しまらない後日譚
しまらない後日譚がそこにある。
夜に学院へと進入してきたランジェリー同盟と対峙したユースタスケル一行、およびクーガーら三名は、盟主ラーンジュ卿を撃退したものの、逮捕するまでには至らず、ランジェリー同盟の全員を悉く逃がしてしまった。
逃がしたというよりも、捕縛できなかったのが真相である。
というのも、コッドピース卿やドロワーズ卿もさることながら、後に合流してきたシュミーズ卿、ビスチェ卿も恐ろしく強く、ランジェリー同盟は終始、ユースタスケルたちを圧倒してそのまま立ち去ったのである。
盟主ラーンジュ卿とて、三対一の条件で奇策使いのクーガーらと戦ったから負けただけであって、勝負はかなり際どいものであった。
結局、『何が何でも捕まえて裁いてやる!』と息巻いていた秩序卿ヴァレンシアの意気込みもむなしく、するりと逃げられてしまったのが事の顛末であった。
ちなみに下着は全員分、無事に新調されて戻ってきているようであった。そのこともあってこの一件は、特に誰も問題視することなく、ひと段落を迎えたのだった。
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「邪道に落ちたことの申し開きはあるか、エローナ。この私、ヴァレンシア・エーデンハイトは、お前が裏切るとは思っていなかった。普通はそんなことをしないのが基本だと思っていたが」
「ない」
学院では少し不思議な光景が広がっていた。
ユースタスケル一行の仲間同士なのに、創造卿エローナが、秩序卿ヴァレンシアに問い詰められている。理由はいうまでもない。この前の騒動の一件である。
周囲の生徒たちも遠巻きから、興味深そうに事の推移を観察していた。
――あの勇者一行のエローナがどうして。
――何かあったのだろうか。
――裏切りってどういうことなのだろう。
そんな好奇の視線が、不躾にエローナに注がれていた。まだエローナがランジェリー同盟の一員だということはヴァレンシアも含めクーガーら以外は知らない情報であったが、それでも、何故かランジェリー同盟に協力したエローナはかなり疑わしい人物となっていた。
「私の魔道具はお前のことを犯人だとは見抜けなかったが、どうやらうまく誤魔化したらしいな」
羽ペンを既に偽物にすり替えていたのか、それとも『ランジェリー同盟ではあるが下着を盗んだ犯人ではない』という言葉の隙間を縫った弁明だったのか、それとも既に貝殻を使って音楽魔術をじわじわ浸透させ疑う能力を一時的に奪っていたのか――真実は定かではないが、今までうまく逃れてきたエローナの正体は、とうとうヴァレンシアたちに疑われるところとなった。
「どうしてお前は、ランジェリー同盟に協力したんだ」
「黙秘する」
「……どうしてもか。お前はランジェリー同盟の一員じゃないのか?」
「……」
裁こうとするヴァレンシアと、沈黙するエローナの間には何ともいえない緊張が走っていた。
周囲の野次馬たちも、あのエローナはいったい何をしたのだろうか、何か面白そうなことになっているじゃないか、と目を皿のようにして見守っている。
クーガーは、見ていられず思わず口を挟んだ。
「あの夜エローナが何をしたのか、それはエローナを除く俺たち六人しか目撃してない。というかそもそもあの夜は七人とも全員『謎の幻術』にかけられてしまって、正確な目撃情報なんて誰も持ってないはずだ。
それに彼女が今までの下着泥棒の犯行を協力した、という証拠はどこにもない」
「何?」
ヴァレンシアの不機嫌な視線がクーガーへと刺さった。
「今回、どう見てもランジェリー同盟は貴族女子寮の内部地図がないと行えないような犯行に及んでいるのだぞ? 普通は、誰か内通者がいると考えるのが基本だ。分かるな、クーガー。要点が理解できない人間は一生出世ができないぞ?」
「……実は、俺だ」
「は?」
「女子寮に引っ越す際、参考までに図面を受け取ったんだが、それを紛失したのは俺だ。たぶんランジェリー同盟はその紛失した図面を利用して進入したに違いない。――つまりエローナは内通者じゃない」
クーガーがそう話した瞬間、周囲の温度は急に下がった。
反応は様々だった。
「クーガーこそがランジェリー同盟の一員だったのではないか? 図面を紛失した振りをしてるだけかもしれん」
「いや、エローナはまだ怪しい、何せ当日ユースタスケルたちを裏切って対立しているじゃないか」
