閑話 夏休みのザッケハルト家 中編
(今、俺がしないといけないことは、クーガー・ザッケハルトに待ち受ける死の運命を回避すること)
黙々と思案に沈むクーガーは、最近徹夜で疲れがちな目を揉みほぐしながら、やるべきことを整理していた。
やるべきこと。
究極的にはそれは、クーガー・ザッケハルトの非業の死の運命を変えることである。
そのためには、『fantasy tale』の物語の今後の展開を予めしっかり把握しておかなくてはならない。
クーガーの死因は、ほぼ確定している。
災厄の竜に食べられて死ぬ――ストーリー展開によって死因が変わるビルキリスやオーディリアと違って、それ以外の死に方はない。
(……そう、この『fantasy tale:災厄竜編』は七つの大罪をめぐる物語だ)
七つの大罪。災厄竜。
『fantasy tale』を隅から隅まで知っているクーガーにとって、更に思い入れの深い物語が、この『災厄竜編』である。
この章に関して言うならば、クーガーは全てのイベント、全てのキャラクター、全ての裏設定を知り尽くしている。
(――そう、俺は全部知り尽くしているんだ)
クーガー・ザッケハルトはこの世界のことを熟知している。攻略wikiのことでさえ全部知っている。
登場人物が、今、どこで、どんな気持ちになっているのかさえ、全てを把握しているといっても過言ではない。
クーガー・ザッケハルトがわからないことがあるとすればただひとつ、それは正史から変わってしまった運命についてである。
正史『fantasy tale:災厄竜編』は、王道のストーリーである。
古代遺跡で目覚めた勇者、ユースタスケル。
そんな彼を発見して保護したのは、予言者の娘、ヴァレンシア。
そして謎の絵描きの娘、エローナと、強さを求める少年、ソイニが仲間に加わる。
四人は、千年に一度甦る災厄竜を封印すべく集まった勇者たちである。文明を破壊するエーテルの風――災厄竜はエーテルの化身。
夢の中に現れて人の体内に卵を産む災厄竜は、七人の少年少女を生け贄に選んだ。
怠惰のクーガー。
憤怒のオットー。
嫉妬のビルキリス。
強欲のエイブラム。
傲慢のヴァレンシア。
色欲のエローナ。
暴食のソイニ。
そして――データ容量の都合上、没設定として表に出てくることはなかった存在、八人目、虚飾のユースタスケル。
少年少女たちは、己の中に植え付けられた大罪と向き合い、それを克服しなくてはならない。
それができなかったとき、彼らの魂はエーテルの渦に取り込まれて、そして虚ろになった肉体を災厄竜に食べられて死ぬ。
クーガー、ビルキリス、オットー、エイブラムは己の中にある大罪に心をくじかれ。
ヴァレンシア、エローナ、ソイニは己の中にある大罪を克服する。
(結果、大罪四つ分の力しか得られなかった災厄竜が、本調子とまでは行かないまでも、その力をもってして世界を滅ぼそうとする――というのが『fantasy tale:災厄竜編』の大まかな流れだ)
大罪四つの力を蓄えた災厄竜。
大罪を克服した勇者たち四人。
災厄竜と勇者たちの激闘は、王都に大きな傷跡を残し――しかし、希望、不屈、創造、秩序を人々にもたらしたのだった。
それはいわゆる、古典的なハッピーエンドの物語である。
(……そう、ハッピーエンドの、はずだ)
クーガーはこの作品の脚本について、複雑な思いを抱いている。所詮は、ハッピーエンドを上手に書けないタイプの未熟な脚本家のシナリオである。
だから、人間が死ななくてはならないのだ。
物語を進めるために殺される人間――脚本家は、彼らに懺悔しなくてはならない。
――お前に巨万の富を与えたのは、お前が願ったからだ。
――運命を変えてみたいと願ったお前のために、運命を変えてやった。
それはいつかの神の言葉である。クーガーに授けられた、けして逃れることのできない重みのある言葉。
