閑話 夏休みのザッケハルト家 前編
人脈を作るために魔術学院に入学したはずのクーガーなのに、持ち帰った成果は全然人脈とは関係のないものばかり。
しかもその成果が、全部素晴らしいものばかりなのだから、余計に始末が悪い。
これには父ジルベルフも、
「もうお前はこれでいいのかもしれんな。人には向き不向きというものがある」
と諦めたような発言をするばかりだったという。
「長男のウォーレンは、このザッケハルト領の経営において頭角を現しつつある。次男のヒューバットは剣術、長女のナターリエは魔術と、持ち前の能力の高さを活かして、騎士団、冒険者としての道を歩んでいる。三男のエンリケは音楽士として活躍している。次女のマデリーンも、近頃は才知に富んで美しくなり、きっと魔術学院に通う頃には人気者になるだろう。――クーガー、お前もまあ、あれだ。人脈なんぞ関係ないだろう、うん」
「丸わかりのフォローだ……」
「実際、人脈はそれなりに培ってきただろう? 王女殿下はもちろんのこと、王領候の嫡子も相当のお方だ。しかも普通の王領候ではなく、"霊薬卿"の血筋を引く身分ともあれば、十分以上だろう」
「ありがとうございます、父上。これも"竜殺し"を果たした偉大なる先祖と、"鉄血"の名を轟かす父上あってのことです」
人脈の話といえば、クーガーは殊更に悪い働きをしているわけでもない。
身の回りには、それなりに悪くない人脈があるのだ。
例えば、王族の血を引くビルキリス、"霊薬卿"クレンペラー侯爵の三男オットー、中央の法務官を輩出するエーデンハイト家の娘ヴァレンシアなどは分かりやすい例である。
他にも、希望卿と名高い勇者ユースタスケル、とある大物の息子ソイニ、故あって芸術ギルドに強い影響力を持つエローナ、と使えそうな人脈はいくつか存在する。
「ただし父上、きっと妹のマデリーンのほうが、もっと人脈を作ることができるでしょう」
「……かもしれんな」
「どうにも私は、その辺が不得手のようです」
しかしながら、これでも十分でない、とクーガーは自覚していた。
身も蓋もない言い方をするのであれば、数が少ないのだ。
この程度のコネならば、それこそ魔術学院アカデミアにやってくる生徒たちの中にごまんと存在する。何となれば、これよりももっと中央権力に近い人物がいるのだ。
クーガーが人脈だと言い張れるのは多目に見積もっても六名。その内、これは本当の繋がりだと信頼がおけるのは、今のところは二名だけである。
社交界にもっと積極的に顔を出していたら、話は変わったかもしれないが、現実はこういうものである。
「――貧乏くじなのだよ、クーガー」
ふと、ジルベルフは疲れたような口調で語った。
「かつて竜を殺したという栄誉を無下にはできないから、国王は我々に伯爵位を任じておられる。領地も広い。ゆくゆくは辺境伯に任じられる話も出てきている。――表面上では、我々は十分な褒賞を受けているのだ」
「……」
「しかし実態をみれば違う。中央からは遠ざけられ、魔物の跋扈する厄介な土地を任され、伯爵位にしては大きな裁量と引き換えに周囲の中小貴族の面倒も見なくてはならない立場だ。飼い殺しというやつだろう」
「……」
「いい塩梅だろう。国王にも余裕はないのだ。諸外国との戦争もしばらくない。戦争で掠奪するものがない恒久の時代に、どのようにして富を分け与えるのか――国王はよい采配を振るっておられる。"実利"を中央貴族や王族派の貴族に分け与え、"名誉"は中立派の我々に分け与える。どこかが強くなりすぎることもなく、どこかが幅を利かせ過ぎることもない、よい政治だ」
「……父上」
だからこそ人脈だ、とジルベルフは語る。
人脈は貴族社会においては大事である。
よい商人や、よい配偶者を紹介してもらうにも人脈。大地主や富裕層の集まりに招いてもらうにも人脈。
様々な便宜を図ってもらうにしても、人脈が命なのである。
「中央から遠く離れ、国内の政治にもあまり噛めていない我々が生き残るには、やはり人脈だ。……世知辛い話だな」
「父上……」
人脈は、偏るものである。
最初からエリートたちは、エリートたちで既に集団を作っており、その集団の中で徐々に人脈を培うのである。