「どうだろうか、エローナはエロいことが絡むと暴走するだけで、今回も単純に暴走しただけじゃないのか」
「そもそも下着が新調されて儲かったからどうでもいい」
「クーガーとやらは問題児だし、図面を紛失したというのはあり得そうな話だな」
――などなど。
突然の発言に、エローナを疑う空気は少し弛緩して、やがて「どうせまた勇者たちが単純に喧嘩しただけじゃないのか」という物の見方が広まった。
むしろその分の嫌疑の視線は、クーガーのほうへと分散し、野次馬の興味の方向は分散してしまった。
それだけ、クーガーという『学校を一週間いきなり休んで女子寮へ引っ越して女子風呂に入って勇者たちを素っ裸にひん剥いた変態野郎』のレッテルは強いのである。
周囲の野次馬の変化に、ヴァレンシアは何かを悟ったのか、ため息をひとつ吐いた。
「……クーガー、貴様。この私、ヴァレンシア・エーデンハイトに口答えするというのか? しかも、もし図面の話が本当だとしたら、お前がしでかした失態は単純には償いきれないような大きなことなのだぞ」
「失態、とはいうが、誰も興味を持っていないみたいだぞ。……いや、興味は持っているが、『まあ損はしてないからどうでもいいや』って空気だぞ」
「……覚えておけ」
「何をだ、ヴァレンシア」
「……この場は、これ以上はやめておく。だが、次はないぞ」
「さあね。次も何も、今回はそもそも何もなかったのさ」
クーガーがそう言い切ると、無言が続いた。
やがて、周囲の野次馬が興味を失ってぽつぽつと帰りだすころになって、ようやくヴァレンシアはふいと顔を背けてどこかへと立ち去っていった。
案外彼女も、友人であるエローナを糾弾するつもりはなかったのかもしれない。
形だけはそのようにしても、後で、エローナは誰かに脅されていた、とかなり何なりのフォローを入れる腹積もりでもあったのかもしれない。
(まあ、だろうね。そっちもそっちで、何だかんだで勇者のエローナは手放したくない仲間だろうし。それに同じく仲間のソイニもあんまり探られたくない痛い腹を持っているはずだ。潔癖なヴァレンシアにしては不服かもしれないが、ここら辺が手を打つ妥当な線のはずだ――)
やがて、ソイニも、ユースタスケルも、何か言いたげな表情を浮かべながらも、「……まあ、甘えておく」「……今回は見過ごすよ、じゃあね」と意味深な言葉をつぶやいて、そのまま立ち去っていった。
後に残ったのは、ビルキリスと、オットーと、クーガーと、そしてきょとんとしているエローナだけであった。
エローナはそのままの表情でクーガーに向かって尋ねた。
「……何故、あんな嘘を」
「俺が図面を紛失したっていう筋書きのほうが、ユースタスケルたちにとっても、あとランジェリー同盟にとっても都合がいいだろ?」
「……でも、貴方の評判が」
「問題ない。元から底辺だ。――無能だと思われるのは、まあ慣れている。図面をなくすような無能だと思われたところで何も堪えないさ」
それと、とクーガーは釘を刺すようにして微笑んだ。
「貸しだ。分かっているよな? できれば絵描きギルドの有力者とは仲良くしておきたいんだよ。いい関係が結べそうじゃないか?」
「……」
クーガーの笑みは、蛇のそれに近い。じっと見つめられたエローナは、しばらく考え込んで、やがて苦笑してうなずいた。
「……考えておく」
「なんだそりゃ」
ててて、と走り出したエローナは、小さな声で何かを呟いてそのまま消えていった。それが「ありがとう」という言葉に聞こえたのは、クーガーが図々しいからなのかもしれないが――。
「……クーガーらしいですね。強かですが、優しい手打ちだと思います」
「んふふ、全くです。クーガー殿はこれだから、まあ……我々が手助けしないと勝手にボロボロになりそうですね」
「ふふ、そうですね。無能の振りをするだけ、とクーガーは考えているかもしれませんけど、それでも随分大きなものを失うのですからね。……手が焼けますね」
「あのー、お二方、聞こえてますよ」
にやにやと妙な視線を背後に感じたクーガーは、今の今まで振り回してしまった二人の友人に頭を下げつつも一応突っ込んだ。二人は、全く手が焼ける、とまるで世話を焼く側の立場で物を申している。何だこれは、とクーガーは思った。
「ふふ、クーガーは下着を嗜んでいらっしゃるのでしょう? 他の人のものを盗むぐらいなら、私に相談してください。窃盗はなりませんよ?」