(……運命を否定する、か。そいつはいい、かなり気の利いた皮肉だ。もしかしたらそのときは、俺も、自分にできなかった世界を――)
繰り返すが、クーガーは運命を変えることを切望している。それこそがクーガーの、久我崎悠人の、心からの願いである。運命を変えてみたいと――自分の才能の限界を超えてみたいと願ったのは、他でもないクーガーなのだから。
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「ガラス製品の製造加工をどんどん発注しているお陰か、職人たちの技術が伸びたようですね、マデリーン」
「ええ、そうですわお兄様。ザッケハルト領でもガラス加工技術が進歩しつつありますわ」
気圧計、温度計の製造を経て、ガラスによる密封技術は一段と進んだ。ガラス作りに取り組んだのはクーガーが学院に入る一年半前。今はちょうど二年目である。
もちろん、二年で伸びる技術などたかが知れている。だが、ガラスに混ぜ物をどれぐらいの配合で行えば強度が増えるのか、などの経験的な知識は、この二年で増したはずである。
特に今取り扱っている製品が、温度計や気圧計など、気密性を要する高度なガラス細工である。芸術性を重視する民芸品や窓ガラスとは少々訳が違う。
「ガラス製造技法は、各領地ごとに隠匿されている秘術ですから、こうやって実際に作らせないと育ちません。……それにしても、よく二年間でここまで来たものです」
「棒の先端に粘土で型を作って、それを溶かしたガラスに浸して、もう一回それを熱して表面を滑らかにする『コア技法』。吹き竿でガラスを膨らませるときに、型のなかに入れてから息を吹き込むことで型通りに成形する『型吹き法』。……どちらもコツが必要ですものね、お兄様!」
滑らかなガラスを簡単に作るコア技法。
型通りにガラスを簡単に作る型吹き法。
そのどちらも革新的な技術ではあるが、いずれもこの世界に既存の技術である。工芸品で生計を立てている一部の貴族たちは、この知識を秘匿することで、ガラス製造の利権を独占しているのだ。
伯爵家であるザッケハルト家も、一応、自領内でガラス製造業自体を行う権利はあるのだが、さすがに技術は何周も遅れていた。
ガラス製造でしのいでいる貴族たちのそれとは、目も当てられないほどの差があったのだ。
そこに今、二年間を費やして、何とか形だけは追い付いたところである。資金力に物を言わせた結果である。
無論、ここまではただの勉強である。
クーガーたちの勝負は、むしろここから先にあると言えた。
「この二年間で、ガラス製造の基本的なこと――着色料の混ぜ方、温度管理の方法、強度を上げる配合など、そういった知識はあらかた試し終わったはずです。これでザッケハルト家も高度なガラス製造ができる側の貴族になったはずです」
「ようやくですね、お兄様」
「ええ。ようやくですよ、マデリーン。普通は門外不出であるガラス製造の最新技術を、こうやって私が領内のガラス職人にこっそりと教えて、そして二年でようやくです」
二年間をかけて産業を一から育てる。
流石に基礎的なガラスの製法自体はザッケハルト領にも存在したためゼロからのスタートではなかったものの、それでも潤沢な資金にものを言わせて二年をかける必要があった。
そうまでする価値はある。この世界でガラスは、主要産業になり得る――クーガーはそう考えていた。
既に芸術品として、高度なガラス細工は高価な値段で取引されている。
既に保存用として、ガラス瓶は、果汁ジュースや食べ物を保管する道具として重宝されている(ただし細菌が発見されていないこの世界では、ガラス瓶の『煮沸消毒を行うことができる→食品の長期保存が可能である』という有用性は、ごく一部にしか知られわたっていない)。
今後は実験器具として、レンズ、ビーカー、ガラス鏡などが生まれ、科学を発展させるであろう。
