、ばね、ぜんまい……。あと少しで紡績機を作れそうなのに、どうして中々うまく行かないですね……」
「クーガー、また奇妙なものを作り出したな。確かに手回しの糸車よりも、足踏み糸車のほうが便利ではあるが……」
「ああ、父上ですか。……ご覧の有様です。シャフト機構、足踏みペダル、その他諸々……色々工夫を凝らしてますが、しょっちゅう部品が壊れますね。機密事項として二年ほどかけて研究させてますが、やはり内密のことですから進捗が遅々としてますね」
「二年かけてようやくそれらしい形が見えてきたが、依然として部品は壊れやすいし、量産化もままならん状態だ。辛抱が必要だな」
「冶金技術が発展して、もっと堅牢でもっと精密な部品ができたら、故障も少なくなっていい感じなんですけどね……」
父のジルベルフに、足踏み糸車などの工業製品の試作品の難点を指摘されたり。
(結局、一人であれこれじたばたしても、土台となる基幹技術が発展しないと、中々結果が出ないものだな……)
色々と工夫を凝らしても、結局は『土台を育てること』に舞い戻ってくる。
農業政策は、地道な品種改良の繰り返しである。
工業政策は、冶金技術の進歩の積み重ねである。
それを無視して一段飛ばしに先に行こうとしても、色々と無理が出てくるのである。
(それでも、俺は続ける)
だがしかしクーガーは、土台を無視して一段飛ばしの技術に投資を続ける。
無意味に思われる突飛なアイデアの試行錯誤を徹底して繰り返す。資金は潤沢に存在するのだから、なるべく遠く、なるべく先の技術の研究を根気よく行うのである。
そうすれば、積み重ねが生まれる。積み重ねこそが土台である。
普通の土台の発展とはやや異なる、些か強引な積み重ねだが、しかしそれはまごうことなき積み重ねである。
豊富な数の失敗こそが、たくさんの知識を与えてくれていた。
短い期間に一気に集中して失敗することが、領地内の職人たちやザッケハルト家の使用人たちの一人一人の引き出しを増やしていった。
一つの失敗を忘れないうちに次々失敗することが、僅かな手掛かりを気付かせた。時間を空けて実験をしたり、他人が業務を引き継ぐのではどうしても気付きにくい些細な違和感を、連続かつ集中した実験が明るみに出した。
――強引。もしくは奇才。
後世の人間がクーガーの所業を見れば、そう語るであろう。何せ上手くいきそうもないアイデアを多数試しては、そのうち幾つかを成功させるのだ。それは一種、どこか超越している視点である。
例えるならば、このような差である。
答えのない暗闇の中をもがいて新しい活路を探し出すような技術進歩と、答えがあると決め打って障壁をしらみつぶしにするような技術進歩。
そこに優劣は存在しないが、土台になりやすいのは後者である。どのような障壁があって、それをどうやって克服したか、の積み重ねが目に見えて異なる。
金を積んで作った階段を上るような発展。――それは、遠くなればなるほど、後追いが効かないものになる。
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冶金技術に関しては、ことクーガーを大幅にてこずらせた。
(品種改良は世界迷宮で効率的にできるからいいとして……冶金技術については悩ましいところだよなあ……)
正直、クーガーは冶金技術の発展の見通しが甘かった。
例えばあれやこれやと色んな技術を思い出しては、古代ギリシャでも実現できた技術だから今でも十分実現できるだろう――という楽観がどこかにあったのだ。
例えば、アンティキティラ島の機械のような、精密な差動歯車やクランク機構を実現したものが、紀元前100年頃には存在していた。同じく紀元前には、蒸気機関の原型(ヘロンの蒸気機関など)も存在する。
ならば、中世盛期(10世紀~13世紀)を参考に作られているこの【Fantasy tale】の世界でも当然いけるだろう、という思い込みがあったのだ。
だが、残念ながらそのような技術は、この世界には存在しなかった。差動歯車、クランク機構、蒸気期間の原型――それらの技術は、この世界ではとっくに散逸されていたものであった。
否。
実をいうと、現実の中世盛期においても、不幸にも時代の流れでこれらの技術は散逸していたのだ。しばしば古代ローマの優れた技術がロストテクノロジーと語られる所以である。そして【Fantasy tale】の世界もまた、その流れを踏襲したのである。
すなわち、冶金技術の後退である。
「……逆に考えるんだ、色んな技術を先行して差し押さえられると。そうだとも……」
クーガーの焦りは大きい。あれもこれもアイデアはあるのに、それを実現させるための技術の方が追い付かない。
土台がないのだ。あると思っていた土台がないことは、クーガーを大きく失望させていた。
だがそれでも、端から見れば、クーガーの手によって驚異的な技術進歩が生まれている最中である。