外部からその人脈に入り込もうとするのは、非常に難しい。
持っている人がさらに富み、持たざる者はさらに貧しくなる――非常に分かりやすい話である。
「魔術学院アカデミアは、まさしくその特権階級集団なのだ」
「……」
「この集団に一度属しておくことで、将来、また学院既卒生たちで集まる機会もあるだろう。その集まりでもまた得難い人脈を得られるはずだ。一度属しておくだけでも十分なのだ、クーガーよ。……お前はよくやっている方だ」
「……」
「……ひょっとすると私は、エンリケやお前、そしてマデリーンに酷なことを要求しているのかもしれん」
「いえ、そんなことは」
「……」
「……」
沈黙はしばらく続いた。クーガーはこの沈黙が嫌いじゃない。だが、ひょっとすると父のジルベルフは違うのかもしれない。
結局は人脈なのだ。
人と人のつながりは、いついかなる時においても重要なのである。
たとえクーガーがこれほど卓抜した内政の辣腕を振るおうとも、それがしかるべき場所で認められなくては意味がないのだ。
しかるべき場所――そう、中央貴族とのコミュニティである。
(次兄のヒューバット兄さんは王国騎士団に在籍を許されたエリート――いわば軍部の中枢とザッケハルト家との橋渡し役だ。長女のナターリエ姉さんだって、今や【閃光】の二つ名で実力を認められて、冒険者ギルドとザッケハルト家との橋渡し役として立派に活躍している。社交界で名を馳せているエンリケ兄さんなんか言うまでもない。……ならば)
クーガーはちらりとジルベルフの顔色を窺った。肝心のジルベルフは特に何も語らない。クーガーの躍進とは裏腹に、いまだに先を見通せない現実が、二人の目の前にある。
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「――ふ、やってくれたな、クーガー。メイドたちに言い寄られたときは何が起こったのかと困惑したものだよ。『媚薬サテュリオン』だな?」
「すごい……」
クーガーは絶句した。
ザッケハルト家が抱えるメイドの人数は約70名ほどである。
今後辺境伯となることを検討している伯爵としては少ない数だが、間諜として働くエンリケ、およびセバスチャンの指導の行き届いた手練の諜報部隊だと考えると多い数である。
そもそも、ザッケハルト家の屋敷は伯爵の屋敷としては小さい方である。70人で回すのは十分ともいえた。
だが、70人は70人である。
その70名たち相手と、この一週間ずっと何かをよろしくしていたエンリケが平然としているのは、さしものクーガーも恐れ入るしかなかった。
「全員を相手取るのに、一週間かかった。メイドたちに媚薬を配布するとは、やってくれるじゃないか」
「すごい……」
一週間。想像もしたくない期間である。
「――さて、クーガー。君に覚悟はあるかい?」
「も、申し訳ありませんでした……」
クーガーにも怖い存在はいる。傍若無人で、なおかつ主体的な彼だが、こう見えて家族には滅法弱い。
父、母、兄三人、姉、妹――いずれに対しても、クーガーは内心で恐れのようなものを抱いている。怯えているわけではない……はずなのだが、苦手意識のようなものがあるのである。このエンリケにも、得体のしれない怖さがあった。
「まあ、私もいい気分転換になったよ。久々にこの左目を使って本気をだす羽目になった」
「はい……え?」
「いつの時代も、本気を出すというのはいいことだ。――そうだろう?」
ふふ、と謎めいた笑みを浮かべて立ち去るエンリケを前にして、クーガーは言葉を失った。
本気を出した。一週間かかった。――それはつまりどう解釈すればよいのだろうか。
「まさか、兄さん……」
ふと嫌な閃きが生じた。一週間乗りきったではなく、一週間で切り上げた、いや、一週間かけて楽しんでいたのだとすれば。それはつまりエンリケは。メイドたちは。
そこまで考えて、クーガーは追究することをやめた。つまびらかにしなくてもいいことは、この世の中にたくさんあるのだから。
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あと数日でビルキリスとオットーを迎え入れないといけない。そのための準備で奔走しているクーガーのもとに、姉のナターリエが疑問を投げ掛けてきた。