「んふふ、ちなみに下着を所望でしたら、いつでもご用意いたしますゆえ。この策士オットー・クレンペラーは貴方の友人です!」
「うーん、下着盗むキャラが定着しているのは良くないですね。なりませんね」
からから笑う二人と共に、クーガーは何だかしまらないなと思いながらも次の授業の教室に向かうのだった。
かくして、クーガーたちは学院を連日騒がせていた下着盗難騒動から、ようやく解放されることとなった。
終わってみれば呆気ない話ではあったが、クーガーにとっては、回復魔術とスタングレネード魔術を組み合わせた自爆特攻という新戦略を試せたことと、絵描きギルドの有力者に貸しを作れたことにより、収支としてはややプラスかな、という形で幕を引いたのだった。
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それはとある闇の中。
「……ふ、まさか盟主の私が負けてしまうとはね。クーガーも中々強くなったものだ」
「そうですな、ラーンジュ卿。この爺や、若様の成長ぶりに年甲斐もなく感動いたしました」
「あー? 嘘つけよコッドピース卿。爺やは孫のソイニってガキとじゃれあってたじゃねーか。完全に稽古だろあれ」
影に隠れ、言葉を交わすラーンジュ卿とコッドピース卿に、語調の強い声が被さってきた。シュミーズ卿――ナターリエである。
「だめだよ、シュミーズ卿。コッドピース卿も久々に可愛い孫に出会ったんだから、少しは欲が出るものさ」
「少しは欲が出るって、あのなあラーンジュ卿。お前もアタシとビスチェ卿に全部丸投げしやがって、弟とじゃれあってたじゃんか。こっちは仮にも姉だぞ、仕事を丸投げするか普通? しかも負けてるし」
「そうですよエンリケお兄様! 全部私たちに丸投げするなんて酷いです! 私だってクーガーお兄様とお会いしたかったです!」
呆れ気味に指摘したシュミーズ卿に、不平の声が便乗した。ビスチェ卿――マデリーンの声である。姉と妹の二人から言い詰められたラーンジュ卿は、しかし、ふてぶてしいほどの笑みで答えた。
「ふ、魔眼と蝙蝠を使うのは可哀想だったのでね、ついつい手加減してたら負けてしまったよ。……それとビスチェ卿、ここではコードネームで呼び合うのがルールだよ」
「そうでございます。なりませんよ、ビスチェ卿」
「……。はい、お兄様、爺や……」
「いいじゃねーかラーンジュ卿。今は家族しかいないんだし」
ラーンジュ卿の言葉に、姉のシュミーズ卿は苦言を呈した。
事実、今この周りには誰もいない。ラーンジュ卿の視力や聴力をもってしても、周囲に誰も感知できないのだ。ラーンジュ卿に感知されないほどの遠くから、この会話を外から聞くことなど、もはや不可能に近いことである。そこまで神経質になる必要はないのだ。
だが、ラーンジュ卿は首を振って、やんわりと答えた。
「それでもさ。夜はどこに潜んでいるか分からないからね」
「んなこといっても、ヴァンパイアの左目を移植しているお前が見ることのできない夜の闇なんて、そんなのがあったとしたら、アタシたちじゃ勝負にならないって。アタシはお手上げだよ」
ラーンジュ卿の左目には魔眼が埋め込まれている。シュミーズ卿の言葉は、そのことを示唆している。
「ふ、魔眼か」とラーンジュ卿は答えた。「実際、女性は魅了できるし夜闇は見えるし、いいことばかりだよ。姉さんもどうだい?」
「アタシはパス。その前に闇に【閃光】をぶちこんでやるさ」
「……クーガーお兄様に会いたかったです」
ぽつりと、二人の会話と関係ないところでビスチェ卿が呟いた。その言葉に、姉のシュミーズ卿も「あ、それアタシもだなー」と同意した。
「今度アタシが戦おうかな? クーガーの野郎、アタシの【閃光】を我が物顔で使ってるから、ちょっと本物をくれてやろうとね」
「ふむ、ではこの爺やも便乗いたしましょうかね。若様とは一度お手合わせしたいと思っておりました」
「……クーガーお兄様と……」
「ふ、今度クーガーが帰ってきたらにしようじゃないか」
怖い話が着々と進む中、ランジェリー同盟の面々はそのまま影を闊歩する。話題の中心はクーガーのことばかりである。
ラーンジュの名を継いだ音楽士は、「さてクーガー、お前に実家に帰ってくる覚悟はあるかい?」と意味ありげな言葉を呟いて夜闇へと消えていった。
――そして夜がやってくる。空には、誰もかも等しい夜が翼を広げている。