今は技術の過渡期である。
一般的には、ガラスはまだ、高級な工芸品としてしか認識されていない(そちらを作る方が職人たちは儲かる、という時代的背景があった)。
だからこそ、気密性が高いガラス瓶の量産方法や、ガラス強度を上げる研究は、まだあまり進んでいないのだ。
「ここからは、ザッケハルト家にしかできないガラス作りで他の貴族を突き放します」
そしてここからが、突き放すための更なる一手である。
「ザッケハルト家にしかできない……。例えばどういうものですか?」
「魔石を混ぜます。くず魔石を、山ほど、呆れるぐらい」
「……魔石を、混ぜる……?」
クーガーの研究成果のひとつに、くず魔石を潤沢に手にいれる方法がある。
地下ダンジョンで迷宮ミミズを養殖することで、くず魔石を大量に獲得することができる――あのクーガーの発見が、ガラス作りへと応用されつつあった。
「ザッケハルト家にくず魔石を大量に置いておきます。当分はそれを使って研究ができるでしょう」
「……魔石が尽きたら、そのときはどうしましょうか?」
「そうそう魔石は尽きませんよ。何となれば、私がダンジョンを作ります。二年前、温泉が見つかったあの場所は、実を言うとダンジョンを作るのに適した場所なんですよ。そこで迷宮ミミズを養殖すればいい」
「……ダンジョンを、作る……?」
不穏なことをさらっというクーガーだったが、マデリーンもマデリーンで、特に咎めるようなことは発言しなかった。
魔石の話は主要ではない。今はガラス作りの話をしているのである。クーガーは話が脇道に逸れることが嫌いな男であった。
「とにかく、ガラス作りの発展ですよ。魔石を混ぜることで、理論的にはかなり強度を上げることが可能なはずです」
「……そ、そうですね? お兄様」
「魔石を混ぜることで魔道具化させて、ガラス製品をより便利にすることも考えてます」
「……」
ガラス細工の魔道具化。実を言えば、クーガーは新しい魔道具の開発をザッケハルト家の切り札のひとつにしようと画策している。
(ガラスの製造技術は、今後、より精密な温度計、気圧計を作る際に、きっと役に立つだろう。気密性と頑強性を底上げすることができたら、航海時における壊血病対策のザワークラウトの保存瓶に。他にも、化粧品、香水、薬品など、酸化したり揮発したら化学的に変性してしまうデリケートなものを取り扱う際にも、ガラス製法は必須だ……)
養蚕や発酵食品作りのための温度計。
天候を予測するための気圧計。
保冷の魔術を籠めて魔道具化すれば、保存食を蓄える瓶になり、化学薬品が酸化したり揮発したりするのを防ぐ保存器具にもなる。
(……香水などは、保存が難しいから高価なんだよ。保存技術を底上げすれば、美味しい利権にありつくことなんて簡単なんだよ)
例えば、匂いのしない石鹸を輸出するのは簡単だが、いい匂いがする石鹸を輸出するのは難しい――。
まがりなりにも、王家との間で高級石鹸の商売を続けてきたザッケハルト家である。それも、ガラス瓶という、衝撃に弱そうな交易に向かなさそうなもので香り付き石鹸を交易してきたのだ。
高価なガラスをおじゃんにしかねない……という意味では、思い付いても中々実行するには勇気がいる奇策。
当然苦労は多かった。
だがこの二年間の経験は、香りが逃げないようにする密閉技術、および馬車に乗せても割れにくくなるようする頑強性を高める成分配合研究を、少しずつ成熟させていた。
「香水と薬品を取り扱う。そのための、霊薬卿のクレンペラー家との交易計画だ――」
他の領土のガラス職人が芸術品(宗教的なステンドグラス、高価な食器など)にかまけている間に、密閉技術を完成させ、魔道具化を急ぐ――それがクーガーの考えている、今後の展望であった。
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