クランク、クラッチ、ピストン、その他のからくり細工の作成技術は、ここ二年で驚異的な進歩を遂げている。
技術の大まかな概要と、最終的な完成図をある程度知っている人間がいて。
これは本当に実現するのだろうかと、普通なら疑心暗鬼になって途中放棄しかねないところを、「絶対に上手くいく」と力強く肯定し。
尽きることなく資金を注いで日夜研究させて。
そうやって、魔術のない世界で実現できた技術を、呪文の彫金などで魔術的に補強するのだ。
これで、技術が進歩しない方がおかしいのである。
技術は試行錯誤の先にある。だが、試行錯誤の辛いところは、絶対に上手くいく保証がないことと、資金の都合などで簡単に頓挫することである。
クーガーの内政計画では、その最大の障壁となる二つを取り除いている。ほぼ確実に上手くいくことを実行し、資金的な困難は全て取り払う。
こうなれば後は、積み重ねるだけになる。
「……全部、投資だ。クランクも、クラッチも、ピストンも……産業の工場化も、全て他の領土が追い付く前に掌握する。そして、他の貴族たちが頑張って参入しようとしても、俺たちが作った機械を買わないと追い付けなくなるぐらいに突き放す。機械の内部構造が分からないよう、分解したら部品が融けるように魔術を仕込んでから輸出する」
この世界の人間は、機械を知らない。
知らなければ突き放せる。
ばねの利便性も、カム機構の種類も知らない。クッツバッハ・グルーブラー方程式によってリンク機構が解けることも知らない。その全てにおいてクーガーは先手を打てる。
「足踏み糸車が作りたいんじゃないんだ。足踏みペダルで動く機構を完成させたいんだ……」
知らなければ、からくり細工のおもちゃに見える。
知っていれば、世界を塗り替える可能性におののく。
果たしてザッケハルト領に忍び込んだ密偵がいたとして、その内何人がこのからくりの可能性に気づくのだろうか。
クーガーが徹底的にからくりに拘っているのは、決して道楽なんかではない。
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ホップをビールに加えると、保存性が増す。当時、その事実は広くは知られていなかったが、クーガーの発案によりビールにホップを加えることが推奨される。そのため交易で、より長距離の運送が可能となった。
岩場、山岳地帯を走る馬に蹄鉄を付けると、足の負担が減って長距離の走行が可能になる。昔から知られていた知識だが、魔物との戦いのために鉄を徴収したり、リザード馬車が流行ったりしたせいで、諸領地でその知識が忘れ去られかけていたところを、クーガーが文章化した。
ワインやオリーブを圧搾するスクリュープレス機構(樽の中にブドウやオリーブを放り込み、上から水平に蓋をして押し込む技術。人が上から乗るのではなく、ねじをつかうことでかなりの力で押しつぶすことができる)を考案する。石臼ですりつぶす絞り方と効率はどっこいどっこいである。
だが、クーガーは後の工業化のため、スクリュープレス機構を金属ねじで設計することを積極的に行い、鍛冶師たちにねじ作りを練習させた。
製紙技術に投資を始める。当時、この世界では既に、全世界的に亜麻を使った製紙方法が模索されていたが、クーガーは透かし技術(紙を漉く際に、どろどろの紙の上に細い紐を載せて模様を作ったり、紙漉き器の網目に模様を刻んでおくことで好きな模様を透かしに入れられる技術)を提案し実験していた。
ばね細工によりネズミ捕りを発明する。ネズミ返しを柱に作ったり毒餌を撒いたりするだけでなく、ネズミ捕りを作って廉価で市民に配布することで、ザッケハルト領内のネズミ数を徐々に減らし、ネズミが媒介する病原菌の流行を抑制していた。
――後の時代の歴史書曰く、これら五つは、取るに足らない些事である。
歴史は、これらの技術はクーガーが発明者ではない、ということを物語っている。この五つは、他の場所で、クーガーではない誰かが、独自で気付いていた事実である。
だが、クーガーは何故か、この技術を知っていた。
ザッケハルト領では影も形も存在しなかった技術を、何故か、彼は知っていたことになっている。
そしてそれを、クーガーはしれっと実現してしまっている。
確かに知っていれば簡単なことばかりである。いずれのアイデアも、実現する上で技術的な困難は比較的少ない。
だが往々としてそれに気付かないのが世の常である。知ってさえいれば簡単なことは、気付くまでが困難なのである。
クーガーの偉業は、新しい発明のみではない。このような気付きが多いこともまた、彼の偉業である。
――そして、その名声は、クーガー自身と三兄エンリケと執事長セバスチャンの率いるメイド諜報員たちによって、闇に葬られることとなる。
それは、不思議の多いザッケハルト領の、とある夏休みのことであった。