上中下の中
実は人魚とは会ったことがある。
別に劇的な出会いだったわけではない。太平洋沿いのリアス式海岸に沿った道を台風が通過した翌日歩いていたら、上れそうな岩があったので昇ってみた。すると岩の向こう側に上半身裸の女が海にいて、向こうもこちらに振り返ったのだ。
その瞬間は全く頭が働かず視認しただけだった。次の瞬間女は海に潜り、大きな尾びれが海面を叩き、向こうに行ってしまったのだ。
それからようやく、こんなリアス式海岸で波の強い日に海に入る人なぞいないことに気がつき、あれが人魚なのかと気がついたのだった。
肌の色が気持ち悪く白く、髪は長く手入れなぞされていないようで、顔もそんなに綺麗だとは思えなかった。
そのときはマジマジと見たわけでもなく、話をしたわけでもない、(こんなこともあるのか)としみじみ思っただけだったが、まさか翌日会いに来るとは思わなかった。
翌日、次の目的地に行くためにローカル線に乗り、本を読んでいたら通路を歩く人のスカートが視界の隅に入った。
やけに気になる歩き方で、膝を全く曲げない歩き方だと気がつき、そちらを向いたら昨日の人魚がかなり怒った目をしてこちらを見ていた。
服は白く清潔で足をすっかり隠していて、綺麗だと言えるほどのワンピースなのに、目も肌も髪もまるで合っていない。
そしてそのままボックス席の向かい側に勢いよく座った。
少しうろたえて車両を見渡したら、私たち二人しかいない。中途半端な時間だから誰もいないのか、人魚が結界でも張ったのか頭の中に疑問が浮かんだが、人魚は怒った目つきのまま話しかけてきた。
「あんたがどこにいるか、犬だの雀だのに聞いてきたんだが、ずいぶん好かれているようだね。どいつも行き先を教えてくれたあとに、酷いことしないでねと言っていたよ」
ひどくざらついた声だ。
「その目で聞いたの?」
「ふ。狐やら河童やら天狗やらからも気にかけてもらっているようだな」
「狐と河童は嬉しいけど、天狗は知らんぞ」
やはり膝が上手く曲がらないようだ。姿勢を正せない。それよりも用件の方が大事のようだ。
「私を見たことは、誰にも言うな」
「そりゃいいけど、河童を紹介してくれた人がいるんだ、その人にも言っちゃだめ?」
少し考えたが
「うん、だめだ。その人は信頼できるだろう、しかしその人に話したことが何かのきっかけになるかもしれん。それは拙い」
「解ったよ。誰にも話さないよ」
人魚は返答を聞くとそれ以上何も言わず、睨んだまま立ち上がって降り口に向かった。電車はホームに入ったのだ。約束することでメリットが欲しいな、とは思ったが、言うことはできなかった。
「ねぇ、また会うときの方法とかさ、名前とかさ、何か教えてくれないか」
しかし人魚はこちらを振り返ることすらせず、そのまま降りていった。
その駅から乗る人は、足が不自由な女性が完全に降り終わるまで好意的に待った。すぐに全ての席が埋まるほどの人数だ。やはり結界を張っていたのか。