「――なあ、クーガー。これに意味はあるのか? 恒久の香とか言ってたけどよ」
「ありますあります、悪夢のダンジョンに入るために必要なんです」
先ほどからナターリエが指で弄んでいるのは、クーガーがお金を積んで同級生から買い取ったレアアイテム、恒久の香である。
これは、あの『野外実習』で一位を取った班からクーガーが買い取った物品である(実をいうと、あの『野外実習』ではユースタスケルらもクーガーらも先生に得点板を剥奪されて一位になれなかったのである)。
この魔道具は、尽きることないお香を楽しむことができる贅沢品である。だが、この魔道具の真価はそこではない。
このお香を焚いて眠ると、なんと悪夢ダンジョンに入ることが可能なのである。
「恒久の香、通称アレなお香は、『fantasy tale』内で使用すると『主人公はギンギンにキマってる!』とか『多幸感でトビそうだ』とか、いかにもアレな言葉が出てくるアイテムです。攻略wikiにも掲示板にもアレなアイテム扱いされてます」
「……こうりゃくうぃき? きまってる? ……よくわからんけど、それ危ないお香じゃないのか?」
「いえ、安全なお香ですよ、安全な。……せいぜいお香メロメロバグの裏技が使えるぐらいで、お香を炊いた部屋にいるキャラの好感度が上昇するというだけです」
「危ねえじゃねえか!」
ナターリエの突っ込みを、クーガーは涼しい顔で受け流した。
危ないお香ではない。危なくはないのだ。ゲーム『fantasy tale』のセルフレイティングは12歳であり、ゲームに反社会的な行為は描写されていない。
そういうことになっているのだ。
つまりこのお香は、危なくはないということになる。論理的な帰結である。セルフレイティング12歳のゲームの描写なのだから何ら危ないはずがないではないか、と。
「悪夢のダンジョンに入るには、主人公がバッドステータス『酩酊』状態になったまま睡眠しなくてはなりません。そしてこのお香はいつでもどこでも何度でも酩酊状態になれる最高のアイテムです」
「だめじゃん」
「これ最高ですよ、ナターリエ姉さん。手放せませんよ」
「台詞がもうだめじゃん。これ最高ですよ、手放せませんよって」
姉から注がれる白い目を無視し、クーガーはお香の効果を軽く確かめた。
程よい酩酊感。美酒を呷ったような、あのほろ酔い感覚。これは確かに永遠に味わっていたくなるようなお香である。
「しかもこのお香、魔石のくずで出来ているので、何度でも火をつけられるんですよね。尽きることなく使えるお香、まさに恒久の名にふさわしいです」
「どうでもいいけどよ、危ないことはするんじゃねえぞ」
呆れながらも忠告を飛ばす姉に対し、クーガーは軽く答えた。
「大丈夫です。悪夢のダンジョンは危なくないですから」
「さっきからダンジョンダンジョンって何だ? ダンジョンとお香に何か関係があるのか?」
「ゾンビ無限溺れバグとか、悪夢装備バグとか、無限呪い水とか、そんなのばっかりですよ」
「いやだからダンジョン……え、何それ、無限溺れとか装備とか呪い水とか」
「――よし! 後は色々準備しないと!」
「あ、こら逃げんな」
面倒な質問には答えない。それがクーガーの生き方である。別に答えてもいいのだが、多分理解してもらえないだろう。
普通水場の側には湧かないはずの魔物であるゾンビを『罠スキル』を使って拘束し水場に溺れさせることで、無限に罠スキルに経験値が手に入るというバグ。
悪夢のダンジョンでまれにドロップする悪夢装備を更に呪うことで呪いの悪夢装備にして、それを敵に装備させることで敵をハメ殺しすることができるというバグ。
悪夢のダンジョン内にある呪いの泉に空き瓶を突っ込むと、無限に何度でも呪い水を得ることができるという裏技。
全部どう説明すればいいのかも分からないし、説明したところでどう理解してもらえばいいのかも分からない。
そんなことを思いつつ、クーガーはナターリエから早足でそそくさと逃げたのだった。
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